第40話 バーベキュー
朝起きると、顔いっぱいに我が愛猫の姿。さらに、隣には筋肉人間が寝ていた。
寝ぼけた頭のまま反射的に身を起こし、そのままベッドから落ちてしまった。
状況は、まだ何ひとつ整理できていない。
「シャー!」
俺と一緒にベッドから落ちたファシアから、抗議の猫パンチを喰らってしまった。
カーテンの裏に隠れて身を震わせているうちに、しばらくして脳がようやく働いてきた。
あぁ、ここは宮崎県の別荘だ。
昨夜の出来事が、断片的につながっていく。
昨日は綾辻先輩と同じベッドで寝たんだっけ。
「ごめんねー、ファシアちゃん」
ファシアはプイッと顔を逸らした。
その割に、俺が撫でやすいように、体の角度だけは微調整している。
それにしても、ファシアはどこから入ったんだろうか。
昨日は二人でマッサージ対決をしていた。
猫がいると邪魔なので、部屋の外にある猫用のベッドで寝てもらっていたはずだ。
部屋を見渡す。
この部屋で猫が入り込めそうな場所といえば……換気口?
あんな狭いところ、入れるのか?
覗いてみると、出口の縁に少しだけ毛がついている。
……なるほど、答えは出た。
考えてみれば、この子は昔から狭いところが好きだった。
……うーん。この子は、もはや液体か何かなんだろうか。
先輩は、昨日のマッサージ対決に疲れ果てたのか爆睡している様子だ。
これだけ物音を立てても、起きる気配すらない。
起こす気にもなれないほど、気持ちよさそうに眠っている。
多分、数時間は起きないな。
いつも通り、顔の横でダブルピースのポーズを取らせるイタズラをしてから、ファシアと一緒にリビングへ向かう。
ファシアはご飯を食べている間も、俺をチラチラ見ながら、どこかに行かないか監視している様子だった。
食後は、ずっと俺の膝の上でスリスリしている。
いつもより距離が近いのは、きっと環境が変わったせいだ。
初日くらいは、先輩の誘いを断って、一緒に寝てあげた方が良かったかもしれない。
せっかく海沿いで景色のいい別荘だ。
このまま家にこもるのも、もったいない気がした。
近くを散策しようと思って玄関へ行っても、ファシアは俺から離れる様子がない。
そこで、今日のために買っておいたハーネスをつけて、一緒に散歩に行くことにした。
少し様子を見るだけのつもりで、砂浜にファシアを降ろす。
ファシアにとっては、初めて足元から伝わる感覚だ。
驚いたようにフミフミして、少し歩き回ったあと、ポカンと口を開けて俺を見上げている。
……かわいい。
「海、綺麗だね」
「ニャ!」
猫はあまり散歩が好きじゃないと聞いていたから、ずっと室内飼いにしてきた。
でも、楽しそうに駆け回るファシアを見ていると、もっと早く連れ出してあげても良かったのかもしれない。
……とはいえ、十分ほどで飽きた様子だ。
「抱っこしてー」と寄ってきたあとは、俺の腕の中で、じっと俺の顔を眺めている。
猫らしいといえば、猫らしい。
海っていいなぁ。
早朝だから、ほとんど人はいない。
遠くの方で、釣りをしている人が数人見えるだけだ。
青島――
来るまで名前も知らなかった場所だけど、観光地というより、生活の延長みたいな雰囲気で、妙に落ち着く。
癒された気持ちのまま家に戻ると、綾辻先輩はまだダブルピースのまま爆睡していた。
どうやら、本当に起きる気配はないらしい。
ファシアは先輩の顔に尻を乗せて、「早く起きないかなー」と頭をバシバシ叩いている。
ウチの愛猫は寝坊する人間には容赦がない。
冷蔵庫の中身で軽い朝食を作っていると、ようやく先輩が起きてきた。
いつものように、ファシアを足に貼り付けている。
「おはよう、ヒノくん。朝ごはん美味しそう!」
「この別荘、すごいですね。ご飯も揃ってるし、キャットタワーまであるし」
「管理してくれてる人にお願いしておいたの」
別荘というより、もう一つの家みたいだな。
準備も完璧。流石だな。
「今日は予定通り、犬飼コーチとバーベキューだよね!」
「楽しみですね!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
昼前には、庭が一気に賑やかになった。
バーベキューを始める前に、参加者全員で犬飼コーチを祝福する。
「「犬飼コーチ!
2000本安打、首位打者、そしてコーチ就任おめでとうございます!」」
今日は春季キャンプの休養日ということで、犬飼コーチを招いて別荘の庭でバーベキューパーティーをしている。
犬飼選手の活躍を支えてきた医療チームも一緒だ。
トレーナーさんは別荘を見て一度驚き、綾辻先輩を見て二度目に驚いていた。
「ヒノくんの彼女、可愛いですね。どこで会ったんですか?」
「高校の先輩です」
「……この豪邸は?」
「彼女の別荘です」
チームドクターは綾辻先輩に延々と病状クイズを出している。
医者というのは、総じて医学生が大好きだ。
好きな子にちょっかいを出す小学生みたいなものだな。
「主訴は『右胸が痛い。息を吸うと強くなる』、SpO2は95%、HR 108。この時に必ず考えるべき病態は?」
なぜか律儀に付き合っている先輩。
「PE(肺血栓塞栓症)か気胸ですか?」
「正解!じゃあ次行くよ。」
これは医学生が医者に掛かるとよくされる謎の疾患クイズだ。
高熱で苦しんでいる時にこれをされると殺意が湧くが、まぁこういう場ならいいだろう。
主役の犬飼選手は端っこで黙々と肉を焼いている。
この人、賑やかなのか寡黙なのかよく分からない。コミュ力のある職人気質って感じだ。
「犬飼選手、二軍ヘッドコーチ就任おめでとうございます。肩の調子はいかがですか?」
「ありがとう。手術したんやけど、よく分からんわ。ちょっと見てくれや」
そこにクイズ大会を終えたチームドクターが加わる。
隅っこで犬飼選手のMRIを見ながら焼肉をつつく謎の会が始まった。
俺はMRIをざっと眺めて一言。
「これは京大病院で受けた手術ですか?」
「おっ、ヒノくん、流石通だね。
厳密には京大の医局のドクターが執刀したんだよ」
実は腱板再建にはいくつか流派がある。
このアンカーの使い方は京大の先生に多い。
俺も犬飼選手をサポートするにあたり、専門書をかなり読んだ。
「この手術は今風ですね。でも、あれだけ断裂が酷いと、これが一番いいですよね」
一時期は腱を元々ついていた所に完全にカバーするやり方が流行っていた。
見た目や術後のパフォーマンスはいいが、腱のテンションが高く、再断裂の可能性がある。
それに対して犬飼選手の手術は、カバー率をあまり気にせず、少し緩め。
一昔前の流行とは真逆のスタイルだ。
アンカーも腱を緩めるような位置に打ってある。
血流を考慮した、最新の知見に基づいた施術だ。
「いや、このドクターいい腕ですね。勉強になります」
人の骨の画像を見ながら、骨付き肉を食べている俺たちを、犬飼選手は少し引いたような目で見ていた。
「術後、かえって前より動かなくなって困ってるんやけど、後で鍼してくれや」
「まぁ、見るだけならいいですよ。それより肉食べましょ、肉」
寄ってきたファシアが俺の皿を狙っている。
椅子の裏に隠れているつもりだろうが、顔しか隠せていない。
味付けしていない肉を愛猫にあげながら、今は束の間のパーティーを楽しむのだった。




