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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第8章
31/52

第31話:さよなら

 中央の塔付近で黒い化け物が暴虐の限りを尽くしていた。

 異様に長い両腕を駄々っ子みたいに振り回してめちゃくちゃに破壊する。顔面に備わった複眼から照射される熱光線が直線上の物体を焼き払う――自然の岩石、木々、苔むした古代文明の建築物、村人の家屋、無差別に。

 黒い空。

 赫々と燃える民家。

 肌を舐める空気の熱。

 木々の爆ぜる音。

 保養地は地獄の様相。あるいは終末。

 火の粉にまかれながらミソギは生き延びた村人たちの避難に奔走している。白い素肌を煤で汚しながらも懸命に皆を導いている。彼女とて泣き叫びたいだろうに。

 心身共に疲労困憊したイクは、地を焼き天を染める火炎を呆然と見ていた。

 黒い化け物の相手をしているのはミドとイザベル。短刀と細剣(レイピア)での近接戦闘が主体の二人対し、黒い化け物の武装は伸縮自在の両腕と熱光線。一太刀浴びせる以前に近づくのすらままならず、おとりになるので精いっぱい。どうにも攻めあぐねていた。

 ミドがメガネの煤を拭う。


「クリーチャーとは雰囲気が違うよね。黒いあいつ。動物にも植物にも似てないし。しいて言うなら……人間?」

「いずれにせよ敵には違いあるまい。くっ、間合いにさえ入れるなら」


 戦いのさなかに白い巨獣が乱入してくる。


「新手かい!?」

「いくらでも相手をしてやろう――と気勢をあげたいところなんだがな」


 かつてシロコという名の白い娘であった『瑞獣ビャッコ』は四肢で地に立ち、牙をむき出しにして威嚇の唸りを上げている。

 ビャッコが雷撃を放つ。

 濁流と表現すべき極太の雷が落ちた先は黒い化け物であった。

 桁外れの魔法攻撃の直撃を受けた化け物は、近くに転がっていたミュータントの死骸を捕縛して体内に吸収する。黒こげになっていた肉体がみるみる再生していった。

 敵の悠長な行為をビャッコは許さなかった。俊敏な動きで胴体に喰らいつき、化け物を上半身と下半身まっぷたつに噛みちぎったのだ。

 と、そこに強烈な光が起こる。

 背後の光源から白い魔力の刃が飛翔してビャッコのそばを掠める。衝撃波でビャッコは真横に吹っ飛ばされた。抉り取られて巻き上がった土が白い身体に降り注いだ。

 続いて地震。

 否、白い魔力の刃が直撃した塔の震動であった。作動した魔法障壁には無数の亀裂が走っており、衝撃を受けた外壁のガラスにまでひびが入り、内部の金属ワイヤーがちぎれて昇降機が落下していた。

 光り輝く右腕を振り下ろしたベラドンナが光源にいた。


「あなたがたにはもうしばし演じていただきます。首領を楽しませる舞台の役を」

「呪われた右腕……白い魔法……ベラ、どうしてキミが」

「ミド。私たちは幸福になってはならないのです」


 真剣な問いを言葉遊びで返される。

 集まってきた黒服の男や傭兵たちがイクたちを包囲する。為すすべなく皆、武器を捨てた。

 黒服の何人かが黒い化け物の死骸に近寄ってくる。上下に切断された死骸を手際よく布でくるみ、革のベルトで緊縛すると、数人がかりで担いで持ち去ってしまった。

 梱包された二つの死骸は布の内で不気味にうごめいている。


「ブラックマターの回収を完了。総員、即時撤収を」


 命じられた黒服たちは死骸を担いで湖の方角に消えていく。


「貴方がたは生命を冒涜する愚か者どもです」


 ミソギの素肌は煤け、慈愛に満ち溢れていた両眼は激情の荒海に変貌している。


「ヒラサカはわたくしの命を奪いにきたのではないのですか。わたくしが彼の覇道を阻む唯一の脅威であるから。だからといって無関係な方々まで殺すことはないでしょう。あまりに……あまりにむごいです」


 聖女が涙しようとベラドンナは眉一つ動かさない。


「ヒラサカ首領は常々こうおっしゃっています『万事、興が肝心である』と」

「戯れで他者を殺めるのですか」

「覇者の権利です。首領は世に暁光をもたらす御方。生きとし生けるものどもを掌中で踊らす至高の権利を有しているのです」


 ベラドンナは拳銃を発砲し、ミソギの心臓を撃ち抜いた。無表情、感情のうちに淡々と行われた、作業的な殺しであった。

 重い衝撃を正面から受け、胸を反らせてのけぞるミソギ。

 翼の羽がちぎれ、灰に混じって舞う。

 仰向けに倒れた聖女を鮮血が染めた。

 仕事を終えた氷雷会(ひょうらいかい)の構成員と傭兵らはベラドンナに率いられて引き上げていく。黒煙を吐く小型軍用船は湖の霧の奥に去っていった。

 燃え立つ集落に残されたのは死した聖女。白い虎。

 そして撤退したはずの傭兵が一人。


「シロコ、アタシだ! アタシがわからないのか!」


 黒装束の傭兵はビャッコの正気を取り戻そうと必死に呼びかけている。


「お姉ちゃんだよ。シロコを迎えにきたんだ。やっと会えたんだね。そんな格好をしていたってアタシにはわかるさ」


 感極まった傭兵はついに顔を隠す装束を放り捨てた。

 白銀の髪と獣の耳。

 怒れる白き獣がかつて人の姿であったときと瓜二つの顔を彼女は持っていた。

 あぁ、シロコが数年成長したらあんな面立ちになりそうだ。

 気力の尽きかけたイクにはそんなぼやけた考えしか浮かんでこなかった。


「帰ろうシロコ。お姉ちゃんと暮らそう。誰にも苦しめられない場所で」


 彼女はあんな優しい声も出せるのか、と曖昧な思考を続ける。

 唸るビャッコに手を差し伸べながら歩み寄っていく黒装束の傭兵。物騒な鉤爪も腕から外し、両腕を広げて妹を迎え入れようとする。

 白い獣の取った行動は、雷撃による拒絶であった。

 耳をつんざく雷の余波で、傭兵は木の葉のごとく宙を舞って墜落した。

 木々をなぎ倒して駆けるビャッコは聖なる力で水面を渡り、軍用船を追って霧の奥に消えてしまった。

 ……。

 何もかもが破滅してしまった。

 この結末は罰なのかもしれない。罪を犯し、あまつさえその罪から目を背け続けた俺に対する――そんな諦念をイクは抱いていた。

 右腕が焼け落ちる熱が彼を襲う。

 意識が薄れる。

 まぶたが落ちて視界が狭まっていく。



 イクが目覚めた場所はミソギの私室であった。

 ベッドのそばのイスに腰かけ、タブレットを指先で操作していた彼女は、イクの目覚めに気がつくや嬉しげな笑顔を浮かべた。


「おはようございます。イクさん」


 彼女が隣にいる……ここは死後の世界なのだろうか。

 イクは急いで身体を起こし、窓の外を確かめる。

 焼きつくされ、破壊しつくされた秘境。緑の色が消え、黒や茶色など汚れた色が大半を占めている。家屋のほとんどが消し炭と化している中、中心部の塔は誇らしげに陽光を反射させている。

 青空の下、ミドとイザベルが村人に混じって怪我人の看護と瓦礫の撤去に追われている。


「ヒラサカといえど、わたくしが二つの因子を有しているのは認識の外だったようです。神鳥カラドリウスと不死鳥フェニックスの因子を移植されたわたくしは彼同様、不老に加えて不死の身」


 ベッドから出たところで足をもつれさせたイクはミソギに支えられ「安静にしてください」とたしなめられた。


「丸三日も寝ていらっしゃったのです。少しずつ身体を慣らしていきましょう。心配いたしました。二度と目覚めないのかと」

「シロコは。シロコはどこにいった」


 悲痛な面持ちで首を横に振るミソギ。


「なら、彼女は。黒装束の傭兵は。鉤爪を装備した」


 敵の安否まで尋ねられるとは予想外だったのだろう。彼女は「い、いえ、わたくしにも」と困惑していた。



 陽が没して夜になった。

 霧が秘境全体を覆い尽くし、群雲が満月を霞ませる。

 のっぽな灰色の塔のみが濃霧から頭を突き出して自己主張していた。外壁のガラスに走る幾本もの亀裂が月明かりとの兼ね合いで、芸術的美しさを生んでいた。

 イク、ミド、イザベルは応接室に招かれていた。

――ヒラサカの野望を阻止してください。

 そして、部屋で待っていたミソギにそう懇願された。


「千の年を経てヒラサカは動き出しました。宿敵であるわたくしミソギを葬ろうとしたのはその先触れに他なりません。災厄の時計はついに針を進ませたのです」


 ヒラサカの野望とはつまるところ、人の支配だという。


「ヒラサカはやがて人の世を混迷に陥れるでしょう。秘境に隠遁していたわたくしが頼れるのは貴方がたしかいません。無理を承知でお願いします。歩む針が滅亡の時刻を指し示す前に……」


 椅子に腰かけているイザベルが「そもそも、だ」と脚を組みなおす。


「奴はミュータントなのか。空間を歪ませる魔法を扱っていたうえ、貴様とも旧知のようだった。エセル製薬社長や氷雷会首領とは別の肩書きを隠しているのか?」

「わたくしには神鳥カラドリウスと不死鳥フェニックス。白い虎の一族には瑞獣ビャッコ。そしてヒラサカにも異世界から召喚された者の因子が移植されています」


 テーブルの燭台に近づいたミソギがオレンジ色に染まる。


「ヒラサカが宿す因子は、死の世界を統べる魔王『黄泉津比良坂(ヨモツヒラサカ)』」


 魔王ヨモツヒラサカ。

 恐ろしげな言葉が聖女の口から発せられる。吐息でロウソクの火が揺らめいた。


「魔王か。まあ、言い得て妙ではある」


 ヒラサカの残虐ぶりを目の当たりにしていたおかげで彼らの驚きは少なく、むしろ納得のほうが大きかった。


「獄炎の冠を頭上に戴き、重なり倒る屍の玉座に君臨す。魔王とはすなわち絶対的力を有する暗黒の覇者。魔王ヨモツヒラサカは死の呪縛を自在に用い、生物を傀儡として操ると言い伝えられています」

「率直に訊こう。強いのか?」

「人類が束になろうと、勝ち目は万が一にもございません」


 ヨモツヒラサカの因子を持つヒラサカは不老不死。古代人によって造られた千年の昔より今日まで生きながらえてきた。魔王の有り余る力と野心への対抗手段として造られた聖女ミソギもまた悠久の千年、世界の片隅で魔王討伐の使命を帯びつつ息を潜めてきたのだ。


「ヒラサカの野望を止めたくとも、わたくしは非力な身。貴方がたの知恵とお力を拝借いたしたいのです。ヒラサカはわたくしが死んだと高を括っています。虚をつくなら今なのです」


 両手を握り合わせた祈りの格好でミソギは瞳を潤す。

 三人は押し黙ってしまう。

 ヒラサカの打倒は荷が重すぎた。

 呪縛の魔法を操る魔王の因子。

 クリーチャー、ミュータントとも異なる黒い人型の化け物ブラックマター。

 エーテルエッジを操る秘書ベラドンナ。

 瑞獣ビャッコと化して行方をくらましたシロコ。

 天空都市エセルに赴きイクの呪いを解く当初の目的。

 幾重もの難題が立ちはだかっている。ヒラサカの言葉を借りれば、それこそ彼らなど道端の小石程度の集まり。


「無理を言ってすみませんでした。今夜はゆっくりとお休みください」


 失意に暮れるミソギは背を向けてドアノブを捻った。随分と疲れきっていたのが背中でわかった。他の者たちも口数少なく各々の部屋に帰った。無力感に打ちひしがれているのは皆同じであったのだ。



 イクが黒装束の傭兵と再会したのは深夜であった。群雲が晴れた頃合であった。

 白い髪と獣の耳を生やす彼女は焼け落ちた大樹のそばで月明かりを浴びていた。最初、シロコが帰ってきたのかとぬか喜びしたイクは、両手にはめられた鉤爪を目にして口をつぐんだ。

 装束から覗ける肌は神秘的な白みを帯びている。

 右手の鉤爪がゆっくりと持ち上がる。


「アタシたちは二度会うべきじゃなかったんだ」


 月の光を反射させる爪は彼の喉笛を狙っていた。

 鉤爪を水平に構えた彼女は獲物めがけて飛びかかる。

 肌寒い夜風が巻き起こった。

挿絵(By みてみん)

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