私めが悪役令嬢の爺でございます
第一話 悪役令嬢になりたい
爺は困っております。お嬢様が「悪役令嬢になりたい」と仰って、お部屋から出て来られません。お食事もお召し上がりにならずヘソを曲げていらっしゃるようです。
「お嬢様、少しはお召し上がりにならないと、大きくなれませんよ」
「ルーベル!私はもう大人よ!」
その通りでございます。お嬢様はもう十八歳、花も恥じらう時期はもう、いえ、ゲフンゲフン。先日からお見合いのお話もチラホラ、大人の女性でございます。それがいきなりハンガーストライキとは、これがお嬢様の仰る「悪役令嬢」というものなのでしょうか。ただの駄々っ子、いえ、ゲフンゲフン。
「お嬢様、今のお嬢様は十分、爺を困らせる「悪役令嬢」でございます」
「・・・・・本当!?」
すると足音が近付いて来て、バン!と勢いよく扉が開いたのでございます。その勢いで爺の眼鏡にヒビが入り、鼻先は赤く腫れ上がってしまいました。これこそ「悪役令嬢」、憎き、いえ、ゲフンゲフン。
お嬢様の名前は、オデット・ケールナー侯爵令嬢と申されます。瞳は煌めく翡翠石、腰までの絹糸のようなプラチナブロンドの髪は艶やかで、爺の自慢のお嬢様でございます。ただ、一度決めたら頑として譲らない強情な、いえ、なんでもございません。
「お嬢様、今夜は季節の野菜のポトフでございます」
お嬢様はダイエットなるものに取り組まれ、お抱えの栄養士が作った食事を一日に四食召し上がられ、専属のジムトレーナーと毎朝ラジオ体操をなさっておられます。その効果は、ご想像にお任せします。
「いや!」
「は?」
お嬢様は爺のまえで仁王立ちになり、その艶やかなお髪を優雅に掻き上げて微笑まれました。
「フライドチキンとポテトフライが食べたい!私はコーラが飲みたいの!」
「揚げ物、ですか?」
「そう!困るでしょう!悪役令嬢だから!」
いえ、このような夜に、そのようなものをお召し上がりになられると、後々、困るのはお嬢様ではないでしょうか?爺はそのようなことは申し上げませんが、とりあえず料理長にフライドチキンとポテトフライを作らせました。コーラなるものは爺は存じ上げませんので、魔法の水晶でググり、八時間営業のトロルの店まで走りました。八時間営業のトロルの店は、霧深い森の奥にあり、魔法の水晶の光を頼りに爺は泥だらけの道を走ったのでございます。
「オデット様!コーラでございます!」
爺はこんなに走ったのは久方ぶりでございます。まったく「悪役令嬢」とは厄介な、いえ、ゲフンゲフン。ところが、魔法の水晶には載っていなかったのですが、コーラなるものは振動を与えてはならなかったのです。蓋を開けた途端、ものすごい勢いで琥珀色の液体が泡となって吹き出してしまいました。
「な、なんですかこれは!」
(昔はドラゴンと戦ったものが、今となってはコーラと戦う羽目になるとは)
プシュうううう・・・・・・
「あぁ、お嬢様!申し訳ございません!」
「いいのよ、爺、それよりもおまえの服は大丈夫だった?」
お優しい・・・爺は涙を流してしまいました。やはり、わたくしのお嬢様は「悪役令嬢」にはなれないのでございます。するとお嬢様はどこからか扇子を取り出し高笑いをなされたのです。その豹変ぶりに、爺はお嬢様がお気が触れ、いえ、なんでもございません。
「ほら!爺が泣いているわ!」
「は?」
「私が「悪役令嬢」だから泣いてしまったのね!かわいそうに!ザマァミロだわ!」
いえ、お可哀想なのはお嬢様のオツムで、いや、もうなにも言うまい。
「お嬢さまは立派な「悪役令嬢」でございます」
「そうでしょう!?ほーほほほほ」
さて、フライドチキンとポテトフライが届きました。ごゆるりとお召し上がり下さい。あぁ、かつて魔王の炎をくぐり抜けたこの手が、今は油まみれの鶏を運ぶのか・・・ゲフンゲフン。
「爺、欲しい?」
お嬢様はポテトフライを差し出し、口元を歪めて小さく笑われました。そして、ほらほら!と言わんばかりに爺の顔になすり付けるのです。
「では、一本だけ」
爺が指を伸ばすと、お嬢様は、あーげない!と手を引っ込められました。爺の指先は行き場をなくして宙を彷徨いました。
「お嬢様、これが「悪役令嬢」なるものですか?」
「そうよ!悲しいでしょう!?ふぁーっははは!これで私の勝利よ!」
お嬢様、これが勝利とは・・・ただのジャンクフードを召し上がっているだけではございませんか。本当にこれが「悪役令嬢」なのでしょうか?そしてこのおふざけは明日も続くのでしょうか?お嬢様の笑顔のためなら、爺はどんな無茶ぶりも耐えるしかありません。爺は日が暮れる窓を眺め、大きな溜め息をついてしまいました。
*****
第二話 悪役令嬢とは
爺が思うに、お嬢様も「悪役令嬢」がなんたるものか、ご存知ないような気がしてなりません。あのあと、お嬢様は就寝時刻を過ぎても、今日は寝ないの!と言い張られて困っておりました。いつまで経ってもお部屋の明かりがついたままで、爺が寝室を覗きますと、案の定、お嬢様はベッドでお布団もかけず、よだれを垂らし、大の字で眠られておりました。
「・・・やれやれ、困ったものです」
お嬢様は、幾つになられても爺の可愛らしいお嬢様です。ただ、ベッドにお身足を片付ける時の重さといったら、小麦の袋三つほどの重さがございました。お嬢様は寝言で『ほーほほほ!ザマァミロ!』と扇子を振り回す仕草をされ、枕を床に叩き落とし、ご自分もドスンと転がられました。爺の腰が悲鳴を上げつつ、丸太・・いや、ゲフンゲフン、お嬢様をベッドに戻した次第でございます。
(昔、ドラゴンの尻尾を持ち上げた腕が今はこれか・・いや、なにも言うまい)
やれやれ。
(おや?)
ふと、そこで枕元のナイトテーブルを拝見いたしましたら、黒い革の冊子が置かれておりました。申し訳ございません、と爺がその表紙を開くと「非情なる悪役令嬢」と言うタイトルと、羊皮紙にはひとりの女性の生き様が書かれておりました。なるほど、この本をご覧になられて「悪役令嬢」に興味を持たれたのでしょう、なんとも安直な、ゲフンゲフン。大変、素直で宜しゅうございます。
「おやすみなさいませ」
わたくしはお嬢様の愛読本をナイトテーブルに戻し、お辞儀をしてお部屋の扉を閉めたのでございます。すると部屋の中から「ひゃーははは」と微かな笑い声が聞こえて参りました。一瞬、悪戯っ子のエルフが耳元で笑ったのかと思うほど醜くいものでしたが、どうやらお嬢様の寝言のようです。例の本に、「悪役令嬢は高笑いで皆を震え上がらせる!」という一文がございましたが、それを練習されていらっしゃるのかもしれません。不気味な、ゲフンゲフン。
チュン チュン
翌朝、お嬢様は鏡を見て「ぎゃーっ」とドラゴンの雄叫びのようなものを挙げられました。
「お嬢様!どうなさいました!?」
「爺!私の顔にこのようなものが出来ている!」
「は?」
「この赤いものは悪魔の刻印では!?「悪役令嬢」の証かしら!?」
お嬢様の白磁のような肌に、赤い発疹がいくつも出来ていました。それはそうでしょう、夜にあのような油まみれの鶏を食すれば、吹き出物のひとつも出来るでしょう。愚かなり、ゲフンゲフン。
「これはなにかの病気ではないの!?」
「いえ、お嬢様。それはニキビでございます」
「ニキビ!」
「若さの象徴でございます」
「そ、そうなのね!」
十八歳ともなれば、ニキビというなど烏滸がましい。吹き出物、いえ、ゲフンゲフン。
「このニキビは「悪役令嬢」の試練よ!」
などと仰いながら鏡を凝視されておられます。
「爺!この呪いを解く魔法のクリームを!」
命じられた爺は、トロルの店で「ニキビ退散クリーム(副作用:肌が虹色に光る)」を入手して参りました。それを塗ったお嬢様の顔はキラキラ輝き眩しいほどでございました。
「爺!これぞ「悪役令嬢」のオーラよ!」
お嬢様は、扇子を振り回し始めました。これはただの詐欺商品、いや、もうなにも言うまい。
すると気を取り直したお嬢様は、着替えるから侍女を呼んで頂戴と顎をしゃくった。「悪役令嬢」みたいでしょ?はいはい、確かにそうでございます。ただ爺には、ご機嫌がお悪い時のお嬢様と同じのような、ゲフンゲフン。
侍女たちが慌ててやって参りました。
「あぁ、ちょっと待ちなさい」
「はい、ルーベル様」
侍女たちにはお嬢様が「悪役令嬢」みたいでしょ?と仰ったら頷くようにと耳打ちいたしました。案の定、お部屋の中からは、このドレスは嫌だ、それがいい、やっぱり嫌だ、と駄々をこねられている様子が窺えます。
「このドレス、邪悪さが足りない!」
お嬢様は黒い羽根付きドレスを投げ捨て、トカゲの鱗柄を!と叫ばれたのでございます。侍女の一人は震え上がり、もう一人は、ただのわがままでは・・。と小声で呟き、わたくしの目配せで慌てて頷きました。ゲフンゲフン、「悪役令嬢」とは悪趣味の極みか・・・?
さらに、「悪役令嬢」の必須アイテムよ!と魔法の扇子(振るとハリケーン発生の恐れあり)を持っていらっしゃいと、侍女の足元にご自身の扇子を投げつけました。試しに振ったお嬢様、部屋は大嵐、爺の假面は吹き飛び、侍女の髪は鳥の巣になったのでございます。かつて魔王の炎をくぐり抜けたこの身が、今はお嬢様の扇子ハリケーンに耐えるとは・・・いや、魔王の方がまだ理屈が通った、ゲフンゲフン。
「これぞ悪の力よ!」
お嬢様は高笑い。
(これはただの災害では・・・)
すると、トカゲの鱗柄なんてお嬢様は本当にお召しになられるのでしょうか?と鳥の巣頭の侍女が小声でわたくしに尋ねました。
「黙って頷け、さもないと次のハリケーンだ」
侍女たちは慌ててトカゲの鱗柄のドレスのリボンを結んだのでございます。
「はぁ、お嬢様はどうなさったのだ、ゲフンゲフン」
数日前までのお嬢様は、社交界の「白い天使」と呼ばれ、「悪役令嬢」とは程遠い存在でございました。舞踏会で皆を魅了したお嬢様が、今はフライドチキンに夢中とは、嘆かわしい。
それがあの一冊の本でここまで駄々をこね、いえ、ゲフンゲフン。変わられるとは、なにか理由があるに違いないと思われるのです。
(いや、ただ、単純馬、とは言うまい)
それが一体、なんなのか。爺は首を傾げるばかりでございます。
*****
第三話 悪役令嬢と見合い話
お嬢様のこの「悪役令嬢」騒ぎ、単なる気まぐれか・・・それとも、社交界の重圧から逃れたい心の叫びか?爺にはまだ分かりませぬ。
お嬢様は「白い天使」と呼ばれておりました。いつも微笑みを絶やさず、舞踏会で貴族たちの視線に耐え、笑顔を崩さず踊り続けられました。あの夜、加齢臭漂う公爵と踊りながらも、お嬢様は笑顔を崩さなかったのでございます。
しかし、屋敷に戻るとドレスの裾を握りしめ、涙を隠してい・・・ゲフンゲフン。お嬢様は呟かれたのです、完璧な令嬢なんて疲れたわ。その声は爺の耳に今も残っております、ゲフンゲフン。十八歳になられたばかりのお嬢様には、さぞお辛かったことでしょう。あのお姿には爺も心を痛めました。それを思えば、爺はこのワガママにお付き合い致しますぞ!
「ねぇ、爺や」
「なんでしょうか、お嬢様」
お嬢様は、口の周りや指を油でギトギトにしながらフライドチキンをお召し上がりになられておりました。どうやらダイエットは諦め、額や頬に「悪魔の印」なるものを作ることに精を出されているようです、後悔先に、ゲフンゲフン。
「あれは、なに?」
「あれは、とは?」
「お父様が持って来られた、あれはなに?」
お嬢様の視線の先には、旦那様が先ほど置いて行かれたアルバムが、ダイカスコンの山のように積み上がっておりました。爺が察するところ、あれは「見合い写真」の数々だと思われます。
「広げて見せてみて」
僭越ながら、爺がアルバムを取り出し、お嬢様の前で広げてお見せ致しました。するとお嬢様の目つきが険しくなり、チェンジ!チェンジ!を繰り返されました。
「お嬢様、この王子殿下は隣国の英雄で、魔法騎士団を率いた・・・」
「英雄?ダメよ!「悪役令嬢」には、敵を倒すような男は不要!もっと弱い男じゃなきゃ!チェンジ!」
わたくしめには、意味がさっぱり分かりません。
「弱い男、ですか?」
「そうよ、浮気性で意志が弱い人!」
お嬢様は扇子をバサッと振り、写真をバッサリ切り捨てられました。わたくしは額に汗を浮かべつつ、アルバムをめくりました。
「こちらの公爵様は、笑顔が爽やかでキラキラと輝いて・・・」
「キラキラ?悪役令嬢のオーラを奪う気ね!チェンジ!」
お嬢様は三本目のフライドチキンをかじりながら、鋭く目を光らせたのです。
「この王子、馬が白すぎるわ!「悪役令嬢」には黒い馬の男が必要よ!チェンジ!」
「お嬢様、それはただの馬の色では・・・・」
「細かいこと言わないで!チェンジ!
あの「非情なる悪役令嬢」の本にはそのようなことまで細かく指南されていたのでしょうか?ただ、お嬢様のオツムがへっぽ・・・ゲフンゲフン。
「お嬢様、隣国の王太子殿下や公爵様からのお申し出をお断りになられるのはいかがなものかと」
「嫌!」
お嬢様は見合い相手のご身分など気になさらぬ様子で、バッサバッサと切り落とされました。
「一度だけ、お会いになられては?」
「嫌なものは嫌!「悪役令嬢」は孤独なのよ!」
「・・・・左様でございますか」
これには困ったものです。お嬢様がフライドチキンまみれになる前にお輿入れをしなければ、それはただのブクブクの豚、ゲフンゲフン。ケールナー家の一大事でございます。
わたくしがアルバムを片付けていると、お嬢様は侍女を呼び、お召し物を替えられました。お嬢様は静かで、「悪役令嬢」の黒いドレスを持て!蜘蛛の巣模様の豪華なドレスではなければ嫌!などと叫ぶことはありません。あの悪趣味なドレスの数々、思い出すだけでも悍ましい。それには安堵いたしました。
(あぁ、それにしても、王太子殿下のお妃の座を逃すなど、よほどのお馬、ゲフンゲフン)
そこで爺は閃いたのでございます。
ーお嬢様は羽ばたきたいのだと!
お嬢様は見合いをお断りするために「悪役令嬢」を演じられているのではないでしょうか!誰にも媚びずに自由に生きられる!その喜びを噛み締めるために!これまでの鳥籠の暮らしは、さぞ窮屈だったことでしょう。
ただ、「悪役令嬢」は傍迷惑でしかありません。お嬢様の奇行に、侍女が屋敷を去り始めました。今や、ケールナー侯爵家は「悪役令嬢」の噂で持ちきりで、火を吹くドラゴンの炎で大炎上でございます。
「爺や、馬車を用意して!」
「お嬢様、どちらに?」
「今夜は王太子殿下の舞踏会があるの!」
爺は胸を撫で下ろしました。お嬢様には、我が国の王太子殿下 という想い人がいらっしゃったのですね?なるほど、それで合点がいきました。「悪役令嬢」の振りをされることで、旦那様からのお見合い話をお断りされていたのですね!
今日のお嬢様は「白い天使」に相応しく、白い絹のドレスに白鳥の羽根の髪飾りをつけておられました。お美しい、爺は感動で目尻に涙を浮かべました。
「爺!」
「なんでございましょうか?」
お嬢様は扇子で爺の肩を軽く叩いたのでございます。
「泣くほど私が恐ろしい?」
「は?」
「そう!白い白鳥は、今宵「悪役令嬢」になるのよ!ほーほほほほ」
もしやまた、魔法の扇子でハリケーンを・・・ゲフンゲフン。爺は悪い予感しかしませんでした。
******
第四話 悪役令嬢VS悪役令嬢
白亜の城、見事なまでに煌めくクリスタルのシャンデリア。王太子殿下の舞踏会はひときわ華やかで、着飾ったご婦人の薔薇や銀木犀の香水が臭く鼻が曲がり・・ゲフンゲフン。
「お嬢様、着きました」
「あぁ、ありがとう」
わたくしの手を取られたお嬢様が馬車を降りられると、周囲のご婦人方からは感嘆の溜め息が漏れ、殿方はその姿を我先に見ようと押し合いへし合いが始まりました。そのお嬢様の姿は、まさに湖面に静かに舞い降りた純白の鳥。爺は鼻高々でございます。そこでお嬢様が振り返られました。
「ねぇ、爺や」
一瞬、翡翠の石の瞳が妖しく光ったのでございます。これはお嬢様がよからぬことを考えていらっしゃる時の証。爺は背筋が凍りました。
「なんでございましょうか」
「今夜は、あの子は来ているかしら?」
「あの子、とは?」
お嬢様は周囲を見回し、その姿がないことに微妙な表情をされたのでございます。
「あの子、ヘンリエッタ・ドマーニよ」
「あぁ!ドマーニ公爵家の御息女でございますね!」
「御息女なんて!そんな良いものじゃないわ!」
「そうでございますか・・・・」
お嬢様とヘンリエッタ様は相性があまり宜しくなく、ことあるごとに衝突されていらっしゃいました。そういえば、ヘンリエッタ様はどちらかといえば「悪役令嬢」に近いのではないでしょうか?高飛車な物言いや、人を見下したような眼差しが印象的な方です。お嬢様もドレスの裾を踏まれたり、ワルツを踊られている時、何度もぶつかられたとのことでした。
「アッ・・・・!」
お嬢様のお顔の様子が変わり、扇子を持つ手が震えました。大広間の入り口に漆黒のドレスをお召しになられたヘンリエッタ様が立っておられました。烏の濡れ羽色の髪、黒曜石の瞳、お嬢様とは真逆の黒い鳥が舞い降りた、爺はそう思いました。
ヘンリエッタ様が扇子を横に振ると、人混みは潮が引くように後ろに下がり道を開けました。それはもう見事なもので、深紅の絨毯をお嬢様に向かって一直線に歩みを進めたのです。ヘンリエッタ様の表情は高慢ち・・・ゲフンゲフンでございました。ただ、顎を上げ、お嬢様を見下すような顔に爺は腹が立ち、拳を握り締めたのでございます。
(サーベルがあればこのような小娘、一太刀!)
お嬢様も同じく、怒りと恐ろしさで白い扇子が小刻みに震えておりました。ヘンリエッタ様はお嬢様を見下ろすと、黒い扇子を広げて例の不気味な笑い声を大広間に響き渡らせたのです。
「おーほほほほ!あら、こんなところに白いガチョウがいるわ」
「・・・・・・!」
お嬢様は顔を赤らめて唇を噛まれました。爺は、そのいたいけな横顔に、胸が締め付けられました。やはりヘンリエッタ様は真の「悪役令嬢」、付け焼き刃のお嬢様が敵う訳がありません。
「ガチョウは大人しく、田舎の池に帰ることね」
お嬢様も負けていられないとばかりに、白い扇子を開かれました。そして大きく息を吸い、高らかな笑い声を大広間に響かせるはずでした。けれど、お嬢様は笑うことが出来なかったのです。お優しいお嬢様は、ヘンリエッタ様の前では「悪役令嬢」になることが出来ませんでした。
ヘンリエッタ様の高笑いに、かつて社交界で無理に笑顔を作ったお嬢様の姿が重なったのでございます。高貴な笑顔を作られたお嬢様は、ただ一言、ヘンリエッタ様に向かって、不細工 とだけ呟かれました。
(お嬢様・・・流石にそれは・・ゲフンゲフン)
確かにヘンリエッタ様の頬にはそばかすがあり、鼻もさほど高くありませんでした。お嬢様の方がはるかにお美しく、輝いておられます。人の容姿を蔑むことは褒められませんが、ボキャブラリーが少ない、ゲフンゲフン、お嬢様はそう言うしかなかったのでございます。
「なんですって!?」
ヘンリエッタ様の顔がみるみる赤らみ、眉間にシワがよりました。あぁ、ゴーゴンのようなお顔に恐怖すら感じました。
「この田舎のガチョウが!」
「キャッ!」
お嬢様の言葉にヘンリエッタ様は激昂されました。給仕が持っていたトレーのワイングラスを掴むと、お嬢様へ思い切りぶちまけました。赤ぶどうのワインはスローモーションのように飛び散ったのです。かつて魔王の毒霧を防いだこの身が、今はワインを・・・ゲフンゲフン!
「お嬢様!お下がりください!」
ところがわたくしが庇う間もなく、赤ワインはお嬢様の白いドレスを血のように染めたのです。その時のお嬢様の表情はとても険しいもので、皿に盛られたショートケーキを、手でグニュっと握り潰されたのです。
「アッ!お嬢様!おやめください!」
クリスタルのシャンデリアが燦然と輝き、弦楽四重奏の音色が響く中、貴族の皆様方はお嬢様の赤く染まった白いドレスに目を奪われておりました。次の瞬間、ケーキが空を飛び・・・ゲフンゲフン。
「えいっ!」
お嬢様は握りつぶしたショートケーキをヘンリエッタ様へと投げつけました。けれどそれは明後日の方向に飛び、ヘンリエッタ様に命中することはなく、壁に飛び散り白いシミを作りました。
「何をするのよ!」
「あなたが先にしたんでしょ!」
お嬢様とヘンリエッタ様は、無我夢中になりケーキを投げつけ始めました。握りつぶされたケーキは、貴族のシルクハットにべちゃっと命中し、淑女のフリルドレスにドロドロと流れ落ちたのです。ある紳士の口ひげにはクリームが・・・お嬢様、見事でゲフンゲフン。大広間には悲鳴が響き渡り、気を失われる方もいらっしゃいました。
(しかし・・・・これは・・・もう戦争ではありませんか?)
その時、王太子殿下がお出ましになられたのです。
*****
第五話 悪役令嬢と爺
王太子殿下がお出ましになられた時、大広間は戦場かと見間違える程、悲惨な状況でございました。赤いワインがテーブルクロスを血のように染め、呆然と立ち尽くす紳士淑女たちは生クリームまみれだったのでございます。
「これは一体、どう言うことだ?」
その中央には、白鳥のように美しいお嬢様と、黒鳥のように気高いヘンリエッタ様がケーキを握って睨み合っておりました。興奮しているお二人は王太子殿下の姿に気付くことなく、お嬢様はモンブランケーキを握り直しました。栗皮のデコレーションクリームの中から滲み出る白い生クリーム、お嬢様はおおきく振りかぶって、それをヘンリエッタ様に向かって投げた・・・・までは良かったのです。
ーその後は、ご想像通りでございます。
ぐちゃぐちゃになったモンブランは、こともあろうか王太子殿下の顔に命中し、べちゃりと音を立てて床に落ちたのです。その場は凍りつきました。管弦楽団の演奏は止み、大広間は水を打ったように静かになったのでございます。
(こっ・・・・国家、ゲフンゲフン、反逆!)
「・・・・・!」
流石のお嬢様とヘンリエッタ様も王太子殿下の姿に背筋を伸ばし、膝を折りドレスを摘むとカーテシーでゆっくりと敬意を表されたのですが、時すでに遅しでございます。衛兵が重厚な槍でお二人を拘束すると、大広間は重々しい雰囲気に包まれてしまいました。王太子殿下は、額についたモンブランを指先で拭うとペロリと舐められたのです。
「美味いな、料理長に美味かったと伝えてくれ」
宰相様が頷くと、侍従が慌ててタオルで王太子殿下のお顔を拭き下がってゆかれました。そして、王太子殿下のお顔をまじまじと拝見したわたくしは、我が目を疑ったのでございます。
「こういう騒動も嫌いじゃないぞ」
(あれは、あの方が・・・王太子殿下!)
お嬢様が、チェンジ!チェンジ!と切り捨てた見合いアルバムに、馬に跨った殿方がおられました。お嬢様が、「悪役令嬢」には黒い馬に乗っていなくちゃ駄目なの!と仰られたあの殿方が、王太子殿下だったのでございます。お嬢様も気付かれたようで、目を白黒させて王座を見上げていらっしゃいました。
「あ、あの・・・・殿下!申し訳ございません!」
「驚いた。私の未来の妃は、ケーキ屋だったのか」
王太子殿下は生クリームだらけのお嬢様を見つめ、優しく微笑まれたのです。やはり白い馬の殿方は、王太子殿下。名前を変え、身分を明かさずにケールナー侯爵家にオデット様との見合いを申し込まれたのでした。これにはわたくしも驚きましたが、お嬢様は意中の殿方から「未来の妃」と呼ばれ、耳まで赤くしてその場に立ちすくんでおられました。
(お嬢様、これはフライドチキンを食べている場合ではないですぞ、ゲフンゲフン)
「さて、この場はどうしたものか」
真っ青になったのは、ヘンリエッタ・ドマーニ嬢だったのでございます。まさか、ケーキを投げ合った相手が、王太子殿下の妃となるとは思いも寄らなかったでしょう。いや、わたくしも思いも寄りませんですから当然のことです。ゲフンゲフン。
「も、申し訳ございません!」
王太子殿下は立ち上がると、鼻先の生クリームを舐めながら仰ったのです。
「へンリエッタ・ドマーニ嬢、オデット・ケールナー嬢、二人にはしばし舞踏会への参加を禁ず!」
「は、はい!」
「はい!」
ここまで王太子殿下に無礼を働き、この程度のお達しで済んだのは、奇跡としか言いようがありません。
「ヘンリエッタ嬢、オデット嬢、二人はこの大広間の掃除を手伝いなさい」
令嬢が掃除をするなど前代未聞でございます。が、本来ならば、明日の昼には断頭台で天に召されていたかも・・・ゲフンゲフン、王太子殿下の温情には感謝しかございません。
お嬢様とヘンリエッタ様は侍女の服に着替え、辿々しい手付きで床を拭いておられました。微力ながら、わたくしもお手伝いさせて頂きましたが、一生懸命雑巾を握られるお嬢様の口元はほころんでおいででした。そのお嬢様の姿は、かつての「白い天使」とは違う、自由な輝きに見えたのでございます・・・ゲフンゲフン。
「次は負けないわ!」
ところが、ヘンリエッタ様は雑巾を握り、次はケールナー侯爵家の恥を必ず・・・!と呟き、お嬢様を睨んだのでございます。ヘンリエッタ様のあの目は、王太子殿下への執着か・・・ゲフンゲフン。真の「悪役令嬢」とはゲフンゲフン、げに恐ろしきものでございますな。
ちゅんちゅん
「ほーほほほほ、爺、王太子殿下も私の魅力にイチコロね!」
いいえ、お嬢様。王太子殿下の寛大なお心遣いがなければ、お嬢様がイチコロ・・・・ゲフンゲフン、なにも言うまい。ところで「悪役令嬢」ごっこは、どうなさるおつもりなのだろうか?
「お嬢様、「悪役令嬢」はどうなさるのですか?」
「もう断罪されたから、おしまい!」
断罪?断罪とはなんのことであろうか。
「お嬢様、「悪役令嬢」とは断罪されるものなのですか?」
「そうよ!悪いことをして断罪されるの」
「お嬢様が受けた断罪とはなんのことでございますか?」
「お掃除よ!」
なんとお手軽な断罪なのであろうか、まぁ、これで「悪役令嬢」ごっこが終わるということであれば万々歳である。ベッドサイドに置かれていた『非情なる悪役令嬢』も本棚で埃を被っている。やれやれ、これでようやく平穏な日々が戻って来るのでございます。
その数日後。侍従が、ルーベル様、荷物が届いております。と部屋の扉をノックした。商人が運んで来た木箱は両手で抱えるほどの大きさでございました。
「なんだこれは、ガタゴトと動いておるではないか」
「お嬢様が取り寄せられたようですね」
わたくしは、その木箱から不穏なものを感じ取ったのでございます。木箱には、生き物注意と黄色に黒のラベルが貼られていました。わたくしは、木箱の蓋が開かぬように押さえ付け、小麦粉一袋分の重さの生き物をお嬢様の部屋にお運びいたしました。すると、お嬢様は目を輝かせました。
「あぁ!それ!「悪役令嬢」のペットに良いかと思って注文していたの!」
「ペット、ですか?」
「そう!」
木箱を開けると、中には可愛らしくない顔をした「火食いトカゲ」が入っていたのでございます。吠えるたびに口から火花を出して、ギョロリとした目でこちらを見る。ううむ、憎らしい。
「あ、爺やが世話をしてね。ドラゴンとか得意でしょ?」
「お嬢様、それは退治する方でございます」
「おんなじ、おんなじ」
そして「火食いトカゲ」は度々脱走し、屋敷の中を走り回ったのでございます。勿論、火を吹きながら・・・・。かつてドラゴンの炎を浴びたこの身が、今はトカゲの火花に追われるとは・・・ゲフンゲフン!
「これぞ、「悪役令嬢」のペット!おほほほほほ!」
「お嬢様!「悪役令嬢」はお止めになられたのでは!?」
お嬢様の高笑いに唖然となっておりますと、火食いトカゲがギョロリと睨み、火花を吐いて爺のズボンの裾を焦がしたのでございます!かつてドラゴンを倒したこの身が、トカゲに!ゲフンゲフン。
「おーほほほ、これぞ悪の華!「悪役令嬢」の証だわ!」
火食いトカゲがカーテンを焦がし、侍女の悲鳴が屋敷に響き渡るゲフンゲフン。・・・かつてドラゴンの炎を浴びたこの身が、トカゲごときに!ゲフンゲフン。爺がバケツを手に走る姿に、「悪役令嬢」のお嬢様は扇子を開いてご機嫌でございます。
(お嬢様!これはただの火災ではございませんか!?)
了




