第27話 イケメン刑に処す
一旦、手掛かりが途切れ、改めて問診に入る。
「特にどういう時に痛みますか?」
「やっぱ、咳した時っすね」
咳をした際に動く筋肉として考えられるのは、肋間筋や腹筋あたりだろう。
だが、この部位の筋肉を痛めたからといって、背中に鋭い痛みが出るとは考えにくい。
筋肉由来でないとすれば、可能性は限られる。
患者はかなり痩せている。
加えて、咳で痛みが増す。
医学的な知識がそこまでない俺でも、思い当たるものが一つあった。
観察対象を、胸の奥にある肺の様子へ移す。
やはり、そうだ。
右の肺の上のほうが縮んでいる。
気胸――肺から漏れ出た空気が胸の内側に溜まり、肺が外側から押されて小さくなる状態だ。
原因となる、空気が漏れている部分を探す。
肺のいちばん上、右側の最上部にそれはあった。
教科書的とも言える所見だった。
これなら、自然気胸でほぼ間違いない。
――自然気胸。
通称「イケメン病」。
痩せ型の若い男性に多いことから、この通称がついた。
著名な男性アイドルが何人も発症していることで知られている。
理由は完全には分かっていないが、男性に圧倒的に多い疾患だ。発症頻度は女性の十倍以上とされている。
「痛みは、いつからですか?」
「起きた時からですね」
医者にとってはそこまで稀な病気ではない。
だが、多くの人は、気胸を経験したことがない。
肺に穴が空いているとは思い至らず、筋肉のトラブルだと考えて整形外科や整体を受診するケースも少なくない。
肺そのものには痛覚がない。
ただ、この患者の場合、背中側で肺が大きく縮んでいる。
その刺激が、背中の痛みという形で体に伝わっているのだろう。
これは関連痛と呼ばれる現象で、心筋梗塞の痛みが肩や腕に出るのと同じ仕組みだ。
「ちょっと待っててくださいね」
整骨院に常備している個人用の応急処置キットから、パルスオキシメーターを取り出す。
血中酸素飽和度、SpO₂を測定する機器だ。
コロナ禍で広く知られるようになった装置なので、聞き覚えのある人も多いだろう。
患者の指先に装着し、数値を確認する。
SpO₂は92%。
明らかに正常とは言い難いが、ただちに命に関わる数値というわけではない。
「これは、うちでは対応できません。病院に行ってください」
「え、僕、何なんですか?」
「肺から空気が漏れている可能性があります」
みるみる顔色が悪くなるイケメンホスト。
「肺に穴が空く」という言葉のインパクトは強い。
実際には緊急度が低い場合も多いが、本人にとっては十分すぎるほど恐ろしい表現だろう。
今回の状態は軽症ではない。
呼吸器外科での処置、場合によっては手術が必要になる可能性が高い。
ただ、その最終判断を俺が下すことはできない。
俺はどうするべきか迷い、そして一本の電話をかけた。
「はい、こちら夏目内科クリニックです」
馴染みの受付の人が電話に出た。
見た目は少し怖いが、会うたびに飴で餌付けしてくる、大阪のおばちゃん気質の人だ。
「あ、日野です。お世話になってます。
気胸が疑われる患者さんが整体に来てるんですが、そちらに回しても大丈夫ですか?」
少し保留音が流れた後、夏目先生に代わった。
「大した治療はできないけど、胸のレントゲンは撮れるし、診察と紹介状くらいなら書けるよ」
どんな感じ?と聞かれたので、客観的な数値だけを簡潔に伝える。
「SpO₂が92%です。じゃあ、今から連れて行きますね」
患者にベッドから降りてもらい、そのまま近くの内科まで付き添って歩いた。
肺の片側が十分に働いていなくても、人はすぐには歩けなくなったりはしない。
それでも、不安そうな彼を一人で行かせる気にはならなかった。
到着すると、診療開始時間より早かったようで待合室には誰もいない。
診療前にもかかわらず電話に対応してくれたらしい。本当に頭が下がる。
受付の人と話しながら一息ついていると、奥からヘルニア矯正ベルトを巻いた夏目先生が出てきた。
思わず吹き出しそうになる。
俺の反応に気づき、慌てて診察室に引っ込む夏目先生。
次に出てきた時には白衣を着ており、ベルトはしっかり隠されていた。
「すみません、診療時間前に。こちらの患者さんです。よろしくお願いします」
診察室の前で状況を簡潔に説明し、そのまま患者を中へ案内した。
受付の人に誘われてお茶を飲んでいると、診察室から先生が出てきた。
「日野くんの見立て通り、自然気胸だね。君はいい内科医になれるよ」
「ありがとうございます」
内心では、内科には興味がないな、と付け加える。
「ただし、家に返せる状態じゃない。
いつ重症化してもおかしくない」
すでに救急車を要請しているという。
患者はベッドで安静となり、酸素も投与されているらしい。
個人的には救急車を呼ぶほどではないかと思っていた。
家族やタクシーで病院に向かわせればいい、と考えていたのだ。
判断が甘かったようだ。
ほどなくして救急隊が到着し、患者はそのまま引き取られていった。
救急隊が去った後、先生は俺を見て困ったような顔をした。
そして口を開く。
――怒られるな、と直感する。
「今回は問題なかったけど、気胸が疑われる患者を歩かせて連れてくるのは感心しないね」
穏やかな声だが、内容は正論だった。
「君は素人じゃない。少しでもリスクがある行動は避けなさい」
俺は素直に頭を下げた。
「すみません。判断が甘かったです」
言い訳になるが、彼は整骨院まで自分の足で歩いて来ていた。
発症からもそれなりに時間が経っており、外見上は落ち着いているように見えた。
だが、その判断の積み重ねこそが油断だった。
「まあ、次から気をつければいいよ」
俺の肩を軽く叩き、先生は奥へ戻っていった。
その時、携帯のアラームが鳴る。
……まずい。
そろそろ鍼の予約が入っている。
受付でもらったお茶を飲み干し、俺は急いで整骨院へ戻った。




