理由があるんです
ごくりっと息を飲む。見つめ合う形で時間は止まったままだ。
(なっなにを忘れてるって言うんだ…)
混乱する頭で考えても浮かばないし、目線を外すことも許されないと真っ直ぐな瞳がそう感じさせ動けないのだ。
「…忘れちゃったか。くせっぽいしな」
「…」
「敬語で話すなって言ったよな?」
「…あっ」
このことだったかと驚いた。まさかこんなことのために、わざわざ顎に手をかけたと言うのか…。紛らわしい。けど安堵もした。なんか別の事で機嫌を損ねたと思ったから。まぁこれも不機嫌にさせている原因だけど。
「俺嫌だって言ったよな?」
眉間にシワを寄せている。そんなに嫌なのだろうか。
(僕にとっては“こんなこと”なのに…雅人さんの感性はなぞだ)
そんなことを思いながらきょとんとして雅人さんを見つめた。なんで敬語だったか隠す必要はない。素直に話す。
「確かに使ってましたね。理由があって…」
「どんな」
「えっと……、牽制の意味を込めて。無意味でしたけど」
「今は?」
そう言われて黙る。動揺してしまっている自分がいた。
(今は…あれ?なんでだろう)
自分自身がわからない。が、たぶん…、
「……癖です」
「だよな…でも」
引っかけてた顎は外され、変わりに両頬を両手で包み込まれ、前を向かされる。そこには不敵な笑みを浮かべた雅人さんが、明るい声で、『俺はイラッとしたわけさ』と言うなり、包んでいた手は両頬を掴み、頬を伸ばされた。地味に痛く声を上げる。
「っりふひん!!!」
「何言ってるかわかりません」
「はにゃへ!!!」
あまりにもからかっているようだから、つい叫ぶように言ってしまった。が、これは通じたらしい。手を離してくれた。軽くヒリヒリする頬を撫でて雅人さんに睨むが、効果はいまいちな様。まだ笑ってるし、頭はまた撫でられるし、絶対に同い年に思われてない。はぁ…とため息が出てしまう。
「雅人さんも……撫でるの好きで…いや、好きだよね」
急に変えるのはやっぱり難しい。が、雅人さんはご機嫌に笑顔で変わらず撫でている。
「まぁ実限定でだけどなぁ。なんか犬ぽいし」
「ああ…なるほ―ってまさかのペット扱い!!!」
大笑いされた。余程ツボに入ったらしい。すごく笑顔だし。絶対に遊ばれてるもん。
さすがの僕でもイラッて来るものがあって、つい顔を反らし、手は払い除ける。残りのゼリーをかきこむように口に入れ完食。まだ机の上にあった食器をまとめ立ち上がる。もちろん雅人さんを無視して。
異変に気づいたか雅人さんが、慌てて前に立ち塞ぐ。
「実?」
「ちょっと退いて」
冷たくあしらえば、しゅんと尻尾が垂れ下がった犬のように見える。どっちが犬だか……。でもこれはお返しだ。ちょっとくらい冷たくしっていいだろうと、ぐっと耐えようと思った。が、雅人さんは退かないし、邪魔するし、その間ずっと見つめられるし…。
ついに耐えかて早口に、
「食器は洗って返すんでしょ?このままじゃ洗えないから」
「…ああっでもっそれは」
「いいよ。僕は夕飯の支度は手伝えなかったし…だから雅人さんはくつろいでるか、風呂に入っちゃいなよ」
「いや、でも」
「いいから」
「だが」
このままでは取り合って終わりそうにない。一度食器を机に戻し、雅人さんの後ろに回り込むと背中を押して急かす。
「大丈夫だから!!」
言い切って、向かうは脱衣所。渋る雅人さんをなんとか押し込んだ。これで静かに片付け出来る。さぁキッチンへと引き返した。
キッチンで、ちょっとだけ気になることがあった。食器を早々洗ってしまおうと思っていたが、こうも近いと、つい見てしまいたくなる。誘惑に負けて数歩そちらに近寄った。
「これが電気コンロかぁ」
まじまじと見て端を触る。ガスコンロしか使ったことなかったし、今後お目見えする機会があるかわからなかったから、こうして見れるのは嬉しい。それにちゃんとオーブンも付いてる。しかもでかい。収納棚も広くて感動してしまう。食器類は綺麗に収まっているが、フライパン、包丁、鍋、等々キッチン用品がどこ見ても見当たらない。あっても洗剤とスポンジだ。 そっと棚の扉を閉め、机の上に置いたままだった食器をシンクに運び、洗い始める。
(料理しないのかぁ…こんなに広いのに)
つい思ってしまうのは自分の趣味のせいだ。いつかこんなキッチンを持てたらなぁと妄想を広げながら、食器を洗い終えた。
水の音が止まると、静まりかえるリビング。時計の音だけが響いて、そちらに顔を向ければ時間は23時を回っていた。
「あっもう帰らないと…」
明日のことを色々聞きたかったが、聞けそうにない。ふと、風呂の方に目線を向けてしまうが、かわりないようだ。しかし…、
「この服じゃ帰れないよなぁ…」
いくら寮だからと言って、まだ自室に戻ってないのにも関わらず、だぼだほで私服とは思えない格好で外に出るのは危険すぎる。誰が見てるかもわからないのに。頭を抱えた。
「……どうしよう」
制服をどこにやったのか記憶にない。そもそもここまで来た道のりもわからない。これ帰れないじゃ…っと嫌な予感がするがあえて考えるのをやめて、雅人を待つことにした。でも立っててはなんだからソファに座らせて貰う。せっかくだから帰り道の、シミュレーションをしとこう。考えないよりはマシだろう。
自室に行くまでの少し前のドアからそっと入って、素早く閉める。っと何度もイメージして、ついでに怒鳴られるパターンも考えて耐性をつけておこう。
繰り返し何度もイメージしたし、回避も出来そうな気がする。
「うん。完璧だ」
「なんが?」
「えっ」
独り言のはずが返事が帰ってきて固まる。なんか数時間前に体験したようなぁ。あれ、デジャヴ…?そっと振り返ると髪をタオルで拭き、すっかり暖まってきたのか、顔色が良い。が……。
「背後に立つのが上手いのはなんで」
「実が上の空だからだろう」
「それよりも隈ひどっ!!」
「そんなにか」
雅人さんはタオルで隠したが、見てしまった後では遅い。さっきまで気づかなかったのが不思議なくらい酷い。驚きを隠せずに呆然してしまった。その間に雅人さんが僕の隣に座る。
「見てのとおり、隈酷いだろう?化粧で誤魔化してたんだけど」
「ああ、なるほど…」
「まぁ立場もあるし、見た目悪いのはな駄目だからな」
苦笑してるが、それだけ苦労してるってことだ。
(早くなんとかしないと雅人さん倒れるんじゃ…)
もはや心配してしまうレベル。だからと言って自分じゃどうこう出来る事はないからただ頷くしかできなかった。
「もうこんな時間だし、そろそろ寝るか」
雅人さんが立ち上がって言う。確かに23時を回れば眠い。が、僕には回収しておかないといけないことがある。
「あっあの僕の制服どこにあるか知ってる?」
「制服は…洗濯に出したなぁ」
「……へぇ?」
なにいってるんだろう?
「だって実のは水で塗らされてとても着られたやつじゃなかっただろう。だからクリーニングに出したから」
「いっいつ!!」
雅人さんに食らいつく勢いで聞いた。
「実が風呂に入ってたとき」
「おっ終わった」
聞いた瞬間に床に手と膝を付く。立ってられないほどに衝撃だった。
どうしよう。部屋に帰れない。