第53話 通勤するヒノ君
大学から帰ると愛猫のファシアに玄関で熱烈な歓迎を受けた。
俺の足に巻きついて、母猫を呼ぶような声を出している。
かわいい。
「ファシアちゃん、今日は鍼灸院の予約が入ってるからお出かけしようね」
リュックをファシアの前に広げる。
ファシアは俺の足にしがみついてニャンニャン鳴いていたが、
お気に入りの先輩のスリッパをリュックの中に入れると、すんなりと中に入った。
家を出て、背中で鳴いている愛猫に話しかけながら、俺はエレベーターでマンションの地下へ向かった。
俺の愛車はタワマンの地下駐輪場に置いてある。
ホンダのCRF1100L、アフリカツインという大型バイクだ。
「うーん、いつ見てもカッコいいなぁ」
ウチの彼女は大型バイクで俺が事故を起こすことを心配していた。
だが、「このバイクは通勤でよく使われるバイクでスピードも60キロしか出ないから」と説明して、なんとか購入に成功した。
綾辻先輩はチョロくて可愛い。
俺のバイクの色は、トリコロールと呼ばれる、白を基調に青と赤が混じった色だ。
さらにエンジンガードやリアボックスも装着したフル仕様だ。
エンジンガードをつけることでカッコよくなるバイクなんてアフリカツインくらいではないだろうか。
「ニャ……ニャ!」
ファシアちゃんを入れたリュックからは可愛い鳴き声が聞こえてくる。
俺は仕上げに、街中では特に意味のないSHOEIの高級オフロードメットを被り、ご機嫌な通勤を開始した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「あー、新御堂走るのは最高だな」
俺の愛車は流れの早い下道でも楽々ついていける。
まるで背中に翼でもあるかのような快感だ。
突然だが、大阪北部で最も重要な道路はなんだろうか。
日本の大動脈、名神高速?
西日本の物流を支える中国道?
きっと、トラックドライバーにとってはそうだろう。
地元民にとって、という但し書きをつけると変わる。
最も重要なのは国道423号線、新御堂筋だ。
下道とは思えないあまりに高規格な道路。
それは隣を走る高速よりはるかに豪華。
ここを走ると、新御堂筋のクルマが高速道路の車を追い越していく珍しい光景を見ることができるぞ。
このバイクは鈍重そうなノッポなシルエットには見合わない強烈なエンジンを積んでいる。
信号待ちからの加速も早い。
DCTを搭載したオートマ変速は、信号が青になってから数秒で80km/hの世界に連れて行ってくれる。
あっという間に、俺は鍼灸院のある十三に着いた。
アパートの駐輪場に止めようとすると、そこでは既に俺の自称婚約者である綾辻先輩が笑顔で待っていた。
彼女はエンジン音がうるさいのか耳を塞いでいたが、やかましいエンジンを切ると声をかけてきた。
「ヒノくん、お疲れ!」
きっとずっと待っていたわけではなく、直前に部屋から出てきたのだろう。
俺のスマホには恋人監視アプリを強制的に入れられている。
近づいてくるのが分かったんだろう。
軽く抱き合って再会を喜び合う。
「ニャ……!」
背中のファシアにも先輩の声が聞こえたのだろう。
リュックの中で愛猫が暴れている。
鍼灸院に入り、リュックを開けると、綾辻先輩の足にしがみつく愛猫。
先輩が抱き上げて撫でているので、愛猫は嬉しそうだ。
「ファシアちゃん、ヒノくんのバイクの運転怖かったねぇ」
「ニャッ!」
失敬な、ファシアはバイク移動を楽しんでいたのに。
この子はバイクで移動するのが好きみたいだ。
信号で止まるたびに、かわいい声を出しながら、背中をテシテシ叩いていたぞ。
「僕のバイクは安全だから大丈夫ですよ、全く心配性なんだから」
ニッコリと笑って、先輩を安心させる。
60km/hしか出ない通勤用のバイクだと説明しているのだから、これで納得してくれるだろう。
「アプリの位置情報から、さっき計算したらヒノくん新御堂筋で80km/h出してたと思うんだけど」
笑顔で詰め寄ってくる先輩。
GPSの誤差じゃないですかね……そう言って逃げようとすると肩を掴まれた。
「そこで正座しなさい!」
あ、これはヤバい。ブチギレてる先輩だ。
高校のときに一度こうなったときは、数時間解放してくれなかった。
「あっ、はい……」
正座する俺の膝に、なぜかファシアが乗ってくる。
結局、施術の予約時間になるまで解放されることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「昨日は酷い目にあったね〜」
「ニャッ!」
昨日は少しスピードを出しすぎただけなのに、バイクに乗ることまで禁止されかけた。
ファシアは俺のバイクに乗るのを楽しみにしているというのに酷い話だ。
なぜかダブルピースをしている綾辻先輩が寝ているベッドに腰掛け、愛猫と朝のひと時を過ごす。
最近は朝起きた時に先輩が横で寝ていても、あまり驚かなくなってきた。
能力が制御できたわけではないけど、なんというか慣れだろうか。
バイク通学については、夜の話し合いでなんとか禁止令を解除してもらった。
綾辻先輩にどうしてもお願いしたいことがあるときは夜に頼むと大体聞いてくれるという裏ワザがあるのだ。
「ニャッ!ニャッ!」
「あれ、ファシアちゃん。先輩の方に行きたいのー?」
ファシアが綾辻先輩の首元に飛び乗った。
腰掛け、顔を猫パンチし始めた。
相変わらず寝坊には厳しい猫だ。
昨日は念入りにマッサージしたので綾辻先輩はなかなか起きてこない。
ファシアの攻撃はどんどん激しくなっていく。
最終的に顔の上に香箱座りをし始めた時点で、先輩は苦しそうな声を上げながら起きた。
「んー、もう何……?ファシアちゃん、苦しいんだけど」
「ニャッ!」
起きた先輩に早速甘え始める愛猫。
うーん、かわいいなぁ。
ニヤニヤしながら見守っていると、先輩が膨れ面で話しかけてきた。
「しょうがなくバイクは許可したけど、次に速度違反してるの見つけたら売っちゃうからね!」
俺のアフリカツインちゃん……。
今日からはゆっくり乗るようにしよう。




