第2話 あなたは、私の常識を壊す人だった
ヒルダがサミエルの後を追ったのは、
自分でも理由が分からなかった。
敵だから?
恩人だから?
わからない。
ただ――
あの背中が、あまりにも孤独に見えた。
魔族の村を出ると、
森の風が血の匂いを薄めていく。
サミエルは振り返らずに歩き続けていた。
白いローブは泥と血で汚れ、
肩は落ち、足取りは重い。
それでも、
彼の歩みは止まらなかった。
ヒルダは追いつき、隣に並んだ。
「……本当に行くのか」
「ああ。どの村も怪我人がいる」
「殺されるかもしれないのに?」
「治さなければ死んでしまう。
それは魔族のお前の方がよく分かるはずだ」
その言葉は、
ヒルダの胸に刺さった。
(どうして……そこまで)
魔族にとって“治す”という行為は、
戦場ではほとんど意味を持たない。
回復魔法は体力を戻すだけで、
失われた肉体は戻らない。
だから、
重傷者は死ぬ。
それが当たり前だった。
だがサミエルは違う。
彼は、
死ぬはずの者を生かすことが出来る。
それが魔族にとってどれほどの奇跡か、
ヒルダは身をもって知っていた。
二人が最初に訪れた村は、
焼け焦げた匂いが漂っていた。
家々は半壊し、
地面には黒い血が染みついている。
魔族の子どもが泣きながら、
倒れた母親の手を握っていた。
「お母さん……起きて……」
サミエルは駆け寄り、
母親の胸に手を当てた。
「……まだ息がある。間に合う」
光が溢れ、
裂けた皮膚が閉じていく。
子どもは涙を流しながら叫んだ。
「すごい……すごいよ……!
お母さん、生きてる……!」
ヒルダはその光景を見て、
胸が熱くなるのを感じた。
(……違う)
視線が、母親へと落ちる。
(私なら――助けられなかった)
重傷の者は死ぬ。
それが当たり前だった。
それが正しい選択だった。
(でも、こいつは……助けた)
ヒルダはゆっくりと息を呑んだ。
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
(……これが……治すということ……)
サミエルは淡々と治療を続ける。
老人、兵士、子ども。
誰であろうと関係なく。
ヒルダはその姿に、
言葉を失っていた。
治療が一段落した頃、
サミエルはふらりと座り込んだ。
「……魔力が切れた」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないが、大丈夫だ」
意味の分からない返事だったが、
ヒルダはなぜか笑ってしまった。
サミエルは腰の袋から魔法書を取り出し、
ヒルダに差し出した。
「お前も覚えろ。
魔族が治せるようになれば……
俺が死んでも、お前が引き継げる」
ヒルダは息を呑んだ。
「……死ぬ前提で話すな」
「人間領に戻れば、俺は裏切り者だ。
魔族領にいれば、敵だ。
どちらにいても、長くは生きられない」
ヒルダは拳を握りしめた。
「……私が護る。
お前を殺させない」
サミエルは少しだけ笑った。
「すまない。
護られるのは慣れていないんだ」
「慣れろ。
私は……お前に生かされたんだ」
サミエルは何も言わなかった。
ただ、魔法書をヒルダの手に押しつけた。
「覚えろ。
治せる者は多い方がいい」
ヒルダは頷いた。
その夜、
ヒルダは焚き火の光の中で魔法書を開いた。
サミエルは疲れ切って眠っている。
その寝顔は、
戦場の男とは思えないほど穏やかだった。
(……この人は……何者なんだ)
ヒルダはページをめくりながら、
胸の奥に生まれた感情の正体を
まだ理解できずにいた。
翌朝、
サミエルは立ち上がり、
次の村へ向かおうとした。
ヒルダはその背中を見つめ、
静かに歩き出した。
二人の旅は、
まだ始まったばかりだった。
しかしヒルダは知らなかった。
この旅が、
彼女の人生を変え、
魔族の未来を変え、
そして――
サミエルの死へと繋がっていくことを。




