第27話:みそぐ光
激流の飛び石を果敢に渡って対岸に着いたイクは、シロコを束縛する黒い茨に手をかける。
黒い茨は恐るべき力で彼女を締めつけており、彼の握力ではびくともしない。
ナイフを素肌と茨の隙間にあてがって手前に押す。今度こそ黒い茨は切り裂かれた。拘束から解かれたシロコは苦しげな咳を繰り返した。
ちぎられた黒い茨は地面でのたうつ。しばらくして動かなくなると黒い霧に変わって消滅した。
「植物型のクリーチャーなのか」
イクたちの進むべき闇の先は黒い茨にまみれていた。
地面に、壁に、天井に、黒い茨が幾重も這ってうごめいている。最奥にいるのであろう茨の本体は闇に隠されている。
茨の鞭が激しくしなりながら襲いくる。
抜刀ざまに斬り払う。
斬ろうが斬ろうが茨の鞭は際限なく伸びてきて絡めとろうとする。地面や壁を這っている茨も徐々に闇から這い出てきて水際まで追い詰める。激流の唸り声が近づくに連れてイクとシロコの焦燥は増していく。
「二人とも、早くこっちに戻ってくるんだ――って、イザベル嬢、少し大人しくしててよ。キミがあっちに行ったからって状況は好転しないってば」
「離したまえメガネくん。奥にいる本体を私が叩く」
「まぁ、こんな感じでこっちも大変なのよー」
呼びかけてくる対岸のミドは、無茶をしでかそうともがくイザベルを羽交い絞めにするので精いっぱいの様子であった。
飛び石に渡ろうとしたイクは右腕の唐突な激痛に跪いてしまった。
呪いのあざが光を帯びている。
こんなときに限って右腕の発作が……。
焼きつくさんとする高熱にたまらず苦悶の叫びを上げ、右腕を力任せに振る。飽和していた魔力がその勢いで白い光となって漏出し、迫りくる周囲の茨を塵へと帰した。
呪いの印が刻まれた右腕は余熱を放熱している。
「しっ、シロコ、キミは早く逃げるんだ。暴走したエーテルエッジがキミを巻き込む前に、対岸に渡るんだ。安心してくれ。この力なら植物型クリーチャーも退けられる」
涙ぐむシロコは「やだ、やだよ」と震える声でつぶやきながらかぶりを振り、イクのかたわらに留まっている。
「イクはいつも私を守ってくれてた。だから今度は私が守る番。イクに怒られたって絶対にイクから離れないから! 私だって同じなんだよ。誰かのためにがんばりたいって気持ちがあるんだよ」
「シロコ……」
「私、わがままで言うこと聞かない悪い子かもしれない。でも、これだけは譲れない。私があなたの盾になる」
子供じみた意地。
昂ぶった感情が制御不能に陥って半獣の姿に変身しており、にじり寄る茨を放電で追い払っている。茨の鞭も防御機構を果たす電撃に弾かれている。
さしあたり黒い茨を避けられているがしかし、防衛手段は危うげな暴走魔法。しかも黒い茨は無尽蔵に伸びてくる。危機は依然として続いている。
業を煮やした茨が、ついに一斉攻撃をしかけてきた。
地面を張っていた黒い茨の群れが先端をイクたちに定めて伸びてくる。
――が、しかし、茨の鞭は突如中空で塵と化した。
いきなり二人の前にせり出してきた光の壁がクリーチャーの攻撃を阻んだのだ。
「この防御魔法は誰の……」
暗闇に包まれていた洞窟が明るくなる。
光源である光の球体が上空で浮遊しており、照明となって洞窟全体を照らしている。
どこから現れたのか。
清らかな光を浴びているうちに、自然と右腕の激痛が引いていく。
光の球が震え、幾多の光弾を乱射する。
雨あられと降り注ぐ光弾は地面に着弾してはじけ、黒い茨を片端から浄化していく。光魔法による飽和攻撃は黒い茨の増殖速度を上回り、ことごとく消して去ってしまった。
「間に合いましたね」
背後から声。落ち着き払った女性の声。まるで夜にしんしんと降る雪のような。
振り返る。
イクとミドたちを阻んでいたはずの激流が、不可思議な力によって二つに割れている。
割れた激流の間を歩くのは黒髪の乙女。
正面に向けていた左腕を下ろすと、イクたちを守っていた光の薄壁が消えた。垂直に掲げていた右腕を下ろすと、上空を浮遊していた光の球が微光になって降りてきて彼女の周囲で停滞した。
「人間の少年と白い虎の娘よ。お怪我はありませんか」
肩まで伸びるつやがかった黒髪。
背中の大翼。
儚き淡雪のその乙女を、イクたちは確かに知っていた。ディオン教授が託してくれた写真に写る姿と『何一つ違わなかった』のだ。
自然と彼女の名を口ずさむ。
「聖女ミソギ」
「何故、貴方がわたくしの名を?」
凛としていた乙女の顔に動揺の色が表れた。
イクたち四人を先導する聖女ミソギ。
彼女が掲げる球の光を恐れ、洞窟を巣食っていた黒い茨は奥へ奥へと逃げていく。奴らの逃げ込んでいく先に本体がいるのだろう。
「いびつな魔力を感じて秘密の洞窟に赴けば、まさか人間が放つ呪われし力だったとは……驚きました」
ちらとイクの右腕を見やる。
「イクさん、シロコさん、ミドさん、イザベルさん――あなた方のご用の趣は承知いたしました。ここはクリーチャーの巣窟。詳しい話は洞窟から出てからにいたしましょう」
「あの、あのっ、ミソギさん。イクの呪いを」
「ご安心くださいシロコさん。わたくし、出来る限りの手を尽くします」
言葉に詰まるシロコにミソギは母性の微笑みを向けた。
華奢で色白、落ち着き払った身振り。可憐の一言で表せる撫子。
皆、ミソギに見とれていた。
無論、彼女が単純に見目麗しい美少女だからというのもある。それとは別に、背中の大翼が珍しかったのだ。両腕が鳥類の翼になっているミュータントは数居れど、天使のように翼を生やす者とまみえたのは皆初めてだったのだ。
「それにしても懐かしい名です。ディオン先生……貴方の消息を五十年後の今、耳にするだなんて」
聖女の清らかな瞳は潤っていた。
若かりしディオン教授と並ぶ写真を大事に大事に胸に抱いていた。
細い通路を抜け、開けた空間へ。
黒い茨にまみれた巣。
這い、うねり、波打ち、絡み合っている。
そこに一輪、バラ科に類似した漆黒の花が咲いていた。サソリ型や猛牛型と同様、通常ではありえない大きさである。おまけに人間を丸呑みするのなど容易い、獰猛な肉食動物の口が中心部についている。
植物でありながら感じられる邪悪さ。
茨の蔦も本体の意思に従って動いており、もはや獲物を捕縛する触手である。
人食い植物は唾液を垂らしながら五人を待ち受けている。
「あの漆黒の花が茨の本体です。大地の魔力を吸収し、無尽蔵に増殖しています。放っておけば人里へ侵攻してくるでしょう。わたくしたちで手を打たねば」
「黒い霧になって消滅するクリーチャーってことはさぁ、アレももともとは……」
語尾を濁すミドとは逆に、イザベルは好戦的にほくそ笑んでいる。
「メガネくんはそこで見届けるがいい。私とイクの華麗なる闘いを」
細剣を華麗に構える。
血気盛んな貴族の令嬢に、ミドは皮肉を交えて大げさに肩をすくめた。
「血の気の多いお嬢さまだこと。まあ、僕はシロコちゃんの身を守らせてもらうよ。職業柄、正面切っての戦いは苦手だからさ。さあさあシロコちゃん、後ろに下がって」
「わっ、私だって――」
「うんうん、シロコちゃんは充分がんばったよ」
食い下がろうとするシロコの髪をミドが無理矢理かき混ぜる。
びっくりしたシロコは首を引っ込めながらも反論する。
「私が勝手に対岸に渡ったせいでイクを危険な目に……」
「それは結果論ってやつさ。シロコちゃんがどうしようと、僕は対岸に向かうはずだったんだ。理由や過程をないがしろにしていたら、世の中みんな悪いことだらけになるよ。安心して。大切な人の力になりたいって勇気、僕らにちゃんと届いてたから」
ねっ?
と片目をつむる、気取ったメガネの優男。
シロコは憑き物が落ちたかのように素直になり、不自由な左脚を引きずって彼の背中に隠れた。そして、ぴたりと寄り添った。
ミソギが光の球を上空に放つ。
「わたくしの魔法で茨の再生を抑制します。イクさんとイザベルさんは本体に攻撃を加えてください」
任せろ、とイザベルがいの一番、先頭に躍り出る。
「イク、どちらが本体を仕留めるか勝負だ。腕の痛みは治っているのだろう?」
「いくら光魔法で弱められているとはいえ、相手はあんな化け物じみたクリーチャーだ。協力して――」
「よし、私が先陣を切るぞ」
「何が『よし』なんだよ。俺の話を聞けって。おい、待てってば!」
聖なる光を浴びせられた植物型クリーチャーが耳障りな金切り声を上げてもだえる。絡み合っていた黒い茨は霧となって消滅する。防衛手段を奪われたクリーチャーにイザベルとイクは攻撃を仕掛けた。勇猛果敢に先走る赤き女傑の後ろに、渋々イクが続くかたちとなった。
植物型クリーチャーは再生させた茨の鞭でイザベルを迎えうつ。
振り上げられたそれはイクの正確無比な射撃によって撃墜された。立て続けに生えてきた他の鞭も同様に狙い撃ちされた。
次いで再生した茨の鞭が天井を叩く。表面に張り付いていた大きな氷の塊がイクの頭上に落下してきた。
イクは目にも止まらぬ抜刀と斬撃で対抗する。
氷の塊は激突の間際でまっぷたつにされた。
「さすがの太刀筋だ!」
イザベルが賞賛する。
援護射撃に守備を任せて接近を試みていた彼女が、細剣の間合いに敵を捉えた。
大股で踏み込み、細剣を握る右腕を腰の捻りと合わせて突き出す。
風圧、貫通、一撃必殺。
強烈な刺突が漆黒のバラを刺す。
漆黒の花はみるみるうちに枯れ、色を失くし、乾いた花弁を散らす。
クリーチャーの息の根が止まり、黒い霧となって霧散する。再生しかけていた足元の茨もそれに伴って消滅した。
「シロコとは違った類の無茶をするよな、イザベルは」
「以前にも言ったろう? 無茶は私の本領だと」
嫌味を賛辞と受け取った馬鹿正直なイザベルはキザに白い歯を晒した。
「お見事でございます」
聖女ミソギはしとやかに一礼した。
消え去った茨の壁の向こうに、陽の光が見えた。
肌寒い大気と晴れ空の外界に出る。
深呼吸し、新鮮な空気を存分に吸い込む。
彼ら四人を順々に見やった後、ミソギは再度頭を下げた。
か細い手を前で重ね、恭しく首を垂らす。
黒髪の光沢、天使の輪のごとし。
「歓迎いたします。ようこそ、わたくしたちの住処『タカマガの秘境』へ」
周囲は高い木々に囲まれている。木立からは霧深き湖が見え隠れ。
林と湖、二重の庇護を受けた集落『タカマガの秘境』では、獣的特徴を有する老若男女が水を汲み、薪を割り、畑を耕し、質素に生活していた。
イクたちを率いて歩くミソギに彼らは「お帰りなさいませ、ミソギさま」とあいさつしてくる。ミソギも慈愛の微笑を返していた。
日差しが暖かく、時間の流れがゆるやか。豊かな自然の緑。そこで暮らす者たちはゆるやかな流れの上でのんびりと生きている。静寂の保養地。
途中の民家で腰を休め、のどかな風景を楽しみながら茶をいただく。
家主と立ち話をしていたミソギが帰ってきて、軒下で呆けているイクを覗き込む。前髪が垂れ、女性特有の清潔な香りがイクの鼻をくすぐった。
「動くエレベーターをご覧になったのは初めてですか?」
「エレベーターっていうのか、あの昇降機」
集落中心部にそびえる、雲に届かんばかりの古代文明の塔。
異邦の者であるイクたちの視線はもっぱら灰色のそれに注がれていた。
村人を乗せた昇降機が塔のガラス管内を昇っている。階の途中で村人を下ろした昇降機は自動で地上に下降していった。