第15話:国王との謁見
縦長の印象を与える痩身の若き国王――グリア十二世。
黄金の冠を頂くその姿は垢抜けない。
「陛下。ご機嫌うるわしゅう」
ディオン教授が恭しく首を垂らす。
その目つき、声色は和らいでいる。
王のほうも親しげに口元を緩めている。最初は憂鬱げに頬杖をついており、顔色も不健康であったが、ディオン教授と面を合わせるや血の巡りがよくなったようで、玉座から立って今にも駆け寄りそうなほど喜びだしたのだ。
「おお! ディオン先生こそ元気でしたか」
「老いさらばえるこの身、日に日に不便が増しております。大学職員を辞すのに合わせ、爵位と領地も息子たちに継がせました」
「決断は変わらないのですね」
「雑務が片付き次第、お暇を頂きます。次の席は若い者に譲りましょうぞ。その前に是非とも陛下のお顔を拝見いたしたく、遅ればせながら参上いたしました。本日はわたくしめをお目かけいただき至極恐悦に存じます」
「長らく会っていなかったので、私も先生の健康が気がかりでした。この目で先生の健在な姿を確かめられて安心しましたよ」
「老いぼれにはもったいないお言葉でございます」
「北の空の雨雲が歩みを止めていたのも、先生との再会にさきがけた天の神のはからいだったのでしょうね」
「庭の花も見事な満開でございました」
睦まじい談話はとりとめなく長く続いた。
ディオン教授は大学で勉学に励む学生たちの様子や息子、孫たちの成長ぶりを伝え、王は庭に植えた花の木が美しく咲いたことや、最近観た演劇がどれほどすばらしいものであったかをつぶさに語っていた。
「陛下」
そのさなかに第三者が割り込んで咳払いし、二者の和やかな談笑は容赦なく断たれた。
王の隣に侍る大臣が二度目の大げさな咳払いをする。
しん、と静まり返り、空気の温度が下がる。
「いくら教授が陛下の家庭教師だったとはいえ、そのような馴れ馴れしいお言葉遣いは国王の品位を貶めますぞ」
恩師との再会を喜んでいた王が覇気を失う。
「そ、そうだったな、フェルナンデス。つい気が緩んでしまった」
「王の自覚をいい加減持っていただかなければ」
「肝に銘じよう」
王は浮かせていた腰を玉座に落ち着かせた。
フェルナンデスと呼ばれた小太り中年の大臣は、玉座に座す王を目尻に捉えている――およそ主君に向けるべきではない侮蔑、もしくは見下すような目つきで。眉間に皺を寄せて不愉快さ表に出しているディオン教授にもそ知らぬ顔をしている。
王が物珍しげにイク、シロコ、ミドの三人を眺める。
「うしろの男二人とミュータントは先生の付き人でしょうか」
「古代文明の遺跡を巡り、太古の遺産を発掘する冒険者の一行でございます。知己の紹介により、旅の護衛にあてがった次第であります」
「白い髪、獣の耳……ミュータントの少女が冒険者をしているとは珍しいですな。しかも人間と組んでいるとは。白い娘。そなたの名は何という」
「ふぇっ?」
間の抜けた声を上げるシロコ。
まずい、とイクとミドは同時に顔を見合わせた。
「この者の名は白虎。白い虎の一族でございます」
いきなり名指しされておどおど戸惑うシロコに代わり、教授が答えた。彼のさりげない機転に救われ、イクとミドは冷や汗を拭った。
シロコがどのような運命を辿ってここまでやってきたのかを、ディオン教授は王に熱心に語って聞かせた。その内容は以前シロコが舌足らずに語ったものであった。教授は彼女の語りを憶えていたのだ。
「命の恩人である人間の呪いを解くため、はるばる先生のもとまで……」
「人間社会への迎合を忌むミュータントらの中にも、人間と力を合わせるのを大事と捉える者もいるのでございましょう」
「異なる種族であろうと、手と手を取り合うのは大事ですな。ミュータントとの協和ですか……今後の開拓事業で避けては通れぬ難題となるでしょうね」
「さようでございます。国土の拡大も大事でしょう。その先には僻地に住まうミュータントとの軋轢もございましょう。畏れながら陛下、彼女を代表に健気なミュータントも居ることをどうか……どうか記憶に留めていただければ幸いでございます。老いぼれの後生でございます」
自分たちを国王の前まで連れてきた理由をイクはそこで察した。そして、教授がひたかくしにしていた博愛の片鱗もまた。この老紳士に対する印象が真逆に変わったのは、恐らくミドもシロコも同じであった。
「陛下。次の謁見の時間が迫っています」
またしてもフェルナンデスが水を挿す。
王は隣に立つ彼に請うような視線を向ける。
「フェルナンデスよ。ディオン先生とは今生の別れになるかもしれぬのだ。多少の時間の遅れくらい大目に見てもらえぬだろうか」
「なりませぬ。王たる者が私情を挟まれては困りますぞ」
「しかし、先生は古代文明の研究で多大な功績――」
「なりませぬぞ」
「……わかった。お前の言うことだからな。それが最善なのだろう」
「そうです陛下。貴方はまだお若い。過ちはありましょうが、不肖このフェルナンデスが指南して差し上げましょう。そう、難事はわたくしに任されればよいのです」
下衆にほくそ笑む。あるいは王の未熟さをあざ笑っているのか。
憚りを知らぬ余裕ぶった態度に、王は憔悴と諦めをあらわにしていた。ディオン教授は歯軋りの音が聞こえてくるくらい歯を食いしばり、フェルナンデスに憎悪の念を向けていた。
「次の謁見はエセル製薬社長ヒラサカ殿となっております。ヒラサカ殿も薬品の統一的な製造と組織的流通の確立によって、我が国グリアに多大な貢献をもたらした功労者でございます」
「貢献か」
つまらなそうに言い捨てた王はディオン教授のほうに向き直る。
「ディオン先生、長きに渡り我がグリアに尽くしてくださり感謝します。隠居先で不便がありましたら、遠慮なくおっしゃってください。父の代からのご恩、必ずやお返ししましょう」
「恐縮いたします。大国グリアにとこしえの繁栄あらんことを」
ディオン教授は王家の栄光を称え、それから別れのあいさつを述べた。
短い謁見は終わり、城を後にする。
迎えの馬車に乗るなり、ディオン教授は溜めに溜めていた鬱憤をぶちまけた。座席に八つ当たりのげんこつをぶつけたので、車内に物騒な音が響いた。
「フェルナンデスめ、畏れ多くも陛下にああも口を挟むとは。しかも、平民の前で平然とな! あまつさえ、この私とマフィアの首領なんぞを同列に語りおった。思い出すだけではらわたが煮えくり返る」
「あの大臣、噂そのまんまの人だったねぇ。いかにもずる賢そうっていうかさ」
「もうお城、行かなくていいかも」
緊張していたのだろう。ミドは帽子を脱いでぱたぱたと風を起こしていた。シロコも張り詰めていた糸が切れて、疲れの籠った溜息を繰り返している。教授は激憤に任せるまま例の大臣を罵り続けていた。
「フェルナンデス、虫唾が走る男よ」
宰相フェルナンデス――先代国王の時分から国に仕える最古参の大臣で、国王にも口出しできる強大な権限を有する。急逝した父に代わって戴冠したグリア十二世の性格も相まって、城内で横暴を振るっているとのこと。当然ながら内政においても。更には氷雷会に秘密裏に資金援助しているなど黒い噂も絶えない。
悪徳大臣。
それがおおかたの下馬評であった。
イクはあごに手を添えて思案する。
「先代国王の頃から大臣を務めていた、か。あの外見は古老というよりも精力的な四十代か五十代の印象だったな」
「あれほどの好き勝手が許されれば若々しくもなろう。それに対して陛下は日々の気苦労で痩せ衰えていらっしゃった。おいたわしや……」
「そういえばこの国の経済が怪しくなったり汚職が顕著になったりしたのって、先代国王が崩御されて以降だっけ」
「それは陛下に対する侮辱かね、メガネ君」
「ちょっ、誤解ですってば! フェルナンデス宰相の仕業かもね、って言いたかったんですよ、話の流れ的に。そのすっごい恐ろしい眼光、心臓止まりそうになるんで勘弁してくださいって」
とはいえ、イクから見ても王はどことなく頼りなさそうであった。君主足りえる気概と主体性に欠けているというか、優柔不断そうな。あの宰相とあの王では国の将来がいささか思いやられた。
「大学で保管している統計を調べた結果、白い虎の一族は王都に住んでいないと判明した」
ディオン教授の邸宅に着いて別れ間際、教授は思い出したかのように唐突に言った。
「とはいえ、国の定めた滞在申請、居住申請を提出していないミュータントは少なからずいる。シロコ君の姉たちもそうである可能性は大いにある」
「シロコのために調べてくださったのですか?」
「先生ありがとう」
「かっ、勘違いするでない。個人的な興味本位だ」
なかなか素直になれない不器用な性格らしい。
玄関前まで出迎えにやってきた執事が教授に指示され、イクに紙切れを三枚渡す。
「博物館の招待状だ。愚息が館長を任されている。古代文明に関係する資料が多数展示されているから行ってみなさい。君の呪いにまつわる品はないが『怪物』ならいる。一見の価値はあるだろう」
「怪物って、まさか」
「私、サーカスが観たい。サーカスのチケットはないの?」
「俗っぽいものは好かん。嫌なら捨てて結構」
大人げなく拗ねた教授は早足で門扉をくぐった。
気難しさの中に、彼は人としてあるべき思い遣りを隠している。
イクは疲労の籠った溜息をつき、シロコはきょとんと目を丸くしており、ミドは苦笑しつつ肩をすくめていた。
その日のうちにイクたちは博物館を訪ねた。
改装して日が浅いグリア古代文明博物館は、日中の日差しを照り返してまぶしい。
中流層から上流層まで、来場客の幅は広い。
流れ作業的に来場客の対応をしていた玄関ホールの受付は、イクがディオン教授の署名入り招待状を提示するなり態度を豹変させて背筋を伸ばし、口調も緊張したものに変わった。
しばらくして、身分の高そうな紳士が対応に現れる。
「当博物館の館長を任されております。父がお世話になっております。ええ、あの堅物の」
家族への愛情が見え隠れする冗談を交じえてあいさつした館長は、案内役として三人に付き添った。