第12話:家族をさがして
黄昏と暁は近い。
最後にそう言い残した男は人ごみに紛れて消えた。
……氷雷会の手先。こうも唐突に接触してくるなんて。
薬包を片手にイクは戦慄する。
使いの男が発した『報酬』の一語は、忘れかけていた咎と、それに付随する罪悪感を記憶の底から呼び覚ました。
シロコの運命を犠牲に得られた、呪いの抑制薬。
使うべきか、使うまいか。
責め立てる葛藤。
「イク。あそこの喫茶店でお昼食べようよ――ってミドが言ってるんだけど」
早くも席を取ったミドが店内のガラス越しに手を振っていた。
現実味と生きた心地がイクの胸に、次第によみがえってくる。
渇いた喉から「ああ」と声を絞り出した。
席につくなりミドを睨みつける。
「俺たちは冒険者なんだ。旅行者気分でいられたら困る」
「王都観光を誘ってきたのイクじゃないか」
「こんな行楽客相手にしたぼったくりの店なんか、最初から入るつもりはなかった」
「今回だけだよ、今回だけ。シロコちゃんもおいしいご飯食べたいよね?」
「うん。都会のお料理とかお菓子とか食べてみたいなぁ。ケーキとか。村にいるときは狩りで仕留めた動物のお肉ばかりだったし」
香り立つ紅茶とケーキを楽しむ隣の席の客。それをうらやましげに見つめるシロコ。だらしない半開きの口からはよだれが……ついでに腹もぐるぐると唸って空腹を主張しだす。
「店員さんこっちこっち。注文お願い。僕はレモンティーとパスタね。シロコちゃんはケーキでいいのかい?」
「サンドイッチも!」
「イクも早く注文しなよ」
「……今回だけ、今回だけだからな」
彼女を味方につけられてはイクもお手上げであった。
本当に今回だけだからな……。
半ば自分にも言い聞かせていた。
ガーリックトーストとコーヒーを彼は注文する。シロコは先日の無念を晴らすべくサンドイッチ、そしてケーキと果物のジュース。ミドはトマトソース和えの麺をフォークに絡めていた。
列車強盗退治の褒賞金で懐事情は一時的に豊かにせよ、安宿三泊分の値がする軽食にはさすがにためらう。イクは時間をかけてガーリックの芳ばしさとコーヒーの苦味を堪能した。
軽食を楽しみながら目抜き通りの街並みを眺める。
行き交う人々、雑多な通り。多種多様の店舗が軒を連ね、中流層の住民や裕福層の使いらしき者、旅行客がそれらを利用している。いずれの建物も比較的真新しさを保っている。水道も整備されており衛生的。荒地が大半を占める大陸の都市だと忘れてしまう、文明的な都であった。
最後に残ったトーストのかけらを口に放り込んで、イクは「さて」と切り出す。
「ディオン教授との面会には時間がある。それまでシロコのお姉さんたちをさがさないか。俺は今のところ修道院に目星をつけている」
王都グリアは首都だけあって大陸一の規模を誇る。大陸中に散らばる田舎町をかき集めた大きさだと言っても過言ではない。単純に『さがす』にしても、無闇に歩き回ったところで途方に暮れてしまうのが落ち。ある程度の見当をつけ、範囲を絞るのが得策である。
「身寄りの無い子供が預けられている中に、シロコのお姉さんたちもいるかもしれない。シロコとミドも他にアテがるなら教えてくれ」
「出鼻をくじくようで悪いんだけどさ、そもそもシロコちゃんのお姉さんたちが王都にいる確証はあるの?」
「いや……」
正直なところ、暴走したサソリ型クリーチャーから生き延びていたかすら怪しい。イクは口ごもる。
即決即断が基本であるはずのミドは、今回に限っていつになく思案に暮れている。イクの提案に対しても「なるほどねぇ……」と曖昧な態度を続けながらパスタを咀嚼していた。それを飲み込んで口の中身を空にしてから「ごめんね」と謝った。
「僕は野暮用があるんだ。イクとシロコちゃんで行っておいでよ。約束の時間までには戻ってくるからさ。夕刻の鐘が鳴る時刻だっけ。大学前で落ち合おう」
シロコから姉たちの人相を教えてもらったミドは別行動を取った。
恐らくスラムに行くのだろう。
去り際、意味ありげな目配せをイクにくれていた。
行き場を失くした者の最終地点であるそこならば、シロコの姉たちがいる可能性も高い。彼が密かに調査をするのは、シロコの心境を慮ってのことであった。
グリア修道院も大学に負けず劣らず、立派な建物をしていた。
大学と違う点を挙げるならば、建物自体の雰囲気であろう。時代を先駆け、叡智の生じる地を自負するかのような堂々たる意匠の大学とは真逆に、グリア修道院は古式ゆかしさを濃く残し、壮麗さと神聖さが静寂の内に伝わってくる様相であった。
萎縮したシロコは修道院にいる間、イクの背中にぴったりとくっついていた。
案内の修道女に従って回廊を辿る。
硬い靴音が響く。
神に仕える敬虔な修道女たち。皆、修道服で肌を隠している。水汲みや院の修理などの力仕事や文書整理といった事務的なものなど、与えられた仕事を黙々とこなしている。二人とすれ違う際は一瞥をくれて会釈するのみ。イクもシロコほどではないにせよ、外界との異質さに緊張していた。
修道院と併設された孤児院に招かれる。こちらは修道院と比べて明らかに安普請なのが外見で分かり、小ぢんまりとしている。扉越しから子供たちの賑やかな声が聞こえていた。扉が開かれると、その賑やかさが外に飛び出してきた。
「あら、どういったご用件で?」
暖かな声で対応に現れた老女が院長であった。
興味津々といった幼い子供たちが彼女の背後からわらわら現れ、イクとシロコに群がってくる。驚き戸惑ううちに足元を囲まれてしまった。
「剣持ってる。お兄さん、騎士さまなの?」
「この人は違うよ。騎士さまならもっと立派な服を召してらっしゃるもん」
「お兄ちゃん、銃触らせて」
「お姉ちゃんどこからきたの?」
「旅人さん? 旅人さんなの?」
「お話聞かせて」
防塵マントやズボンを引っ張ったり、太刀の鞘や拳銃のベルトを触ったりしてくる。シロコも「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と懐かれて「あっ、えっと、うあっ」と身体をこわばらせて吃音を繰り返すばかり。対応に困ったイクは院長に助けを求めた。
「あなたたちは家で大人しくしていなさい」
院長が子供たちを家の中に帰し、二人は包囲から解放された。
「ごめんなさい。みんな遊び盛りなんです」
子供への愛情がよくわかる、院長の苦笑い。口元の皺が寄り、老年の母性が強調された。
家の中に案内される。
贅沢が一切ない、殺風景な内装。
食卓の隣のだだっ広い部屋では子供たちが遊んでいる。汚れきったぬいぐるみや人形、使い古された絵本、修道院から譲られたと思わしきくたびれた動物図鑑……各々好きなおもちゃや本で。年長者らしき男の子は一番下の子の相手をしている。
年長者の女の子が紅茶を淹れてくれた。イクの「ありがとう」の一言で、女の子は頬を赤らめた。
「院長、子供たちはあの六人で全員ですか?」
「はい。子供たちに何か?」
成り行きをイクに任せきりだったシロコが「あのっ」と口を開ける。
「わっ、私のお姉ちゃん知りませんか」
フードを脱ぐ。
白い獣の耳がぴょこんと立った。
もてなしの茶はすっかり冷めてしまった。
「――そうでしたか。つらい受難を越えられてきたのですね」
「今はつらくない。イクがいるから。私の傷もさびしい気持ちも、イクが治してくれた」
シロコの身の上をイクから聞かされた院長は「いつか神の御加護があります」と、家族を失った彼女を心から心配し、親身に慰めてくれた。
肝心の姉たちの行方に関しては全く知らなかった。孤児院に預けられている子供は皆、純血の人間。年が上がって修道院に入った子供もすべて人間であるという。修道院に限らず、王都でミュータントはほとんど見かけないのだと、最後に付け足した。
「ウサギの耳や、鳥のくちばしをつけた方なら記憶にあるのですが」
「その、ウサギや鳥のミュータントがどこで暮らしているかはご存知でしょうか」
「往来でたまたま目に付いただけですので。サーカスの一団や船乗りになら他にもミュータントがいらっしゃるかもしれません。もしくはスラムでしょうか。すみません、お力になれなくて」
「スラムって何?」
シロコが聞き慣れぬ言葉の意味を尋ねてくる。
イクは素直に「貧民街さ」と答えた。
暗い語感で不安を覚えた彼女の顔色が曇った。そういった場所で暮らすことに付随してどのような困難や災難が降りかかるか、容易く想像できてしまったのだ。
院長に感謝と別れのあいさつを告げて腰を上げる。
椅子を引く音に過敏に反応した子供たち六人の、物欲しげな視線がイクへと向けられる。彼も院長と似た苦笑をもらしてしまった。
「旅の話、聞きたいかい?」
子供たちが騒々しく駆け寄ってきた。
「そうだな……天空都市エセルの話は聞いたことあるかな?」
「お薬屋さん?」
「エセル製薬っていう会社でお薬を作ってるって、シスターさんが言ってたよ」
「そっちの『エセル』じゃないよ。昔の人がつくった、空に浮かぶ街のことでしょ? そうだよね、お兄ちゃん」
「ああ。お兄ちゃんは天空都市エセルをさがして旅をしていたんだ。天空都市エセルにはたくさんの宝物や、なんでも願いの叶う『至宝』っていうのが眠っていて――」
「知ってる! 絵本にあったよ!」
子供たちはイクの語りに真剣に聞き入っていた。