誘拐
指で鉄片に触れると、鉄片に刻まれたバツ印が何度か点滅したのちに、赤黒く光り始めた。
すると、瞬時に針金は抱えていた腕に体を巻き付け、二つの鉄片の位置を整えてこちらを見つめる。
あまりにもあっさり、目覚めさせることに成功した。
「おお、起きた。」
今もなお体を蝕む痛み、その諸悪の根源を眼前に据えるも、不思議と焦りはなかった。
そもそも針金は何かをしてくるわけでもなく、ただただ感情の感じられない二つの光でこちらを見つめてくるのみ。
警戒していないわけではないが、不要と思えるほど、危険を感じない。
……今更だがこれはロボットでいいのだろうか。
あれだけあった針金を両手で抱えられる程のサイズに縮めた時点でおかしいが、重さも一キロほどで、あまりに軽すぎる。精巧だとかいう次元じゃない。
何をエネルギーにしているのか、どこにため込んでいるのかも不明だ。
まぁ今は『理解の範疇を超えた何か』として認識するしかないのだろう。
「とりあえず……これ解いてくれない?」
鉄片に目を合わせ訴える。
両腕が針金に巻き付けられ、少し動かしづらい。だんだん気になってきた。
いっそのこと無理やり剥がしてしまおうか。
そんな考えがよぎった瞬間、それを感じ取ったかのように、突如として針金による縛りが解かれた。
――それだけでよかったのだが、なぜか針金は腕からも離れ、ずるりと地面に落下していく。
そして着地する刹那、複数の針金を駆使し、地面を叩く。
鈍い金属音と共に、針金は弾んだボールの様に跳躍し、なぜかカーディガンの中へ飛びこんできた。
「わっ、なに!? やめろ!」
突然の謎行動に驚き、声を上げる。しかしそんなことお構いなしに、針金はカーディガンの中で暴れまわった。
「やめてぇ!」
痛みこそないが、とにかくくすぐったい。もし素肌だったら針金の冷たさも相まってもっとのたうち回ることになっていただろう。
しばらくして、何がしたかったのかわからぬまま、針金は暴れまわるのをやめた。
「はぁ……はぁ……」
カーディガンが水を吸ったかのように重い。
外側だけ見れば特に変わった様子はないが、内側を見ると、そこには蜘蛛の巣のように針金が張り巡らされ、 裏地全体、袖に至るまで、まるで寄生されたかのようにびっしりと針金が広がっていた。
「うわっ、きも!」
そのおぞましい光景を目にして、素直な感想が口から飛び出る。
鉄片は二枚とも左胸の辺りに居座っていた。心なしか少し落ち着いているように見える。
剥がそうと試みたが、引っ張れば引っ張るだけ針金が伸びて、際限がない。性質はゴムの様で、手を離すと勝手に戻る。
二つの鉄片も同じく、それを固定する針金が伸縮し、離れることを拒む。
貴重な防寒着だ。脱ぎ捨てるわけにもいかない。というか脱ごうしたらしたで、それすら妨げてきそうだ。
鉄片に何度かデコピンをお見舞いするも、変化なし、少し心が痛んだ。
「おーい……どうすんだよこれ」
頭を抱え、そうつぶやく。どうするべきか、このまま連れて行くわけにも――
「いや、待てよ? 別にいいのか?」
ふと、考えが浮かんだ。一旦、状況を整理する。
今自分が受けている被害はせいぜい来ていた衣類が少し重くなった程度。
もちろんそれ以外が起きる不安はあれど、今起きていることだけを考えれば、別に騒ぐほどのことでもない。 まだ目をつぶっていられる。
「うん……、まぁ本来は騒ぐべきなんだろうけど……、――誘拐していい?」
カーディガンの前立てを開いて目を合わせ、一呼吸置いたのちに、恐ろしい言葉で針金を誘った。
やはり、答えは返ってこない、理解できないのか、理解した上で固まっているのか。だがなんにせよ離れないのであれば、こちらはそれを了承として取り、同行して頂くほかない。
「ほら、部屋出るよ? いいの?」
部屋から一歩、足を出して再度問いかける。針金は動くことも、離れることもなく、黙ったまま寄生を続けている。もう一歩踏み出して、完全に部屋から退出するも結果は同じ。
ビルそのものから出たら、また変わるのかもしれない、だがここは、こいつ自身が自分の意志でついてきた――という都合のいい解釈で場を収めるとしよう。
それにこの『推定ロボット』に残る謎に迫るのは今じゃなくていい。というより、今から同時進行でできるようになる。
いい加減、次に進まなくては、
「よし――、じゃあ行くか。」
思考を切り替えて、本来の目的である人探しへと舵を切る。
冷たいコンクリートが顔を出した通路は、長く続いていた騒音が急に止んだ時のような安心感をもたらしていた。
針金がなくなったことで、ありとあらゆる不安が無くなっている。足取りも軽い。
今までの不安そのものを着こなしているという事を忘れつつ、屋上の景色を求め、歩みを進めた。
やはり――、普通が一番だ。
ただの階段を見て、そんなことを思う。
もう滑る心配はない、手すりを掴み、一段一段、途中から二段二段、しっかり踏みしめて上る。
「待ってろよ~」
その先にあったのは、無機質な鉄扉。窓がないことで、扉の向こうがどうなっているのか、想像を掻き立てられる。
色々あったが、終わりよければすべてよしだ。絶景が待っていることは無いだろうが、せめて街全体が見れるとうれしい。
そんなことを願いながら、期待に胸を膨らませ、ドアノブをひねった。
――しかし
「……あ、開かない」
期待は全て裏切られ、扉は先に進ませることを拒んだ。
押しても引いてもびくともしない、 建付けによるものかと疑ったが、ドア枠が歪んでいる様子もなければ、蝶番も正常。
恐らく原因は、ドアノブに取り付けられた鍵穴、外側と内側、どちらとも差し込み口があるタイプだ。まぁ要するに、鍵がかかっている。
「嘘だろ、ここに来てこんな初歩的な……」
何ともがっかりだ、せっかくここまで来たというのに。落胆のため息を漏らしながら、何か方法はないかと思案する。
さすがに正面から破るのは不可能だ。多少の劣化はみられるが、ドアとしてのセキュリティは全く失われていない。壊れるとしたらこちらが先だろう。
破壊による開錠がだめなら、残る手段はピッキングによる解錠のみ、だが専用の道具どころか代替えとなる物すらないんじゃどうしようもない。
「う~ん……無理かぁ?」
諦めかけたその時だった。突然袖から三本の針金が顔を出し、手を伝って長さを増していく。
「おぉ、どうした。」
まさかここで動くとは、相変わらず行動が読めない。
針金は、それぞれ親指、人差し指、中指を伝い、扉に向かって伸びて行った。
何が目的なのか、邪魔をしたらひどい目に遭う可能性があるため、ただ見ていることしかできなかった。
先端が扉に触れると、一本一本が別の方向に広がっていく、そしてその内の一本がドアノブに触れたかと思うと。残った二本もドアノブに向かって切り返した。
最初にドアノブに辿り着いた針金はペタペタと位置を変えながら先端のみを動かしている。
盲目の生き物が何かを探し求めるような動きだ。だが、そこには針金が求めるものなんてないはずだ。
あるとしても鍵穴――
「あ」
勢いよく膝をつき、遅れている二本の針金つまみあげ、鍵穴へと誘導する。
とんでもなく稚拙で、くだらない考えが脳内に飛来した。いやしかし、針金と鍵穴、この二つを見たならば、だれもがこれを思いつき、実行せざる負えないだろう。
なんなら針金自身もこれを望んでいたのではないだろうか、そんな確信めいた何かが、体を突き動かす。
その確信が正しいと証明されるのは、そう遅くなかった。
二本の針金が鍵穴を固定し、もう一本の針金が鍵穴へと潜り込んでいく。
求めていたことが実現した。ピッキングだ。
「おぉぉ! すごい! それそれそれ、それをやってほしかった!」
騒ぐ人間を気にすることなく、針金は本格的に内部をいじり始めた。どこで培ったのか分からない技術で、解錠を進めている。
そのままスムーズにいくかと思いきや、そううまくは行かなかった。
最初は順調に見えたが、どうやら技術があるわけじゃないらしい。何度か抜き差しを繰り返し、試行錯誤を重ねていた。
「がんばれ……! 多分いい感じだぞ……!」
だがその手こずる仕草を見ていると、すこし心が温かくなる。初めて明確に生き物のような感情を感じたからだ。
これはきっと、プログラミングされたものによる行動ではない。そうであれば、こうも手こずる事なく、それこそ機械のように成功させてしまうだろう。
この行動は知能を持ってるが故の優しさ、それかチャレンジ精神による試み――、
「……なんなんだろうね、お前は」
笑みと同時にそんな言葉がこぼれた。