第21話:そこはかとなき真心
「教えよう。私が身分と財産を捨て、ミュータントの集落を終の棲家に選んだ理由を」
羊の巻きヅノを生やすミュータントの一族はその夜、ディオン教授とイクたち一行の歓迎の宴を催した。
十世帯程度の小規模な集落でありながら、住人皆が広場で焚き火を囲み、歌って踊って飲み食いすると、それなりに夜を賑やかせた。
酒の回った教授は場末の酒場で呑んだくれている老人のように破顔して族長と杯を交わしていた。酔って馬鹿笑いしている彼こそが本物のディオンなる人物なのだろう、とイクは隣でしみじみ思っていた。
くべられていた石炭は燃え尽きつつある。
宴たけなわ、教授の話し相手はイクに代わっていた。
そして先ほどの台詞に至る。
「人間の文明はミュータントを置き去りに急速な発展を遂げている。加えて宰相フェルナンデスがエセル製薬社長ヒラサカと結託し、国を意のままに操ろうと謀りだした」
宰相フェルナンデスは国土拡大を強く推し、開拓事業にまい進している。今は遠い隣人のミュータントも開拓が進むにつれ、やがて接触は密になっていく。数段文明が劣り、魔法なる特異な術を扱える彼らは差別と迫害の対象となる危機をはらんでいる。
「思惑は何であれ、国力増強は国家の第一義。私個人が口を挟める余地はない。だから私はミュータントたちに知ってもらおうと思い立ったのだ。人間の暮らす世界をな」
教授が持参した絵本を広げ、群がる少年少女たち。絵本に描かれた王城や天空都市に夢中になっている。
子供たちばかりか、大人のミュータントたちまで熱心に絵本を読み回している。彼らは字が読めないためミドに朗読をせがんでいる。
羊を掛け合わされた彼らは温厚な性格で牧歌的な生活をしている。彼らが排斥される側となったら、銃器で武装した人間の前に為すすべなくひれ伏す運命を辿るだろう。
「彼らに知って、そして手に入れてもらいたい――調理された料理の味を、暖炉で冬を越す知恵を、羽毛のベッドで眠る心地よさを、学問の高尚さを、歌劇散文の娯楽を、服を着飾る個性を。互いの差異が縮まれば、いつしか二者は理解し合いミュータントの居場所も……おっと」
手元が狂って杯を落としてしまったディオン教授。地面に酒の染みが広がるのを惚けた顔で見届けながら、赤らんだまぶたを眠たそうに擦っている。
「君たちへの『報酬』は明日にさせてもらうよ」
「肩をお貸しします」
「すまないな。そして、感謝する。私の我侭を聞いてくれて」
いつになくしおらしい教授。普段よりずっとずっと……老けている。
イクの胸に寂寥に似た感情がこみ上げてきた。
「ねぇー、イクー」
と、そこに、とろけた声で彼の名前を呼ぶ声。直後、背中に柔らかい感触が。
首筋をくすぐる白銀の髪。
背中にシロコがのしかかっていた。
「イクはイザベルさんのことどう思ってるのー?」
「なっ、何で唐突にあいつのことを!」
「いいから答えてよー。答えられないのー? ねえってばー。なんであの人あんなに馴れ馴れしかったのー?」
「きょっ、教授の前でそんな与太話は止めてくれ」
「だってあの人、イクに惚れてるって言ってた!」
戸惑うイクになどお構いなしに、首に腕を回してくる酩酊状態のシロコ。ろれつの回らない台詞を口から出すたび酒臭い吐息がかかり、イクは顔をしかめる。
お調子者の黒ぶちメガネの彼は絵本の朗読を皆からせがまれており、幸いにもこちらを構うどころではない様子。
「誤解はよしてくれ。イザベルとは単なる顔見知りだよ」
「ウソつかないでよー? イクがいなくなったら私、ひとりぼっちなんだから。ずっとずっと、一番近いところに私をいさせてよー?」
「ああ、約束する。するよ」
「このままずっとイクと旅していたいよ。世界中を一緒に……」
ふわぁっ、と大きなあくび。
するりと腕の力が抜けて体勢を崩す。
イクが抱きとめると、彼女は気持ちよさそうな寝息を立てていた。
焚き火の揺らめきに応じて陰影が揺らぐ、愛しき少女の横顔。
ディオン教授がよろめきつつ地に手をつき、腰を上げる。
「私は一人で歩ける。君は彼女を介抱したまえ」
大事に胸に抱くシロコの体温が普段より熱く感じられた。
「ときにイク君。本当に彼女を娶らないのかね?」
「くどいですって、教授」
「ふむ、そうかね」
もっ、もしかして教授は期待しているのか。人間とミュータントが交わる先例として、俺とシロコのことを。
物足りなさげな教授にイクは辟易としてしまった。
「と、とにかく部屋に連れていくよシロコ」
「うん」
イク、ミド、ディオン先生、お姉ちゃん。みんな、みんなずっといっしょに……。
背中におぶられたシロコはそんな寝言を耳元でささやいていた。
耳元にかかる熱い吐息がこそばゆかった。
安心してくれシロコ。俺はいつだってキミのそばにいる。お姉さんにだって会わせてあげるさ。
呪われし右腕に力を込め、イクは誓った。
イクもシロコもミドもだいぶ酒を呑んでしまい、長旅の疲労も相まって、宴を終えたら泥のように眠った。
夜が明けて朝陽が昇り新たな一日が始まろうと、彼ら客人はロッジでぐうすか眠りこけていた。血相を変えた羊頭の男が「大変です!」と小屋に飛び入ってきて、イクとミドだけかろうじて夢の中から抜け出せたのであった。
シロコは顔色を悪くして二日酔いにうなされている。扉の奥から差し込む朝日を嫌ってもぞもぞ部屋の隅に逃げ込んでいる。外された義足は蹴飛ばされて床に放置されていた。
「族長が俺たちを呼んでいる。キミはここで安静にしていて」
イクは耳元で言伝をささやいた。
イクとミドは寝癖を手で直しつつ族長のロッジへ足早に赴く。
広間の円卓には族長と大人の男たち、そしてディオン教授が着いていた。
皆、一様に渋面。
「氷雷会の構成員たちが炭鉱を占拠しているというのは本当ですか!」
「宰相フェルナンデスの手先に違いあるまい。私利私欲に溺れた古狸め」
教授が下唇を噛みしめる。
早朝、石炭採掘に炭鉱へと出かけた若い男性ミュータントたち。つい先ほど、そのうちの一人が逃げ帰ってきたのであった。
黒い服を着た人間たちが銃を手に、仲間を人質にして炭鉱を乗っ取った。
息絶え絶え、そう報告してきたという。
イクの脳裏によみがえる――イクを利用して白い虎の一族の土地を強奪した、奴らの卑劣な手口を。
居ても立ってもいられず、人質を助けに向かおうとロッジを飛び出した。
集落の広場で思いがけぬ人物と出くわした。
「お前は、クルーガーが雇っていた……」
広場の真ん中に立っているのは以前、クルーガーが差し向けてきた黒装束の傭兵。
正体を隠す隠密用の頭巾。
右腕には鉤爪状の物々しい手甲をはめている。
傭兵は石像のごとく微塵も動かず立ち尽くしている。族長のロッジから現れたイクに反応しても、身体の向きを彼の正面に向き直すのみであった。
静寂を保ちながら、イクを捉える眼光は刃のごとく鋭利。まさしく居合いの太刀。
一触即発。
張り詰めた空気。
女性や子供たちが物陰に隠れて怯えつつ、遠巻きに二人の成り行きを見守っている。
傭兵が軽装の懐に左腕を伸ばす。
対峙していたイクは腰の銃を引き抜きざま、銃口を傭兵に定めた。
ところが傭兵が懐から抜いたのは一通の書簡であった。
書簡をイクに投げてよこすと、傭兵は驚異的な跳躍で家屋に飛び乗り、屋根伝いに炭鉱の方角へと去っていった。
「目的は私か」
ディオン教授は氷雷会からの書簡を円卓に置く。
「『ディオン教授の身柄と引き替えに、炭鉱労働者の解放および炭鉱からの引きあげを約束する』かぁ。一読した限り、あからさまな罠だよね」
口調とは裏腹にミドも面持ちを険しくしている。
「氷雷会のやり口から考えるに、教授の身の安全はおろか、炭鉱労働者の解放も僕からすれば怪しいところだね。炭鉱だって易々手放しはしないさ。大陸鉄道が普及する今、石炭は宝石に等しい価値なんだから」
「名声欲と物欲にまみれたフェルナンデスは国土の拡大に腐心している。手段など選ぶまい」
「ディオン先生、早まってはなりませんぞ」
族長を筆頭に、一族の大人たちは口々に教授に冷静な判断を促している。
教授は書簡を捻り潰した。
「イク君、メガネ君。私を炭鉱まで護衛しなさい」
「教授!」
「お言葉ですけど、これって飛んで火に入るなんとやらってやつですよ」
「火中に身を投じる……大いに結構」
私もこれではイザベル嬢を悪しく言えんな。
この老紳士にしては珍しく、不敵にほくそ笑んだ。
決意を硬くする教授に皆、弱り果てている。
教授はイクに何かを手渡す。
手のひらに握らされたのは、ペンに似た銀色の物体。
よくよく手元で観察すると、それは現代の技術ではとても及ばない技巧が施された古代人の『遺産』であった。部品の継ぎ目から淡い光が漏れており、通電しているのがわかる。
「機能が生きている」
「これまでの報酬だ。私の身に何かがある前に渡しておこう」
「受け取れません」
「側面に突起を押せば、君の探し求めている情報を得られる」
受け取りを拒否するイクに教授は銀色のペンを押し付ける。皺まみれの節ばった手がイクの手に擦れる。
「去りし者なんぞのために若人が犠牲になるのは不条理なのだよ」
「ですが」
「人質を助けたら、私に構わず連中を蹴散らしなさい――守らねば。彼らを」
押し問答の末、根負けしたのはイクたちであった。