原点に返ってみたよ!
とあるエッセイに感化されて書こうと思った。私の原点って何だろう。どうして小説を書いているのだろう。もともと、私が小説を書き始めたのは中学二年の頃だ。高校受験を期に、しばらく創作から遠のく事となるのだが……それはまた別のお話。
その前はもっぱらゲームをしていた。もっと前は子ども向けアニメ。『夢のクレヨン王国』とか好きだったなぁ。知っている人いるかな?
私はねぇ。
アニメでもゲームでも、声に出して真似するのが好きだった。「はーひ〇ーへほー!(きらーん☆)←ちゃんと効果音まで言う」とか。某バイキンさんの声はすっごく練習した。
声も大きかったからお遊戯会では二人の魔女のうちの一人を演じてた。地声も低いから先生から「やってみる?」ってお誘いがあって有頂天だったのだ。
幼い頃は、魔女になりたいと思っていた。
肌で感じる風を、指一つで操っている。そう信じている時代もあった。
ゲームでは『天外魔境ZERO』や『桃太郎伝説』などのハドソンのゲームが好きだった。うーん。知ってるハドソン? 有名な会社だったんだよ!
『天外魔境ZERO』の話をして見る。
特にスバルという火の一族の妖精のキャラクターは憧れだった。天真爛漫で、いろんなマものを召喚する。「鋼鉄の獅子」というマものの攻撃は、ハッキリと目の前に出てくるくらいに衝撃的な演出だった。飛び出てくる岩は立体的で、鋼鉄の獅子もポージングが咆哮しているようで格好いい。
でも、真似したキャラクターは金銀という、敵キャラだった。
「う え る か む 。」(これわかる人は友達になろう!)
ちょっと性格が歪んでいて、自分の科学の力を過信し、時に主人公たちを独特な手法で足止めする。ものすごく厄介な敵キャラクター。でも、コミカルでクリエイティブで、マヌケな部分もある。
例えば。
赤丸横丁という村を造って、ミニゲームを遊べるようにしてくれたり、マネキングⅢというロボで主人公たちをぺしゃんこにしたり、丸焦げにしたり(最終的にはロボ合戦で戦う)。
追い詰められた金銀が、金を塗って大量の自己金像の中に身を隠すが、明らかに「お前そこに居るだろ!」って場所に堂々と居たり。
一番惹かれたのは、地獄のもので唯一最後まで変化せずに、自分の機械と同化して戦ったところだ。
金銀は自分の科学の力を強く信じている。そして、火の一族についた盟友犬神のことを一方的に強く恨んでいる。しかし、殺さなかった。封印しただけ。石仏の谷の肖像画に傷をつけたものの、破壊はしていない。神社は魔改造されていたが……。
彼はどこか人間じみた悪役だったのだ。
だからか、感情移入しやすく親しみやすかった。
金銀のような、一つのことに拘泥するほどの熱意と自信。むしろ地獄の者ではなく、今を生きる人間にこそ必要なのかもしれない。
おっと、話がとてもそれてしまった。
それが心の隅にあって、声優を目指す。が病気になり、今小説を書いている(あ。だいぶはしょったな)。原点と言えば、アニメの悪役の決め台詞。そしてゲームの決め台詞。小説は……全然読んでいなかった。せいぜい星新一先生のSSを数個読んで「見ました」というレベルである。
なろうに来て何年か経って、初めて読んで感動したのは、『はてしない物語』だ。ネバーエンディングストーリー。両方とも見た。病気になりかけの大学生の頃は新書ばかり読んでいたから、初長編小説かもしれない。
モーラとアトレーユの会話は、感動ではなく、考えさせられた。児童書なのに、現代にも通じる皮肉が入っている。普通はアトレーユに感情移入するのかもしれない。でも、私はモーラだった。
今観てもあの大きな亀に感情移入してしまう。
アトレーユよりモーラの方が言っていることが人間臭いからだ。
また、気に入っている言い回しもある。それは、「本は開かれなければ存在しないのと同じ」的な言葉である。誰が言ってたかなぁ……。
とにかく、見てもらいたかった。心の内を。こうして書くことで、誰かが読んでくれて、物語やエッセイは存在するのだと。まだ書く意義を見いだせていない。情けない話であるが本当のことである。
でも、そんな気持ちに任せて書くことが出来た。奥底では理解しているのだろうと思う。
上手くまとめる力が無くて申し訳ない。
これが今できる最大の自己表現であり、私が小説を書く理由だ。最後まで見てくれて、ありがとう。
感想くれると嬉しいです!