第19話:紋章の扉
猛牛型クリーチャーの死骸処理と線路の復旧。加えて崖崩れの撤去。今回ばかりは列車の再発車に多大な日にちを要するとのことであった。
一日、二日目は旅先の新たな環境を楽しみ、三日目も退屈を辛抱した。四日目となると業を煮やし、五日目には馬を借りて次の町を目指すことに決めたのであった。
王都と違ってこんな片田舎に辻馬車なんて停まっていない。イク、シロコ、ミド、ディオン教授の四人は駄賃を払って農夫の荷馬車に乗せてもらっていた……野菜たちと相乗りという条件を呑んで。
痩せた畑が無駄に広がる街道筋。
細い水路を流れる水のせせらぎ。自由に飛び回るとんぼ。
のんびりと漂う雲が眠りを誘う。御者の農夫まであくびをしている。
時間の流れがとにかく遅い。
急かしたところで騾馬が駿馬に変わるわけでもないので、イクたちはイモとカボチャの山に背をもたれさせて、退屈な時間が過ぎるのをただただ待っていた。
荒地を進む車輪の揺れが幼子をあやす揺籃の役割を果たし、彼らを夢の世界へと手招きする。
あくびをしたイクが目を閉じようとしたとき、異変は起きた。
神経を直接切り刻むような激痛が走る。
「イク! どうしたの!?」
前屈みになってうめき出したイクをシロコが抱き起こす。
農夫が慌てて馬を停める。
突然の右腕の激痛に歯を食いしばってあえぐイク。シロコの必死の呼びかけにもろくに返事ができない。
「ディオン先生、イクのあざが……」
シロコはイクの右腕を隠す布を強引に剥ぎ取る。
むき出しになった右腕には呪いの黒きあざが――白く発光している。
発光は弱々しい。
日中のせいもあり、布をほどいてしまえば白と黒の遅い明滅で光っているのがわかる程度。
「触られた部分に痛みは感じるかね?」
ディオン教授が右腕に指を触れる。
「いえ、腕全体に疼くような痛みが。喉もひどく渇きます」
あえぎながらかろうじて答える。
介抱をシロコとミドに任せ、教授は淡々と問診を続ける。
「白い魔法を放つ場合も脈動するように光るのかね?」
「もっと強く光ります」
「最後に白い魔法を使ったのはいつだね」
「王都に来る少し前です」
「そこまで間隔は空いていないか。魔力が飽和しているのかと疑ったが違うな。初期症状もなくいきなりこうなったのなら、特定の何かがイク君の呪いを活性化させていると推測できる」
「『特定の何か』って。きっと『アレ』だよねぇ」
ミドが目を細めている方向に一同も振り向く。
街道筋から逸れた荒野の遠くに灰色の塔。周囲は木々生い茂る豊かなる森林。
自然の深緑に苗床にされた遺跡がたたずんでいた。
右腕の痛みは時間の経過につれて引いていった。
呪いのあざの発光現象は現在も続いている。
遺跡に近づくごとにあざの明滅が遅くなり、光っている時間が長くなっていった。遺跡の目の前にやってきた現在は、完全に光り続けている状態になっていた。
「イクは町に引き返したほうがよかったんじゃないかい?」
「痛みならとっくに引いている」
「つらくなったらちゃんと言ってね」
額に手を当てて熱を計ろうとするシロコの手を、イクは苦笑しながらやさしくどけた。
「わかってる。ミドもシロコも心配性だな」
呪いのあざの筋が幾本か増え、しかも腕の付け根に向かって若干伸びていたのは最後まで黙っていた。
いよいよ薬での抑制が効かなくなってきたのか……。
今回の発作が呪いの進行ではなく、あくまで外部からの影響であるのをイクは願っていた。
四人が踏み入った遺跡は、これまでのものとは趣が違っていた。
群れて建っているのが常の灰色の塔は、ここには一本のみ。代わりとして、すぐ隣に半円形の平べったい建築物が寄り添っている。
古代人の居住区ではなく、何らかの研究施設だったのだろう。
ディオン教授は、半円形の建物を調べるようイクたちに指示した。
「すみません教授。俺のせいで無駄足を」
頭を下げるイク。
ディオン教授は「無駄足ではない」と意外にも気遣いをうかがわせる言葉を返してきた。
「イク君。君は私の本職を憶えているかね」
「……あっ」
「望むところなのだよ、こういった類は」
教授は率先して遺跡の施設奥深くに潜っていく。電源の生きている機械とそうでないものを一瞥で見分け、易々と端末を操作して明かりを点け、扉を開け、道を確保していく。その手際のよさは新米冒険者のミドどころかイクにも勝っていた。瓦礫を避けて進む軽い身のこなしも、老化による肉体の衰えとは無縁であった。
施設内は不気味であった。
生活感がないのが原因であろう。
銀色のハサミやナイフに似た物体、先に針のついた円筒形の容器など、古代文明の医療器具らしき小物が散乱している。可動式の機械イスが小部屋の真ん中にぽつんと設置されているのも、そこはかとない恐怖に駆られる。
床を突き破って生える樹根に注意しながら四人は暗がりを進んでいく。
施設の最奥とおぼしき突き当たりに奇妙な扉があった。
扉全体に奇妙な紋章が描かれている。
とげとげしい茨の図柄。
魔的な青い光が紋章の輪郭から漏出している。心臓の鼓動を髣髴とさせる明滅は、まるで扉そのものが生きているかのような不気味さをかもし出している。
「触るな! 紋章に喰われるぞ」
扉に腕を伸ばしかけていたシロコをイクが抱き寄せた。
シロコの肩を掴む右腕が光を強くしている。明滅する扉の光と同期して脈打っている。
あのときと同じだ。
どれだけ月日が過ぎようとイクは鮮明に憶えている――扉に触れた瞬間、青い光が触れた指先に食いつき、胴体を目指して腕を這いずり、身体すべてを乗っ取ろうとしたのを。
妖しく光って冒険者を手招きするそれは、さながら誘蛾灯。
「イク」
「……」
「イク、痛いよ。大丈夫だよ。扉には近づかないから」
「あっ。ごっ、ごめん」
無意識にシロコを強く掴んでいた手をイクは慌てて離した。
「私の推測が正しければ、扉の先にはミュータントもしくはクリーチャーの製造施設中枢があるはずだ。扉の紋章は一種の防衛機構、あるいは製造機能自体の暴走か」
背後でがれきの崩れる音がして一同の会話を中断させた。
「クリーチャー! クリーチャーだよ!」
シロコが悲鳴を上げる。
薄暗がりの中、クリーチャーが明確な敵意を放って立ちはだかっている。
四足歩行のそれはオオカミ型クリーチャーに似ていた。
目を凝らすうちに違う種類だと判明する。身体は無機質なつやがかった漆黒。影絵が魂を宿して飛び出てきたかのような黒一色で、理性のたがが外れた双眸が赤くぎらついている。
「オオカミ型か。僕らには慣れた相手だけどイク、油断しないでね」
「わかってるさ――来るぞ!」
威嚇しながらにじり寄っていたクリーチャーが廊下を一直線に駆けて襲いくる。
銃を抜いたイク。
クリーチャーに狙いを定める。
ところが、そこで彼の動きは終わってしまった。
機転を利かせたミドがクリーチャーの進行方向に火薬針を放つ。導火線に着火されたそれらは床に突き刺さると、数泊の間を置いた後に炸裂した。爆発の威力で地面が巻き上がり、突進を阻んだ。
立ち込める土煙の中に赤い光が二つ浮かび上がる。
二つの光の中間を狙って今度こそ引き金を引く。
轟音を響かせて発射されたイクの銃弾はクリーチャーの眉間に正確に命中する。
衝撃で吹き飛ばされたクリーチャーは廊下を転がっていくがしかし、頭部がもがれた状態で再度イクめがけて飛びかかってきた。
右腕のあざが突如、強く発光する。
無意識に右腕を薙ぐ。
薙いだ腕の軌跡に沿って光の尾が引かれ、軌跡は魔法の刃エーテルエッジに変質した。エーテルエッジは空間を疾走し、直線状にいたクリーチャーを二つに分割した。
今度こそ絶命したクリーチャーは、黒い霧となって一片の死骸も残さず消滅した。
「これが呪いのもたらす白い魔法。よもや人間が魔法を扱えるだなんて」
ディオン教授はただただ驚嘆している。
「白い魔法にしては、僕が見たときと比べて威力がだいぶ抑えられてたね。前は遺跡を溶かしちゃうほどの威力だったのに」
「これをも上回る力なのかね!」
「制御――いや、操られていたような感覚だった。右腕が意思を持ったかのように」
呪いの力が徐々に増し、やがては自我をも乗っ取るのか。
イクは空恐ろしくなる。
「射撃を躊躇ったのもそのせいで?」
「違う。それは……」
尋ねられたイクは黙りこくり、逡巡する。
ミドが信頼できないわけではない。過去の忌まわしい記憶がよみがえり、イクを苦しめていたのだ。
短い迷いを振り切って、彼は言った。
「あのクリーチャーは、呪いにかかった人間の成れの果てだ」




