【第四話】 名刺と覚悟。
「まさかあんたが、本当に若女将になるとはねぇ…。どういう心境の変化?」
その日の夜。実家で晩御飯を食べた後、爺ちゃんの所で本格的に働く事になった事を両親に報告した。
「…いや。話聞いてたら、爺ちゃんのこと、放っておけなくなった。だって、一泊2食付きで8000円で旅行会社にお部屋売ってるんだよ?
びっくりしちゃった。」
目を丸くする母に私はこう答える。
…ちなみに口が裂けても『イケメンに釣られました』とは言えない。
「そうか。まあ、いいんでねぇか?
ようやく日菜子もやりたい事が見つかって、良かったな。」
そう言って父が口元を綻ばせた。
「うん!明日からは休み以外、しばらく爺ちゃん婆ちゃんのとこに泊まるから。
──覚える事、沢山あるし。
東京のマンションは、次の休みに引き払いに行くわ。卒業式の日だけ、ホテル取ればいいし。
父ちゃん、母ちゃん。今まで、家賃払ってくれて、本当にありがとう。」
そんな事を言っていると、ピンポーンと玄関のインターフォンが鳴った。
「…賢治?!」
テレビモニターには賢治の姿が映っていた。私が慌てて玄関に行くと賢治が手を上げた。
「…よぉ。これ、母ちゃんがお裾分けって。」
視線を落とすと、紙袋の中いっぱいの林檎が入っていた。
「わっ!やったー。
母ちゃーん!賢治の母ちゃんが林檎くれたべよー!」
私がテンション高めにそう言うと、母が玄関まで出てきた。
「うわ、嬉しい、どうもね。
賢治、わんつか上がってく?」
母の言葉に賢治が頷く。
「いいんですか?んだば、わんつかだけ。」
賢治が家に上がると、母がこんな事を言ってきた。
「日菜子、あんたさっきの事、一応賢治にも報告しておきなさい。幼馴染なんだから。」
そう言われて、何故か私の部屋に二人きりにさせられてしまった。
すると、賢治が落ち着かない様子でキョロキョロしている。
「な、なんか久しぶりだな…。お前の部屋に来るの。」
「あー、確かに。小学校の時、琴音ちゃんと三人で遊んで以来だね。」
私の言葉に賢治が頷く。
「だな。…で?俺に報告する事って何? まさか東京に就職決まったのか…?」
強張った顔でそう言われて、私は思わず笑ってしまう。
「はは、ねー。そうなれば良かったけどさ。違うんだ。実は、爺ちゃんの旅館で正式に働く事になったの!」
私の言葉に賢治は何故か固まった後、口の端を上げた。何だかすっごく嬉しそうである。
「…そっか。うん、それがいいべよ!うん。やっぱ地元が一番だべなっ!」
テンション高めに言われて私は頷く。
「んだね。あ、そうだ、それでね。『ステイリンク』に『のんびりや』を掲載する事になったけど、写真がイマイチなんだよね。
──賢治、写真が趣味だったべ? 一眼レフ持ってたら悪いけど一日だけ貸してくんね?」
すると、賢治が食い気味でこんな事を言ってきた。
「なんだ、そんな事なら俺が写真撮ってやるよ!
俺仕事でもよく内装とかの写真撮ってるし。」
「えー!いいの?助かるー。
──なぁんだ!賢治、今日優しいべなっ!いつも意地悪なのに。」
その言葉に賢治が訝しげな顔をする。
「は?意地悪なんてしてねぇよ。」
「えー、この前だって私の唐揚げ勝手に食べてきたし、なんかいっつも怒ってるべさ。」
すると、何故か賢治が照れたように耳まで赤くなった。
「…それはお前が!!」
――と言いかけた、その瞬間。
ドアが開いた。
「日菜子ー。賢治ー。プリン持ってきた。
…ってあれ?もすかしてお邪魔だった?」
そう言って母がニヤリと笑った。
「いえ、あの、」
賢治が何故か顔を真っ赤にしてモゴモゴしていたので笑ってしまう。
「ええ?まさか、そんな訳ねぇべなっ!」
私がそう言うと、何故か賢治は固まってから、ボソッとこう言った。
「…こっちこそ願い下げだべ。」
そして、私のプリンの上のサクランボを取ってきた。
「あー!私のサクランボ!」
「…ふん。」
(…前言撤回!やっぱ意地悪だべ!)
私はそんな事を思ってしまった。
そして、そんな私達を見て、何故か母は楽しそうに爆笑していた。
◇◇
「ねえ、爺ちゃん、婆ちゃん。うちの旅館ってさ。予約出来るようなホームページ作ったりしねぇの?」
朝ご飯を食べた後、婆ちゃんに私は聞いてみた。
――今日からいよいよ、ベッドメイキングや部屋の清掃、在庫の補充など実務作業も始まる。
その他、お客様への配膳もしたりする。
料理長やアルバイトさんにも改めて挨拶させてもらう予定だ。
「んー、宿のホームページって、予約のシステムもいれなきゃならないでしょ?
それも難すそうだし、前使ってみようかなって見積もり取ったら二十万くらいって言われて。
高いなって思ってね。」
(うーん…確かに2食付き一部屋8000円で旅行会社に部屋売っちゃってる今じゃ、その金額は厳しいかもしんねぇな。…一応、桐谷さんにも相談してみっか。)
私はそんな事を思いながら箸を置いた。
ちなみに、朝は婆ちゃんの味噌汁と焼き魚、そしてだし巻き卵ときんぴらとほうれん草だった。
「そっか…。桐谷さんにもなんとか安く済む方法がねぇか、わんつか相談すてみる。
──ご馳走様。美味しかった。ありがとう。」
そう言って食器を洗おうと席を立ちかけると、爺ちゃんが声をかけてきた。
「あ、ちょっと待って。日菜子。
──これ。用意した。」
そう言われて振り向くと、名刺の束と、白い『女将』と書かれた名札がテーブルの上に置かれていた。
名刺には、
『湯宿 のんびりや 女将 河南 日菜子』
と書いてあり、右下には宿の住居と電話番号、この前仕事用に作ったメールアドレスが載っていた。
「…これ!!」
ジワジワと嬉しい気持ちが胸の中に広がっていく。
「ああ。急いで作ったんだ。
──頼むな。女将。」
爺ちゃんが真剣な顔で私の方を見てくる。
その顔は、いつものエガちゃんの真似をして孫として私を見る爺ちゃん、ではなく、『社長』の顔だった。
「…精一杯頑張ります。」
私は真剣な顔で頷くと、心の中で気合を入れてお皿を洗った。
◇◇
「今日から正式に『のんびりや』の女将になりますた、河南 日菜子です。」
婆ちゃんに着付けられた着物は、いつも着ている服に比べて少しだけ重かった。でも、その重さが不思議と嫌じゃなかった。
挨拶するとパチパチと料理長の松本さんが手を叩いてくれた。
「よっ!若女将っ!」
そう言って嬉しそうに笑っている。
松本さんは私が小さい時から知っている親戚の叔父さんのような人だった。
「日菜子ちゃんかい!
あらあら、大きくなって、美人さんになっちまって!お爺ちゃんの後を継ぐなんて立派だね!」
そう言ってもう勤続17年のパート従業員の谷口さんも目を綻ばせた。
「ありがとうございます!
これから早く戦力になれるように頑張りますので!
まだまだ未熟な私ですが、よろしくお願ぇします!」
そう言って私は頭を下げる。
他のアルバイトの人達も拍手をしてくれた。
「…日菜子ちゃん、女将としての抱負を教えて!」
谷口さんの言葉に私は今の気持ちを話した。
「まずは爺ちゃんが腰を痛めてるから最低限、まずは今まで通り回るように…かな。
その上で皆の給料を上げられるように客単価やお客様の満足度を上げられるようにしてぇなって。
実は、その一環としてウェブエージェントさんを利用する事になりました。
私が全て管理する事になってっから、頑張ります。
口コミとかで改善点を書かれたら、皆に知らせるから協力して欲しい。」
私の言葉に皆が目を丸くして黙り込んだ。
「──ん?どしたんだ、みんな。」
すると、松本さんが感心したような顔で言った。
「…驚いた。日菜子ちゃん、色々考えてたんだな…。」
「本当。数年前、東京の大学さ行って、金持ちのイケメンと結婚するってアホな事を言ってたのが夢みてぇだ!」
谷口さんがそう言って頷く。
さすがに、つい最近まで全く同じ事を言ってましたとは言い出せない私だった…。
※本日以降、日、水、土曜日の12時10分に更新します。




