さよならも言えないなんて
何かがカランと地面に落ちる音が狭い部屋に響き渡る。
「えっ?あ、あれ?な、なんで?」
状況を飲み込むことが出来ないシルキーの戸惑いの声が塵芥のようにこぼれ落ちた。
俺からはシルキーの後ろ姿しか見えていないが、投げ渡されたクリスを受け取ったところはしっかりと見た。あれだけ大切にしているクリスをシルキーが地面におとすことはしないだろう。そして大鎌の先端部分は大きいため俺からも視認できる。それにもかかわらず、地面には棒状のものが転がっている。
「クリスちゃん?クリスちゃん!」
シルキーの悲痛な叫びが反響する。
なんとなく分かってしまう。
クリスは既に壊されてしまっていた。
「シェラタン!」
俺の口から怨嗟を込めた音が出た。
その声の対象はシェラタンであったが、当の本人は悲痛な顔を浮かべていた。
「どうしましたか?ロージスくん」
更にはシルキーを見ながら悲しそうな表情まで見せている。この状況を生み出した本人にも関わらず何故そのような表情をすることが出来るのか理解できなかった。
「お前、クリスを壊したのか?」
「はい」
何の感情もない声で返される。それを聞くと同時にシルキーの動きが止まった。
そして徐ろに立ち上がると、ゆっくりとシェラタンの方へと歩みを進めていく。
危険であるため止めたほうがいいのだろう。しかし、シルキーの雰囲気がそれを許してはくれなかった。今のシルキーを止めてしまえば俺が恨まれてしまうかもしれない。
今のシルキー自分のアーティファクトを破壊され、それをした張本人がそこにいる。
「お前――」
「どうかしましたか?シルキーさん」
「なんで!?ロージスくんたちを連れてきたらクリスちゃんを返してくれるって!さっきだって何もしないって言ったのに!」
今まで聞いたことのないシルキーの怒声。シェラタンの胸ぐらを掴みながら怒りの感情の全てをシェラタンにぶつける。シェラタンは自分がそれをされることは当然といった顔でシルキーを見つめ返していた。
「ちゃんと返しましたよ。それに何もしないとは言いましたが何もしていないとは言っていません。貴方達が来た時には既に壊していたので来てからは何もしていませんよ」
手から力が抜けたようにシェラタンを掴んでいる手が離れていく。それでもシルキーはシェラタンから顔を背けはしなかった。
後ろから見ているだけの俺にはシルキーの表情を見ることが出来ない。
「は?」
「だから貴方達が勝手に私のことを決めつけていただけで私の言葉に嘘偽りはありません。そちらの決めつけで私を嘘つきにしたいのですか?」
自分がやったことを棚に上げて、自分には非がなく相手が悪いと言うシェラタンの語り口はシルキーだけではなく俺たちにも苛立ちを覚えさせる。
「なんで、クリスちゃんを壊したんですか……」
「アーティファクトだからですね」
「それだけの理由で」
「それが一番の理由ですよ。そもそも盗られる方も悪いとは思いませんか?」
シェランは俺の方へと目線を向けて話し出す。
「私だったら襲われたその日にアーティファクトとその契約者を一人にすることなんてしませんけどねえ。いえ、ロージスくんが悪いと言っているわけではなく一般論の話ですよ。危険だと分かっていながら放置する、それで何か起こったはこちらのせいにする。簡単でいいですね」
シェラタンの言う事に一理あると思ってしまう俺がいることは確かだ。今更言っても仕方ないのだが、危険だと分かっていたのにシェラタンの1週間を鵜呑みにして余裕を作ってしまったのは俺の落ち度だ。それがなければクリスが破壊されることはなかったし、シルキーが悲しむことはなかった。
実際に目の前で破壊されたアーティファクトを見たのは初めてだった。この部屋に転がっているガラクタのように、何も感じられないただの残骸のようになってしまう。
リーナがそのようになってしまうことを想像しただけでも震えが止まらないのに、シルキーは目の前でその現実を見せつけられてしまったのだ。
シェラタンは俺に対してそれだけを口にするとシルキーの方へと向き直った。
「シルキーさん」
シルキーは何も答えない。
「私も申し訳なく思っているんです。先ほどの話を聞いている時に申し訳なさで涙が溢れてしまいました。さよならも言えないなんて可哀想だなあと」
シルキーは何も答えない。
「でも安心してください。これでアーティファクトの契約者としてではなく普通の人間として生きていくことが出来ますよ。貴方の大切なアーティファクトを壊した私に対して感謝の心はおろか殺意や敵意を抱いていると思います。その感情をしっかりと受け止めさせてもらうのでどうかこれから安寧に生きて貰えると私も嬉しいです」
シルキーは答えない。
力なくその場にしゃがみ込み動かなくなった。手に持ったクリスの亡骸を胸に抱え、泣くことも喚くこともなくただ座っている。
「リーナ」
俺はリーナへと呼びかける。
「うん」
返事を合図にリーナを武器化した。武器化したリーナから伝わってくるのは怒りの感情。剣がいつもより熱く感じる。
リーナもシルキーとクリスが傷つけられたことに怒っているのだ。
「シェラタン。お前だけは許せない」
「許す許さないの話ではありませんよ。まあ、アレです。武器化したということは戦う意思があるということでいいんでしょうか」
「当たり前だ。お前を拘束して憲兵に受け渡す」
俺の言葉に対してシェラタンは面白そうに笑った。
何故か後方からは大きなため息が聞こえてきた。
「面白いですね。先に言っておりましたが私はロージスくんたちの能力を知っています。知っていてこの場を選んでいるのです。それを分かった上で戦闘を行うってことでよろしいのですか?」
「ごちゃごちゃうるせえ。お前だけは絶対に倒す」
「ふむ。やる気満々といったところでしょうか。アーティファクトを破壊するのはロージスくんを行動不能にしてからでもいいでしょう。おい!そこの片割れ!」
シェラタンは後ろで控えていたヘイルに向かって呼びかける。
「片割れ?私のことですか?」
「シルキーさんを運びなさい。戦闘の邪魔になる」
「分かりました。いいですよ」
ヘイルは素早く座り込んでいるシルキーの元へと向かうとシルキーを担ぎ上げて元の位置に戻った。運ばれていく時にシルキーの顔が俺の目に入った。
涙も流れることを忘れてしまったかのように時が止まった顔。瞳は何も映ってはいないほどの黒。今のシルキーにはどんな声かけも届きはしないだろう。
それほどの絶望を与えたシェラタンのことを許せるはずがなかった。
俺達とシルキーの関わりはまだまだ浅い。シルキーとクリスの関係も教えては貰えなかった。それでも毎日俺の怪我を治してくれた恩がある。
それにリーナとも忌避感無く友達のように話してくれた。シェラタンを倒したところでクリスは戻ってこないだろう。シルキーに刻み込まれた絶望が無くなることはないだろう。
ほんの少しでもシルキーとクリスが救われるために俺はシェラタンを倒す。




