その武器に何を思う〜シルキー・ヒーレン(4)〜
ある日のこと。クリスの元から帰り、家で寝る支度をしていると家の外から話し声が聞こえてきた。気になって窓に耳を当てて会話を盗み聞きする。
「本当に見たのか?」
「見たよ。間違いなく見た」
「大きな魔獣だろ?本当にいるのかね、こんなところに」
「森で見たんだよ。怪我してたが確かに魔獣だ。俺は怖くて逃げて来ちまった」
「やっぱり森の奥の魔女がなんかしてるんじゃねーの?」
「おっかねぇ……」
その言葉を聞いて、シルキーは今にも飛び出して村人をボコボコにしてやりたくなった。それほどまでにクリスのことを悪く言った村人のことが気に入らなかったのだ。自分の事を悪く言われたり罵られたりするのは心が傷付くが、大切な人が悪く言われるのは怒りが湧き上がることを知った。
それよりもクリスのことが心配になったのだ。森の中に魔獣が居るのならクリスがその魔獣に襲われてしまう可能性もある。
「(すぐにクリスに伝えなきゃ)」
夜も更けて辺りは真っ暗になっている。シルキーは何度もクリスの家へ行っているうちに目を瞑っていてもクリスの下へとたどり着けると自負していた。
それまでは行きも帰りもクリスが付いてきてくれたが、たったの1回だけクリスの元へと自分だけで行くことが問題だとは思わなかった。何故クリスが毎回シルキーのことを送ってくれていたのかを一切考えもしなかったのだ。
「(今日はクリスの所に泊めてもらおう)」
そんな甘い考えを持ってシルキーは家をゆっくりと飛び出し、クリスの元へと向かうため森の中に入っていった。
シルキーは昼間とは違う静けさを纏った森をひとり歩く。僅かな風によって生じる木の葉のこすれ合う音も、ひとりで聞くと底しれない恐怖を感じた。いつもならばクリスと歩いている道も、ひとりになってしまえばとても長く感じる。
クリスの家まであと半分という距離になったところでシルキーを呼ぶ声が聞こえた。
「シルキー?なんでここに……」
「クリスちゃん?今から会いに行こうと――」
クリスが前方からライトを持って近寄って来た。クリスの姿が見えた瞬間、今まで感じていた不安は吹き飛び安心感に包まれ、クリスの元へと急いで駆け寄る。
「こんな遅い時間になんでいるの。ひとりで危ないじゃない」
初めて見るクリスの表情にシルキーの足は止まった。経験をしたことがなくても分かる怒りという感情を向けられていた。クリスがシルキーのことを心配していることはシルキー自身も分かっている。それと同じようにシルキーもクリスが心配だったのだ。
「クリスちゃんに、早く伝えなきゃいけないことがあって」
「伝えなきゃいけないこと?」
「うん。村の人達が言ってた。大きな怪我をした魔獣がこの森にいるって。それでクリスちゃんが危ないから早く伝えなきゃって」
クリスは大きなため息を吐く。
「怪我をした魔物?それで森の中に入ってきたらシルキーだってあぶな――」
その時だった。
森の茂みから草木を掻き分けるような音が聞こえた。風が木々を揺らす音とは違う、何かが移動している音。
「クリスちゃ」
「しっ。静かに。私たちが話してた声で近寄ってきたのかもしれない」
クリスはシルキーを抱き寄せて口に手をかざす。
何かが通り過ぎるのをじっと待つ。木々を掻き分ける音はどんどん2人の近くへ移動してくる。すぐに逃げ出さないのかとクリスに意見しようと思ったが、木々を真剣に見つめるクリスに何も言えなくなってしまった。
シルキーの口元を押さえる手に力が入っている。クリスも今の状況に緊張しており神経を張っていた。
野生の生物というのは耳の他に鼻も効く。
それこそ森の中で聞き慣れない音が無くなっても嗅ぎ慣れない匂いに誘われるのだ。
「あ、あ、あっ」
ゆっくりと何かがこちらへと近付いてくるのがはっきりとわかる。何かはふたりの方を見て、認識した上で移動してくるのだ。その猛々しい佇まいにシルキーの足は震えが止まらなかった。
「シルキー、ひとりで逃げられる?」
「(駄目。無理。私死んじゃうんだ。ここで死ぬ)」
目の前に佇むはシルキーよりも3周りは大きい獣。巨大な牙を携えてこちらを睨みつけるように立ち止まった。
「駄目か。聞いた通り足に怪我をしている」
獣は太い足が血まみれになっていた。人間の張った罠か、同族争いかは分からないが怪我をしたことにより気が立っているようにクリスには見えた。
クリスたちの観察など知らぬ存ぜぬと獣は二人に向かって飛びかかってきた。
「あっぶな」
間一髪シルキーを抱えながら地面を転がって獣の突進を避ける。獣は間違いなく2人をターゲットにしていた。
「シルキー、シルキー!」
ガクガク震えているシルキーに声を掛けるも返答はなかった。やむを得ない状況のため、クリスはシルキーの頬を叩く。
「いたいっ。え、クリスちゃん。魔物は」
衝撃で少しだけ正気を取り戻したシルキー。
「あそこにいる。私たちを狙ってる。シルキー、ひとりで逃げられる?」
「む、無理。足が動かない」
「分かった。それじゃシルキーはここで待ってて。私が囮になってあの獣を誘導するからその間に逃げて。足が動かないとか言ってる場合じゃないよ」
「でも、クリスちゃんが危ないよ」
「私はアーティファクトだから大丈夫。それに私が逃げ切らないとこの魔物の討伐依頼も出せない。安心して」
クリスは自分の事をアーティファクトというがシルキーはその姿を見たことがない。普通の女性として過ごしている姿だけを見ていたため安心などできるわけもなかった。
それでも、自分が助かるにはクリスの言う事を効くしかないことも分かっていたのだ。
「大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ。私を信じて」
魔獣は再びこちらを見据える。クリスは獣から視線を離さない。1回だけ私の方を見ずに頭をなでると、その場に私を置いて獣の注意を引くように大きく走り出すと声を上げた。
「おいっ。魔物。こっちに来なっ」
その声の方へと魔獣は視線を向ける。クリスの目論見通り、シルキーから注意がそれた。その隙を見てシルキーも逃げ出そうとする。
「(足が動かない。腰が抜けちゃってる)」
しかし、いきなり命の危機に陥った恐怖からか身動きを取ることが出来ない。
魔獣は大きな動きをしているクリスに狙いを定めだが、視界の端には動けないシルキーのことを捉えていた。
魔物に限らず、自然界における生物は弱いものから淘汰される。目の前で自分を大きく見せ、自分に歯向かってくるクリスよりも動けなくなっているクリスを狙うのは自然なことだった。
「(なんで、私のこと見てる。魔獣が私を。本当に死んじゃう)」
一層の恐怖から魔獣姿も見られずにシルキーは目をつぶってしまった。
それを合図に魔獣はシルキーに突進を仕掛ける。地響きにも似た足音が自分に近付いてくるのをシルキーは感じて体がこわばってしまう。
「(ごめんなさい。クリスちゃん。私が勝手な行動をしたから)」
心の中での独白は最後まで言い切る前に横から突き飛ばされる衝撃によって終わりを迎えた。
魔獣が突進してきたにしては死んでもいないし痛みもない。その違和感からゆっくりと目を開けると――。
「えっ、クリスちゃん?」
「あ、はは。シルキー、だいじょ、うぶ?」
クリスのお腹には魔獣の牙が突き刺さっており、胴体を貫通していた。
ここから入れる保険はない




