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歴史物や時代劇創作集

修験道者の不幸

作者: 開運満足 
掲載日:2026/08/26

善人や偉人の怖さというのもあります。

後難を恐れず、こうと信じたことを断固やり切る怖さです。


 嘉永四年と言うから1851年のことである。


 ある西国の藩の若殿の近習小姓に公文左源太と言う者がいた。その者が十六七のころだ。

 左源太が通う道場は、城下の武家町のはずれにあった。

 道場は藁ぶき屋根で、壁は土壁、腰板が右左の両壁に辛うじて貼ってあったが、正面も玄関側も土壁である。

 道場主は藩内では珍しく実践的な剣を教えると評判の剣士であった。


 道場内は、今日も竹刀を交える音が、バチバチとこもった音をたてて土壁に反響し、早くも若者たちの汗と、その振るう竹刀が削られる青い匂いで満ちている。


 その道場主が、川から運ばれてくる湿った朝の空気が入る武者窓の人影を見やり、声をかける。


 「左源太、今日はやらぬのか」


 声をかけられた公文左源太


 「今日は若殿のお供ですので、明日か、明後日には」


 「おおそうか、そうか、稽古はまあ良いだろう、若殿様はお元気なのか」


 「はい、気鬱も散じ、最近は調子が良いと」


 「それは良かった。お家の為にも重畳。ではなぜ覗いておる」


 「いやあ、ちょっと」


 「良い良い、明日か明後日か、待っておるぞ」


 若殿の側近で、エリート上士である左源太は人を探していた。

 その者は、自分より一つ二つ年上で、藩では武士として認められていない軽格の郷士に過ぎないのだが、左源太は、その者を道場内の先輩としても、友としても、人としても尊敬しているのだ。


 今回は若殿も絡む厄介な問題なので、その厄介な問題解決を相談できる者は限られていた。何としても捕まえて、良き手段を導き出したかった。


 その友は、信頼出来たし、物事を合理的に考え、理詰めで、説得力がある。

 何よりも、相手の話をよく聞き、相手の気持ちを尊重しつつ、丸(・)め(・)込(・)む(・)のが上手い。

 しかも物知りなのだ。


 その頼れる友は、意外にも、道場のすぐ近くにいた。


 道場のすぐ横を鏡川という川が流れている。その者は、そこで火縄銃を模した竹製の棒に鉛を入れたものを使って、ひとり、立ち泳ぎをやっていたのだ。

 竹の模擬銃は、一貫(約3.75キログラム)と中々の重みがあり、それを持ちあげ、水に浸けずに泳ぐのは頗る難しい。


 「左源太、左源太、そこで何をやっちょる」

 と川の中からその者が声をかけて来たときは、どこから声が聞こえて来たか、キョロキョロと背中の方を見渡したが、やがて川の中からと分かって、ここに来たのは無駄ではなかったと、左源太は安心した。


 「今日は、もう水練は終わりじゃ。すぐ上がるけぇ、ちょっと待っとってや」


 河岸に上がって来た当人は、さっと体を拭うと、着物を羽織り、丁寧に袴までつけながら、自主水練の最中だったと言いい、体を鍛えることで、いざという時に役立つんじゃという。


 「水練もいいが、若殿のことで困っているんだ。相談に乗ってくれ」

 と言った公文左源太は、世子付きの小姓なので江戸で生まれ育っている。言葉も江戸弁である。


 その者が袴を着け終わったところで、早速捕まえて、こっち、こっち、と呼んで、道場の外壁に通りから隠れるようにして、話を聞いてもらう。

 道場の門弟や道場主の声や躍動が壁を伝わって響いてくる。竹刀の匂いもする。今日も激しくやっているようだ。



 左源太の話によると・・・。


 問題の元凶は、普段は城下のはずれの村にいるという。

 彼の者は、石鎚蔵王権現に直に念力を授かり、その念力によって石鎚蔵王権現を呼び寄せられると自称する修験者である。名を瓶ヶ森(かめがもり)の行叡坊(ぎょうえいぼう)真玄(しんげん)という。

 行場の瓶ヶ森は 石鎚山系の山岳で「心身を整える山」 「調息の山」「心を澄ます山」として知られており、その尾根の稜線にある行叡坊で十余年も修業した真玄の霊験は気鬱の病にこそあらたかと言う。


 その宣伝文句を信じた大殿の周辺が、若殿に行叡坊真玄の祈祷を薦めたのが問題の発端である。


 なんと、行叡坊真玄の祈祷中に「念力によって」石鎚蔵王権現が呼び寄せられ、若殿の気鬱症を直した。

 それで大いに城内の士に流行り始めたのだ。

 どこの武家でもひとつやふたつ、神仏にすがってでも払い除けたい悩みの種、弱みというものが、あるものだ。


 困ったのは若殿が傾倒し始めたことだ。


 幕府は、修験道を天台派系の「本山派」と真言系の「当山派」の二派に統制し、無許可の修験者を厳しく取り締まっている。

 特に最近では、修験者を名乗り勧進行為で金銭を得る者が増え、寺社奉行がしばしば摘発しているのだ。


 幕府の目がどこでも光る昨今、若殿を守る立場の公文左源太が

 「彼の者は、石鎚山前神寺との繋がりも怪しく、本山派や当山派の免許を持たない自称修験者。かと言って吉田神道や伊勢神道の流れを引く山岳修験者でもありませぬ。一国の世子たる若殿が、どこの何者かも知れぬような者を信じるものではございません」

 と若殿を諫めるのは当然であろう。


 しかし、若殿は、

 「石鎚山の修験道は東照権現様が修験道を統制する前からあったもの。偽物ならともかく霊験あらたかなご先達までお咎めを受けようはずはない」

 と話を聞いてくれない。


 話を聞いた左源太の友人は

 「よし、分かった。まかせろ、いいか、こうするんだ」

 といって、左源太に策を授けた。

 左源太は最初は嫌がった。道場の横で相談したのがまずかったかと思った。が、何やかやで、結局丸(・)め(・)込(・)ま(・)れ(・)た(・)。そうするのが天職のように生まれついた輩(ともがら)なのだ。



 左源太は、城下外れの修験者、行叡坊真玄のもとを、その丸(・)め(・)込(・)み(・)の名人、梅谷平馬と二人で尋ねて、申し入れた。

 「自分はかねてお見知り置きの通り、若殿にお仕えする小姓めにございまする。これに控えるは拙者の従兄にて梅谷平馬という者で、ご先達の信仰熱き篤信の者。霊験あらたかと言うご先達のご高名をお聞きし『ぜひぜひ石鎚蔵王権現様を拝見いたしたい』と申しておるので、本日連れ立って参った次第。いかがでありましょうや、お聞き入れくださいますでしょうか」


 行叡坊真玄

 「ご殊勝なことでござる。さすれば、ご両名には、当夜丑三の刻、筆山(ふでやま)の頂まで参られたい、権現様現出を念じますれば」

 という。



 その刻限、左源太は梅谷平馬とともに筆山の山頂近くの平場でひれ伏している。

 他にも神の降臨を見届けようというも(・)の(・)好(・)き(・)が四五人いる。

 重々しい静けさのなか、湿った地面と森を鬱蒼と覆う杉の森の匂いが人々を包み込んでいる。

 昼でもなお、城下からの音は聞こえぬような森の中である。低山とは言え瓶ヶ森(かめがもり)の行場が降臨して来たような錯覚に陥る。瓶ヶ森とは地元の霊山のことである。



 闇の中だ


 どこからか蔵王権現の真言(マントラ)が聞こえてくる

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 真夏の蒸し暑い闇が唐突に凍る


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 真言が胎(・)動(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)人々の体を震わせる


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 人々の中から真言を唱和する声が聞こえてくる


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 湿った地面と杉の濃い匂いに、護摩を焚くきな臭さが加わる


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 重かった空気がふと軽くなる


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 山頂に透明な気配がいくつも降りてくる


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 ザザザザザザー、真言(マントラ)を妨げるように

 真っ黒な物の怪がどこからか数体現れる

 四本足で歩いている。


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 ズダーン

 物の怪が、光の無い稲妻であろうか、透明な気配の有る何ものかに、跳ね飛ばされ四方に消える


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 風も無いのに森の杉の影が揺れ、地面の小石が、ポン、ポンと跳ね始める


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 地面をポンポンと跳ねる小石が増える


 左源太は小さく自分に呟く

「不思議だ、神が現れるぞ。神の現出だ」

 そのように思えて、こらえきれず梅谷平馬の方を向いて声をかけようとする。

 見ると丸(・)め(・)込(・)め(・)名人の友人は、平然と黙って平伏した姿勢のままでいる。


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 今度は白い何ものかが現れる。物の怪を跳ね飛ばしたのはそ(・)れ(・)だろう



 そ(・)れ(・)は長い袖を翻して、いつの間にか現出していた台座に、厳かに颯爽と昇っていく。


 真言(マントラ)の調子が、今までになく、早く、強く、間隔が短くなり、聞いているだけでも息が上がりそうだ。左源太の頭がくらくらして、眩暈がしてくる。


 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ソワカ

 

 台座に座る何ものかが両手を上げ立ち上がり、上げていた手をふいに降ろす。

 それを合図に真言が止まる。

 

 静寂があたりを包む。


 暗闇の中、声が朗々と、高々と響く。

 「我こそは石鎚蔵王権現なるぞー!」


 その名乗りの声を聞くやいなや、台座の下、平場で平伏していた梅谷平馬が、一気に台座まで飛びあがり、その石鎚蔵王権現の胸倉と袖を掴み、背負って、投げ飛ばす。


 哀れ、権現様は、台座上で仰向けに背中から叩き伏せられただけでは済まず、動きを止めず、台座の下にさっと降り立った梅谷平馬によって、台座から湿って苔むす地面に、引(・)き(・)ず(・)り(・)降ろされ、おまけに頬桁(ほおげた)に何発か拳骨を啖わされた。


 「偽神、淫神を退治したぞ。神の正体を見よ。見えるか? 近くに来て、よーーく見よ」

 こう雄叫びを上げて、立ち上がったのは、梅谷平馬こと、土佐の郷士の息子、十八歳の坂本竜馬だ。


 鼻血とよだれを出して地面で伸びている偽神は、もちろん行叡坊真玄。下で平伏していた信者の四人中ふたりも行叡坊真玄の弟子でサクラだった。修験道の弟子らしくもなく腰を抜かしている。


 梅谷平馬という名前は、後の変名、才谷梅太郎に通じる偽名であり、左源太と竜馬の共通の友人の武市半平太から「平」の一字を借りている。


 戦意が萎えたのは行叡坊真玄だけでなく、その下で物の怪を演じたり真言を唱えた弟子たち五人も一緒だったらしい。竜馬らが、八人もの賊を、一晩中面倒見れん、見張りはご免だとばかりに、そのままに捨て置いて帰ったにもかかわらず、一味は追っかけても来ず、ましてや反撃すらもせず、皆が、朝一番で、城からの追っ手が回る前にすごすごと何処かへ逐電してしまったという。

 その後、事情を知った藩が似非修験者の取り締まりを強化したのは言うまでもない。


 この偽神退治事件は城下に伝わって評判となり、当時十八歳の竜馬は一躍時の人となり、講釈のネタにもなったそうな。



修験道者の不幸 (了)

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作者の書き続けるモチベーションになります。


よろしくお願いします。




退治されて気の毒な修験者のお話は土佐に伝わる竜馬伝説のひとつだそうです。

1980年代に広島に住んでいたのですが、土佐の桂浜を見に仲間内で自動車旅行した時に聞いた話が元ネタです。


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