第1話 □はキミのみえるもの
目が覚めたそこは、森の中だった。
いや、これを目が覚めたというのは可笑しいか。
ーーーー正しくは、気が付けばそこにいた、のであろう。覚めた時点での意識が妙にはっきりしすぎている…。
「ここは…、森?」
辺りを見回す。だが見覚えのあるような場所には思えない。
「どこだろ。あっ、日が…。急いで森を抜けなきゃ…。」
本能的にそう判断した。しかしどこへ?
見たところ、今自分はろくなものを持ち合わせていない。
「ん?なんだこれ。」
首に掛かるあるものを感じた。紐の先端に付属しているのは、丸く光沢を帯びた硬いものだった。
しかし、特に何ということはなかった。
とりあえず辺りを散策することにした。
動物、ましては人間の気配などは一切無い。声を上げても無駄であろう。
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かなりの距離を歩いたのでは無いだろうか。相変わらず日は傾いている。目ぼしい川なども見つからない。せめて人の生き跡のようなものはないかと、そんなものを探していると、
「…」
思わず身震いをした。前方の草陰から何かが蠢くような気配を感じた。
いや、確実にいる。
恐る恐る、その気配のする方へと近付く。
距離にしておよそ数歩の辺りまで近付いた。
この木の反対側に“それ”はいるだろう。
恐る恐る…、恐る恐る…。
「…ゔェぁ、ィーヴァっぼ」
僕は馬鹿だった。なぜ不確かなくせにそれが人間であるという期待を大いに抱いてしまっていたのか。
目の前にいた奇声を発するそれは…、紛うことなくそれは…、
ーーーー黒く、異形の化け物だった。
「!!!!!!!!」
意識への衝撃と焦燥で混乱に混乱を重ねた。
「何だこれ何だこれ。いや幸いだ向こうを向いている気付かれてないかいや気付かれてないと信じるしかない逃げるかいや逃げるしかない走るか走るしかないだろ追い付かれないか追ってくるのか追って来たらどうしよう捕まったらどうしよう捕まった後はどうすればいい嫌だ捕まりたくない…」
思考は纏まらない。
しかし、僕の体は反射的にそれとは反対方向へと逃げていた。
「何だあいつは黒い黒い黒いあれは何だ生き物の黒じゃない片腕が無い何だあれは何だあの声は…」
追って来ているのか分からない。だが振り返りたくはない。見たくない。だが振り返らずにはいられない。
刹那、その化け物の動向を視認した。
ーーーー追って来ていた。しかもかなり速い。
「ッッッッッッッッ!!!!」
必死になって走った。しかし何故か、先ほどから思うような速さで走れない。
「助けて助けて助けて助けて誰か誰か誰か誰か…」
思いも儚く、ついに化け物は僕に触れられる距離まで接近していた。
もう死んだ。そう思ったのだった。
ーーーー化け物が僕の首筋に触れた感触がした、その直後だった。
「伏 せ ろ ぉ !!!!!!」
その怒号に、何とか体は反応した。全力で地べたに伏せた。
そこからの後継は、傍目で多少捉えた程度であまり覚えていない。
とにかくその男が、ーーーーその茶髪で、淡白に整った顔立ちの青年が、固く握った短剣を一太刀、化け物の首らしき部分を切り落とした。
化け物はその場に崩れ落ちた。
「お前、なんでこんなとこにいる。」
何事もなかったかのようにその青年は尋ねてきた。
「えっ、あっ気が付いたらここにいて…。」
「なるほど、大方親にでも捨てられたんだろ。気の毒に。」
「親に…。(あれ、でも僕の親…。)」
「ん。まだ居やがったか。小僧、そのまんま突っ伏してろ。」
考える暇も無く、見ぬ間、周囲を化け物に囲まれていた。
それも1匹や2匹ではない。十数匹はざらにいた。
「共鳴でも立てたか。面倒だ。」
そこからの男の行動は早かった。速かった。
腰につけた鞘からもう1つの短刀を取り出し、間近の異形へと切りかかった。
迷いなどは一切見せず、胴を、首を、刃は正確にその身を刻んでいった。
化け物が伸ばす腕も手も指も、全て紙一重で躱す、そして切った。
素人目でもわかる。それは、鮮麗された、鍛えられた動きだった。
掃討にはそこまでの時間を要さなかった。
「ふぅ…」
男のそのため息を見る辺り、どうやら周囲はもう安全らしい。
そう思って僕も立ちあがろうとし…
「ァぁ゛ロ…」
無いはずの声がした。
一体どこから…
瞬間、発生したのは、
「土砂崩れ!?」
「おい立て!!逃げろ!!」
もう無茶苦茶である。伏せるか立つのかはっきりしてほしい。
それにどうも、先刻から体の動きが鈍い。
それでも何とか、その身を起こして立ち去ろうとした。
しかし時既に遅し。土砂に流され、下へ下へと流されてしまう。
それに最悪だ。
流される間にも何体かの化け物が見えた。木の枝に立っていた。
男との距離も離れてしまった。
「そのまんま足掻いてろ!!」
だが、男も負けていなかった。
事象の奇想天外には行動の奇想天外で対抗するのがこの男だった。
僕と共に流れる樹木の上を乗り継ぎ乗り継ぎ、流れるように化け物を掃討していった。
とても人間業には見えない。
そんな中、明らかに異彩を放つ個体が1つ。
僕が流れ着くであろうその先に、そいつはいた。
ーーーー流土で微動だにせず佇む、そいつは元凶だ。
男よりも僕の方が早く辿り着いてしまう。
その場にいれば誰もがそう思うだろう。
再び死の境地に立たされた僕は少しでも軌道を外そうと抵抗を続けた。
「間ぁにぃ合ぁえぇぇぇぇ〜〜〜〜!!」
「めんどくせぇなぁ。」
だがこの男、やはり予想を裏切った。
次に見たのは、この森には不自然な閃光だった。
「くらえや。」
光源はどうやら男の手だ。
音はしない。ただ何かが放たれたのは分かった。
刹那、体に火傷のような衝撃が走り、消えた。
何事かと思い、化け物へと視線をやる。
そいつは燃えていた。
いや、燃えているのだろうか。
炎と呼ぶにはそれはあまりにも灰色に染まりすぎていた。
それに…
「火を、飛ばした…?」
「おい、無事か。」
漸くして男が追い付いた。
「は、い…。大丈夫、です…。」
「そうか、ならいいや。」
話して分かったが、どこか冷酷な雰囲気の漂う男であった。
優しさとは無縁そうであるが、それならば何故僕を助けたのであろう。
それにここはどこなのか?
今の時間は?
先ほどの化け物は何者なのか?
聞こうと思えばキリがない。
だが1つ、明確に興味を唆られるそれを後回しにするなどということは、僕にはできなかった。
「おじさん、」
「ん?」
「さっきの、火って…」
「あぁ、あれは…」
どうもその男が、その時答えを渋るように見えたのは気のせいだろうか。
「魔法だよ、魔法。」
「まほう…?」
おじさんの言うそれは、“魔法”。
人に人ならざる力を与える事象の総称らしい。
そして、これが僕との、世界の概念を覆しうる力の存在“魔法”との出会いだった。
そして、僕の物語の、使命に向き合う瞬間だったんだ…。