23. 子供時代はおしまい 前編
父は、いつ帰ってくるのだろう。
想い人が言っていた。アルトワ伯に暗殺予告が出ていると。
叔父の命が狙われているなら、王である父の身は、いっそう危険なはず。
無事で帰ってきてほしい。
それだけがテレーズの、いいや、テレーズたちの願いだった。
日が傾き、夕闇が濃くなる。
ソファに並んで座るテレーズと親友。
向かいに座る母。母の膝枕で眠る弟。
その斜め横には叔母。
五人で、父を待っている。
今日は朝から、いろいろなことがあった。
父を見送った後、親友が腹痛を訴え、別室へ移った。
それから、想い人が来た。
彼に別れを告げてから、テレーズはこの部屋に戻った。
夕方になると、今度は母が呼ばれて部屋から出ていったが、すぐに戻ってきた。叔母と親友も一緒に。
親友の具合は良くなったという。
だがテレーズの気のせいでなければ、戻ってきた時の親友はいつもと様子が違った。
まだ体調が悪いというより、何やらソワソワしていた。
それはそうと、想い人とベリー公は、今どの辺りにいるのだろう。ヴェルサイユから、どれだけ離れてしまったのだろう。
想い人に抱きしめられたのは、ほんの数時間前の出来事。
振り返っても、自分の身に起こったことが信じられない。夢だったのではないかと、今になって思う。
「テレーズ、ティニ、眠くないの?」
母に尋ねられ、テレーズの意識は、想い人のことから家族のことに向いた。
「お父様が帰るまで、起きています」
「わたしもです」
親友とテレーズは答える。
「二人のうち、どちらかでも先に寝所へ行けば、シャルルも意固地にならないわよ」
確かに、叔母の言うとおりかもしれない。
もう寝るようにと母や叔母から言われても、弟は頑なだった。父を待つのだと。
結局眠ってしまったが。
「あなたたちがそうしたいなら、好きなようになさい。でも無理をして体調を崩したらだめよ。ただでさえ体が育つ時期だもの」
母の言葉に、はい、という娘二人の返事が重なった。
「特にティニ、病気でないとはいっても、まだ不慣れなことなんだから」
「び、病気?」
テレーズは驚き、母と親友を交互に見た。
顔を見合わせて微笑む、母と叔母。
親友はうつむき、こちらと目を合わせない。
「テレーズにも教えた方がいいわね。本当は、もっと落ち着いている時に話したいけれど」
母は、何の話をしようとしているのか。
ちょうどその時、臣下の一人が、慌てた様子で部屋に入ってきた。
父を乗せた馬車がここに向かっている、と。
テレーズは歓喜の声を上げた。
顔を上げた親友も。
二人は座ったまま抱き合った。
母は感極まったように、手で顔を覆う。
叔母がソファから立ち上がり、母の肩に手を添える。
弟も、目を覚ましたようだ。
テレーズと親友は、さっそく窓辺に向かった。
夜のとばりに包まれた庭園。
目を凝らしていると、おかしな光景が浮かび上がってきた。
宮殿の敷地内に人が入ってくる。その数はどんどん増え、群れを成していく。
「何なのかしら、あの人たち」
不安そうにする親友。
テレーズは気分が悪くなり、ソファに戻った。
闇の中の人だかりを見ていて、嫌なものを思い出した。三部会で見た、黒い服の無礼者たちのことを。
あの群衆は、何をしにヴェルサイユ宮殿にやって来たのだろう。
テレーズたちが待っているのは、父を乗せた馬車なのに。
やがて群衆の声が、室内にまで聞こえてきた。
「ちちうえ……」
弟が母にすがりつきながら、父のことを呼ぶ。
父に会いたい気持ちは、テレーズたちも同じだ。
あと一時間もすれば、日付が変わるという頃、扉の向こうからドタバタという足音がした。
扉が勢いよく開かれる。
「お前たち、無事か!」
父だ。
テレーズと親友は、ソファから立ち上がった。
家族の誰よりも早く父へと駆け寄ったのは、弟だった。
父は両腕を広げ、子供たちを抱きしめる。
母と叔母もやって来る。みなで帰還を喜び合った。
「ちちうえ、ぼく、ははうえのそばにいたよ」
「そうか。偉かったな」
身を屈め、弟の頭を撫でる父。
そこでテレーズは、父の頭に目が留まった。
「お父様、これは帽子ですか?」
「ああ、それは……あとで説明しよう」
出発前の父は、こんな物を身に付けていなかった。
ろうそくの明かりだけでは、その形はよく分からないが、色はかろうじて確認できる。
青と白と赤の三色。
しばらくすると、他の大人たちが部屋に集まってきた。何人もの臣下や女官、そしてプロヴァンス伯夫妻も。
先ほどまで静かだった部屋は今、宮廷人が慌ただしく往来している。
父と母は、他の大人たちと話し込んでいる。
子供たちは叔母に付き添われ、部屋の隅にいた。
すると、両親がこちらに来た。
なんでも父と母、テレーズと弟の四人でバルコニーへ出て、群衆に姿を見せるのだという。
当然ながら、テレーズは嫌でたまらない。弟は露骨に嫌がる。ただでさえ疲れているのだから、今すぐにでも休みたい。
だが、わがままは言わない。
それがマダム・ロワイヤルだ。
開けられた窓の向こうには、闇が広がっている。
父と、弟を抱えた母と共に、テレーズはバルコニーへと踏み出した。
眼下には、敷き詰めるように集まった群衆。
あふれんばかりの拍手喝采が、辺りに響いた。
テレーズは思った。
これが、本物だと。
王と王妃のことを沈黙で迎えるような者たちは、フランス王国の臣民として、とうていふさわしくない。偽物の臣民だ。
拍手を背にして、テレーズたちは中に戻った。
弟は母に抱かれたまま、気を失うように眠ってしまった。
テレーズと親友も、今夜はプチ・トリアノンに帰らず、ここに泊まる。
寝所へ行く前、テレーズは両親に声をかけようとしたが無理だった。両親は他の大人たちに囲まれていて、近づくことが出来なかった。
翌朝。
テレーズと親友が休んでいた部屋に、父が来た。
二人とも身づくろいを済ませていたので、そのまま父を迎えた。
父からの話は、昨夜遅くまで待たせてしまったことに対する詫び。
そして、昨日のパリ訪問の目的について。
「王の気持ちと、パリにいる臣民の気持ちがすれ違っていた。彼らをなだめて、言うなれば、仲直りをしてきたんだ」
昨夜父が帰ってきた時、三色柄のつば無し帽を被っていた。
あの三色は、ブルボン王家の象徴である白、パリ市の象徴である青と赤。これらを横に並べたもの。
帽子を着用していたのも、和解のための「演出」だという。
「お部屋の中では、取ってもよかったのでは?」
テレーズが尋ねると、父は笑って答えた。
「お前たちの顔を見ることしか頭になかったから、すっかり忘れていた」
確かに、あれほど慌てた父の姿は初めて見た。
父と娘の三人で話をするのは久しぶり。長く一緒にいたかったが、それは叶わなかった。急ぎの用事があるという臣下が、父を呼びに来た。
テレーズも親友も、自分たちのことは気にしないでと言って、父を送り出した。
扉が閉まった途端、父に話したいことが、テレーズの頭にいくつも浮かんできた。
プチ・トリアノンには、次いつ来てくれるのだろう。ここ何ヶ月もそうだったように、これからも来てくれないままだったら。
「ねえ、ティニ」
不安な気持ちを打ち消したくて、親友を呼んだ。
返事がない。
見れば、親友はソファの背もたれに体を預け、目を閉じていた。
身づくろいをしている時も、親友は眠たそうにしていた。さすがに父の前では起きていたが、眠気を我慢していたのだろう。
プチ・トリアノンへ帰る時には馬車に乗る。
それまでは、このまま寝かせておこう。
【23. 子供時代はおしまい 前編】




