第50話 復活?登板
大阪市の外れ。埋め立て地にある二軍の練習施設で、俺は犬飼コーチの横に立ち、練習の模様を眺めていた。
投げているのは早川投手。
トミージョン手術を受け、復帰を目指しているピッチャーだ。
「早川選手、もうコントロール戻りましたかね」
「この前、試合に登板するまでになっとったで」
1試合だけだが、かなり良い投球をしたらしい。
もっとも、二軍で好投すること自体は以前からあったそうなので、完全復活の証拠とまでは言えないだろう。
「そろそろ、もう一度モーションキャプチャーした方がええやろか?」
「いや、もうちょっと様子を見たいですね」
俺の言葉に、犬飼コーチが首を傾げる。
「来週あたりに一軍で試す話も出てるくらい、ええ感じなんやけどな」
「え、もう一軍ですか。ずいぶん気が早い話ですね」
「まぁ、一軍ローテがアレやからな」
犬飼コーチは、どこか遠くを見つめながら半笑いになっている。
今年は開幕から怪我人が続出している。
呪われているんじゃないだろうか。
体感としては、どこぞの怪我人だらけの燕軍団みたいな有様だ。
まぁ、さすがにそこまでひどくはないんだけど。
今日、早川選手の治療をした後は、肉離れした投手の様子を見に行く予定が入っている。
この球団、怪我人だらけで仕事がありすぎて困る。
視線をマウンドに戻すと、やはり俺の目から見る限り、肩甲帯の動きはまだ安定していない。
可動域は出ているが、制御が追いついていない感じだ。
なぜあの状態で、まともなコントロールを出せるんだろうか。
プロ野球選手というのは、ほとんど人外だ。
医療者の理解を超えるパフォーマンスを平然と出してくる。
「まぁ、コントロールが出ているなら一軍に行ってもいいとは思いますけどね。
でも、リハビリはまだ続けた方がいいですね」
「おぅ、それはそうやな」
一軍に行っても、いきなり長いイニングは投げないだろう。
手術からは十分な時間が経っているし、画像上も靭帯は安定している。
それでも、投球関連の筋肉は再訓練したばかりで、長いイニングにはまだリスクがある。
おそらく問題ない。
だからドクターも俺も、一軍登板にOKを出しているわけだ。
投球練習はしばらく続く。
徹底的に緩めた肩甲骨周りの筋肉は、まだ完全には制御できていない。
ちなみに今日も、鍼で肩を緩めるつもりだ。
一時的にコントロールは落ちるかもしれないが、それも再教育の過程として必要なことだ。
犬飼コーチが去ったあと、早川選手がこちらへ駆け寄ってきた。
「日野さん、来てくれたんですね」
「すみません、なかなか来られなくて」
彼に会うのは三週間ぶりだった。
二軍とはいえ彼はプロ選手で、全国を転戦している。
治療を提案しておきながら、なかなか経過を追えていないことを詫びる。
「すみません、トレーナーにリハビリを任せきりで。困ったこととかありませんでしたか?」
すると、なぜか早川選手の方が深く頭を下げた。
「すみませんでした!」
突然のことに困惑する。
話を聞くと、彼は鍼を受けた経験がなく、最初は呪いの類だと思っていたらしい。
犬飼コーチが変な占い師にハマっている、くらいの認識だったそうだ。
「何本か打つだけで、あんなに変化があるとは思いませんでした」
まぁ、あの細い鍼を見ればそう思うのも無理はない。
だが、エコーで見ながら施術するとよく分かる。
筋肉に物理的に干渉しているのだ。
何も起きない方がおかしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜、俺はテレビで早川選手の晴れ舞台を眺めていた。
今日は仙台で行われている一軍戦。先発らしい。
「ニャッ……! ニャ」
ファシアちゃんが甘え声で催促してくるので、マッサージしてやる。
お気に入りのタオルを敷いてやると、へそを向けて寝転がり、期待に満ちた目で見てくる。
脊柱の横を押してほぐしてやると、尻尾をぶんぶん振っている。
かわいいなぁ。
よし、このままマッサージを続けながらテレビを見るか。
『さて、早川選手、一球目! いきなり158km/h! 自己最速です!』
いきなり全開の立ち上がりだった。
実況と解説は言葉を失っているが、俺としてはそこまで驚きはない。
160km/hを練習で出しているのを何回か見ているからな。
「ニャッ!」
愛猫の少し不満げな声が聞こえる。
ちゃんとこっちを見て揉め、ということらしい。
「ファシアちゃん、今日も元気ですねー」
「ニャン♪」
トミージョン手術後は、球速が上がる例が多い。
アメリカでは一時期、健康な投手にまで手術を勧める風潮があったほどだ。
手術そのものが速球を生むというより、術後の再訓練の効果が大きいとされている。
フォームの見直し、筋肉の再教育。
十八ヶ月にも及ぶリハビリが、結果として球速向上に繋がるというのが現在の定説だ。
『早川選手、投げました。逆玉ですが判定はストライク! 三振です』
愛猫に捕まっていて、画面はちゃんと見られない。
だがきっと、いい顔で投げているんだろう。
「ニャ……」
「おぉ、よしよし。眠くなってきたか」
全盛期のコントロールにはまだ戻っていない。
それでも――彼の未来は明るいと思えた。




