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69. 使命

 屋内馬場に行った翌日。

 テレーズは、アマーリアと連れ立って中庭を散歩していた。足元にはココ、控えているのはシャンクロ夫人だ。


「カールお兄様はどうだった。格好よかったでしょう?」


 感想を求められたので、テレーズは昨日の出来事を話した。

 ところがアマーリアは、


「私が仲を取り持ちたかった相手は、小さなお姫様じゃなくてカールお兄様だったのに」


 自分が望んだ展開にならなかったのが不満なのか、口をとがらせる。


「そこまで残念がらなくても」

「残念がるわよ。そうだわ、次は私と一緒に行きましょう」

「遠慮するわ。昨日だけで十分」


 二度も顔を出せば、カール大公に気があるのかと、あらぬ誤解をされかねない。そうなってはテレーズが困る。

 アマーリアにごねられても、二度目の見学は断った。


 ココの散歩を兼ねて、しばらく歩く。

 十一月の終わりは、もう冬。互いが吐く息は白い。


「アマーリアさん、寒くない?」

「そうね。そろそろ戻ろうかしら」


 アマーリアは下を向き、ココに話しかける。


「ココ、散歩はもういい?」


 頭を上げたココが、尻尾を振って答えた。


 建物に戻ろうとしたところで、不意にアマーリアが立ち止まった。

 テレーズも少し遅れて足を止める。振り返り、どうしたのかと尋ねた。

 こちらに追いつくアマーリア。何やら嬉しそうな顔だ。


「見て、テレーズさん。向こうから歩いてくる彼、とても素敵だわ」


 彼女がひそめた声で言ったことに、テレーズは拍子抜けした。それが立ち止まった理由らしい。


 前方から歩いてくる青年。

 カール大公と同年代くらいに見える。従者を一人連れているが、アマーリアの見惚れる相手がどちらの男性なのかは、テレーズにもすぐ分かった。


 彼も宮廷人であろうか。そのわりには質素な身なりをしているが、みずぼらしい印象は与えない。

 気品ある顔立ちと歩く姿から、そう見えるのかもしれない。


 テレーズは無意識のうちに、彼のことを凝視していた。他人のことをじろじろ見るのは、ぶしつけだと分かっていても。


 彼のことを、どこかで見たことがある。

 最近ではなく、もうずっと以前に。

 ただ、それがいつどこでなのか、そもそも彼が誰なのか、すぐに思い出せない。


 青年の方も、妙齢の女性二人から注がれる視線に気づいたようだ。束の間立ち止まり、こちらに視線を向ける。

 だが再び歩き出した。


「テレーズさん、もしかして知ってる方?」

「……ええ」


 アマーリアから話しかけられるが、テレーズは返事がおざなりになる。遠ざかる背中を眺めながら、記憶をたぐり寄せることに集中していた。


「知ってるの? エミグレ?」


 その時、青年が突然足を止めた。まるで、アマーリアの口にした「エミグレ」という言葉に反応したかのように。


 振り向いた彼は、早足でこちらにやって来た。


 突然のことに、アマーリアが興奮を抑えた声を出す。

 その横をすり抜け、前に出たのはシャンクロ夫人だ。


「失礼」

「失礼ですが、どちら様でいらっしゃいますか」


 青年の言葉をシャンクロ夫人が遮る。見知らぬ男を姫君たち、とりわけテレーズに近づけさせまいという意思を持った声で。


 ちょうどその時、テレーズは思い出した。彼が誰であるか。

 ヴェルサイユで顔を合わせていた、親戚の一人。


「私は」

「アンギャン公」


 彼が再び口を開いたのと、テレーズの口から彼の名前がこぼれ出たのは、ほぼ同時だった。




 テレーズと彼は、その場でしばし話をした。

 記憶に間違いはなかった。彼はコンデ家家長の孫アンギャン公だ。


 彼が言うには、ロシア皇帝から今、コンデ軍に声がかかっている。

 対仏戦争を共に戦わないかと。


 コンデ公は、すでにサンクト・ペテルブルクへ向かった。

 アンギャン公もこれから同地へ赴く。その道すがら、ウィーンに立ち寄ったという。


「それにしても、まさかこうした形でマダム・ロワイヤルにお会い出来るとは、思いもよりませんでした」


 もしかして、とテレーズは思った。

 アンギャン公は、テレーズに会うためホーフブルクに立ち寄ったものの、皇帝フランツによって面会を阻まれたのではあるまいか。


「お話しのところを失礼します」


 控えていたシャンクロ夫人が、しかつめらしく口を開いた。


「テレーズ様、そろそろお時間になります。お部屋に戻られますよう」


 そろそろお時間と言われたが、言葉の意図はテレーズにも分かった。適当に理由を付けて、アンギャン公から引き離したいのだ。


「……そうね。分かったわ」


 テレーズは、しぶしぶ答えた。


 こちらの事情を、アンギャン公も察したのかもしれない。彼はかしこまった挨拶をして、すぐに立ち去った。


 彼の背中が遠ざかるにつれ、テレーズは冷静さを取り戻した。


 コンデ家がヴェルサイユを離れたのは、アルトワ伯一家と同じ時期。すなわちアンギャン公も、真っ先に王家の惨事から逃れた親戚の一人。

 そうした薄情者である、はずなのに。


 たった何分か、フランス人と母国語で話をした。そのうえ、アンギャン公は偶然の再会をとても喜んでいた様子だった。

 ()()()()()()()で、テレーズの心は、薄情者の親戚にほだされかけたのだ。


「テレーズ様、どうかご理解ください。あなた様を、フランスの方々と会わせるわけにはまいりません」


 シャンクロ夫人はこう言うが、テレーズからも尋ねたいことがある。


「なら、すぐにでも私たちを引き離せばよかったのに。どうして話すことを許したの」


 彼女は返事をせず、黙って目を伏せる。

 答えづらいことなのだろうか。


「運命だわ……」


 その声に、テレーズとシャンクロ夫人は振り向いた。


「運命の男性だわ」


 アマーリアが顔のすぐ下で両手を組み、どこか遠くを見ている。ぼんやりと、というより、うっとりと。

 その視線の先は、ちょうどアンギャン公が去っていった方だ。




■■■




 運命の男性との出会いから、半月。

 この日、アマーリアの寝所に、兄のカールがやって来た。


「悪いな。寝ているところを起こしてしまって」


 室内は暗い。まだ夜中なのか、夏ならすでに日が出ている時間なのか。


 目覚めたばかりのぼんやりした頭のまま、アマーリアは寝台の上で体を起こす。

 枕元に明かりが灯されると、急に恥ずかしくなった。


 身づくろいを済ませ、外出用のコートまで羽織っている兄。対するアマーリアは寝起きの姿。

 たとえ兄妹であっても、異性は異性だ。


 兄は寝台の横に椅子を置き、腰を下ろした。


「あとでお前から文句を言われる前に、今話しておこうと思ってな」


 まだ暗い時間に、眠っていた妹を起こすくらいだ。よほど大事な話なのだろう。


「もうしばらくしたら日が昇るが、私はその前にウィーンを発って、遠方の領地へ行く」


 そんな話は初耳だ。


「また戦争が始まるのですか?」

「行き先は戦地ではない。遠方の領地だ」

「……どうして」


 アマーリアの頭は混乱する。


「フランツお兄様の命令で?」

「今のウィーンは、私が長居する場所ではない」

「このことを、テレーズさんは知っているのですか?」


 否と兄は答える。


「彼女に言う必要はないからな」


 これは悪い夢かもしれない。アマーリアは自分の頬をつねった。

 痛い。現実だ。


「馬鹿みたい」


 兄に背を向け、枕に顔を埋めた。


「テレーズさんは、お兄様にちっとも興味がないみたいだし。お兄様はお兄様で、コソコソとウィーンから離れるだなんて。お似合いの二人だと思ってた自分が馬鹿みたいだわ」

「そうやって恨みがましく言われるだろうと思ったから、こうして話しに来たんだ」


 枕から少し顔を上げ、横目で兄をにらむ。


「お兄様が今いるべき場所は、この部屋じゃない。テレーズさんの部屋よ」

「妙齢の未婚女性の寝所に入り込むほど、私は節度のない男ではない」

「ならどうして、今ここにいるんですか」


 兄は返事をしない。


「お兄様にとってのテレーズさんは、この世界に星の数ほどいる女性のうちの一人でしかないのですか?」

「彼女がフランス人の従妹でなければ、妻にすることも考えただろうな」


 アマーリアはすぐに体を起こした。今の言葉は聞き捨てならない。


「お兄様まで、そのようなことを言うのですか!」

「どうした突然」

「敵国女だの劣悪な血が半分流れてるだの、お兄様まで、テレーズさんのことをそんなふうに」

「違う」

「お兄様には失望しました!」

「アマーリア」


 椅子から立ち上がった兄が、アマーリアの両肩を掴む。

 兄の真剣な表情、まっすぐなまなざし。

 見つめ合うと、アマーリアは不思議と反抗できなくなった。


 肩から手を離した兄は、また椅子に座る。


「今のままでは、オーストリアはフランスに勝てない。このたびの戦いで、私はそのことを痛感した。勝つためには、敵と闇雲に戦うのではなく、軍を変えなくてはならない」

「変えるって、どのように?」

「お前に説明しても分からないだろう」

「馬鹿にしないでください」


 アマーリアはムッとして言い返した。


「小手先ではなく大規模な改革だ。何年かかるかも分からない。それでも、それを成すことが、私にとっての使命だと確信した」

「お兄様にとっての、使命?」

「ああそうだ。そしてテレーズさんも、自分の使命を彼女なりに定めている。もっとも彼女の場合、私がしようとしていることより、実現する望みは薄いだろうが」

「アングレーム公との結婚のことですか?」


 ブルボン家による王政復古だ、と兄は答える。


「テレーズさんが彼との結婚を望むのは、言うなれば、使命を果たすための手段だ。ウィーンに来てもうすぐ二年になるが、彼女は今もって決意を変えていない」

「使命とか決意とか、どうしてテレーズさんの気持ちが、お兄様に分かるのですか」

「兄上やシャンクロ夫人に尋ねたんだ。私がウィーンにいない間、彼女はどんな様子だったか、変わったことはなかったかと。聞けば、彼女はどの弟とも親密になるどころか、儀礼的な付き合いしかしてなかったそうじゃないか」


 確かにそうだ。兄がウィーンにいない間、テレーズがどう過ごしていたかは、アマーリアがよく知っている。


 そして、ここまで話を聞いて、分かった。

 テレーズのことを、兄がこれだけ理解しているということは。


「テレーズさんのことを、本当は気にかけてたんですね」

「まあな」


 否定しない。それが兄の答え。


「さて、私はそろそろ、おいとましよう」

「もう行ってしまうのですか」

「ああ。馬車の準備が出来た頃だろう」

「ルドヴィカが寂しがるわ。誕生パーティーにお兄様が出席して、あんなに喜んでたのに」


 つい先日、ルドヴィカは六歳の誕生日を迎えた。

 内輪のパーティーには、兄やテレーズ、ココも出席した。


「私がいない間は、お前やテレーズさんが、あの子を構ってやりなさい」


 椅子から立ち上がる兄を、アマーリアはとっさに呼び止めた。


「お願いしたいことがあります」

「テレーズさんのことか?」

「いいえ」


 それはもう諦めた。これから言うのは、また別のことだ。


「お兄様は、テレーズさんの親戚のアンギャン公を知っていますか」

「アングレーム公ではないのか?」

「違うわ。名前が似てるけど、私がまたお会いしたいのはアンギャン公。もしお兄様が、彼に会う機会があったら、私との仲を取り持ってほしいの」

「どうしてまた」

「だって、とても格好いい方なのよ。先月初めて会って、その時は全然お話しできなかったから」


 兄が吹き出した。


「どうして笑うんですか」

「一目惚れか」

「言っておきますけど、素敵な男性なら誰でもいいわけじゃありません。彼だけって心に決めたんです」

「革命前ならともかく、フランス王族は、今や流浪の民のような身だぞ」

「構いません」


 今度はアマーリアが、まっすぐと兄を見つめる。

 やれやれ、と兄はつぶやいた。


「エミグレも独自の軍隊を持っている。それを率いているのがコンデ公。ブルボン家の分家筋の御仁(ごじん)で、アンギャン公はそのご令孫だ。本家の男性らとは違い、コンデ公もアンギャン公も勇ましい武者ぶりだという評判を聞いている。もっとも今は」

「ますますお会いしたくなったわ!」


 勇ましい男性。そんなふうに言われて、アマーリアの胸がどうして高鳴らないでいられよう。


「もしかして、お兄様は彼と会ったことがあるのですか?」

「もう出立する。はしゃぐのはそれくらいにしなさい」


 さらに詳しいことを聞きたかったのに、兄は話を終わらせてしまった。




【69. 使命】


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