表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私と君の日常の物語

作者: 下川 颯


「じゃあ、戸締りをしっかりしてね」

「そっちもな。おやすみ」

「うん。おやすみ」

 会話が終わると、私は慣れたようにヘッドセットを外し、定位置となっているテレビ横の専用台の上に置いた。

「ふぅー」

 口から出てくるのはため息というよりは、スポーツ選手が試合の後に息を整える深呼吸に近いと思う。だってコントローラーを握る手は少し汗ばんでいて、ひと試合終えた後といってもおかしくはなかった。ひと昔前はただのゲームだったのに、時代は変わり今ではe-sportsと名前を変えて、スポーツの一つとして数えられるようになったゲームもある。それなら私が今オンラインでプレイしていたゲームもスポーツなのかもしれない。

 部屋の中を見回しても誰もいない、いるのは私1人だ。さっきも言った通り、私はオンラインゲームをしていた。本当に時代の変化はすごい、1つの部屋の中に集まってゲームをするのが当たり前だったはずが、今では離れた相手と一緒にゲームをすることができる。現に私がさっきまで話して、ゲームをしていた相手は、数百キロ離れた場所に住む彼氏こと、佐々木圭なのだから。私が東京に住み、彼は大阪に住んでいる。そんな二人がどうして出会って、ゲームをしているのか? 別に最初から離れていたわけではない。最初は近くにいたのだ。東京の大学で出会った私達は、二人とも田舎から出て来たという共通点から話すようになって、そのまま気づけば付き合っていた。大学を卒業した後も、少しの喧嘩はあったけど、別れることもなく、気が付けば一緒に住むようになり、私としてはこのまま彼と結婚し、子供が生まれて、幸せな家庭に包まれて過ごす未来もいいのかなと思い始めた矢先に、私達にひとつの転機が訪れた。

 あれは少しずつ夏の終わりを感じ始めた9月の終わりだった、珍しく私よりも先に仕事場から帰ってきていた彼は、テレビで1人ゲームをしていた。すでに同棲をして半年以上たっていた私からすれば、テレビに向かって噛り付くようにゲームをしている彼の背中は見慣れたものになっていた。

「あのさー」

 私が帰ってきたことにドアの開く音で気づいた彼は、ゲームをしたまま話し始めた。

「うん」

 ゲームの音で少し聞き取りにくい彼の声に、私は台所で夕飯の用意をしながら返事をした。

「うちの会社、関西にも支店があるだけどさ……」

「うん」

 後半は聞き取れなかったけど、なんとなく相槌を返しながらスーパーで特売になっていた牛肉をフライパンに並べていく。同棲も半年以上たつと、彼との会話も料理の片手間となっていくものだろう。フライパンの上では分厚い特売のステーキ肉が、食欲をそそる香りを上げて焼けていく。たまには豪勢にしてみるのもいいものだ。

「俺、転勤することになった」

「うん……うん?……ん?」

 フランパンを握っていた手を止めて、コンロの火を止める。片手間では対応できない内容である。さらっと聞き逃してしまったけど彼は今、何て言ったのか? 転勤?

「今、転勤って言った?」

「そうだけど」

 さも当たり前のことのように彼は言う。どうやら聞き間違えではないようだ。

「いつ?」

「来月から」

「来月って……来月の1日?」

 思わず台所から飛び出して、彼の横に詰め寄っていた。だって来月もなにも今日は25日である。つまり転勤まで、あと1週間もないではないか。問い詰めるように詳しく聞いてみると、2週間くらい前から分かっていたのに、私に言うのを忘れていたようだ。住む場所は会社の社宅があり、家具も電化製品も備え付けになっている為、持っていくものは着る物だけ。引っ越しの準備もないから忘れていたとは……私が嫉妬しやすい彼女だったら即別れるレベルの酷さなのに……こんな時でもコントローラーを離さない彼を見ていると、少しでもイライラしていた自分がアホらしくなってしまう。

「あ、そうだ。早く焼かないとステーキの肉が固くなっちゃう」

 フライパンの上に放置していた生焼けのお肉を思い出し、私は台所に戻った。

「お、ステーキ。ラッキー」

 小さくガッツポーズしている姿が目の隅に入ってきたけど無視することにしよう。調子のいい彼氏である。結局、この日以来、とくに転勤の話をすることもなく、打ち明けられて1週間もしない間に彼は予告通り、転勤先である大阪に旅立っていった。もちろん大好きなゲームと一緒に。

 あれから早いもので半年、彼とは一度も直接会えてはいなかった。転勤したばかりで仕事が忙しいってことや、物理的に遠いってこともあるけど……世の中が大変で、簡単に東京に来られない状況ってことが一番だった。今は大分落ち着いてはいるようだけど、いつまた大変な状況に戻ってしまうかもしれない。周りの皆が我慢している中で、自分だけっていうのは、なんだかこっそりと抜け駆けをしているみたいで嫌でもあった。本当は会いに行きたいし、会いに来てほしいのに……強がったまま恋人達の記念日クリスマスも1人、家族でまったりゆっくり過ごすはずのお正月も1人、いや正確には1人だけど……オンラインゲームをしながらヘッドセットをして話す日々、オンライン上では簡単に会えて、話して、一緒にゲームしているけど……やっぱり直接の触れ合いとは違い、寂しさは募るものだった。


 この日もいつものように仕事終わりに彼と約束した時間にゲームをする。こんな生活がルーティーンのようになっている。彼としては会えない分も埋め合わせをしてくれているのか……それとも単純にゲームがしたいだけなのか……うん、後者かもしれない。でも今日はいつもと違うはず、正確には今日ではなく明日なんだけど、前の日ってことで何かアプローチなり、いつもと違うことがあってもいいのではないだろうか、だって明日は私の誕生日だから。部屋のカレンダーには赤い花丸で印をつけている。私しか見ないカレンダーでも、ついつい彼と同棲していた時の癖で書き込んでいた。

 きっと会うことは叶わなくても……何か、お祝いの言葉やプレゼントがあるはず……と、期待していたのは1時間と29分前のこと、いつも通りゲームを始めると、いつも通り代り映えもなく、淡々と世間話をしながらゲームをするだけ、このままではいつものように2時間でゲームを終えてしまう。自分から誕生日と言いたくはないけど、背に腹は代えられない。探りを入れてみるしかないようだ。

「ねぇ最近どう?」

 意を決して出た言葉は、思った以上に曖昧で中途半端な問いかけだった。言った自分も即座に頭を抱えてしまうほどに。

「最近? ざっくりな質問だな」

 彼も同じ事を思ったのか、呆れたようなカラ笑いがヘッドホン越しの耳に伝わってくる。

「いいでしょ別に」

「最近かー……うーん……」

 思い出すように言葉が詰まる。それでも画面の中でキャラクターが敵を瞬時に撃ち抜いているところを見ると、さすがはゲーマーである。

「うーん。仕事で残業ばっかり、であんまりゲームできてないかな」

「忙しいんだ?」

「というよりも人手不足だな。最近同僚の1人が交通事故で入院してさ。事故だからしょうがないけど、おかげで残った俺たちはそいつの仕事まで回されて残業、残業。まぁ残業代が出るだけマシだけど、体力的には辛いよな。ほんと、退院したら愚痴の1つでも言ってやりたいくらいだよ」

「愚痴を言いたいのは私のほう」

「うん? なんか言ったか?」

「え? なんでもないよ。へー大変だね」

 慌てて話を逸らす。あぶないあぶない、思わず呟いてしまった言葉は、運よく聞こえてなかったようだ。しかしどうやら彼の頭の中は、残業のせいで溜まった仕事への愚痴と、プレイできないゲームへのイライラで一杯のようで、私の誕生日なんて彼の頭の中には1ミリも存在していないことがよく分かった。

「はぁ」

「どうしたんだよ、ため息なんてついて。幸せが逃げるぞ、ため息つくと」

 気づいて欲しいことには気づいてくれないわりに、余計ことには気づいて、余計な一言を言うタイプだったことを、今の一言で思い出した。

「もう逃げてるから大丈夫。じゃあもう寝るね」

 遠回しに嫌味を言うと、片付ける準備を始める。予定の2時間も、すでに少し過ぎていた。

「え? もうそんな時間か……早いな」

 彼の声色からは、少し物足りなさそうな気持ちが伝わってきていた。

「明日も仕事でしょ。早く寝ないでいいの?」

「俺ならもう少しゲームしても大丈夫だけど、ついでに3面のボスまで奈緒と一緒に倒したいし」

 奈緒と一緒にという言葉に、少しだけ後ろ髪を引かれる気持ちはあったけど、それがゲームでは……頭に血が上ってイライラしている私を鎮めることができるわけもない。

「続きはまた明日。じゃお休み」

「あ、ちょっ」

 有無を言わさず、通信をシャットダウンすると、すぐにゲーム画面からもログアウトする。真暗になった液晶画面に映るのは、目尻が上がって誰が見ても不機嫌だと分かる私の顔だった。

「はぁー……バカ」

 私の呟きは虚しく、白いクロスの貼られた壁に吸い込まれていくだけだった。


 世の中ほとんどの人にとって365分の1日でしかない日でも、私を含む一部の人にとっては記念すべき特別な1日、それが誕生日。カーテンの隙間から差し込む光に誘われるように目が覚める。枕元に置いたスマホで時間を確認すると、まだ朝の6時、いつもアラームを鳴らす7時よりも、1時間も早く起きてしまった。まだ閉じようとする目をこすりながら起き上がると、洗面所に向かう。給湯器のボタンを押して、しばらく蛇口を捻っていると流れる水から白い湯気が立ちこめ始めた。体温と同じくらいのぬるま湯で顔を洗うと、寝ぼけていた意識も徐々にはっきりと活動を始める。少し曇った鏡には一晩たっても、あいかわらず不機嫌そうな私の顔が映っていた。こんな顔をしているから嫌な夢なんか見て、早起きしてしまうのだろう。もう一度、手をお椀のようにしてお湯をすくい、何度も顔を洗う。駄目駄目、こんな気持ちでいたら、せっかくの誕生日が台無しだ。彼が忘れていたとしても……私にとって誕生日であることに変わりはない。そうだ、仕事帰りにケーキを買って帰ろう。職場近くにある人気店で、一番人気のチーズケーキ。今日だけはカロリーも気にしない。好きなだけ、好きなものを食べてやる。よし、決めた、そうしよう。楽しいことを考え始めたら、少しだけ気分もよくなった気がする。この調子で仕事も頑張ろう。鏡に映る自分に言い聞かせるように、私は1人ガッツポーズをしていた。


「はぁ」

 朝の意気込みはなんだったんだろう。足取り重く、仕事終わりの私は家への道を歩いている。ため息だって吐きたくなる。だって、だって、こんな日に限ってケーキ屋さんは特別休業、一番人気のチーズケーキは諦めて、コンビニのケーキでもいいかなぁと思い、家に帰るまでに3軒のコンビニをはしごしたけど……どこのコンビニも売り切れ……こんなことってあるんだ。棒のように固くなった足を、なんとか引きずるようにして家までたどり着くと、マンションの前に緑色のトラックが止まっていた。よくCMで見かける猫がマスコットキャラクターの宅配業者のトラックである。ハザードランプを点滅させながらマンションの前に止まっているということは、何か荷物でも届けにきたのだろうか。ガラス張りになっているマンションのエントランスでは、緑の作業服を着た男性が部屋番号を押している様子が見て取れた。そっと後ろを通り抜けて、エレベーターに乗ろうとした時、男性の押している部屋番号がチラッと見えた。306号室、私の部屋番号だった。

「あのー」

「あ、邪魔でしたか?」

 おそるおそる声を掛けると、男性は頭を下げながら、台車に乗った荷物を横にスライドさせる。

「いえ、あの306号室に荷物ですか?」

「え、あ、そうですけど」

 覗かれていた事に気づいていなかったのか、部屋番号を言い当てたことに、少し男性は怪訝そうな顔をする。

「私、306号室の柿崎と言います。ここで荷物受け取りましょうか?」

「あ、そうだったんですね。助かります、留守のようでしたし、宅配ボックスもなかったので持ち帰ろうと思っていたところだったんです」

 心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる男性を見ていると、管理人さんから案内されていた宅配ボックスを置いてあげてもいいかなと思う自分もいた。貸してもらったボールペンでさっとサインを書くと、受取書とペンを返す。

「重たいので、部屋の前まで台車で持っていきますよ」

「あ、ありがとうございます」

宅配の男性と一緒にエレベーターに乗り込むと、3階へ向かう。部屋の前で荷物を受け取ると、男性は足早にエレベーターに乗り込み、降りて行った。まだまだ仕事が残っているのだろう。男性が言っていた通り、段ボールに入った荷物は少し重い、何が入っているのだろうか? 送り主の名前を見ると、柿崎久美と書いてあった。母親の名前である、そういえば実家で作っている野菜を送ると、連絡があったのを思い出した。なにも今日届くように送らなくてもいいのに。一瞬だけ、彼からの誕生部プレゼントを期待していた自分がバカみたいである。昨日の段階で期待しないって決めていたのに……期待するだけ自分が傷ついてしまうなら、最初から期待なんてしないほうがいい。玄関横の棚に段ボールを置いて、靴を脱ぐ。いつもならスルッと脱げる靴も、今日は何故だか上手く脱げない。きっと、歩きすぎて足が汗をかいてしまったせいだ。ますますついていない。

 廊下を抜け、ドアを開けると誰も待っていない、一人暮らしの暗く寒い部屋。壁のスイッチで電気をつけた瞬間、鞄からスマホの通知音がした。まるで見計らったかのようなタイミングのよさ、スマホを取り出してみると……差出人は彼だった。途端に心臓がドクンと鼓動する音が耳に聞こえる。期待しないって決めたはずなのに……彼の名前を見るだけで……期待してしまう自分がいた。自分でもバカだって思うけど、理屈では説明できないこともある。

「えーっと……なになに」

 彼からのメッセージを開くと、画面には ≪ごめん。残業で帰るのが遅れそう。今日の開始時間30分遅らせて(泣)≫ とあった。

 ただの業務連絡である。(泣)って……泣きたいのはこっちの方だ。

 着ていた上着をソファに脱ぎ捨てると、そのままベッドに倒れ込む。

『やっぱり距離って大きかったな』

 枕に顔を押し付けたまま目を瞑っていると、ふいに友達の言葉が頭の中でリフレインする。これはいつの言葉だっただろうか……確か、先週の週末に久しぶりの女子会をした時のことだった。大学時代からの友人である明里と、2人で懐かしのカフェにランチを食べにいったのだ。大学時代から行きつけだったカフェ、当時からランチタイムには行列ができるほどの人気店だったけど、この日はお昼時でも並ぶことなく座ることができた。明里はアサリを使ったパスタのセットを注文し、私はウニを添えたクリームパスタのセット、久々の外食を楽しみながら、学生時代の話に華を咲かせる。もちろん女子が2人集まれば、自然と会話は恋バナとなってしまう。私と同様、目の前で幸せそうにパスタを頬張る彼女も、学生時代から付き合っている2つ上の彼氏がいた。学内でも有名なカップルで、学祭でベストカップルに選ばれるほどだった。ペロリとパスタを食べ、セットのケーキと紅茶が運ばれてきた時、何の脈絡もなく明里は「やっぱり距離って大きかったな」と呟くように言った。

「なにそれ?」

 言葉の意味が分からず、紅茶に浮いたレモンをスプーンで2度沈めながら聞き返した。

「言葉のまま。実は私……別れたの」

「え?」

 予想外のことに、思わず握っていたスプーンを落としそうになる。

「別れたって……どうして? あんなに仲よさそうだったのに」

 最後に会った時の二人は、幸せオーラ満載だった。

「あの時はね……一緒にいたから。やっぱり距離って大事だね、800kmは遠かったなって……思って。奈緒には言ってなかったけど、私の彼。ううん、元彼ね……先月から北海道にいるの」

「もしかして仕事の関係?」

「そう、転勤でね」

 転勤という言葉に、とっさに私の頭の中に大阪に転勤した彼の顔が思い浮かぶ。そういえば、明里にはまだ彼が大阪に転勤したことを伝えていなかった。

「でも今なら簡単にテレビ電話もできるし、会おうと思えば……」

 そこまで言って言葉に詰まる、そうだ……私も会えていない。

「最初は毎日電話もメールもしてたよ。でもお互いにすれ違う時間も多くなる、同じ話題も減って、自然と連絡を取る回数も減っていった。ぬくもりのない部屋に一人だけ……やっぱり、いて欲しい時に、傍にいてもらえないって……辛いよね」

 辛いという言葉が、今の私には痛い程分かる。

「一緒が当たり前の奈緒が羨ましい」

「そ、そうかな」

 明里の顔を見ていると、本当の事を言えないでいた。

「奈緒も気を付けなよ。物理的な距離って……心まで遠くしてしまうの」

 悟ったように言う明里の顔と言葉が、頭の片隅にずっと残っていた。


 いつもの時間より30分遅くゲームにログインすると、彼はすでにログインして待ってくれていた。

「ごめん。待った?」

 慌ててヘッドセットを装着する。

「……」

 ヘッドホンから口元に伸びたマイクに話しかけても、一向に彼は何も言わない。

「どうしたの?」

 いつもなら同時にしゃべってもはっきり聞こえていたはずなのに、今日は無音のまま、壊れたかな? しばらく待っているとゲーム画面の右下に、手紙マークが浮かび上がる。なんだろうこれ? 使ったことはないけど……確かチャット機能? ひと昔前のオンラインゲームならチャットが多かったかもしれないけど、ヘッドセットも手軽に手に入る今、文字を打ち込むのも面倒で、わざわざチャットする人はいなかった。

 不思議に思いながらコントローラーでカーソルを動かし、手紙のマークを押してみる。

≪ごめん。マイクの調子が悪いみたい。圭≫

 すると、画面の右下にこんな文字が映し出された。

「声は聞こえてるの?」

 話しかけて待つこと30秒。

≪イヤホンは大丈夫みたい。俺がしゃべる時だけ打ち込むから」

「うん」

 調子が悪いのは彼のマイクだけのようで、私の声はしっかり聞こえているようだ。いつもとの違いに戸惑いはあったけど、それも最初だけ、結局ゲームが始まれば一緒のはず……なのに。声が聞こえないだけで、こんなにも孤独を感じてしまう、今までだって部屋には一人だけ、でも声が聞こえない今日は、誕生日である今日は……一段と一人でいることを実感させられてしまう。画面の中ではお互いが操作するキャラクターが隣り合って一緒にいるのに、現実は違っている。それがまた悲しくて、直視したくなくて、ゲームに集中できない私がいた。

『ぬくもりのない部屋に一人だけ……やっぱり、いて欲しい時に、傍にいてもらえないって……辛いよね』

 またしても明里の言葉が思い出され、バラの棘のように胸に突き刺さる。一緒に住んでいる時にはあった幸せ、遠くにいっても変わらないと思っていた幸せは……遠くになると変わっていく。

『やっぱり距離って大きかったな』

 次から次へと棘は私の胸を容赦なく突き刺していく。この棘は返しがついていて、1度刺さると簡単には抜けてくれない。ズキズキと痛み続けるだけ。

≪何やってんだよ≫

 画面に表示された文章に気づき我に返った瞬間、私の動かしていたキャラクターは敵の罠にかかり、死亡していた。

「あ……」

≪どうした? 急に動かなくなってたけど、大丈夫か?≫

 大丈夫……その言葉が違う意味に聞こえてしまう。

「ごめん大丈夫。ちょっとぼーっとしてただけだから」

 本当は大丈夫じゃないと言いたいけど……言えない。遠い場所にいる、残業で疲れた彼にいらぬ心配をかけたくないし、言ってしまったら何かが崩れてしまいそうで怖かった。

≪ならいいけど。まぁいいや、ちょうどきりもいいし、ちょっと休憩しよ≫

「……うん」

 時計を見ると1時間もたっていた。テーブルに置いていたコーヒーもすっかり冷めている。

≪風呂に入ってくる≫とチャット画面に打ち込まれた後、数秒して彼のキャラクターは画面上から姿を消した。

 ボーっと待っていても暇なので、CPUと対戦することにした。何度かやっていると彼に比べて、当たり前だけどCPUの動きは単調に思える、なんだかつまらない。壁に掛かった時計を見ても、彼がお風呂に入りにいってまだ10分しかたっていない。後20分は戻ってこないだろう。私と違って彼は長風呂が好きだから。時計の下には昨日見た時と同じ、花丸が主張してくるカレンダーがある。私の誕生日も、あと数時間で終わる。今となってみれば花丸を書いた自分が恥ずかしく、そしてきっと彼の部屋のカレンダーには花丸がないことが一段と悲しかった。

「私もお風呂に入ろうかな……」

 そんな風に呟いていると、インターホンの音がした。こんな時間に? 私の住むマンションはオートロックだから、普通は1階のエントランスからの呼び出しだけど、この音は玄関のインターホンを押した音、誰だろう? もしかして近所の人だろうか? 覗き穴からドアの外を見た瞬間、私の心臓は止まってしまうかのように跳ね上がり、私の手はいつのまにかドアノブを掴んで勢いよくドアを開けていた。

「イテっ、勢いよく開けるなよ」

 そこにあったのは、さっきまで一緒にゲームをしていた彼の姿だった。ドアにぶつけたおでこを痛そうに摩っている。

「どうして……」

「へへ、騙されただろ」

 勝ち誇ったかのように、そして子供のように彼は白い八重歯を見せて笑う。まるでゲームに勝った時のように。

「あのゲーム、実はパソコンでもできるんだ。だから小型WIFIとコントローラーをつなげて新幹線の中でプレイしてたわけ、さすがに他の客がいるからマイクは使えなかったけどな」

 なるほど、それでマイクが壊れたと嘘をついて、チャットで会話をしていたのか。謎の行動の理由が分かった気がした。

「でもなんで?」

「なんでって決まってるだろ。今日は奈緒の誕生日だから」

 さも当たり前のことのように彼は言うので、私は思わず食い気味に聞き返していた。

「え、その為だけに?」

 待っていたことなのに嬉しさよりも、まだ先に罪悪感が顔を出す。

「その為じゃないだろ。彼女の誕生日だぞ。誕生日を忘れる彼氏に俺はなりたくないし、そんな奴に彼氏を名乗る資格もないだろ」

 真剣な表情ではっきりと言う彼の言葉と姿に、思わず泣きそうになる自分がいた。

「でも、こんな時間じゃ、大阪にはもう戻れないよ」

「有休とったから大丈夫。こういう時の為に、ゲームを我慢してまで残業を頑張ってたのさ」

 そう言ってまた彼は八重歯を見せて笑う。物理的な距離が何百kmあろうと、彼の心は私から離れてなかった。それどころか、いつも思っていてくれていたのだ。そう思うと零れる涙も気にせず、思わず目の前の胸に飛び込んでいた。

「おい、一応ソーシャル……って、どうなっても知らないぞ」

「大丈夫、今日は私の誕生日だから。神様だってきっと許してくれるはずだもん」

「なんだそれ」

 呆れたように彼は言うけど、背中に回してくれている腕に、さっきより力がこもっているのが背中越しに伝わってくる。

「……ありがと」

「お、おう」

 照れ臭いのか、さっきまでのカッコよさが嘘のように、動揺した声が頭の上から聞こえてくる。それが今度はおかしくもあった。

「笑うなよ。あ、そうだ。誕生日プレゼントもあるんだ」

 背中に回していた腕を緩めて、彼がポケットから取り出したのは、青いプラスティックのケースに入った新作ゲームのソフト。前から彼が一緒にやりたいと言っていた物である。

「……もう」

 嬉しいけど……ロマンティックな雰囲気もムードも完全に無視してる。でも彼らしい、彼らしくて安心する。私はこんな彼らしい一面も含めて、好きになったんだから。

「さっそくやろうやろう」

 子供ように意気揚々とリビングに向かう彼の背中を目で追いながら、離れていても、近くにいても変わらない、いつもの幸せな日常の訪れに胸の奥の棘は消え、心臓が弾む音がしっかりと耳に聞こえてくるような気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ