行灯
ヘイルの一件から数日が経過した。それ以降も毎日のように修行をしているが怖いくらいな人の変化もなく毎日を過ごしている。夏の暑さで変な夢を見ていたと勘違いただけだと思ってしまうくらいヘイルの様子は普通だ。
ヘイルにとっては特別なことを言ったつもりはなく、ただの雑談のつもりだったのだろう。気にしているのは俺だけで、1日経つ頃にはリーナも気にはしていなかった。
あまり比較をしたくないが人間とアーティファクトの差が顕著に現れてしまっているらしい。
修行が終わったらいつものようにリーナと共に保健室へ向かう。ヘイルは修行が終わるとすぐに水浴びをしたいと言って帰ってしまうことが多い。保健室まで付いてきてもらう必要もないので引き止めることはしない。
「失礼しまーす」
「シルキー、いる?」
扉を開けて保健室に入ると定位置に座っているシルキーと目が合った。本日も看護師のような服装には不釣り合いなほど大きな鎌を手に持っている。人を救う役職なのか命を奪う役職なのか一見では分からない。
「居ますよ。居なかったことないじゃないですか」
「確かにな」
毎日来ているため、保健室にいることに慣れてしまった。何処に何があるかまでは分からないがいつも座る椅子や定位置など自分のテリトリーが少からず生まれている。下手な動きをするとシルキーに怒られてしまうので動き回ることはせず治療を受けることに専念している。
夏休みに入る前に言っていた通り、シルキーは毎日保健室に来てくれていた。朝から修行している為、いつシルキーが学園に来ているかは分からないが律儀に修行終わりには保健室に居てくれている。
「本当に毎日来るとは思いませんでしたよ」
「実家に帰らない以上暇なんだよ。兄貴が帰ってるから俺は帰る必要もないしな」
「お兄さんがいらっしゃるんですか?」
「上に2人な。1人は既に領で働いているから学園に居るのは次男のダレンズ・グレンバードだけだ」
「そうですか」
俺の首に鎌の内側が添えられた状態で雑談に興じる。この状況に恐怖を感じることは無くなった。同じ治療を続けられていく内に脳が恐怖するという思考を放棄してしまったらしい。
俺の話に興味がないようで、シルキーはテキパキと治療の準備を進めている。治療の準備と言ってもクリスを使って俺の身体を通過させるだけだが、大鎌のため位置取りが大変なのだ。
他人を攻撃できないが実体のある武器のため、ものなどに当たれば壊れてしまう。治療にも準備が必要らしい。
「はい。今日の治療は終わりです」
身体を大鎌が通過すると、疲労感や痛みなどが外側に押し出されたような感覚に陥る。体の内側には何も残っておらず、目覚めたときと同じような爽快感が頭をクリアにする。
「今日もありがとな」
「お元気そうな顔を見せてもらえてうれしいですよ」
「暗くなってきたし帰るか、リーナ」
「うん。シルキーを送ってく」
「今日もお願いしますね」
俺が保健室に来る前には帰り支度を済ませていたシルキー。俺とリーナも立ち上がって保健室から出ると、最後に出てきたシルキーは鍵をかけてその場を後にする。教師陣から信頼されているのか鍵の管理を任されていた。
帰り道でもシルキーはクリスを大事そうに抱えている。小柄な学生の女の子が身の丈に合わない大鎌を持っていると目立ちそうなものだが、王都に住んでいる人はシルキーの姿に慣れているようで変な目で見られることはない。
一緒に歩いているリーナの方が忌避の目で見られ、星が瞬くの時間にも関わらずリーナの周りは海が割れたように道が広がっている。
学園内では話すことはないにせよ露骨な行動は殆ど起こらなくなっていた。他の生徒もいちいち気にしているのが面倒になったのかもしれない。しかし王都の住民は違う。リーナがどんな人なのか全く知らない彼らは、悪意の対象としてしかリーナを見ることが出来ない。
フードを被ることを提案したこともあったが、俺の目指すところの話を出されてしまって言葉が出てこなかった。リーナが過ごしやすい世界にしたい、それをリーナが感じるためにはフードを被り隠して生きていてはいけないと言われてしまった。リーナは何も感じていないようだが、何度体験してもこの状況は俺にとって辛い。
幸いなのはいつも帰る時間とは違い、暗くなっているためリーナの目の色には気づかれ難くなっていると言うことだけだ。白い髪はあらゆる光を反射して目立たせる。星明かりでさえも。
「だいぶ暗くなってしまいましたね」
シルキーの住んでいる宿は王都の奥まったところにある。人通りはどんどんと無くなっていき、商店などが何も無いただの居住区だった。夜になれば皆家に帰るため、外で騒いでいる人もおらず王都の喧騒が幻だったかのように静けさが住宅街を包んでいた。
「この暗さでこの道は危険だろ」
「今日はもう暗くなってしまっていますがいつもは明るいから大丈夫ですよ」
シルキーの住んでいる宿は値段が安い代わりに裏路地を通過していかなければならない。街灯などもなく、真っ暗な道を月明かりだけを頼りに進んでいく。動物などが根城にしていることもあり、人間が通ると何処からとも無く鳴き声が聞こえてくる。
「遠くないっていっても毎日ここから通ってくるの大変だろ」
「クリスちゃんのためでもありますから」
「クリスとシルキーはどんな関係なの?」
シルキーを先頭に俺とリーナがその後ろをついて行った。
不意にリーナから質問が飛び出す。俺も気になっていたことだったが、2人の関係性を知ったところで何も無いと思い聞くことはなかった。リーナも興味があるから聞いたと言うよりは話の流れで聞いただけだろう。
前方を歩いていたシルキーは立ち止まる。ぶつからないように俺とリーナも立ち止まってシルキーの話を聞く。シルキーは振り返ることもせずに言葉を吐き出した。
「クリスちゃんと私の関係ですか?――友達です。一番大切な」
シルキーの表情を見ることは出来ない。答えるまでに少しだけ間があったこと、その声が少しだけ震えていたことからあまり話したくないことだけは分かる。常に武器化していることも何か関係しているのかもしれない。
「なんか、悪いな。話したくないこと聞いちゃったみたいで」
「今日はいきなりなのでちゃんと話せませんが、ロージスさんたちには話しても良いと思っています。私とクリスちゃんのこと」
「いいの?」
「良いんです。私が友好的に思っている、それだけですから」
話の間、シルキーは一度も顔を見せてはくれなかったが不快感はなかった。出会った頃よりもシルキーの人となりも知っている。恥ずかしくて口には出せないが友好的な関係を気付けているだろう。いつかシルキーの準備が整った時に自分から話してくれるのを待っていても良いかもしれない。
「それなら待ってるよ。どうせ修行してるから毎日会うわけだし、話したくなったら――」
「その話、僕にも聞かせてくれませんかねぇ」
闇夜の道。月明かりに照らされた手元からは見えない闇の中から知らない誰かの声が聞こえた。
敵が出るの珍しくない?




