第10話:ある一つの懸念
「よくも左目をやってくれたな」
今度こそイクを焼き殺さんと、爬虫類型ミュータントは腕を構える。
手のひらに魔法の炎が生じる。
そのときだった――眼の奥を焼くような熱い稲光と共に、鼓膜をつんざく雷鳴が轟いたのは。
空気を伝ってほとばしった獣のごとき電撃。
それが爬虫類型ミュータントに喰らいつく。
ひるむ敵を見て、すかさずイクが突貫する。
素早い肉薄。
速度と体重を乗せて肩で体当たりし、窓際まで吹き飛ばす。
爬虫類型ミュータントが立ち直るよりも先に、イクが額に銃口を突きつけた。勝敗は決した。
「人間に手懐けられやがったか」
爬虫類型ミュータントが忌々しげに毒づく。
睨みつけている対象は、イクの肩越しに立つ白い髪の少女シロコ。白き虎の真なる姿に『変身』している。
電撃の名残が、指先で火花を散らせている。
シロコも爬虫類型ミュータントも、それきり黙りこくっている。
先んじて言葉を発したのは、やはり爬虫類のほうからであった。
「同胞の面汚しが」
口汚く罵る。
シロコの瞳が潤む。
「わ、私、わたしは」
憎悪を向けられて怯えるシロコは涙声で何かを訴えようとしていた。
最寄りの駅に列車が停車し、銃剣を携えた憲兵たちがなだれ込んできて仲間ともども逮捕されるまで、爬虫類型ミュータントは人間たちへの恨み言を散々吐き捨てていた。その始終は駅にいた人間たち全員の目に触れていた。
その夜、酒酔いの男たちが馬鹿騒ぎする酒場にて。
「――という具合に、僕の目にも止まらぬ徒手格闘が列車強盗たちをぎったんぎったんにしたというわけなのさ」
「……」
「あのー、イク。聞いてた?」
テーブルに頬杖をつくイクの目の前でミドが手を振る。
「……ん、すまない。呆けていた」
「ちょっ、あんまりだよ! どうりで反応薄いと思ったら!」
ミートパイを平らげるまで長々と語っていたというのに、ミドの武勇伝はたった一言で片付けられてしまった。シロコが「わっ、私は聞いてたよ。おじさ……じゃなかった、ミドが大活躍した話だよね」と落ち込む彼を慰めていた。
六人の列車強盗犯のうち四人を殺害、残り二人を生け捕りにしたイクたち三人は、治安維持協力の褒賞金で少々贅沢な夕食をとっていた。列車の再運行は明日の朝からなので、時間的余裕ならいくらでもあった。
王都は目と鼻の先。
だというのに、イクたちはまたもや足止め余儀なくされていた。
それでも、あれだけの大立ち回りを演じて、たかが一夜で済んだのは幸運である。
大勢の整備士によって車両はまたたくまに修理され、あとは点検のみであるという。大陸全土に普及している鉄道は、それほど重要な交通機関として認識されているのである。
イクは天井に吊られた照明を見つめながら、ぶどう酒を口に含む。
「心ここにあらず、って感じだねぇ」
「物思いにふけっていた」
ふけっていた物思いとは無論、ミュータントと人間の関係についてである。
優れた存在であるミュータントこそ大陸の支配者たる資格を持ちうる。か弱い人間なんかが我が物顔で法を司り、世界を支配しているのは誤りである。
捕らえられた爬虫類型ミュータントはそんな意味の恨み言を、だいぶ汚い言葉遣いでわめき散らしていた。
「悪党の戯言だよ、あんなの」
「わかっている」
「悪い人間もいるんだから、悪いミュータントだっているさ」
「それもわかっている……あんな調子では互いが分かち合える日は遠い」
目ざましく発展していく人間の文明に追いやられたミュータントたちは、僻地に集落を築いて隠れ住んでいる。古代文明が滅んだ後の有史以来、二者は遠い隣人同士なのである。ミュータントに育てられたイクは、幼少の頃からときおり深い溝を実感していた。
人間とミュータントの共存。
シロコとの出会いを経て、イクはそれについての関心を強めてきた。
隣人を排斥した人間社会は、遠からぬ将来シロコに過酷を強いるだろう。
あの爬虫類型ミュータントはその先触れともいえた。
幸いにも彼女はクリームの香り漂うドリアに首ったけ。ミドが道化役を買って出て明るい雰囲気を保ってくれたおかげもあり、イクの心配は今回に限り杞憂に終わった。
「むかし、お姉ちゃんたちが言ってたよ『人間やミュータントで区切るより、一人一人の心の根っこが大事だ』って」
「真理だね」
「イクは良い人、ミドも良い人。ひょうらいかいの人は悪い人、あのトカゲ男も悪い人。いろんな人がいる」
既成概念に染まりきっていないシロコ特有の考え方であった。
逆に考えよう。
ミドがそう提案してくる。
「首謀者のミュータントは人間たちと組んで列車強盗を実行した。つまり二者は潜在的に協力し合える可能性を秘めているんだ」
「いくらなんでも前向きすぎないか?」
「前向き思考上等さ。ところでシロコちゃん、雷の魔法を使いこなせていたんだってね。イクを助けられたし、魔法の反動は見られないし、褒賞金でおいしいご飯食べられるし、良いことずくめだ」
「『変身』とか魔法の使い方とか、ちょっとわかってきたかも」
口のまわりをクリームで汚したシロコが指を立てる。ぱちぱちと小さな音を鳴らし、指先から弱い電気が放出されて火花が散った。家族同然に慕っているイクを助けられた誉れか、彼女は得意げに火花をもてあそんでいた。
「過保護だねぇ、キミってば」
顔をしかめるイクをミドが茶化した。
「今まで守ってくれた分、今度は私がイクを助けるよ」
「くれぐれも無茶は控えてくれ」
「クリーチャーなんて私がぼっこぼこにしてあげるから」
ぶんぶんと拳で空を切る。
渋面のイクをよそにシロコはすっかり意気込んでいた。
トカゲ男の罵倒を真に受けて落ち込むよりはましか。
ミドに倣ってイクも前向きに考えることにした。
「お待ちどっ。怪物エビの丸茹でね」
景気の良い店員の声。
どんっ、と重い衝撃にテーブルとイスが揺れる。
何事かと顔を上げたとき、イクは怪物エビと目が合ってしまった。
テーブルからはみ出すほど巨大なそれは、豪快にも反り返った格好で丸ごと大皿に載っていた。しっかりと茹で上がっており、胴体の殻は剥かれ、赤い筋の入った白い身に果物のソースがかかっている。添えられた赤、黄、緑の野菜は南国を意識しているのか。食欲をそそる魚介の香りを伴う湯気が、みるみる周囲に立ち込めていった。
「おい、誰だ。こんなの頼んだ奴は」
と言いつつミドを睨む。
彼は濡れ衣とばかりに隣を指差している。
指差す先――フォークとナイフを握り締めたシロコが、よだれを垂らしながら瞳を輝かせていた。
深夜。
シロコとミドが寝ついたのを息遣いで確かめる。
イクはたぬき寝入りから覚め、上体を起こした。
三人が泊まる冒険者向けの安宿の一室。
暗がりの中、小箱から出した錠剤を口に含み、水で胃に流す。
右腕が疼く。呪いそのものが薬の作用を拒絶している。
「良薬口に苦し、だとかミドは言っていたか。だといいな」
独りごち、自嘲する。
酩酊に似た意識の混濁が頭を揺さぶってきた。
眠りに落ちて、夢を見た。
過去の記憶を再現した夢だった。
暗い遺跡に、二人の青年。
イク、逃げろ。逃げるんだ、と一方の青年が叫んでいる。
叫んだ青年の右腕に浮かんでいた呪いのあざが全身に至る。そればかりか、あざそのものに生命が宿ったかのように黒い筋がのたうちはじめた。
どす黒く染まりきった右腕が腐り落ちる。
足元に落ちた右腕は変形し、牙や爪といった部位を形作っていく。漆黒の獣と成り果てて自立したそれは宿主を食い殺した。
寄生していた化け物が青年をむさぼる光景を、無力なイクは見届けることしかできなかった。友の名を呼び続けながら……。
その夢は、悪夢だった。
翌朝の出立は騒々しかった。
太刀と拳銃を身につけ、防塵マントを羽織ったイクは大慌てで宿を出た。
「早く早く。もう駅に汽車が停まってるよ」
「イクってさ、やっぱり朝に弱いよね」
宿の外ではシロコとミドがじれったそうに足踏みしていた。
「もしや昨夜の巨大エビ食べすぎたせいかね。わかる、わかるよ。昨夜は僕も胸焼けがひどくて寝苦しかったんだ」
「……お前はぐっすり眠ってたぞ」
遠目に映る駅には列車が停車している。
時計を見る限り、全力疾走すればかろうじて間に合う時間である。ここで諦めたらまた一日、足止めをくらってしまう。呼吸の調子を整えるのもそこそこに、イクはシロコたちと駆け出した。
べちんっ。
段差に義足の先を引っかけたシロコが顔面から盛大に転んだ。
「へ、平気。ぜんぜんだいじょうぶ……だいじょぶだから」
鼻頭を真っ赤にしながらも、涙を拭って果敢に再起した。
王都に近いこともあって、町は自然豊かで文明的で、活気に溢れている。
色とりどりの果物や野菜が並ぶ露店市場を駆け抜け、中央に噴水を据える広場を突っ切り、馬車の待合所のど真ん中を強引に突破し、駅に飛び込んだ。
列車発車のベルが構内に鳴り響く。
プラットホームに停まる蒸気機関車。
車両の扉が閉まりつつある。
「閉まるぞ!」
「ぬおおおおおッ、全力疾走だー!」
「待って待ってー!」
三人は必死になって叫んだ。