第11話:王都グリア
最先端の建築技術で建てられた長方形の集合住宅群。
機能性を追求しながら、都市全体の風景に自然と融合する、品のある外観も兼ね備えている。中流層の市民が数多く住まう白亜の建築物は、世界に誇る王都の格調をいっそう引き立てていた。
「ここが王都グリア……」
「いやはや間一髪だったねー。冒険者の本領発揮しちゃったよ」
「ま、まぁな」
「僕ら、逃げたり追いかけたりするのには慣れてるからね」
「誇っていいのかそれは?」
あのあと結局、閉まりかけていた車両の扉をこじ開けてイ三人は列車に乗車したのだった。発車間際になだれ込んできた三人に車掌や乗客が仰天していたのを思い出したイクは、今更ながら恥じらいがこみ上げてきた。
背中の防塵マントを引っ張られて、首が少し苦しくなる。
振り返ると、シロコが目を輝かせていた。
「お城! お城だよ! お城があるよ」
遠くを指差す。
背の高い住宅群の隙間から覗ける風景に、グリア城が大気に霞んでいる。清廉なる白を基調とした荘厳かつ絢爛なる王城の迫力は、遠目にも十分に伝わってきた。
「お城、みんなで行こうね」
「うんうん。三人でお城観光と洒落込もう。お土産にケーキでももらってさ」
「ミド、最年長者の自覚があるなら冗談も程々にしてくれ。シロコが真に受ける」
イクが指差すシロコはケーキの一言に、更に瞳をきらきらさせている。
「うーん? 僕はこれでも自重しているつもりだよ」
「呆れたやつだ」
保護対象が増えた錯覚にイクは頭を悩ませた。
「上流階級区はもうちょい内周みたいだ。教授の屋敷もその辺かも」
道端の案内板に王都の簡略図が描かれてある。
王城を中心として放射状に都市は広がっている。大雑把に表すと内周は繁華街、外周は住宅街、最外周は城壁といった具合に。
「イクの病気、これで治るんだよね」
「教授が研究している古代文明の紋章と、俺が受けた右腕の呪い。その二つに関連性があるのか確定はしていない。ぬか喜びしても肩透かしをくらうだけだ」
「そんなことない。ぜったい治る。ぜったい治るってば」
シロコの強い語調は確信というよりも、彼女個人の願望によるものであった。
呪いのあざと似た紋章を研究しているという、大学の教授。
事が順調に運ばれていれば、教授を紹介してくれた学者がイクたちの来訪を手紙で伝えているはず。紹介状の書簡も携えている。紆余曲折あったものの、無事にここまでやってこれた。第一目標への到達まで残り数歩といったところ。
ところが教授は留守だった。
教授は大学で研究をしているのだと、対応に現れた使用人に告げられた。来訪の予定日から大幅に遅れたのだから無理もない。気を取り直した三人は、大学を目指して都市の中心部に向かった。
「外壁を一歩出れば不毛な荒野だなんて信じられるかい?」
「別世界だ」
「ぽかぽかあったかい。眠たくなってきた」
シロコが八重歯を見せる大きなあくびをした。
丁寧に舗装された石畳の地面を馬車が駆け抜ける。
等間隔に植えられた街路樹が、心地よい日陰をつくっている。
レンガ造りの店から、食欲をそそるスープの香りが漂ってくる。
おつかいの女の子が薬屋の扉を叩いている。
浅い水路では子供たちが水遊びに夢中になっており、近くのパン屋では子供たちの母親と思しき女性たちが談笑している。巡回の衛兵が通り過ぎるとき、子供も大人もぴたりと動きを止めて恭しくお辞儀をしていた。
晴れ空の下の、のどかな街並み。
王都グリアの上流階級区は、土ぼこりやクリーチャーとは縁遠い世界であった。
「ありゃ、どうしたのシロコちゃん。急にフードをかぶって」
「なっ、なんでもないよ。ちょっと寒いかも。それだけ。うん」
背後の街路樹に隠れた婦人たちが遠巻きにこちらを見ながら、なにやらささやきあっていた。恐らく、ミュータントであるシロコにはささやきの内容が聞こえてしまったのだろう。
繁華街に近い中心部。
王城が仰ぎ見られる場所にグリア王立大学はあった。
緑の芝生と洒落た石畳が芸術的な広大な敷地。その最奥に、王侯の屋敷かと見紛う規模の学舎がそびえている。ぽかんと口を開けっ放しにしていたシロコが「これもお城なの?」と首を傾げていた。
ベンチでノートを広げている者、噴水の縁に腰かけて友人と語らう者、測定機材らしき物体を教員と組み立てている者……敷地内では大勢の若い学生たちが思い思いの大学生活を満喫している。
正門前にいるイクたちを不審がった職員が、慎重な足取りで近寄ってきた。
「貴様ら冒険者には用の無い場所だ。早々に立ち去れ」
開口一番、攻撃的な言葉を浴びせられて三人は面食らう。
「王国の将来のため日夜勉学に励むのを誓った者のみ、門をくぐることが許される。ここに要るのは知への探究心。剣も、銃も、風来坊も要らんのだ」
「散々な言い草だ」
ミドが皮肉っぽく肩をすくめる。
「憲兵を呼ばれたくなければとっとと失せろ」
「私たち、先生に会いにきたの。偉い先生」
「我々が学の無い野蛮人なんぞを相手にするわけないだろう」
「違うの。イクの呪いを治してくれる先生だよ。呪いのせいでイクは白い魔法を使えて、それでイクが死んじゃいそうなの」
「わけのわからんことをごちゃごちゃと……」
「イクの病気、治してください!」
「立ち去れ!」
シロコがしつこく詰め寄れば詰め寄るほど状況は悪化していく。このままでは本当に憲兵を呼ばれかねない。イクは慌てて紹介状の書簡を職員に渡そうとした。
「どうしたのだ。騒々しい」
騒ぎを聞きつけて介入してきた第三者。
その老紳士は職員と同じ大学の制服を着ている。シロコとは違う、老化による白髪で、顔は皺にまみれ、四肢も痩せ細っている。寄る年波に肉体は老いていても、イクたちを捉える双眸だけは若々しい力強さがなお宿っていた。
「ディオン教授。これは失礼しました。すぐにこいつらを追い出します」
「私は『どうしたのだ』と訊いているのだよ」
「はっ、はい。いえ、このならず者どもが……」
老人の静かなる迫力に職員は居すくまる。声はうわずり、緊張の冷や汗を垂らしている。
ねえ、おじいさんの名前聞いたかい? 僕らがさがしてたの、この人だよ。
耳打ちしながらミドがわき腹を肘でつついてくる。
イクが一歩前に出て、老人に会釈する。
老人の険しい視線が彼に移る。
「私は冒険者の幾と申します。突然の訪問、大変失礼いたしました。あなたは考古学研究の第一人者ディオン教授とお見受けしましたが」
「……いかにも」
訝りながら、老人――ディオン教授は首肯した。
その問いかけでイクたちの正体を察した教授は「なるほど」と一人納得する。
「君たちがくだんの冒険者か。友人から話は聞いている。古代遺産の発掘に協力してくれたらしいな。呪いのあざと類似する古代文明の紋章について知りたいと、書面にはあった」
話の通じる相手、しかもディオン教授本人が居合わせてくれて運がよかった。
イクは右腕に巻かれた布を解き、呪いの印を見せる。しかし教授は特別態度を変えるわけでもなく、つまらなそうに目をくれるだけであった。
職員を下がらせた後、教授は手渡された紹介状の書簡を封も切らず懐にしまってから無愛想にこう言った。
「私は忙しい。日をあらためたまえ」
三人は唖然とする。
にべなく言い捨てた教授は、すぐさま踵を返して学舎に戻ろうとする。
それを阻止すべく、シロコがすばしっこい動きでディオン教授の前に回りこんだ。
両腕を広げて行く手を遮る。顔をしかめた教授が、あくまで無視して脇を抜けようとしても、彼女もそれに合わせて動いて通そうとしなかった。
「イクのこと助けてほしいの。イク、白い魔法のせいで死んじゃいそうだから……イクは私のたった一人の家族だから。だから、死んだら嫌なの。村のみんながいなくなって、ひとりぼっちの私をイクが見つけてくれたの。だから」
歯を食いしばりながら涙ぐむシロコは、拙い語彙をどうにかこうにか使って自分の意思を伝えようとしている。だから、だから……と繰り返している。
風が吹き、シロコのフードが激しくはためく。
透き通る白い前髪が躍る。
拒否の返事を発しかけていた教授は一旦口をつぐむ。しばし悩む素振りを窺わせてから、あらためてこう言い直した。
「忙しいのは事実だ。夕刻、終業の鐘が鳴る時刻にまた来なさい。他の職員たちに話はつけておこう。とはいえ、銃と太刀を隠す配慮くらいはしてもらいたいものだ。ここではペンと知識が闘いの道具なのだよ」
胸元の学章バッジをむしってイクに握らせ、学舎へと帰ってしまった。
「いやー、無愛想なおじいさんだねぇ」
全員の感想をミドが代弁してくれた。
危うげながら約束を取り付けられた三人は、宿をさがして繁華街へと赴く。
ごった返す目抜き通りは活気に満ち溢れている。石畳を鳴らす蹄鉄と車輪の音が絶えない。喫茶店、料理店、宝石店、旅行者向けの安宿もそこかしこにある。
「肝を冷やした」
「上出来だったよ。職員の人も、あの超おっかないおじいさんも、最初は僕らのことまるで相手にしてなかったもん。シロコちゃんのお手柄さ」
「私、役に立った? 役に立てたかな?」
「イクを想うシロコちゃんのいじらしい姿に教授は感動したのさ」
シロコは照れくさそうにはにかんでいた。
手ごたえを感じて調子に乗ったミドが頭をなでようとしたら、頭上に手をかざしたところで彼女が放電を始めたので慌てて手を引っ込めた。
ディオン教授と会うという最初の目的は達成された。一応のところ。
喜ぶ仲間たちのかたわら、イクの中にはかすかな懸念がこびりついていた。
ディオン教授の不自然な心変わりは、シロコのひたむきさに気持ちを動かされたふうには見えなかった。もっと別の、何かを察して自分たちに興味を抱いたかのような……。
「おっと、すみません」
思索にふけっていたイクは、通行人の男と肩をぶつけてしまった。
先んじて謝ったその男が丁寧な物腰で「落としましたよ」と何かをよこしてくる。
見覚えのない薬包。
首を傾げたイクが包みを解く。
中に入っていたのは――見覚えのある錠剤。
「上乗せ分の報酬だ」
すれ違いざま、男が冷たい声で耳元でささやく。イクの背筋が凍った。
「『黄昏と暁』は近いぞ」