第23話:束の間の邂逅
岩石がむき出しの壁に、イクは軋む身体を横たえる。
「落盤に巻き込まれて生き延びたうえ軽傷で済むとは……俺たちの悪運も強いものだな。クルーガーと道連れになるのだけは避けられたか」
打撲の軽い痛みが引くまでここからの脱出策をめぐらす。
目はかろうじて暗闇に慣れてきた。物体の輪郭を把握できる程度に。
炭鉱の坑道は前方後方、落盤によって出口が塞がれている。
太刀の柄で岩石を叩いてもわずかな光すら差し込んでこず、大声で向こう側に呼びかけても狭い空間内で反響するばかり。文字どおりの八方塞であった。
シロコたちは無事だろうか。
こんな状況に置かれながらもイクは仲間たちの心配をせずにはいられなかった。
「何故アタシを助けた」
膝を手当てされた黒装束の傭兵が尋ねてくる。
「お前とアタシは敵同士だったはず」
「確かに俺たちは敵対関係にあった。ただ、それだけだ」
「氷雷会が憎くて戦っているのではないのか」
「お前はしょせん雇われた兵士だろ。それに、奴らは憎いが、俺の戦いの原動力は別のところにあるんだ」
傭兵は理解しがたいといったふうに自分の膝を見つめる。彼女の膝に巻かれた布には赤黒い血がにじんでおり、既に固まりはじめている。
イクの呪われし右腕のあざが、ほんのかすかに発光している。
「アタシは違った。全ての人間に憎しみを抱きながら戦って、殺めてきた。ヒトの法が支配するこの世界に、家族を失くし孤立したアタシの居場所は皆無だった」
傭兵、しかも少女の身の上で氷雷会に雇われているのだから、歪んだ感情を抱くに充分足る過去があったのだろう。イクは深入りする直前で言葉を止め、核心に触れる境遇を語るかは彼女に任せることにした。
「銃とカタナの使い手。お前の名は?」
「幾だ」
「まさかミュータントなのか」
「育ての親がミュータントだったから、名前も彼らに似ているんだ」
彼女は「そうか」と落胆し、発露の兆候を見せていた感情を押し込んでしまった。
「だから炭鉱労働者たちに肩入れしたんだな」
「それも違う。お前を手当てした理由と同じで、理不尽な目に遭っている人を助けたいと単純に思っただけだ」
「信じられるものか。人間はミュータントを忌み嫌っている」
「今はまだ近寄りがたいだけさ。自分たちと似ていて微妙に違う存在、なんて相手だからな。誰だろうと最初は怖がる」
「『今は』か」
「二者の協和を願っている人間だっているんだ」
無駄と分かっていながら、崩落して積みあがった岩石をげんこつで殴るイク。通路を塞ぐ障害物は当然、びくともしない。
崩落に巻き込まれたとはいえ、出口付近に自分たちはいるはずだから何かしらやりようはあるはずだ。そう諦めず脱出策を考え続ける。
我が力を解放しろ。
呪いの印がささやくように微光する。
激痛がにわかに走る。
肉体の一部が乗っ取られようとする、気色の悪い感覚。
内部でうごめく邪悪な力にイクは強い意志で抗う。
「ケガしているのか」
「持病の発作だ。少し我慢すれば治まる」
汗まみれの青ざめた顔で必死に平静を繕うイクに、傭兵は困惑する。
「アタシを気遣う暇があったら自分の体調を心配しろ」
「かもしれないな。損な性分だ。もっとも俺はそんな自分を誇っている」
生きとし生けるものたちが潜在的に有する他者への労わり。
普遍的な悪に対抗する正義感。
それらを守り続けることでイクは自尊心を保っている。
「イクは怖れないのか。肯定しているのか。並ならぬ腕力と魔法で、人間に牙を剥く可能性をはらんでいるミュータントたちを」
彼女の問いかけでまず脳裏によぎったのは列車強盗のトカゲ男。次いでクルーガーの『獣臭い未開人』なる発言。奴ほど嫌悪してはいなくとも、グリア大陸で生きる大多数の人間はそれに近い認識だろうとイクは思う。
「俺は右腕の呪いから解放される方法だけを考えて生きてきたから、ミュータントだの人間だの真剣に考えたことなんてあったかどうか。しいて言うなら――」
「言うなら?」
「旅の途中で出会った獣耳の女の子――彼女が幸福に暮らせる世界を望んでいる」
「そのミュータントの少女は大事な存在なのか」
「大切な存在さ」
イクはいつだって思い描ける。青空を飛ぶ鳥を無邪気に追いかけ回す、純真な白き少女の姿を。
その少女こそがイクの原動力。
「俺なんてただの冒険者さ。ディオン教授が抱いているような大層な思想や大義からは縁遠い人間だ。最後に彼女を守れればいい。それが俺の願いだ」
黒装束の傭兵はだんまりを決め込んでいた。
彼女は決意を固めたように立ち上がり、崩落した岩石に手をかざした。
かざした手がにわかに発光する。
発光は強烈な閃光と化す。
閃光が極限まで強まった次の瞬間、彼女の手から岩石の表面に沿って電撃が走り、爆発が起きた。油断していたイクは爆発の衝撃に負けてしりもちをついてしまっていた。
崩落した岩石の中に残っていた火薬に電撃が引火し、誘爆を起こしたのだろう。二人を封じ込めていた岩石は木っ端微塵に爆破され、崩落から脱出できた。
「……魔法」
「出るぞ」
鉤爪の手が差し出される。
イクは冷たい金属の爪を握って立ち上がった。
落盤の影響で、坑道内は複雑に入り組んだ迷宮と化していた。
先ほどのような博打紛いな脱出方法を繰り返していては、かえって落盤の危険が増す。イクと黒装束の傭兵は強行突破を避け、無事な通路を選んで坑道を探索していた。
「右へ進む」
傭兵が鉤爪の先で右の道を示す。
「草木の臭いがする。風上もこちらだ」
人間のイクには遠くの臭いをかぎ分ける強い嗅覚も、空気の流れを感じ取る敏感な触覚も、暗闇を正確に進む秀でた視覚すら持たない。だから先導する彼女を頼りに右の道を進んだ。
「膝の怪我はどうだ?」
「とうに塞がっている。お前こそ黒いあざの右腕、やせ我慢しているのか」
「ひとまず治まったさ」
「どうだか。足手まといだと判断したら捨て置く。覚えておけ」
いや、再び発作が起こっても、彼女は俺を助けてくれるはず。
自分自身でも根拠がわからない信頼をイクは彼女に寄せていた。
黒装束の傭兵の判断は正しかった。
右の道を進むにつれて自然光が段々と増えてきて、最終的にはカンテラの明かりも不要となっていた。
光明に誘われて自然と足早になる二人であったが、地面に不自然な陰が落ちているのが目について冷静になったイクは途中で立ち止まった。
頭上を仰ぐ。
天井で獲物を静かに待ちかえる存在を発見して戦慄した彼は「下がれ!」と先頭を行く傭兵の肩を掴んで後方に引き寄せた。
天井で待ちかえる存在が地面に降ってくる。
鋭い刃が振り下ろされる。
攻撃を受け止めて膝をついたイクの右腕に一筋の血がにじむ。
「腕をやられたのか!」
「かすめただけさ。奴のハサミに毒素はないから平気だ」
二本のハサミと、尻から伸びて反り返った尻尾の針。
四つんばいになった人間の倍は大きいサソリ型クリーチャーが、出口の前で立ちはだかっていた。
天井には同クリーチャーの小粒の幼生が無数に張り付いている。
母親に続いて次々と降ってくる大量の幼生は、二人の退路をも阻んだ。
サソリ型クリーチャー成体は尻尾をしならせて勢いづけ、傭兵めがけて針で突いてくる。彼女は鋼鉄の鉤爪で針を打ち返した。ハサミによる攻撃もいなした。
「有象無象が!」
叫んだ傭兵は電撃をまとった拳を振りかぶって地面に打ち下ろす。叩きつけられた拳から地面に流れ込んだ電撃魔法は坑道表面に拡散し、成体を巻き込みつつ無数の幼生を一網打尽にした。
黒こげとなった幼生を踏みつけながら後方に退き、成体と距離をおく。
「サソリ型クリーチャーの成体は攻撃を受けると防衛反応を起こして毒素を噴霧する。接近戦は避けろ。アタシは魔法で戦う」
成体の気孔から紫色の毒霧が噴出し、坑道内に立ち込める。毒素が消えるまで二人は曲がり角の陰で毒霧をやり過ごした。
カンテラから拳銃に持ち替える。
呪われし右腕の傷は驚異的な速度で完治していた。射撃に支障はない。
「致命傷となる攻撃を遠距離から確実に当てるぞ。奴の接近を許すな」
電撃を喰らった成体は動きが鈍っている。加えて、毒素を吐いているうちは動きを止めるらしい。その習性を利用すれば一方的な展開に持ち込めるとイクは見込んだ。
傭兵は交差した両腕を振り下ろし、電撃魔法を放った。
その後に続いてイクの拳銃が咆哮を上げる。
強力な電撃を浴びて痙攣するサソリ型クリーチャーの頭部に、断続的に銃弾が撃ち込まれていく。シリンダー内の弾薬を撃ちきるまでイクは引き金を引き続けた。
気孔から毒素が狂ったように噴出していき、クリーチャーの周囲は濃い紫の霧で覆い尽くされていく。