ボーボボについて~自閉症スペクトラムの俺、健常者が理解出来ない作品を理解する~
予定していた「映画、ヒトラー最後の十二日間」、ではなくボーボボについて語る。
今回の話、もしかしたらちょっと闇かもしんない。
傷つけたら、ごめんね。
でも多分、どろどろ泥王エッセーは基本こんなノリになると思う。
まさかの、ボーボボについて話す。
ヒトラー最後の十二日間についての感想は三万文字を超えてるけど、もしかしたら公開しないかもしれない(とは言え、なんだかんだいつかは公開すると思う。俺に編集者が付いて「公開したらだめ」とか言う展開が来ない限り公開する)。
前提知識として、ボーボボは無印版と真説版がある(あと、ふわりドンパッチか)。
ここで主に話すのは無印版だ。
無印版はギャグに振り切った作風をしている。
ギャグと言ってもイカれたギャグだ。
これを狂ってると言わずして、何を狂ってるのかと言うほどに狂った作品。
個人的にボーボボはかなり好きな作品だった。
ネタバレすると、地雷ダンディ(無印の終盤)くらいまではかなり好き。
真説はそんな好きじゃ無いけど、飽きられるくらい続けてくれたのは嬉しいかな。
真説、というのは引き延ばしだ。
人気作は引き延ばしするのが普通で、最後まで面白い作品なんて少数派なんだ。
最後まで面白かった作品と言えば――ナルトやBLEACHは最後まで面白かった。そういうのは稀だ。大体、引き延ばしは詰まらなくなりがちになる。
だけどボーボボの良いところは無印と真説で分けてくれてるとこだな。
最後はつまらなかった、なんて言わなくて良い。
無印ボーボボは狂ってるけど最後まで面白かったのだ。
ボーボボを読み終えて、十年以上経っているだろう。
最近、ボーボボを完全に理解した。
ジャンプ編集部さえ辿り着いてない境地かもしれない。もしかしたら「言われて気付いた」とか言ってくれるようなレベルかもしれない。
そういうレベルの理解、だ。
俺が何でそれに至ったかと言うと、俺がボーボボを大好きだからなんだろうなと思う。
それはきっと、他のジャンプ読者や編集者になるような人達より、だ。
(あるいは、言語性高めの自閉症スペクトラムだから理解できたってことかな)
楽しんだ時の記憶が今でも思い出せるから、ついつい考えてしまうのだ。
思い出して考えて、それを繰り返してとうとう理解の日が訪れた。
(でも俺は思う、ボーボボを理解する読者としての才能よりも作者になれる才能の方が欲しいと。
だがそれはまだ遠い道のりなのか、文才は乏しい。
故に、気分転換にボーボボへの理解を書くことにした)
俺は元々、ボーボボの面白さを理解して読んでる側の人間だったけど、この構造って綺麗だなと常々思っていた。
それを言語化したのが今回の話だ。
最初に言っておくと、この作品は「ジャンプの王道ギャグ」に作者のお笑いセンスをぶち込むのが優れている。
少し話を変える。
この作品は特殊な作品である。
まともな人達が理解できない、という話をしたい↓。
①ジャンプ編集部、②PTA、③中国共産党の扱いを考えてみた。
ネットの噂では「ジャンプ編集部が『なんでこの漫画がヒットしたか分からない』と言った」と陰謀論のように仄めかされている。
PTAは「こんな漫画読んでたら頭おかしくなる」とアニメ放送の差し止めを要求したらしい。
中国共産党はボーボボを輸入禁止対象作品として扱った。
三者三様の様でいて「ボーボボは異質な作品」ってのは共通している。
上記の話、ジャンプ編集部が一番出所が怪しいけど、言ってておかしくはない。
ジャンプ編集部が「僕らは完全にボーボボを理解してますよ」と言うなら似た作品が生まれてるはずだ。
ボーボボの類似品、あるか、そんなもの?
ドラゴンボールやスラムダンクや幽遊白書の面白さを理解した人がワンピースやナルトやBLEACHを生んだと思うが、ボーボボの面白さを理解した作品ってどこにある?
今のところ、無いと思う。
……この作品は、圧倒的な描写力があるくせに普通の人が理解できるような作品じゃない。
ネット民は「PTAの抗議」や「中国共産党の規制」に対して「正しい」とも「草」とも言ってる。
ジャンプ編集部が「理解できない」と言えば、ネット民は「当たり前だな。こんな狂った作品、理解できる方がどうかしてる」とさえ言う。
ボーボボは狂ってる。
それに関しては俺も同意見だ。
作者さえ「まともな精神で書きました」とか言ったら正気を疑われると思う。
皆が見て「頭おかしい」と言う。
本来、「普通」を共有できないような俺が「これは変」と共有できてしまうのも面白いなと個人的には思う。
誰が見ても、「まともじゃない」と思える特徴的な作品だ。
時代が時代なら規制されてる作品だと思う。
一言で言うと、ボーボボは問題作だ。
実際に見れば分かる。
これは狂ってる。
有害図書扱い受けてもおかしくない。
有害図書扱いと言えば、「はだしのゲン」を思い出す。
……はだしのゲンとボーボボ、どっちを子供に見せるのが有害か?
どっちも好きな俺からすれば、ボーボボであると断言していいと思う。
はだしのゲンはなんだかんだ、まだ理性で扱ってるのが分かり易い。
それに戦争の悲惨さを訴えるとかは事実上、まともな精神でしかない(思想的なとこはさておき)。
対して、ボーボボは狂気しか感じられないだろう。
……はだしのゲン、これもジャンプ漫画で好きな漫画だ。
「戦争って悲惨だね」ってメッセージを描いた作品。
反戦漫画と言っていい。
ボーボボってどんな漫画か?
貴方は言えるか?
マルハーゲ帝国という人の頭髪を「毛狩り」する毛狩り隊に対して、鼻毛真拳の使い手であるボボボーボ・ボーボボが立ち向かう話。
まぁ、↑でいいと思うんだ。
なろう的に言うなら「マルハーゲ帝国が髪を毛狩りしてくるから、最強スキル【鼻毛真拳】で無双する」かな?
「何で髪の毛真拳じゃなくて鼻毛真拳なんだよ」と俺は幼少期思ったものだ。
ボーボボには色々と、印象的なシーンがあった。
「めけめけめけめけ」とか「電車一」とか「ぬのハンカチ」とか「ドンパッチソード」とか色々なネタを今でも覚えてる。
この作品は普通の作品じゃ無い。
狂気によってボケて、狂気によってツッコム作品だ。
良く言えば、「ハジケてる」のだ。
この作品ってどんな作品か?
ノリで理解して、ノリで感じるしかない。
そう思っていたがちょっと違う。
この作品はある意味、ジャンプの王道ギャグ漫画なんだ。
↑なこと言ったら、ジャンプ読者や編集部に「あんな作品が他にあってたまるか。王道であってたまるか」とか思われるかもしれない。
だが違う。
あれは過去にあったジャンプ作品を元に作られてる。
俺がそう言ったら、ジャンプ読者は「無いよ、そんなもん」と言うかもしれない。
だが違う。
明確に存在する。
◆ボーボボの元ネタにして、ジャンプ王道ギャグ作品と言えるもの
それは「北斗の拳」だ。
俺はふざけてなんかいない。
正気100%で、狂気を捉えてボーボボを理解した。
もしかしたら「確かに、鼻毛真拳の元ネタは北斗真拳かもな? でもやってることがまるで違うだろ」とか思われるだろう。
だが、それも違う。
北斗真拳、あれは指でチョンとするだけで「ひでぶ!」とか「ちにゃ!」とか「あべし!」とか言って人間が爆発する奇妙な作品だ。
そのギャグっぽいとこをさらに露骨にギャグとして作ったのがボーボボと言える。
勿論、ケンシロウやラオウやトキやジャギやファルコやカイオウやジュウザやサウザーやレイやシンなどの魅力的なキャラがいてこその北斗の拳だ。
だが、「ヒャッハー、汚物は消毒だ」とか「お前のようなババアがいるか」で笑った人は一定層いたはずだ。
北斗の拳は一応全て、真剣な話なのだ。
だが、「ひでぶ!」なり「ちにゃ!」なり「あべし!」なりウケた。
「シュールな笑い」があるのだ。
バクマン。的には「シリアスな笑い」と言える。
原哲夫と武論尊は真面目に描いてたかもしれないが、それは間違いなく、「笑いのツボ」というやつになってしまっていたのだ。
結果的な話だ。
ボーボボという鼻毛真拳の使い手は、ジャンプ読者の笑いのツボを押してしまった。
そもそも、毛狩りをされて「ぐばっ!」と吐血するシーンは「ひでぶ!(爆発)」に似てると思う。
その狂気を捉え、ふんだんに澤井さん独自の感覚をぶち込んだら結果あぁなるのだ。
概要は理解した。
大筋と言ってもいい。
ボーボボとは何か?
北斗の拳で生まれるような笑いのツボを押す作品である。
毛狩り隊のモデルはヒャッハーだろうな。
ワンピースやナルトがドラゴンボール好きな作者・編集者にリスペクトされて造られたように澤井さんは北斗の拳が好きで造ったんじゃないかと思う。
勿論、殆ど感覚的に書いてると思う。
カンチョーくんや絶望くんとかは狂気しか感じなかった。ちなみに俺は絶望くん大好きだったね、クッキーで生きる希望を見出すとことかも面白かった。俺がボーボボを好きになったきっかけって絶望くんだったわ。
あと、そもそも作者のセンスそのものが優れてる。
だけどボーボボの笑い、その元ネタがどこにあるかと言えば「北斗の拳のひでぶ・ちにゃ・あべし」と答えざるを得ない。
これが今回の結論だ。
・おまけ「ふわりドンパッチについて」とか「余談のような叫び」
「ふわりドンパッチ」は一巻だけ買って読んだ。
澤井さんは絵柄も作風も変わっていた。
だが、狂気が無くなったような漫画だった。
故に、それは一巻で読むの終わりだ。
だが作者にガッカリは不思議とせず、むしろ安心した。
非常に失礼なことを言うが、ボーボボを描くなんて頭が心配になる。
あんなの描けるなんて頭おかしくないと無理だ。
貴方が「失礼にも程がある」と俺を思うなら、俺は「ボーボボを読み直して来てくれ」と言うだろう。
ボーボボ、この作品は非常に面白かった。
頭おかしいくせに、分かり易い笑いだった。
ボーボボは凄い作品と今でも思う。
本来、俺はあまり笑う人間じゃ無い。
お笑い芸人の番組さえ無言で見たりする。
笑いたくないというより、人と笑いのツボが違うのだ。
俺は笑っちゃいけないところで笑って、笑っていいところで笑えない……その他者との違いで苦しんだりするような男だ。
普段硬い表情しかできない俺は、子供の頃ボーボボを読んで苦しくなるくらい大笑いした。
北斗の拳に対しては、ボーボボを生んだことに感謝する。
そう言いたくなるくらいには狂った作品だ。
そしてボーボボを産んだ澤井先生、貴方には二つの感謝をしている。
一つはイカれた作品を書いて俺に笑顔の時間をくれたこと。
もう一つは、松井先生の師匠になってくれたこと(ネウロは好きな作品なんだよね)。
この二つを感謝してるわ。
ボーボボファンの同志がいたら、「そんな気持ちはファンレターで書いて直接送れ」って思われるかもしれんが、ファンレター面倒なのだよね。
日本は優れた漫画家が多い。感謝のファンレターを手書きで書いたらきっと腱鞘炎になっちまうぜ。
そして澤井さんには感謝しているが、感謝している漫画家ベスト100に入るか怪しいラインだ。
だが言おう。
漫画好きの俺が作った「俺が好きな漫画家100」に入る奴は、間違いなく天才級だ(というか、200でも天才だな)。
ボーボボは天才の作品だったね。
だがこれを万人に勧められるかっていうと違う。
ハンターハンターで庶民を例えるなら、殆どの人は強化系とか放出系とか変化系だと思う。
ボーボボは圧倒的に特質系なんだよね。超少数派よ。
嵌まる人には嵌まるけど、勧めちゃいけない人には絶対勧められない笑
そんな作品だ。
◆今回の記事に躊躇いがあった
この理解を公開するのは躊躇った。
作者である以上、こういう知識は普通自分だけの武器として持っておくのが普通だ。
俺が創作の専門学校に通ってる時、創作の授業をするべき場面で「俺の話を聞きたがる」という人もいた。
創作者の中にはこういう知識を「価値ある」と見なす人達がいる。
だから本来、隠した方がいいんじゃないかな? とか思うのだ。
そういう躊躇い、はある。
そんな躊躇ってる中、なぜ公開したのか?
俺がボーボボを理解出来る異常者だと伝えた方が、まだマシかな? とか思ったのだ。
俺は障害者手帳を他人に見せるのがマナーだと思ってる(ズレてたらごめんね。でも、変わってる奴だって言った方が何かとコミュがマシになるんだよ)。
俺は本当に異常者で、通常の日本人や在日コリアンと随分精神性が違う。
感覚、で理解するのが難しい。
最近、ネット民が「補導連盟事件と済州島事件は日本でも割とタブーよな」みたいに言ってて「マジ!?」と俺は衝撃を受けた。
青天の霹靂、というべきか驚天動地と言った方がいいかな。
俺って本当に変わってる。
「文革への言及はタブーかな? 補導連盟と済州島事件はセーフやろ」ということを頭で考えていた。でも違うんだな、と。
ショックだった。
――――――――――――――以下、マジな余談↓――――――――――――――
(まぁ、強制連行されたと捏造くらった時に反論しないといけないけどさ。俺は日本人、強制連行してないのに「強制連行されました」って言われて傷つくんだよね。日本が居住させてあげたのに面子を全部潰されて、「補導連盟と済州島事件に言及するな」っていうのは筋が通らないよ。日本は韓国の千兆倍くらい在日に優しく愛してやってる。なのに恩を仇で返さないでよって思ってしまうのだ。日本政府が言わないから俺が代わりに言うけど、補導連盟と済州島事件や朝鮮戦争で「殺されかけたのが可哀想」だから在日コリアンに優しくしたってのもあると思うんだよね。仁だよ、仁。仁義礼智の仁。その人間愛、貴方達は踏みにじるんですか? とか思っちゃうの。その事実を受け取って欲しいね。日本に難色を示すなら「外国人的には日本社会の空気を読むっての難しい。あまりにも高度過ぎる」とか在日コリアンが言ってくれたら、俺は自閉症スペクトラムだから「嬉しい。もっと言ってくれ」とか思う気がする。だが在日コリアンの殆どは発達障害の俺より空気読めるからそんなこと、思ってないだろうけどな。
日本は「良きサマリア人」であろうとしたんだよ、在日コリアンに対しては。そこを分かってくれないかな? 辱めないでくれないかな? とか俺は思ってしまう。かと言って勿論、日本に闇がないとは思わない。国なんて善も悪もするものだ(でも仁を否定して悪と語って欲しくないの)。プチ○○ジェル事件とかあったしWW2時代に日本が植民地化した国にはわりとやべーこともしてるのにあまり恨まれてないから世の中ってよく分からん。そこは難しいな~)。
――――――――――――↑余談終わり――――――――――――――――
障害者手帳を受給した時より、生涯童貞を悟った時よりもショックだった(一番辛いのは生涯童貞を悟った時だけどな)。
俺は、変わってるのだ。
もし創作者の中で今回の知識を価値あると思った人がいるなら、自分の為に他人にシェアしないで欲しい。
俺の為にこの知識を使って欲しい。
居酒屋や雑談のネタにしないで、良い作品を書け、俺が笑えるくらいのやつを(まぁ、ボーボボくらいの名作は難しいだろうけど。それに俺、下品な笑いなら笑うってわけじゃないし)。
YouTube動画とか、ネットの掲示板とか、知り合いとの雑談であたかも「自分の知識や考えで悟った」みたいに言うんじゃ無く、この知識を使うなら俺の為に使ってくれ。
そう思うね。
これはある意味、ボーボボに関しては世界初にして世界一の「ボーボボを理解した知識」だ。
それに価値があると思うなら、俺が未来に、「あの時、この知識出して良かった」と思えるような未来であって欲しい。
そしてもしそれが書籍化とかアニメ化したら「ネットで自閉症スペクトラムの人がボーボボを理解させてくれたんですよ。あの人の理解は凄い」とあとがきで書け(どろどろ泥王さんのお陰です、とまで書かなくていい。俺がその人より有名作家になってたらその人が書いても許すけど、そうじゃないなら恥ずかしい。……取らぬ狸の皮算用感あるな)。
まぁ、そうはならんのだろうけどな。
……歴史を見ても、人生を振り返っても、殆どの人は結局「共感できるかどうか」で「正しい」を決めてる(白人はちょっと違うけどね。だから白人のそういう中身、好きだよ)。
俺は人類史に対し、そこを許せない。それに、俺の脳は機能障害で共感能力が低いんだよな。俺に一切共感して貰えないのに、理屈で俺が正しい状態さえも吊るし上げられたりすると凄く俺は嫌がるんだよ。流石に、そんな人達ばかりじゃないけどさ。
俺から見ても、笑い合ってる人達ってとても羨ましいと思う。
でもKY故に、空気は和になれず不和、上手に群れに馴染めない。
俺は笑っちゃいけないとこで笑い、笑っていいとこで笑えない。
辛い人生だ。
思うままに語りたい。
俺から何かを貰ったというなら、俺に返せ。
一方的な意見で酷い書き手かもしれないが、俺はちょっとそう思う。
いつかまた、子供の頃ボーボボを見た時みたいに大笑いしたい。
他には「コロコロコミック:ジャック×ダクスター」とか「ギャグ漫画日和」とか「アニメ:このすば」とか「幸せ荘のオコジョさん」とかで笑ったね。あと、初期の映画版クレヨンしんちゃんとか大好きだよ(嵐を呼ぶ戦国までは全部好き)。
人生辛いと泣いてる俺を、笑顔に変えて見せろ(我ながら、読んでくれてる人に何と言う上から目線……失礼でごめん)。