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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第7章
25/52

第25話:霧の街で待つ者たち

 左手の車窓に、見事な湖が日差しにきらめいていた。

 トンネルを抜けた途端に現れたまばゆき水面にイクは釘付けになる。

 澄み渡った湖の奥は深い霧が立ち込めている。

 絵画的な風景を眺めながら十日前の、出立の早朝に思いを馳せる。

 レール上を走る列車の音と揺れが遠退いていく……。


――イク君に頼みがある。


 離別の時、ディオン教授はそう切り出してきた。


――聖女ミソギの導きにより『至宝』を入手したあかつきには、どうかミュータントたちの救済も願ってもらいたい。私から君への最後の依頼だ。


「最後の依頼、か」


 カーブにさしかかり、車体が傾いて太刀が倒れそうになる。まぶたを重くしながら窓枠で頬杖をついていたイクは慌てて太刀を押さえた。対面のミドが「ははっ、キミも眠そうだね」とおどけていた。


「あの頑固じいさんも、いざいなくなると寂しいもんだ。場末の酒場で散々テーブルマナーをしつけられたのも、もはや懐かしい思い出だねぇ」

「ディオン教授には感謝してもしきれない。必ずや聖女ミソギと面会し、至宝を手に入れよう」

「至宝の話はともかくとしてさ、あの美少女とこれから会えると思うと、俄然張り切っちゃうよね」


 教授から託された写真には黒髪の聖女が写っている。

 (ミソギ)の名に相応しい、汚れ無き透き通った素肌。

 それとは対照的に、背中には猛禽の大翼が畳まれている。


「早まるなよ。写真に写っている教授が青年時代の姿なのを考慮すると、聖女ミソギも相当歳を食っているはずだぞ」


 イクのもっともな指摘にミドは大げさに嘆息する。


「はぁー、イクってば、ヒトの浪漫を容赦なく打ち砕くよねぇ。現実主義者め」

「なっ、何で俺を悪人扱いするんだよ。年甲斐もなく鼻の下伸ばしてたのはミドだぞ」

「年甲斐もなく、ってのは心外だなぁ。まあ、キミら青少年にとっちゃ三十歳はおじさんなのかもね」


 あらゆる願いを実現する、古代文明の万能たる至宝。

 至宝が眠る天空都市エセル。

 その両者を知るという『聖女ミソギ』は霧の向こうの隠れ里に住んでいるという。

 至宝の力で右腕の呪いを除去するには彼女の協力が不可欠。上手くいけば至宝をさがすまでもなく、彼女が持つ癒しの魔法で呪いを解けるかもしれない。

 期待と不安をないまぜに抱きつつ、イクは霧の奥を窓越しにねめつけていた。

 壊れた義足を脇に置いて寝入っていたシロコが、水面の照り返しをまぶしがってもぞもぞと動きだした。


「聖女ミソギらが住む隠れ里のミュータントたちは、人間である俺たちに心を開いてくれるだろうか」

「それは僕ら次第じゃない?」

「俺たち次第……?」

「そうさ。本心ってのは案外かんたんに伝わっちゃうものだからね。まごころだろうが悪意だろうが」


 さりげないミドの台詞は、思いがけずイクをはっとさせ、意識を根本から改めさせた。


「俺たち次第……受け入れられるのも、拒絶されるのも」


 乗り合わせている乗客たちはじろじろと見やっている――片足を欠損し、獣の耳を生やすシロコのあどけない寝顔を。彼らの視線は限りなく嫌悪に近い好奇を含んでいた。居たたまれなくなったイクは、寝息を立てる彼女の頭にフードを被せてやった。

 鉄橋を渡り終えたあたりで列車が減速しだし、それに伴って車掌が駅の到着を告げる。

 乗客たちが降車の支度に取りかかりだす。

 北方の僻地を走っている間は客室全部イクたちの貸切同然であったが、都市のある西方まで来るとだいぶ賑やかになっていた。都会で一旗揚げるつもりの商人と見受けられる者が何人かいて、愉快な化粧をした大道芸人も混じっていた。

 都市に隣接する中規模の駅に列車は横付けされた。



 盆地に溜まる、海原と見紛うばかりの霧深き湖。名はタカマガ湖。

 タカマガ湖に寄り添って栄えているのは西方都市タカマガ。地図上では北北西寄りに位置しており肌寒い。辻馬車とすれ違って起きた風にすら三人は震えた。


「王都グリアを発って一ヶ月くらい? 現代文明に触れたのホント久しぶり。まずはお腹いっぱいパスタをいただきたいね」


 薄霧漂う街は独特の暗い雰囲気がする。

 白を基調とする質素な建築様式で統一された街は、豪奢な王都と対比して静かな雰囲気をかもし出している。

 どこもかしこも白い壁と濃緑の屋根。白樺の森を想起させる。

 クリーチャー等外敵避けの高い外壁が都市外周を守護している。間近で見上げると無骨なそれは余計に物々しかった。

 大路を行き交う人々は、芸を披露する大道芸人の前でときおり足を止めている。家屋と店舗の隙間を縫う裏路地では怪しげな露店が多々。


「ご飯の前に靴屋さんだよ。私の義足、直してもらわないと」

「靴屋はたぶん無理だな……」


 壊れた義足はとりあえずのところ有り合せの道具で応急処置している。

 応急処置はしょせん応急処置。かろうじて二足で歩ける程度で、シロコは不便そうに左脚を引きずっていた。


「イク。前はどうやって私の義足を作ってくれたの?」

「義足本体は木彫り職人に。関節部の止め具は鍛冶屋に無理言って頼んだ。長期滞在していて依頼も多くこなしていたあの町では顔が利いていたんだ。だから無理も通ったが、この街ではな」


 肩を落とすシロコ。


「んじゃ、さっさと聖女ミソギに会って『至宝』を手に入れて、シロコちゃんの左脚が治るのを願おうとしようかね」

「そうだな。何はともあれ、最初にそれを願いたい」

「えっ、あっ……う、うん。ありがとう。あはは」


 二人に励まされたシロコはどうしてか陰りのある笑い方をしていた。

 すぐに義足を直せないと分かって落ち込んでいるのだろう。至宝で願いを叶えるなどというのも未だ現実味がないだろうし。

 その程度しか別段イクは気にしていなかった。

 とにもかくにも腹ごしらえだ。

 歩みだそうとした三人は――しかし、正門の陰から現れた者に歩みを阻まれた。

 

「盛り上がっているところ失礼」

 

 鮮烈な印象を与えてくる真紅のカポーテをまとい、細剣(レイピア)を腰に装備する男装の令嬢は、仁王立ちで三人の前に立ちはだかっている。


「イザベル」

挿絵(By みてみん)


 西の都に赴く話を聞いていたのでもしかしたら、と予感していたが、こうも早々再会しようとは思いもよらず三人はびっくりした。


「イク。直ちにこの場から引き返せ」


 彼女の貴族特有の気取った態度はなりを潜め、鬼気迫った表情をしている。


氷雷会(ひょうらいかい)が間もなくやってくる。お前たちをさがしにな」


 首をちょいと傾け、視線で背後を促す。

 街の雑踏に高級馬車が停まって、黒服の男たちが次々と出てくる。物騒なことに皆、銃剣や拳銃を握っている。通行人たちは露骨に彼らを避け、足早に逃げ去ってしまった。


「黒い服を着てる。悪い人たちだよ!」


 統率された彼らは組織的な動きで街中に散っていく。


「あちゃちゃー。クルーガーをこてんぱんにしちゃったから?」

「お前たちがディオン教授と接触したのも関係しているはずだ。教授から何か託されなかったか?」


 イクは腰のポケットに手を当て、銀のペンの感触を確かめる。


「とにかく、今は私に従ってもらうぞ」


 ついてこい。

 おもむろにイクの手を掴んだイザベルは、彼を強引に引っ張っていった。

 シロコの獣の耳がぴんと立つ。

 イクを取り返そうととっさに腕を伸ばしてバランスを崩した彼女は、危ういところでミドに支えられた。


「いっ、イクの手を離してください!」

「もたもたしてはいられないんだ。ヒラサカ氏もこの地に赴いている」


 ヒラサカ。

 その名を聞くや、イクとミドに緊張が走る。


「氷雷会首領ヒラサカが!」

「奴らは本気だぞ」

「マフィアのボスが僕ら小市民のため直々にお出ましとはね。やれやれ、なんだか忙しくなってきたぞ」


 イザベルに連れ去られる間際に視界に入った、茶色のトレンチコートを羽織った人物の背中。高級馬車から降りた彼を護衛の黒服たちが囲んでいた。

 彼が氷雷会首領ヒラサカなのだろうか。

 北風とは明らかに違った類、身の毛がよだつ悪寒をイクは彼から感じ取った。背中を一瞥しただけであるにもかかわらず……。



 街の外壁に沿って走るイクたち四人は、さっそく氷雷会の構成員と鉢合わせた。

 拳銃を構える黒服の男三人。

 だが彼らは引き金を引く寸前に心臓を撃ち抜かれ、もしくは投てきされた短刀に殺められるか電撃を浴びるかして攻撃を阻止された。

 生き残った最後の男が感電しながらも拳銃を拾うとする。

 イザベルが細剣を抜いて迫る。

 加速に乗って右腕を突き出す。

 彼女の細剣は黒服の男を串刺しにして止めをさした。

 深々と刺さる刺突の剣。

 人間の肉を容易く貫通し、背中から突き出ている切っ先から血がしたたっている。

 イザベルが腕を横に振ると、絶命した男は剣から抜かれ、ずるりと足元に打ち捨てられた。跳ねた鮮血が彼女の頬を汚した。


「人を殺すのに躊躇しないんだね。最近の貴族のお嬢さんは」

「昂揚もしないがな。雑魚を片付けて悦に入るなど決闘の美学に反する」


 疑りを含んだミドの質問に、イザベルはつまらなそうに的外れな答えを返した。


「イザベルさん。イクをどこに連れていくんですか」

「聖女ミソギに会いにきたのだろう? 私が連れていってやる」

「どうしてそれを」

「やはり私の勘は的中したか。さあ、さっきの銃声で奴らの仲間が集まってくる前にいそ……白い娘。お前、足を怪我しているのか」


 イクの腕を掴んで身体を支えるシロコに注視するイザベル。

 シロコが服をまくって木製の左脚を晒すと、自信家イザベルもさすがに罪悪感を表に出した。

 以降はシロコの歩調に合わせ、霧の濃い場所を通って追っ手を煙にまいた。



 町外れの洞窟につれてこられたイクたち。

 氷柱垂れる巨大な横穴からは、悪鬼の唸りめいた凍てつく風が吹いている。

 湖畔の船着場が氷雷会に見張られているのは明らか。この洞窟ならば連中の目を掻い潜って聖女ミソギの隠れ里まで行ける。そうイザベルは言った。


「どうしたミド」

「洞窟に逃げ込むぞ。急げ」


 イクとイザベルに急かされてもミドは腕組みの格好で足を止めている。


「イザベル嬢、キミはいくつか隠し事があるよね」

「……」

「状況が状況だから他の件はとりあえず置いておくとして、洞窟が聖女ミソギの隠れ里に繋がっているのをキミが把握してるのは不可解だよ」


 彼の問いかけはイザベルの急所を的確に突いていた。

 口ごもるイザベル。


「率直に言わせてもらうと、僕はキミを疑っている。僕らに付きまとって何を企んでいるんだい?」

「ミド。イザベルは信用に値する。命をかけて列車を守ってくれたんだ」


 イクの説得をもってしてもミドは首を横に振る。


「こういうのは始めにカタをつけておかないと、僕らのためにも彼女のためにもならない。背中を預け合う関係になるなら、互いの腹積もりを打ち明けるべきだ」


 逆に説き伏せられたイクはそれきり黙りこくってしまった。シロコも心細げに彼に寄り添った。

 静まり返った晴天の下、洞窟から吹く風が耳を騒々しくさせている。

 沈黙を続けていたイザベルは、ついに覚悟を決めて口を開いた。


「わけもない。我がエスパーダ家はエセル製薬――いや、今更着飾るのも馬鹿馬鹿しいな――氷雷会と繋がりがあるからだ。汚い金銭の絡んだ、な」


 やけっぱちに言い捨てた。

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