表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
服の下を透視する能力を得たら、あなたは何をしますか?  作者: メモ帳パンダ
右肩に棲むもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/68

第49話 実習王

 俺は今年の春から医学部二年生になっていた。

 一年生が教養科目を叩き込まれる期間だとすれば、二年生は専門的な講義や実習が一気に混じってくる段階だ。

 環境が変わり、授業の密度も一気に上がった。

 その中で、俺にはひとつだけ圧倒的に強い分野がある。


 ――解剖実習だ。


 二年生の数ある授業の中で、俺はこの分野だけは完全に抜きん出ていた。

 気がつけば、実習の王のような状態になっている。


 解剖実習は、医学部二年から始まる難関のひとつだ。どんな医者でも必ず通る関門でもある。

 俺の普段の成績は正直あまり良くない。

 だが、この呪いとも言える目を持った俺にとって、この授業だけは別格だった。

 座学と違い、人体が相手だと話が変わる。


 その結果、どうなるかというと――実習後、俺は女子生徒に囲まれていた。

 メスとピンセットを片付けていると、間髪入れず恒例の質問攻めが始まる。

 妙な方向でモテている。何か分からないが、だいぶ間違っている気はする。


「日野さん、どうしてそんなに皮膚の剥離が上手いんですか? コツ教えてください」


 この子は今回の実習中、皮膚の剥離の際に皮膚をつかめずに苦戦していた。

 自分の班ではなかったから、実習中はアドバイスはしなかった。

 俺はあまりに自分に割り当てられた課題が早く終わりすぎて、周りの班を眺める余裕さえあったわけだ。


「あなたの場合はたぶん、正中切開の深さが浅すぎます。

 まず皮下組織までメスをしっかり入れてから、指で皮膚を把持しましょう」


「私にもアドバイスください!」


 ……この光景を綾辻先輩が見たら、顔色ひとつ変えずにブチ切れそうだ。

 あの人はクール系に見えて、実は嫉妬深い。


 実習が終わっても包囲網は解けない。

 いつもは次の講義があるからそれを口実に逃げているんだが、今回は休講でこの後は用事がない。

 部活もない。家に帰るだけだ。

 いつもの言い訳が通用しない。


 数人から、この後カフェで教えてくれとまで言われる。断ろうとしても、なかなか解放してもらえない。


 逃げ道を探しているところに、さらに追い打ちが来た。


「じゃあ、せめてLINE教えて!」


 流石に彼女がいるのにLINEを教えるのはなぁ。

 LINEは一度教えるとメッセージがやたらきて対応が面倒なのだ。


 しょうがない、もっと本腰を入れて教えるか。

 俺はボールペンをメスに見立てて、手技を教えることにした。


「メスはあくまで補助なんです、大事なのはハサミと指ですよ」


 素早く手を動かすと周りから歓声が聞こえる。

 遺体の皮膚を剥離するスキルでモテるのは、どうにも複雑な気分だ。


 とはいえ、この技術は解剖実習において極めて重要だ。すべてはここから始まる。

 これが下手だと検体を損壊してしまうこともある。

 俺がコツを教える意味は十分あるだろう。


 ――解剖実習で使われる検体は、ただの教材じゃない。

 生前に本人や家族が同意して、医学教育のために提供してくれた御遺体だ。


 未来の医者が人体を正しく理解するための、最も正確で、嘘のない教科書でもある。

 本や映像では分からない構造、個人差、手触り。

 それを直接学ばせてもらっている。


 医学の進歩は、こうした善意の上に積み上がっている。だから医学生は、検体を絶対に雑には扱わない。

 ……手技が下手で、結果的に雑な扱いになってしまうことは多々あるけども。


「じゃあ、僕は用事があるのでこの辺りで」


「あっ……、LINE……」

 

 どうにか女子たちを振り切って教室を出ようとしたところで、担当教官に呼び止められた。

 このタイミングの良さ、絶対に見計らっていたに違いない。


「いやぁ、日野くん。

 卒業後はぜひウチの消化器外科に来てください。

 君は百年に一度の逸材だ」


 人体構造が見えているかのように、十秒ほどで的確に内臓を取り出す手際が、教官の目には相当有望に映ったらしい。

 外科医にとって手先の器用さは命だ。

 軽く礼だけ言って、その場を離れた。


 二年生になって、医学部の授業はどんどん楽しくなってきていた。

 解剖実習だけが特別なわけじゃない。

 専門科目も本格的に始まっている。

 これがまた、普段の鍼灸師としての仕事に直結する内容ばかりだ。


 医学部に入って良かったと改めて思う。

 この大学は私立なので学費は安くない。

 通えているのは周囲の援助のおかげだ。

 落ちこぼれずに済んでいるのは、先輩が勉強を見てくれているからだろう。


 家にバイクに乗って帰るために、駐輪場まで少しだけ歩きながら考える。

 俺はつくづく、人に恵まれていると思う。


「よし、帰るか」


 原付ばかり並んだ駐輪場で、一台だけ場違いな存在感を放つ、トリコロールカラーの背の高い愛車を撫でる。

 軽くハンドルを叩いてからまたがり、セルを回してエンジンを唸らせた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 授業が終わり、家に帰ってきた。

 今日は珍しく予定が空いていた。

 仕事も部活もない。夕方からは久々の完全オフだ。


 家に入ると、玄関の奥から足音がして、飼い猫が全力で出迎えてくれた。


「おぉ、ファシアちゃん。今日もかわいいねぇ」


「ニャッ! ニャ」


 とにかくかわいい。

 必死に足にしがみついてくる仕草がたまらない。


「キミの大好きな先輩は、まだ帰ってきてないのかなぁ?」


「ニャ!」


 よし、自分の部屋でしばらくファシアを独り占めしよう。

 浮かれた気分のままドアを開けた瞬間、俺は固まった。


 ベッドの上に大量の結婚情報誌が置かれている。少なくとも二十冊はある。

 その結婚情報誌でハートマークが作られている。


「あ、はは。まったくもう、先輩はうっかりさんなんだから」


 冷や汗をかきながら、大量に『置き忘れられた』それを片付ける。

 というか、なんでこんなにあるんだ。

 量がちょっとした業者レベルだ。


 この類の雑誌を真面目に読んだことはないが、こんなに必要なんだろうか。

 毎月だいたい同じ内容じゃないのか。

 俺の彼女は、日本で一番この手の雑誌を買っているんじゃないだろうか、とも思う。


「ファシアちゃん、怖いねぇ……」


「ニャ」


 先輩は結婚したいなら、直接言ってくればいいのに。

 高校の頃も直接告白してくればいいのに、とずっとそう思っていた。

 うーん、謎だ。

 多分、先輩はモテすぎて告白とは男性側からするものだと思い込んでいるのではないだろうか。


 そんなことを考えていると、ファシアの耳がピンと立つ。

 綾辻先輩が帰宅した証だ。

 愛猫は玄関へ一直線に走っていく。

 俺も続けて玄関に向かう。


「おかえりなさい」


「ただいまヒノくん!」


 全力で抱きついてくる。俺に抱きつく先輩に、抱きつくファシアちゃん。

 いつもの光景だ。恋のトライアングルだな。


「そう言えば、ヒノくん。今日はたくさんの女の子に囲まれて楽しそうだったらしいね!」


「え、なんのことですかね」


「解剖実習のあと、モテモテだったって聞いたよ」


 ジトーっと見てくる先輩。

 くそ、内通者がウチの大学にいるのか。

 先週、看護科の女の子に告白されたことはバレてないよな……。

 そんなことを思いながら必死で宥めるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ