第20話:鉄道は北方へ
遺跡を出た時分には陽が没しており、仰ぐと満天の夜空があった。
イク、シロコ、ミド、ディオン教授の四人は夜を徹し次の町に向かった。大学が手配した宿を見つけた頃には全員疲労困憊。部屋に入るなりベッドに沈んでしまった。
そして翌朝の現在。
早朝の酒場は閑散としている。
「前にも言ってたね。イクの冒険者仲間が扉の呪いでクリーチャー化した、って」
「ああ。そして、俺がこの手で殺めた。昨夜と同じように、この銃で」
冷たい光沢の拳銃に触れるイク。ミドも唐辛子入りパスタを巻く手を止めた。
近い過去、呪われし扉に触れた二人の青年。一人は呪いに肉体を奪われて漆黒のクリーチャーとなり、もう一人は右腕のみに留まりエーテルエッジを得た。イクは幸運だった。運命の向き先次第で二人の立場は入れ替わっていただろうから。
ディオン教授がフォークを置き、口元を拭ってから会話を再開させる。
「あの漆黒のクリーチャーは絶命した後、死骸を残さず霧散した。大学の研究でも極めて少数、似た性質を持つ存在が確認されている。長らく謎の変異体とされていたが……」
教授も複雑な心境のようであった。
「扉の先、行けないかな? イクの呪いを治す手がかりがあるかもしれないのに」
結局、紋章の扉の謎は分からずじまいであった。
クリーチャーとの戦闘中に扉の光も右腕の光も消えてしまっていた。思い切って扉に触れて押したり引いたりしてみても、びくともしなかった。力ずくで開く代物ではないと判断し、最深部の探索を断念したのであった。
「紋章の扉については私から大学に調査を要請しよう。イク君の体調が再び悪化する危険があるゆえ、当分あの遺跡には近づかないのが賢明だ」
「歯がゆいけど、そうするしかなさそうだねぇ」
「ここにいたのか!」
閑散とした酒場内に張りのある声が響いた。
うら寂しい酒場に映える赤のカポーテ。
男装の令嬢イザベルが大股でイクたちのテーブルまで近寄ってきた。
「お前と酒の一杯でも飲み交わしかったのに、ついぞ見つからないと思っていたら……そうか、一足先にこの町に来ていたのか。せっかちな奴だな」
隣の席からイスを引っ張ってきた彼女はディオン教授に丁寧なお辞儀をした後、割って入るようにイクとシロコの間にそのイスを滑り込ませて腰を落ち着けた。テーブルに肘をつき、馴れ馴れしい位置までイクと距離を詰める。くつろぐように脚を組み、それから店員にぶどう酒を頼んだ。
イザベルは無事な路線を乗り継いで西方の都市に赴くという。洗練された景観や都市構造、銘菓銘酒を、彼女は雄弁に語り聞かせてくる。
彼女の肩越しに怒り心頭のシロコが常にちらつく。時間の経過に伴って、眉は次第につり上がっていき、柔らかそうな頬も膨張を続けていく。
「そこの蒸留酒がまた格別でな。気の置けない奴と飲み交わしてみたかったんだ。秘書はとんと酒に弱くて、私より先に酔いつぶれてしまって飲み甲斐がないとくる。イクは酒に強いか? そうだ、後で一太刀交えよう。この前の決着をつけるぞ。決闘だ」
「俺は遊びで剣を握らない」
「聞き捨てならないな。私が決闘を申し込む理由はだな――」
早くおしゃべりを止めてくれ。このままじゃシロコが……。
シロコが鋭い上目遣いでイクを恨めしげに睨んでいる。溜めに溜めた癇癪が今にも爆発しそうである。
大陸路線図を手元で広げるミドにイザベルは目をやる。
「お前たちも列車待ちか。路線が同じなら相席するぞ」
「だめ!」
イスを蹴倒して立ち上がったシロコに全員、釘付けになる。
彼女はきついまなざしでイクとイザベルを見下ろしている。獣の耳を毛羽立たせているのか、フードの頂点に二つのふくらみができている。拗ねた子供である。
「イクはお仕事だから! そういうのは教えられないんです! だっ、だよね? イク」
「あっ、えっとだな……」
「冒険者のルールとやらか。私としたことが無作法だったな。失礼した」
駅のベルが鳴り響き、イザベルは席を立つ。
「ディオン教授、道中お体を労わってください」
「そなたもエスパーダ家の跡継ぎであるのを自覚し、無茶は控えるがいい」
「ご心配には及びません。無茶は私の真骨頂ですから」
得意げに言い返す。
ぶどう酒代の銅貨をテーブルに残し、酒場から立ち去っていった。
「イク、私はお前に惚れたぞ」
――その闘いぶりにな。
誤解されかねない台詞を捨て置いてから、とってつけたような一言をおまけに付け足していった。
「イザベル・クレージュ・エスパーダ。今後彼女と接触するときは警戒するべきだね。今のであらためてわかったよ」
「茶化すのはよせ。イザベルとはミドが勘繰ってるような関係じゃない。あいつはちょっと酔いが回っておかしくなってるだけなんだ」
「いやいやいや、僕が言いたいのは別のことさ。彼女の細剣から血の臭いがしたんだ」
「血?」
「しかも、人の血のね」
元暗殺者の彼は黒ぶちメガネを指先で持ち上げた。
イクたちの行き先は北方。イザベルと三度目の邂逅はありえないはず。だが、氷雷会の影がちらつく彼女とは運命や偶然とは別の糸で手繰り寄せられる、必然と呼ぶべき予感を覚えてならなかった。
「もうおしまい! イザベルさんのお話はおしまいにしようってば!」
やきもちを焼くシロコ一人、場違いにむずかっていた。
一日が始まる時刻になると人々が酒場の掲示板に集いだす。ピンを留められる空きをさがして依頼書を貼り付けたり、それを逐一品定めしていく者たちが後を絶たなくなってきた。ディオン教授のおかげで路銀は十分でありながら冒険者の性か、イクも掲示板へ吸い寄せられていった。
『お薬をつくってください』
『遺跡探索の仲間になりませんか?』
『迷子の猫』
『グリア王国軍より冒険者諸君へ、常備軍兵士募集の案内』
『猛者求む! 氷雷会に奪われた田園の奪還』
『王都グリアまでの護送をお願いします』
『仇討ちの助太刀を募る。憎き仇は氷雷会の――』
他の町でも頻繁に見かける類の依頼が多数であった。
二日後。イク、シロコ、ミド、ディオン教授を乗せた列車は北へ。
王都から離れれば離れるほど未開の土地が目立ちはじめる。
グリア大陸北方は、貴重な森林を開拓の手から守るように険しい山々が連なっている。人家はうら寂しい集落が点在しているのみ。口数少なく車窓を眺め続けるディオン教授のかたわら、イクたち三人は日に日に心細さを募らせていった。
各駅で途中下車し、宿で夜を明かしつつ北へ北へ……。
「朝からずっと動かないね、汽車。いつになったら発車するの?」
「僕が盗み聞きした情報だと、運搬にあと半日かかるんだってさ」
寒村の田舎駅に列車は停まっている。
筋肉隆々の男たちが運搬車両に木材を積み上げている。逆に貨物車両からは魚介や肉類を詰めた木箱が搬出され、集落行きの荷馬車に積まれていく。
イク、シロコ、ミドの三人は木陰に位置取って運搬作業の様子を眺めていた。
「鉄道が敷かれる前は、この辺りの人たちはどうやって暮らしていたんだろうな」
「そりゃあ弓や鉄砲で狩りをしてたんでしょ。野生動物なら周囲の森にいっぱいいるし、自給自足の狩猟生活さ」
「私の村がそうだったよ。食べ物は村のみんなで狩りをしたり木の実を拾ったりして、冬に備えてた。女の子やお母さんたちは、池の近くに生えてる薬草を摘んでたよ」
屋根と床と骨組みだけの簡素なプラットホームに腰かけたシロコは「たいくつ」と足をぶらつかせる。山間の林を突き進む鉄道も最初は物珍しくて飽きなかった。今はもう木漏れ日のまぶしさも、枝の小鳥のさえずりも、うっとうしいだけであった。
待つのにも飽きたシロコはプラットホームから降り、飛び立つ小鳥を追って線路伝いに林の中へと遊びにいってしまった。
「しっかし、僕らも遠くまできちゃったもんだ。こんな自然豊かな森林地帯にやってきたの、生まれて初めてだよ」
「北方の大地は未開拓の土地が多くを占める。冬の酷寒が俺たち人間の手を拒絶しているんだ。この時期はまだ暖かいが」
「暗殺業に勤しんでた僕が、今は魔法を使える人間やミュータントの女の子と北の大地を旅してるなんてねぇ。ははっ、不思議な縁もあったもんだ」
口笛を鳴らす上機嫌なミドは指先で帽子をくるくる回しだす。調子に乗って勢いをつけすぎたいせいで帽子は指からすっぽ抜けてしまい、風に流されて地面を転がっていった。
「けっこー充実してるよ。冒険者としての生きざま。命を張るなら断然こっちが有意義だね」
「充実、か。ミドらしいな。俺の呪いを治すのもくれぐれも忘れないでくれよ」
「もちろん憶えてますとも」
キミを死なせはしないさ。大事な仲間なんだからね。
「まっ、急いてどうにかなるものじゃないし、今はこの過程を楽しもうさ。遠くにある結果ばかり睨んでいたら、足元の幸せを拾い損ねちゃうからね」
拾い上げた帽子の土を払ったミドは、軽い足取りで車両へと戻っていく。
「さてさて、この森を抜けた先には何が待っているのかなーっと。わくわくだね」
幾許の命か知れぬ身であるイクは、彼の陽気さにときおり救われていた。
十日をかけて終点の駅に到着し、そこから先は馬での旅路となった。
こうも僻地まで来ると冒険者の足すら及ばないらしい。道すがら立ち寄った集落では宿屋がなく、民家の一室や蔵を寝床に借りた。貨幣も流通しておらず、イクとミドは宿代代わりに家屋の修繕を手伝うハメとなった。
「ディオン教授。本当にこの先に人里があるのでしょうか」
「三年前に付近の遺跡の大規模調査を行った際、隠居の旨を伝えた」
「鉄道が及ばないどころか、街道の整備すらままならない土地に住んでいるなんて」
「そういう生き方をせざるを得ない者もいるのだよ」
馬での旅で費やした日数は八日。
最後の三日間は未開の針葉樹林をさまよう始末で、危うく食料が尽きる憂き目に遭うところであった。近くに遺跡があるのかクリーチャーともたびたび戦闘し、なおさら一行を消耗させた。
「ご飯のにおいがするよ!」
獣道を分け入り分け入り樹海から脱出し、炊事の煙が湖畔から立ち昇っているのを目にしたとき、一行は安堵の胸をなでおろしたのであった。
うらぶれた集落。
二世紀は時代遅れな、原始的なロッジがまばらに建ち並んでいる。
若者が砥石の前で胡坐をかき、矢じりを研いでいる。焚き火の前で鹿肉を燻している女性に声をかけられると、腰を上げて彼女に近寄っていった。
切り株に腰かけて談話している猫背な老人たちは、木剣で戦いごっこをしている幼子たちを微笑ましげに見守っている。
大男が慣れた手つきで鶏をさばいており、隣の子供も見様見真似で鶏に包丁を滑らせている。
そんな思い思いに過ごしていた住人たちは、異邦人の来訪を察知するや、強い警戒心を働かせて動きをぴたりと止めてしまった。
おりよく族長らしき老人が石炭倉庫から現れる。肩に担いでいた石炭入りの麻袋を置き去りにし、イクたち四人のもとへと駆けつけてきた。
「おおっ、ディオン先生。お待ちしておりましたぞ!」
他の住人たち同様、羊のツノを頭に生やした族長はイクたちを厚くもてなした。