第18話:烈火のごとく
とっさの回避が間に合っていなかったら、イザベルの細剣から繰り出された刺突はイクの心臓を貫通していただろう。
「当然かわしたか。そうこなくては」
イザベルの声色は、欲しがっていた玩具を手に入れてはしゃぐ幼子そのもの。
「イザベル、落ち着け」
「私はいたって冷静だぞ」
本人の弁とは裏腹に、細剣による絶え間なき刺突は終わりを知らない。大股で踏み込んだ右脚を軸に、得物を握る腕を伸縮させて連続攻撃を浴びせてくる。額、喉元、心臓――的確に急所を狙ってくる。ああ、ある意味冷静かもしれない、とイクは五月雨の突きを捌きながら考えていた。
横に飛ぶよりも、後方に退いて刺突の間合いから抜ける。そうすれば間合いを詰める踏み込みの動作の分だけイザベルに隙が生じる。当然、イクの太刀の間合いも遠退くが、もとより剣を交えるつもりなど毛頭ないため、さして支障はない。
「俺とお前が戦う理由なんてないだろ」
「私にはある。お前の実力を確かめるという真っ当な理由がな」
「馬鹿を言え!」
「カタナを抜け。銃を構えろ。闘いの火蓋は切られているぞ!」
クリーチャーを退けられたのに、どうしてこんな事態に……。
困惑しながらイクはイザベルの突きをいなし続ける。かわしききれない分は太刀で受け流す。もっともこれは彼女を「ようやく抜刀したか」と喜ばせる結果となってしまった。
細剣の先が刀身にぶつかるたび、身体の芯を痺れさせる衝撃が走る。
殺意は皆無。
男装の令嬢イザベルから伝わるのは、死闘に酔いしれる純粋なる闘志。
彼女は炎であった。燃え盛る烈火であった。
彼女を説得するには、更なる炎で対抗するのみ。
イクの後退に合わせてイザベルが踏み込む。
肘をめいっぱい引いて、次の細剣の一撃に備えて力を溜める。
イクはその隙を狙った。
かかとと膝の力で踏ん張り、飛び退く方向を真逆に変える。後方に飛び退いた次は、あえてイザベルの懐に飛び込んだのだ。
彼の唐突な反転に、さすがのイザベルも意識の転換が間に合わず、攻撃の予備動作中にイクの肉薄を許してしまった。
細剣の間合いの内側に潜り込んだイクは彼女の二の腕を掴み、刺突を封じた。
鼻の頭と頭が触れる距離。
互いの興奮の吐息が交じり合う。
純粋な瞳をまんまるに見開いていたイザベルは、しばらくきょとんとしていた後――
不意に笑った。
快活に。
「私の負けだ。強いぞイク。見込みどおりだ」
熱き炎を胸にしまい、さわやかに敗北を認める。
彼女から闘志が失せるのが分かり、イクは全身の力を抜いて安堵した。
「いや、待てよ。お前の力を引き出すのに成功したのだから、この場合は私の勝ちか。お前と決闘する――当初の目的は果たした」
「どっちでもいい。どこまで無茶をするんだイザベルは」
「よし、今回はイクに免じて引き分けとしておこう。それならばまた決闘ができるからな」
「言っておく。俺は二度とゴメンだぞ」
イクが呆れ返っていたそのときであった。
丘の絶壁伝いに走る三頭の馬がいた。
救援を求めに走る車掌かと思ったが、すぐに違うと判明した。
馬を駆るのは、黒服の悪人面をした男――氷雷会幹部クルーガー。
彼はライフルを片手に手綱を操っている。残りの二頭に乗っているのも氷雷会の構成員と見受けられる。丘の上で待ち構えていた影は見間違いではなかったのだ。
クルーガーたちの馬が遠退いていく。
「氷雷会。まさか奴らがクリーチャーをけしかけてきたのか。ディオン教授を狙って」
「直接聞き出せばいい。イク、後ろに乗れ」
「追いつけるのか?」
「私の愛馬を舐めては困る。振り落とされるなよ」
イザベルの胸に潜めていた烈火のごとき闘志が再燃する。
二人を乗せた白馬は風を切る速度で走りだした。
今、二人は世界で誰も速く荒野を駆けている。
雨上がりの清められた景色がめまぐるしく背後に流れていく。
とてつもない風圧。前屈みになっていないと吹き飛ばされてしまう。白馬の行方をイクはイザベルに任せていた。
「イク。あいつに『通せんぼ』されたぞ」
白馬の蹄鉄が、湿った土をえぐりながら急停止する。
風が止む。
荒野の只中、二人の行く手を阻む黒装束の者が一人。
頭部全体を覆う頭巾がわずかな目元を除いて素姓を知れる要素を隠している。筋肉の少ない痩身から、おおよそイクと同年代であるのが推察できる。黒装束の隙間からわずかに窺える肌も白く若々しい。
「クルーガーの差し金か。イザベル、二手に分かれよう。この傭兵は俺が相手をする」
「闘いに加われないのは至極残念だが、承知した」
イクを残してクルーガーを追いかけるイザベルの白馬を、黒装束の傭兵は無言のまま見送っていた。狙いをイク一人に絞ったらしい。
傭兵は両腕を目の前で交差させる。
手甲から鷲の爪を髣髴とさせる鉤爪がそれぞれ伸びる。
防御力を捨てて機動力に特化した軽装、そしてこの武器。至近距離での戦闘に特化しているのか。
広漠たる荒地という場所と敵との距離を考慮して、イクは太刀を武器に選択した。
身を屈めた傭兵が次の瞬間、バネが跳ねる勢いで迫ってきた。
動体視力を振り切る俊足。
鉤爪の初撃をイクは太刀を横薙ぎに振って迎え撃った。太刀の間合い寸前で急停止した傭兵は、人間離れした跳躍できりもみ状に宙を舞い、太陽を背に無数のクナイを投げ放つ。それから急降下攻撃を繰り出してきた。
回転の加速を借りて鋭く降り注ぐ飛び道具と、本体による立体的な同時攻撃。
イクは日差しに目を眩ませながらもクナイを太刀で切り払い、傭兵本体の空中からの強襲も間一髪で避けられた。しかし、傭兵が着地した先はイクの眼前。ここまで詰められたならば次の攻撃は回避不可能。鉤爪が肉をえぐる最適な間合いである。
鉤爪がイクの柔らかい首筋に狙いを定めた――そのとき、視界の端で何かが閃いた。
傭兵がとっさに上体をのけぞらせると、飛翔してきた短刀がその鼻先を掠めた。
馬の駆ける足音が近づいてくる。
数的不利を悟ったのか、傭兵は胸元から出した球体を地面にぶつけて破裂させ、煙幕を発生させた。イクが煙にむせぶ隙に、岩陰に隠していた馬に乗って退散してしまった。
「ギリギリセーフってやつかな?」
馬上のミドが黒ぶちメガネを取って、ハンカチで額の汗を拭っていた。
ミドの馬にまたがってクルーガーを追いかける。
イザベルとクルーガーは馬を少し走らせた先にいた。
ところがどうも様子がおかしい。
イザベルとクルーガーの二人は戦うわけでもなく、互いに馬上で何かやりとりしている。
二人に勘付かれない距離で馬を止め、息を潜める。
目を凝らす。
イザベルは心底悔しげな表情をしており、クルーガーは焦りを覚えながらも、取引の主導権を握ったあくどい笑みを浮かべている。
やがて黒装束の傭兵が合流してくる。
クルーガーはあからさまに機嫌を悪くした。
「よくもおめおめと逃げ帰ってこれたな! 俺は『足止めをしろ』と命令したはずだぜ」
「……」
「言い訳の一言でも言ってみやがれ。チッ、気に食わねぇ。古狸のフェルナンデス、ろくでもない雑魚を送ってきやがる!」
八つ当たりめいた怒号はイクたちにも届いてきた。
いくら怒鳴りつけられようと傭兵は平然と黙している。不愉快の余り怒髪天をつくクルーガーを、手下たちが必死になだめていた。
「ちくしょう。ジジイを始末する絶好の機会だってのに! しかたねぇ、てめえら今回はずらかるぞ! 次、次こそは仕留める。ヒラサカさまに認められて『黄昏と暁』に加わるのはこの俺なんだからな!」
クルーガーは馬を走らせ、傭兵と手下共々その場から去ってしまった。イザベルは去りゆく彼らの背中を立ち惚けながら見送っていた。
どうしようか?
ミドが目配せしてくる。イクは「任せてくれ」と首肯で合図した。
「イザベル。クルーガーはどうだった?」
「奴め、逃げ足だけは早いらしい」
追いついてきたイクたちに対してイザベルは平然とそう答えた。
「あいつを知ったふうな言い草だな」
「貴族界でも氷雷会幹部クルーガーの粗野は有名さ。奴らの目的はやはりディオン教授の暗殺だったらしい」
「無関係な乗客を巻き込んでの暗殺とはまた剣呑な」
驚いたミドが帽子の位置を直す。
イザベルは細剣を腰にしまう。
「国家機関の掌握に血道を上げる氷雷会からすれば、賄賂や脅迫に屈しない教授は目の上のたんこぶだからな。短気なクルーガーなら強硬手段に走るのも納得がいく」
「教授は大学を引退して僻地に隠居するんだよ。氷雷会が懸念するほど影響力が残っているとは、僕は思えないね」
「それは首領のヒラサカ氏に直接問い質してくれよメガネくん」
その後、猛牛型クリーチャーの死骸を調べたイクは、体内から一発の銃弾を発見した。
クリーチャーの精神を破壊して暴走させる薬品が含まれた特殊な弾薬。当然、一般には流通していない。その劇的な効力はイク自身、身をもって体験している。
クルーガーがこの弾薬を打ち込んでクリーチャーを暴走させ、ディオン教授の暗殺を謀ったのは明白。
イクが不可解に感じていたのはイザベルであった。
清々しいほど潔かった彼女が何故、あの場で嘘をついたのか。
クルーガーとのやりとりの内容は何だったのか。
何故、あえてクルーガーを逃がしたのか。
疑惑は募るばかり。
線路の修復が完了するまで、イク、シロコ、ミド、ディオン教授の四人は近郊の村に宿を取っていた。
冒険者ご用達の酒場でぶどう酒と軽食をとりながら、四人は雑談にふけっている。
話題の軸はもっぱら先のクリーチャー暴走事件について。
「エスパーダ家のイザベル嬢か」
イクからもらった情報をもとにミドが考え込んでいる。
彼はハーブの利いたグリーンパスタをフォークで巻き巻き食べている。イクも同じものを食べているが、王都グリアの喫茶店で分けてもらったパスタよりも湯で加減が下手で、麺の芯が固かった。
「貴族エスパーダ家といえば、当主が亡くなって多額の負債をこさえた挙句お取り潰しに遭いかけてる、あの没落貴族しか心当たりがないなぁ」
「イザベル・クレージュ・エスパーダとは十年以上前、大学主催の舞踏会でまみえた。当時の勝気な面影を今も濃く残している。氷雷会はエセル製薬の肩書きを利用して多くのパトロンを得ているゆえ、エスパーダ家とも繋がっている可能性は十分ありえる」
よって彼らに貸しを作ったり、逆に借りを作ったりしているのも道理だとのこと。
ディオン教授は清潔なハンカチを胸元にあてがい、皿の上の鶏肉を丁寧に切り分けて口に運んでいる。
「俺の勝手な意見だが、イザベルは氷雷会の人間とは別だと思う。あいつは愚直なまでに剣士の魂を宿した女性だ。氷雷会とはむしろ水と油の関係だろう」
「やけに彼女の肩を持つねぇ。ほほう。さてはイクってば」
「な、なんだよミド。にやにやして気色悪いぞ」
「イザベル嬢に惚れたね」
「なっ――」
「ふえっ!?」
豪快にイスを引いて立ち上がったのは、くるみパンを一心に食らっていたシロコであった。
ミルクでパンを飲み干した彼女は怒り心頭、イクを睨みつける。
そんなこんなで、今夜はうやむやのうちにお開きとなった。
シロコの問い詰めは夜通し続いたが。
「イザベルさんって人とはどんな関係なの!?」
「関係って、大げさな――」
参ったな……非常に参った。