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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第4章
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第13話:老紳士はつぶやいた

 大学の鐘の音が夕焼け空に鳴り響いた。

 鐘の音の反響は夕暮れと相まって哀愁をもたらす。

 イクとシロコが待ち合わせ場所にしていた大学前に赴くと、正門の壁に寄りかかって待ちぼうけを食っているミドが既にいた。


「悪い。待たせてしまったか」

「僕も今来たところさ――って、何この恋人同士の会話みたいなの」

「気色悪いこと言わないでくれ……」

「えっ、イクとミドはコイビト同士だったの?」


 シロコが二人をきょとんと見比べている。


「まあ、真に熱き友情は恋愛に等しいかもね。ねえ、イク」

「話をややこしくするな」


 修道院を後にしてから、イクとシロコは時間の許す限り王都を見て回っていた。


――イク、あのキラキラした窓きれいだよ。へえ、ステンドグラスっていうんだ。

――ねえねえイク、中に入って観ちゃダメなの? えっ、チケットがいる? ふーん、私もサーカス観た……あっ、ごめん。なんでもないよ、なんでも。

――んんっ!? なんかこれ、変な味だよイク!

――イク、次はあっち行こうよ。あっち。


 はしゃぐシロコは、普段よりずっと幼くなる。

 抜けるような青空の下、白い髪をした半獣の少女は元気いっぱい、街を巡って楽しんだ。

 陽光の透ける聖堂のステンドグラスに魅入られ、サーカスをこっそり覗き見、市場で果物を買って食べた。果物の酸っぱさに彼女が口をすぼめていたのがおかしく、イクはつい思い出し笑いをしてしまい、二人に訝られた。


「収穫はあったかい?」

「アテが外れた。そっちの『野暮用』はどうだった?」


 訊かれたミドは大仰に肩をすくめて首を横に振った。



 最初こそ怪しまれたものの、ディオン教授から借りた学章バッジのおかげで三人は大学の敷地内に入るのを許可された。

 桧のほのかな香りがやさしく包む、公爵の屋敷にも見劣りしない学舎。窓枠や階段の手すり一つをとっても洗練された装飾が施されている。

 そこで青春を謳歌する若者たちは皆、選りすぐりの秀才たち。裾の長い学生服を誇らしげにまとい、胸元には学章バッジが輝いている。

 ディオン教授の研究室は三階の奥まった場所にあった。

 ノックをすると例の厳格な口調で「入りなさい」と応答があった。

 息を呑み、ドアノブを捻る。

 書斎程度の狭い研究室の最奥に、その老紳士はいた。

 古代文明研究の権威と称えるべき人物――ディオン教授は書斎机に両肘をついて前のめりになり、手の甲にあごをのせ、入室してきたイクたちを鋭くねめつけていた。

 部屋は変なふうに片付けられていた。

 整理整頓が行き届きすぎていて、生活感がまるでない。

 片付けられた机には羽ペンとインク壷、最低限の道具しか出されていない。他には一冊の書物と数枚の書類があるのみで、他の書物は本棚に収納されている。


「お忙しいところ面会の時間を都合していただき、感謝いたします」

「構わん。それよりも後ろの娘」


 教授の鋭利な視線は、イクの肩越しに立つシロコを捉えている。


「ミュータントだな」


 やおらその言葉に射られ、シロコがびくりと震えた。

 フードを脱いで獣の白い耳を出す。


「ご、ごめんなさい……」

「何故謝るのだ」

「わ、私、ミュータントだから」

「ミュータントが私に謝罪する理由があるというのかね」


 涙声のシロコのみならず、イクもミドも教授の静かなる剣幕に戦々恐々としていた。

 ディオン教授の心変わりの理由はミュータントの彼女だったのだ。

 教授がミュータントを嫌っているのなら、状況は芳しくない。うつむくシロコを慰めつつ、イクは教授の出方を慎重に窺っていた。

 ディオン教授は席を立って窓辺に寄る。

 夕焼けが彼の皺まみれの肌を、白髪を、もの悲しげな茜色に染め上げる。

 中庭を見下ろしながら彼は続けて問うた。


「シロコ君。君はどういったいきさつで人間の彼らと共にしているのか、是非聞かせてくれたまえ」

「イクはクリーチャーから私を助けくれたんです。ミドは熱を治す薬をつくってくれました。私の村はクリーチャーに壊されて、それで、えっと、いろいろあったんです。あっ、遺跡の探索をいっしょにしました。クリーチャーとも戦ったり――」


 イクたちとの出会いをシロコはたどたどしく、ときおりふらふらと方向を見失いながら語っていく。

 要領を得ない、吃音混じりのたどたどしいしゃべり方。

 人見知りの激しい彼女は、他人と話すときに限って五つも六つも口調が幼くなる。まさに、この気難しい教授を逆なでしかねない。

 イクの懸念とは裏腹に、ディオン教授は背を向けたまま石のごとく微動だにせず、シロコの語りに辛抱強く耳を傾けていた。


「共存か」


 シロコが語り終えてから、彼はそんな独り言をもらした。

 教授はどことなく満足げ。

 口元の皺がかすかに動いていた。

 彼女の境遇に同情してくれたのだろうか。イクには教授の真意は量りかねたが、とにかく満足してくれたのはわかって一安心した。

 教授は書斎机の厚い書物をイクたちに向けて広げた。

 開かれたページに描かれているのは――茨を想起させる禍々しき呪詛の印。

 イクは右腕の布をほどく。

 書物に描かれているものと酷似した紋様が、指先から腕の付け根にかけて浮かんでいる。


「イクの呪いのあざと同じ!」

「クリーチャーやミュータントの製造に関係する印であると判明している。古代人が生物に魔力を注入する際に利用した、呪術的な紋章なのだよ」

「治してください。イクの呪い、治してください先生」


 シロコがディオン教授にすがりつく。


「早合点するでない。私の本領はあくまで古代文明の研究だ。解呪にかけては畑違い」

「よくわかんないです。先生は治せないの?」

「不可能だ」


 にべなく言われ、カーディガンを掴んでいたシロコの両腕が力なく落ちた。


「手立てはないんですか? 呪いを解く方法だけでも知っていらっしゃったら、あとは僕らがどうにかしますんで」

「ないわけではない」


 歓喜に沸く三人を教授は「しかし」と抑える。


「無償で教えるわけにはいかない」

「つまり、取引ということですか」

「古代文明の研究は私の生涯をかけたもの。ふらりと現れた冒険者なんぞに、おいそれと教えるのも癪なのでな」


 ディオン教授は目を伏せて思案する。


「ふむ、そうだな。では君たちの慣例に従うとしよう。呪いを解く方法を教えるのは、私が君たちに出す依頼の報酬とする」


 ここにきて予想だにしなかった展開が訪れる。


「君たちには私の護衛をしてもらいたい」


 話によると、ディオン教授は今月をもって大学職員を辞し、王都を離れた遠くの地に隠居するのだという。その隠居先までの付き添いが今回の依頼であった。

 旅路の護衛は慣れている。イクたちは二つ返事で承諾した。


「手始めに今日は自宅まで付き添ってもらおうか」

「自宅?」

「自宅って、上流階級区のお屋敷ですよね。いやいやまさか。帰り道、街中にクリーチャーが出没するとでも言うんですか。城壁の内側じゃあ、僕らより見回りの衛兵さんのほうがよっぽど頼りになりますって」


 この研究室の窓からでも上流階級区の邸宅群が小さく視認できる。いずれも立派な門を構えた屋敷である。その背後の景色には数階建ての、中流層の住民が押し込められているのっぽな集合住宅群が。


「いずれ分かる」


 ディオン教授の意味深な物言いに三人は首を傾げた。

 鉄道路線図の引かれた大陸地図を書斎机に広げた教授は、大陸の端、そばに広大な湖が溜まる山のふもとにピンを刺した。そこが目的地である隠居先であった。


「ときにイク君。君はシロコ君を娶るのかね?」

「え?」


 油断していたせいで、イクは間の抜けた声で訊き返してしまった。

挿絵(By みてみん)


「彼女を妻にするのか、と質問しているのだよ」

「……ええっとですね。あの」

「娶るのか、違うのか、はっきりしなさい。曖昧な返答は無価値だ」


 予想外をはるか上回る予想外の展開に、彼は赤らめた顔を背け、ミドは口元を押さえて必死に笑いをこらえ、シロコはむずかゆそうに身体をくねらせていた。


「論理的に考えるといい。同じ志を抱く者は惹かれ合う。惹かれ合えば恋愛を経て結婚に至る。私も同じ考古学研究に携わる妻と結婚した。君たちもそうだろう」

「論理的と言われましても……シロコは妹みたいなものなので」

「馬鹿を言え。異性が旅を共にして兄妹で済むものか。正直に答えなさい。それとも君ではなく隣のメガネ君が相手なのかね」

「あははっ、滅相もございません。僕なんて」


 どうしてか教授が執拗に問い質してくるうえ、ミドまでこの状況を楽しんでいる。イクはほとほと参ってしまった。

 シロコも同様の心境らしい。三人に背中を向けて、指をいじって一人遊びしていた。



 陽が没し、薄暮から夜へと移り変わった。

 隠居先への出発計画の話し合いは案外長くかかり、学生たちが寮に帰って学舎が閉鎖される寸前まで居残る羽目となってしまったのであった。

 ディオン教授の願いどおり、自宅までの護衛が始まった。

 目と鼻の先にある上流階級区の自宅までわざわざ付き添う必要はあるまい。そう怪訝がっていた三人であったが、そうせねばならない理由は学舎を出てすぐに判明した。

 大学前には二台の馬車が停まっていた。


「やはり待ち伏せていたか。性懲りもなく」


 教授に促され、四人は物陰に身を潜める。

 二台の馬車のうち、一台はディオン教授を待つ迎えの馬車。

 それを遮って停まっているもう一台の高級馬車の前に、二人分の人影があった。

 イクたちは目を凝らし、耳をそばだてる……。

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