【短編】デキる女先輩がSMクラブに通っているらしい
「ねえ、知ってる? 佐々木先輩、SMクラブに通ってるんだって」
昼休み。隣の席の同期が、声を潜めてそう言った。
「……えっ?」
思わず聞き返してしまった。
佐々木先輩は、三十歳。仕事ができて面倒見もよく、後輩からの信頼も厚い女性だ。少し厳しいところはあるが、理不尽なことで怒る人ではない。
その先輩が、SMクラブ?
「誰から聞いたんだよ、それ」
「営業の田中さん。昨日、先輩がビルに入っていくのを見たんだって」
「どんなビル?」
「駅前の雑居ビル。看板にデカデカと『SMクラブ』って書いてあったらしいよ」
俺は箸を止めた。
……いや、待て。
先輩が、あのSMクラブに?
仕事ではあんなにしっかりしている人が、そんな趣味を持っているとは。
いや、人の趣味は自由だ。自由なのだが、どうにも想像がつかない。
その日の夕方。
俺は退勤する佐々木先輩を、少し離れて追いかけていた。
もちろん、本人に問いただす勇気などない。ただ、噂の真相が気になったのだ。
先輩は駅前の商店街を抜け、雑居ビルの前で足を止めた。
壁には、確かに大きな看板が掲げられていた。
SMクラブ
その下には、別の文字が並んでいる。
「ショートメールで、もっと楽しく!」
……ショートメール?
先輩はためらいもなく、ガラス扉を開けて中に入った。
俺も続いて入る。
「いらっしゃいませ!」
明るい声に迎えられた店内には、テーブルと椅子が並び、壁にはスマートフォンの画面を模したポスターが貼られていた。
そして、奥のテーブルで佐々木先輩が、数人の男女と楽しそうに話していた。
「あら、鈴木君?」
先輩が俺に気づき、手を振った。
「どうしたの? こんなところで」
「い、いえ……先輩こそ、ここで何を?」
「何って、SMクラブよ?」
先輩は不思議そうな顔をした。
「えっ、あの……SMクラブって……」
「ショートメールクラブ。知らない?」
先輩はテーブルの上に置かれたスマートフォンを指さした。
「ここでは、お題に沿ったショートメールを作って、みんなで見せ合うの。短い文章でどれだけ面白く伝えられるか、競い合うのよ」
「ショートメールを……?」
「そう。例えば、こんなお題」
先輩はホワイトボードを指さした。
『上司から「今どこ?」とメッセージが来た。絶対に怒られない返事を考えよ』
「なるほど……」
「制限は全角七十文字以内。長々と言い訳するのは禁止。短い言葉で相手を納得させるのが腕の見せどころなの」
先輩は自分のスマートフォンを取り出した。
「ちなみに、今日の私の作品はこれ」
画面には、こんな文章が表示されていた。
『現在、会社から徒歩三分の喫茶店です。コーヒーを飲んでいます。領収書はありません。まだ何も聞かれていませんが、先に謝っておきます。』
「……先輩、これって」
「前にうちの課長から、本当に『今どこ?』ってメッセージが来たときの話。あの人、私がどこにいても、なぜか仕事を頼むのよ」
周囲のメンバーがどっと笑った。
「佐々木さん、そういう実体験が強いんですよね!」
「いやいや、皆さんの作品だって面白いじゃないですか」
先輩は照れくさそうに笑った。
俺はようやく事情を理解した。
つまり、SMクラブとは、ショートメールを使って遊ぶクラブだったのだ。
「でも、どうしてこんな名前なんですか?」
俺が尋ねると、店主が奥から顔を出した。
「昔は携帯電話のショートメールが珍しかったでしょう? 短い文章で遊ぶ集まりを作ったとき、ショートメールの頭文字を取ってSMクラブと名付けたんです。今はSNSのメッセージ機能も使いますけどね」
「なるほど……」
「ただ、名前のせいで誤解されることも多くてね。看板を変えようかという話も出たんですが、常連さんたちが『この名前だから面白い』って言うものですから」
店主は苦笑した。
そのとき、先輩が俺の肩をぽんと叩いた。
「鈴木君も、せっかくだから参加していきなさいよ」
「えっ、俺もですか?」
「次のお題はこれ!」
ホワイトボードが書き換えられた。
『会社の先輩がSMクラブに通っているという噂を聞いた。本人に確認したら、予想外の答えが返ってきた』
……おい。
「制限時間は三分。七十文字以内ね」
先輩はにっこり笑った。
俺はスマートフォンを握りしめ、必死に文章を考え始めた。
結局、その日いちばんの拍手を浴びたのは、俺の作品だった。
『先輩に聞いたらショートメールクラブだった。安心したので、噂を流した奴に長文で説教しておいた。』
「鈴木君、最後の一文が七十文字の趣旨を台無しにしてる!」
先輩が笑いながらツッコむ。
店内は大爆笑だった。
その翌日。
会社の給湯室で、俺は同期に報告した。
「佐々木先輩のSMクラブ、全然そういう店じゃなかったぞ。ショートメールで遊ぶところだった」
同期は、ほっとしたようにうなずいた。
「なんだ、そうだったのか」
「お前も今度、行ってみるか?」
「いや、俺はいいよ」
「なんで?」
同期は真顔で答えた。
「俺、文章を書くのが苦手だから。SMはちょっと……」
……だから、その略し方は誤解を招くんだって。




