「君を愛さないなんて言わなければよかった」
「悪いが女性の扱いが苦手でな、興味もあまりない。君を愛することはないが政略結婚の務めだけは果たそう」
結婚式のあと、初夜を迎えたところで、急に告げられた言葉。
私の夫はヴァイスブルク王国の国王ヴィルヘルム陛下。金髪碧眼の美男子だ。
私の名はエーレンガルト。隣国ローテンクローネ王国から王妃として嫁いだばかり。赤毛に紫の瞳、『ローテンクローネの巨峰姫』の二つ名を持つ自分でいうのもなんだけれど、美姫だ。
私たちの顔合わせは今日が初めてだ。
結婚式の時からえらく淡泊で、さらにパーティでも臣下との付き合いのほうばかりに気を取られていらっしゃるなあ、と思ったらそういうことか。
「男性がお好きでいらっしゃるので、女は無理ということですね」
「理解力が飛躍しすぎだ、もう少し手前で軟着陸してくれ」
「男性同士のご交流に集中したくて、あまり女性との関係に興味は無い、だから私との結婚も興味の無い女との関係が増えたというだけで、私自身に興味を持てる気がしない。だが責任として政略結婚相手としての責務は果たしていただけるということですね?」
「……そういうことだ」
私があけすけに言語化してしまったせいか、陛下は酷く気まずそうに目をそらした。
「まあ想定内です。ご安心ください」
「なんだって?」
「説明してもよろしいでしょうか? 失礼な言葉選びになるかもしれませんが」
「許可する」
私はこほんと咳払いして、背筋を伸ばして言った。
「まず隣国にとどいた陛下の情報によると、ご公務に邁進して各地の現状にも明るく、八面六臂の活躍であちこちで働いていらっしゃるとか。それでいて浮いた話もなく、25歳まで独身でいらっしゃって」
「そうだな、合っている」
「お姿も美しいです。金髪は艶やかで光を放つようですし、真っ青の瞳もぞっとするほど青くて、まるで吸い込まれそう。背もお高くいらっしゃって話し方も落ち着いていて、多くの令嬢の夢枕でみだらな妄想をされていてもおかしくない美しさです。令嬢だけでなく親世代、祖父母世代の人々まで、是非美しい陛下と閨で一夜の過ちを犯したい……と生唾を飲んでしまうのもやむを得ないお姿で」
「だいぶん失礼の分量が増えてきた気がするぞ」
そう言いながら、陛下は「ははあ、わかったぞ」と顎を撫でる。
「女性と浮いた話がないから、男色を疑った訳だな?」
「実際どうなのですか?」
なぜか自信満々に陛下は胸を張る。
「男の裸にも興味はない。そもそも惚れた腫れたに興味はない、普段親しくしている者たちに閨に誘われれば反吐がでるわ」
「女の裸にも男の裸にも興味が無いと。強いてどちらに性欲を催すかなどはございますか」
「………………そういう意味ではまあ、女性の方が」
「つまり人間として女はつまらなく付き合いを深める価値はないが、肉欲のはけ口としては女肉に反応する、ということですね」
「待て。そう言うとあまりにも私が女性に失礼だろう。訂正を求める。私は女性と付き合うのは苦手だし、浮ついた恋愛だのには興味も無い、よって女性とも仕事の付き合い以上のことはしたくなく、面倒ごとを起こして煩わしい仕事が増えるのも迷惑だ。だから最低限の政略結婚以外には興味がないが、最低限義務として、務めを果たすつもりはある。だから私を女性の肉体にしか興味が無い扱いをするな」
「承知いたしました。肉欲を催すし義務を果たす対象としての相手ではあるが、交友を深めるにはコストとリスクが高いので、できる限り最低限度の義務と礼節で済ませたいということですね」
「合っている」
「よかったです。私の胸にはしっかり釘付けになっていらっしゃいましたので、一応女の肉体には興味はおありなんだろうなとは思っていたので」
「見ていない」
「妻なので別に見放題ですが」
「出すな、しまえ、今は話をしたいのだろう」
陛下はフロントホックを止め直そうとして、止められずに四苦八苦する。
「なんだこれは、どうなっている」
「本当に女になれていらっしゃらないのですね」
「うるさい。君がつけろ」
「せっかくなので揉んでみては」
「だから愛するつもりはないと言っているだろう!」
私は陛下の顔を見た。耳まで真っ赤になっている。
「愛さなくても胸は揉めますよ」
「私を肉欲の権化のように言うのは辞めろ」
「つまり肉体交渉を持つおつもりもないと」
「……ああ」
「つまり陛下のおっしゃる『愛する』というのはイコール性交の婉曲的ひょうげ」
「全部言うな! そういうことだ!」
陛下はすっかり耳まで真っ赤になって、諦めたように私のフロントホックから手を外した。母国では陰口で『あの乳姫殿下』と言われるような私の割と豊満な胸がよほど刺激が強かったらしい。陛下は顔を背けてうめく。
「私は最低だ……」
「あの、お気持ちはお察しいたします。私も自分の胸ながら、触っていて手触りが心地よいなと思うことがありますもの。特に両のふくらみの下のあたり、左右のお肉とみぞおちで挟まれた空間に手を入れると温かかくて湿っていて、ふかふかで」
「具体的に話すな!!」
「失礼しました」
私は多少前屈みになり、よっとフロントホックを止めて背筋を伸ばす。
そして話を続けた。
「ともあれ私は陛下の婉曲的表現として愛されなくても結構です。ただこの柔らかいところに寒い日に手を挿入されますと、かじかんだ手がじんわりと温まって心地よいので少々もったいないかなとも思いますが」
「はしたない事は言うな、これ以上!」
「不思議ですよね、初夜の話や子作りの話は表だって皆さんやっていらっしゃるのに、ここに手を挟む事を語ると途端に不適切な話になるのは。個人的に子作りの話の方がよほどあけすけで、私、外では話せないのですが」
「待て、その谷間の下乳に手を突っ込む話は外でやっているのか」
「やっていません」
「話を戻すぞ、いつまでも下乳の話をしていては夜が明ける」
「ふふ、夜が明けるまで女性とお話するのって初めてではないですか?」
「女性との初めての長話を下乳トークにするつもりはないぞ!」
「現時点までの一番の長話はどんなお話ですか?」
「…………この会話だ」
「おめでとうございます! 女性との長話、実績解除ですね!」
「こんなつもりでは!」
陛下がシーツの上を拳で叩く。ふかふかのベッドなのでよく揺れたけれど、ぼすん、という柔らかな音が立つ程度だ。
「ともあれ私は愛されなくてかまいません。愛なんて人を狂わせるものですもの。長い人生共に過ごすのですから、浮ついた衝動と興味と肉欲をコーティングした愛なんて興味がございません。私は陛下に全てを捧げる覚悟で嫁ぎましたが、義務以外の関係は構築しないというご希望でしたら、それにお応えするのもまた『全てを捧げる覚悟』の内に入りますわ」
「……すまない、そこまで覚悟をしてくれていたのに、私は」
「いえ、愛されなくて本当に結構です。これは本気です」
「いやに強調するな」
「愛は人をおかしくしますし、そもそも今の陛下も愛におかしくなっているといいますか男性同士の友愛にこだわり、べったりなさっているのはちょっと依存的といいますか、その重さを私に向けられましたら、同じ熱量で応えることを期待されましたら、正直」
「そこまで私が友人に依存しているようにみえるのか」
「されているでしょう。これまでの会話の無礼はさらっと流してくださった陛下が、お友達の話になられた途端に真顔になって今にも殴りかかりそうな顔をなさるのが何よりの証拠です」
「……気をつけよう、そこにつけいられたら問題だ」
「そのようになさるのが一番かと」
私たちの間に沈黙が降りる。
ベッドの上、私たちは改めて互いを正面から見た。
「愛はいりませんので、子供だけ作りませんか? 男女の営みがなくとも子種さえあれば子供はできます。母体はここにございますので」
「営みなしに子供はできないだろう」
「とある国の後宮に入った経験のある友人から道具を貰っております。こちらに」
「なんだこれは」
「可愛い見た目でしょう? この道具の中に新鮮な子種をそそいでいただけましたら、こちら側を私の方に、……こう、すれば」
「うわっ!? そういうことか!?」
「これで妊娠できるそうです」
「え、えげつないな……こんな物が……あの後宮にはあるのか」
「どうしても生みたくない妻と、どうしても生みたい妻が金銭で子種を密かに融通することがあるとか、ないとか」
「女性不信になりそうだ。そんな国で国王を務められない」
「よかったですね」
彼は改めて私を見た。
「しかし君は、君への扱いがそんなでいいのか。……その、なんだ。女性は愛や丁寧な営みを求めるのではないのか?」
「愛されたいと願っている方なら必要かもしれませんが、陛下は愛はなくても私との婚姻は続けたいと思っていらっしゃいますし、愛がないからといって私を冷遇なさるおつもりもないのですよね?」
当然だ、と陛下はしっかりと頷く。
「政略結婚だ、そのようなことをしては君の実家に協力関係を願えないし、義務がある。書類も交わしたはずだ」
「そうですね。ではお互い義務として、愛はなくとも子供を作り、子供の養育環境を整える許可をいただき、また私に相応の待遇をいただけましたらそれ以上何も望みません」
「そうか」
私は陛下に頭を下げ、恭しく例の道具を捧げる。
「では陛下、今夜はこちらをお渡しします。後日気が向かれた時にいただければ」
「……いや」
「え?」
「いらん」
「それは困ります、私は子供を産まなければ、」
最後まで言葉は続けられなかった。
ぼすん、とまた再び柔らかな音が立てられる。
気がつけば私は天井を見上げていた。
ぬっと、視界が陛下の生真面目そうな顔で覆われる。
「前言撤回する……君を愛することにした」
「ははあ、肉欲に耐えきれなくなられましたか」
「違う! その、ここまで私に気を害するでもなく、長い時間をかけて話に付き合ってくれた女性が、その……初めてで」
「長話って、まだ15分程度ですが……」
「その間さえもこれまで保たなかったんだ、私は! まったく、その長話の大半が下乳の話など……ど、どうかしているぞ! 君という女性はなんなんだ!」
「もしかしてこれから殴られたりします?私」
そこまで気分を害させてしまったかと危ぶんでいると、柔らかい優しい口づけがおりてきた。触れるだけの震えるキスだった。急に、私は幼い頃に保護した迷子のひよこを思い出した。ぷるぷると震えるひな鳥のような金髪の男性が、私を熱っぽく切実に見つめている。
ひよこは保護しなければ、私はその頭を胸に抱きしめた。
なでなで。頭を撫でてあげると、陛下はびくびくっと震えた。
「ッッ……し、刺激が強い! 馬鹿者!」
「失礼致しました」
陛下は怒った顔をして咳払いする。そして顔を近づけて、あらためて私に告げた。
「私の愛が重くてめんどくさそうだと、君はさっき言っただろう」
「はい。確かに申し上げました」
「どれだけ面倒な相手を本気にさせたか教えてやろう。喜べ、私は君を嫌というほど愛してやる」
その怒ったような興奮したようなよくわからないざらついた声の宣言に、私は今まで知らなかった、頭がくらっとするような熱を感じた。
「……本当にあったかいな、びっくりした」
「でしょ?」
――結果的に例の道具はベッドの下に転がって、数日後に埃まみれで拾い上げられることになった。
1年経たずに、国王陛下によく似た金髪の王子が誕生した。
◇◇◇数年後◇◇◇
「結果的に愛がめちゃくちゃ重くて面倒なんですけど」
「最初から言っていただろう。君の私に対する分析は的を射ていたというわけだ、喜べ」
「はあ……」
「喜べ、命令だ」
「わーい…光栄です……」
私が棒読みで喜ぶと、陛下は満足そうに頷いて、私を後ろから抱き寄せて肩に顔を乗せる。
私のお腹を、陛下は後ろから包み込む。
四度目の臨月のお腹は、包装紙に包まれた飴玉のようにふっくらとしている。
陛下はわくわくを隠さない甘い声で言う。
「次の子はどんな子だろうな。可愛いのは決まっているが、君似の赤毛か、それとも私に似た金髪か」
「金髪のほうがいいですよ。赤毛だったら陛下に執心されてぐりぐりされて大変です。アンナミラなんて陛下を見たら頭を抑えるではないですか、せっかく巻いた髪をぐしゃぐしゃにされたから」
「子犬みたいで可愛いと思ってしまったんだ」
「そういうご配慮のなさ、本当にいつまでも変わりませんね、結婚当初から」
「ぅ」
陛下は黙って、私のお腹を撫でさする。
ごまかすような拗ねたような態度が可愛らしかった。
「仕方ないだろう……君以外の女性は、知らなかったんだから」
結局女性に慣れないだけで依存気質で、弱気の反転で強気に出ていただけの陛下は私と初夜を迎えて以降、刷り込みを受けたひよこのように私をとことん溺愛した。
「……君といると自分が恥ずかしくなる。幼かった」
「幼いなんてことはないでしょう、公務をしっかりお務めで」
「そういう意味ではない。私は君に大人にされたんだ」
うっとりとそんなことをいうものだから、私はたまったものではない。陛下は悪気がなくとも周りからは変な目で見られるのだ。
「そうか……あの陛下を大人に……」
「あれで……堅物の……陛下が……陥落した……」
「さすがローテンクローネの巨峰姫……」
ーーこんな視線を浴び続けてしまっている。
まあ確かに半分くらいは当たっている気もするし、それで恥じる謂れもないので堂々と胸を張っているけれど。
母国とこの国、両方の平和に寄与できているのだから、私に対する多少の揶揄くらいはどうでもいい。世継ぎはどうのとか、夜の営みがどうの、といった話題を昼間からあけすけに話す人たちに揶揄される謂れはない。私は堂々と胸を張る。四人の子供に恵まれて、ますます質量が増したこの胸を。
「早く生まれて欲しい。生まれたらまた、次の子が欲しい」
「多産虐待を訴えてみたい発言ですね」
「訴えないだろう、君は」
「そうですね。陛下はデリカシーはありませんが愛はたっぷりありますので。まあ私、陛下の愛は必要ありません、私は前言撤回しない女ですけど〜」
「そう言わないでくれ、私は君を愛さないと死んでしまう」
「私が愛を欲するタイプの花嫁でしたら、最初の時点で死刑宣告でしたよね?」
「済まない、一生をかけて償う。頼む。愛させてくれ」
いつもの戯れを、私たちは今日もやる。
可愛い陛下だ。
可愛いだけではちょっと許してあげたくないので、私は意地悪な復讐を今更することにした。
「ところで『私が女性に失礼だろう。訂正を求める』とおっしゃってましたけど、初手で愛するつもりはないとの暴言は、流石に失礼でしたよ」
「あれは本当にすまない、あの頃は私は女性を侮っていた。君と出会ってから女性官僚との関係も改善したし、母との関係も改善した。部下の夫人に対する対応も改めた。本当に許して欲しい」
許すも許さないも、本当は最初から怒ってもいない。私自身最初から今まで徹頭徹尾、陛下に大層失礼だったのだ。
それでも私の失礼にはちっとも言及しない陛下は優しいと思う。
部下相手なら許さないだろう。
私相手にだけ、冷徹の皇帝陛下はうぶで可愛くて、いつまでも甘い不器用な人だ。
「……君を愛さないなんて言わなければよかった」
陛下は顔を埋めて弱々しくすがるように呟く。
ーー巨峰姫なんていわれてきた私だけど。
ーー陛下も真っ赤なりんごみたいで、とっても可愛い。
「罪の果実ですね、陛下」
「君がな」
私たちは顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。
お読みいただきありがとうございました。
楽しんで頂けましたら、ブクマ(2pt)や下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、ポイントが入って永くいろんな方に読んでいただけるようになるので励みになります。すごく嬉しいです。
◇◇◇
2/9作家3周年迎えました!
みなさまのおかげです、ありがとうございます。
なろうでも商業でも、これからも皆様の心に残る物語をお届けできるよう、精進して参ります。
下に現在連載中の作品あります!よろしければお楽しみください。