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服の下を透視する能力を得たら、あなたは何をしますか?  作者: メモ帳ぱんだ


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第16話 治療の限界

「よろしく!君は若いのに凄腕らしいやん。楽しみやわ」


 犬飼選手は色々話しかけてくれる。

 俺がファンであることが、紹介してくれた山本さんから伝わっていたのだろう。ファンサービスを受けている気分だ。


 さっきまでの俺なら、飛び上がって喜んでいただろう。

 だけど、俺は犬飼選手の肩から目が離せなかった。


「ファンやと聞いとるから、サインボールも書いてきたんよ」


 ……サインボールは礼を言ってありがたく貰っておく。後で飾っておこう。

 間違いなく飼い猫のおもちゃにされるが。


 まずは、椅子に座ってもらう。

 肩のラインを目で追っただけで、違和感ははっきりしていた。

 左右で、筋肉の盛り上がり方が明らかに違う。

 力を抜いているはずなのに、右側だけ不自然に張り付いたように見える。


 一昨年あたりから、この人の見事なレフトの守備を見られなくなって残念だと思っていたが、その理由が分かった。

 ――この肩では、もう守備はできない。


 俺は一度だけ呼吸を整えてから、次の確認に移った。


「主訴は右肩の痛みですか?

 それとも、動かしづらさの方ですか?」


「痛みはどうとでもなる。

 問題は、思った通りに動かんことや」


 肩の腱、棘上筋(きょくじょうきん)腱と呼ばれる部分の損傷が激しい。

 腱の周りの筋肉は、かなり萎縮している。


 対応する腱が損傷してしまっている棘上筋は、特に酷い。

 何年も筋肉が萎縮しているだろう。一部が脂肪変性してしまっている。

 そう、長い間使われていない筋肉は永久に脂肪に変わってしまうのだ。


 よくこの状態で現役を続けている。どれくらいの痛みに耐えてきたんだろうか。


「これ、肩が上がりませんよね。ボール投げるどころじゃない……」


「……」


 饒舌だった犬飼選手が、急に無言になった。

 無言がしばらく続く。


 犬飼選手が一転して、真剣な口調で俺に聞いてくる。


「それは一応、公表してないんだけどなぁ。

 一目で分かったん?」


 視線が、俺の目を外さない。

 軽口を言っていた時の雰囲気は、もうどこにもなかった。


 少し間を置いてから、犬飼選手は核心に踏み込んできた。


「ヒノくんは、このどうしようもない肩を治せるか?」


「……無理です。鍼は腱を治す治療ではないんです」


 一度損傷した腱は、基本的には治らない。

 腱というのは自然には再生しない。正確に言うと、再生が途轍もなく遅い。


 外科手術でも、元通りに治るわけではない。

 確かに『再建手術』と呼ばれるものは存在する。

 だがそれは、切れた腱の端を骨に無理やり縫い付ける行為を、便宜上そう呼んでいるだけだ。

 機能も耐久性も、かつての状態には程遠い。少なくとも、プロスポーツの激しい運動に耐えられる代物ではない。


 鍼は、筋肉の問題にはある程度対処できる。

 だが、腱が切れてしまったものはどうしようもないのだ。


「じゃあ質問変えるわ。この肩、どれくらい持つと思う?」


 考え込む。何と言ったらいいか。

 じっと見られているのを感じる。この人はプロだ。

 誤魔化しても仕方がないので、正直に言った。


「現役を続けるどころか、日常生活も難しいんじゃないですかね……。

 一般的な医者なら、即座に腱板再建手術を勧めると思います」


 もちろん、その場合はスポーツはできなくなります、と補足する。

 突然、笑い出す犬飼選手。


「流石、あの堅物の山本君が何回も何回も推薦してくるだけあるな。

 俺もそう思うわ」


 鞄から、数枚のフィルムを取り出して見せてくれる。

 MRIの画像だった。


 流石、プロ野球選手だ。

 ここまで検査を受けている。

 筋肉の問題は、割とエコー検査で済まされることが多い。

 普通の整形外科では、ここまでの検査はできない、しない。


「チームドクターからは、引退を勧められたよ。

 でも二〇〇〇本安打まで、あと六〇本というところで辞めるわけには行かねえよな」


 まぁ、それはそうだ。

 二〇〇〇本安打というのは、それだけ特別な記録なのだ。

 個人としても、その後の監督就任は約束されたようなものだし、チームとしても初めての大記録達成者になる。

 無理やりやりたい気持ちも、よくわかる。


 引き続き、彼の体をペタペタ触りながら見ていく。

 右肩、そしてそこから繋がっている筋肉群は、かなりヤバい状態だ。

 それ以外は、きちんとカバーされている。

 肩さえ何とかなれば――

 いや、本当に「何とかなる」のか。


 あまりにも、酷い。


 俺の中でも、まだ結論は揺れていた。

 しばらく、沈黙が続いた。


「……ニャン♪」


 奥の部屋から、ファシアの気持ちよさそうな鳴き声が聞こえてくる。深刻な空気が台無しだ。

 先輩がマッサージを試しているに違いない。

 その、よく分からない沈黙を破ったのは犬飼選手だった。


「去年の半ばくらいから、肩がもう全然いうこと聞かんねん」


 スイングする時だけでも、痛みを抑えたいらしい。

 今シーズンになってから、特に酷く、出場を取りやめている日もあるようだ。


 少し待つように伝えて、裏の事務所に行く。

 事務所では、綾辻先輩のマッサージを受けて、ファシアがあられもない姿を晒していた。

 この人、一応仕事中のはずなんだけど……まぁいいや。


 この人は、あり得ないくらい有能で、給料以上に仕事をしてくれている。多少サボっていてもいいだろう。

 ファシアは俺の視線に気づいて、ちょっと気まずそうだ。

 浮気の現場を見てしまったような、変な感じがある。


「あれ、ヒノくん。どうしたの?」


「野球のバットを、その辺に置いてたんですけどね。あった、あった」


 押入れから木製バットを取り出した。

 プロモデルのバットだ。それを持って処置室に戻る。


「これで、ゆっくりスイングしてもらえませんか?」


 犬飼選手がスイングしているところを、何回か眺めさせてもらう。

 なるほどな。スイングがうまくできない原因は、予想通りだ。


「あなたの体では、防御性収縮という現象が起きています。

 脳が腱の異常を感知して、周囲の筋肉を収縮させているんです」


 この説明は、「診断行為」と言われても仕方がない。

 だけど、ぼんやりとした言葉ではなく、正確に伝えたかった。


 腱が損傷していても、可動域には影響しないと普通は思うだろう。

 腱というのは、筋肉と骨を繋ぐ丈夫なロープのようなものだ。

 それ自体はほとんど動かないし、腱を構成する何本かの繊維が切れても、

 直感的には、肩の可動部に影響がないと思うかもしれない。


 だが違う。腱の損傷は、運動能力に直結する。

 人間の脳というのはよくできていて、腱が損傷すると周りの筋肉を固定させ、動きを鈍らせる。


 そして、他の筋肉や腱がカバーするのだ。

 一般人なら、この代替で十分だろう。

 しかし、プロはそうもいかない。


「ヒノくんは、この肩を再び動かすことはできるんか?」


 それを聞かれることは分かっていた。

 どう答えようか。俺は十秒ほど、大きく息を吸い込んでから答えた。


「はい。僕は、犬飼選手の肩を今より動くようにすることはできます。」


 真正面から視線を受け止めて、静かに続けた。


「ただし、それをやった瞬間から――

 あなたは『野球選手としての未来』を失います。」

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