第51話 過去編3 高校時代
あの事件以来、俺は孤独だった。
両親とも、うまく会話ができなくなっていた。
「ご飯置いとくね」
「……うん、ありがと。」
リビングにすら顔を出さない俺のことを、母は心配していたと思う。
だが、俺には合わせる顔がなかった。
学校から帰ったあとは、部屋に引きこもるだけの毎日だった。俺は、自分のことを誰も知らない場所へ行きたかった。
進学先に選んだのは、大阪府の東部にある寮のある私立高校だ。
当時の俺からしたら、大阪なんて地元の姫路から遥か遠く、まるで異世界だった。
府外出身で知り合いがいないこともあり、クラスにはまったく馴染めなかった。
「日野くん、このあとカラオケ行くんだけど来ない?」
「ごめん、ちょっと今日は体調が悪くて」
そんな俺に同情したのか、クラス委員長の女の子のグループがやたら遊びに誘ってくれた。
だが、俺の目にはみんな筋肉人間にしか見えない。
だから仲良くするのはなかなか難しい。
というより、女子四人のカラオケに男が混じるのはどうかと思う。
筋肉人間たちが危害を加えてこないことは分かってはいたが、俺は必要最小限のやり取りしかしなかった。
そもそも俺には、人の見分けがつきにくかった。
行き交う全員が筋肉の塊にしか見えなかった。
そんな中、委員長とは別に、もう一人だけ頻繁に声をかけてくれる人がいた。
「ねぇ、日野くん。そろそろ剣道部の練習に一度顔を出してみなよ」
たまに教室にやって来るこの人は、一つ上の学年の先輩だ。
あの手この手で俺を剣道部に入れようとしている。
中学時代の実績を聞いた剣道部の顧問が、俺をスカウトするよう指示を出したらしい。
彼女は学校の人気者だ。
性格が良くて、美人らしいと評判だ。
筋肉しか見えない俺には分からないけども。
背が高くて筋肉質で、骨格のしっかりした先輩だった。
昼休みに彼女が来るたびにどよめいていた教室も、今では慣れたのか騒ぎにならなくなっていた。
「でも、先輩。僕、竹刀握るのが怖いんですよね」
「大丈夫だって。錯乱してて手に取っちゃっただけなんでしょ? 警察官の人も許してくれたんだし」
この先輩――綾辻先輩は、あまりに頻繁に来るので、いつの間にか俺の雑談相手になっていた。
人の懐にすっと入ってきて、嫌な感じをまったく残さない。コミュ力が高い人だと思う。
成績もものすごくいいらしい。
うちの高校はそこまで偏差値が高くないが、その中で学年ナンバーワンだ。
国公立の医学部志望という噂も聞いた。この学校は部活にも力を入れている。そういう環境を好む頭のいい人が、ときどき混じっている。
「まぁ、見学に行くだけならいいですよ」
もう竹刀なんて握りたくないと思っていた俺だけど、先輩の熱意に負けてつい口にしてしまった。
「やった! じゃあ、五限終わったら迎えに来るからね!」
「いや、わざわざ来なくても逃げませんって……」
俺は半ば強引に、自分の殻から引っ張り出された。
あのまま閉じこもっていたら、どうなっていたんだろうか。綾辻先輩は俺の恩人だ。俺に広い世界を見せてくれたのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうしたの? 黙っちゃって」
大学から帰った日のリビング。ファシアを肩に乗せた綾辻先輩が話しかけてくる。もはや、ファシアはどちらの飼い猫か分からない状態だ。
「ちょっと、剣道部に入った時のことを思い出しちゃって」
「凄かったよね。竹刀握ると人が変わったみたいに覚醒して、三年生も簡単に倒しちゃうんだもん!」
俺は『見学』に行ったはずが、いつの間にか完全防備で先輩たちと相対させられていた。
久しぶりの剣道は、相手の筋肉が丸見えで、カウンターが面白いように決まった。剣道ってこんなに簡単だったっけ、と思ったほどだ。
先輩は少し興奮気味に、あの頃のことを回想している。
「顧問の先生、すっごく喜んでたね! ウチの黄金時代が始まった!って」
その勢いのまま、最終的にはインターハイ三位まで行った。
俺の戦術――剣道用語で言うところの『先の先』は、面白いように決まりまくった。この目のおかげで、実力以上の結果が出せたと思う。
それでも勝てなかった化け物は二人ほどいたが……。
俺が勝てなかった二人は、今は全日本選手権で怪獣大合戦を繰り広げている。
「ニャン!」
先輩と話していると、ファシアが俺の手の中に飛び込んできた。
尻尾をフリフリしていてかわいい。ケツを叩けと言わんばかりに尻を高く上げているので、望みどおりポンポンしてやる。
「でも先輩は、どうしてあんなに熱心に誘ってくれたんですか?」
「あー、それはね」
眉を寄せて、どう答えようか悩んでいる。かわいい。
「顧問にお願いされたのもあるけど、キミのクラスの竹本さんに頼まれちゃって。覚えてる?」
竹本さん。剣道部の同級生だ。かなり内気な性格で、話しかけるとすぐ逃げてしまう。三年間一緒に部活にいたが、あまり話したことがない。
「あの子、自分では恥ずかしくて話しかけられないから、他の人に頼んでヒノくんをカラオケに誘ったり、剣道部に誘ったりしてたんだよね」
「あれ、そうだったんですね」
知らなかった事実が、四年越しに明かされた。
「ヒノくんはあの頃からモテモテだったからねぇ」
「え、そうだったんですね」
ジト目でこちらを見る先輩。
「キミはスポーツ万能だったし、それにカッコよかったから、狙ってる人いっぱいいたんだよ」
へー、そうだったのか。確かに何回か告白された記憶はある。
だけど、筋肉人間は恋愛対象外だったから、基本的に断っていた。
先輩は俺のどこが好きなんだろうか。いい機会だし聞いてみるか。
「先輩は……」
「ニャン!」
聞こうとしたところで、視界が愛猫の顔で埋め尽くされた。
俺の体によじ登って頭を叩いてくる。
どうやらお尻を叩くのが止まってたらしく、その抗議らしい。
「ごめんねー、ファシアちゃん」
なだめ終わった頃には、綾辻先輩はどこかに消えていた。
「聞きそびれた……」
「ニャッ」
「ファシアちゃんは可愛いねぇ」
春の穏やかな日常が、今日も静かに過ぎていくのであった。




