初恋のひとが婚約したとかいうから
客観的な視点を持つのは大事ですよね。
当事者であろうとも、ものごとに対して興奮していようとも、一度は冷静になって自分の言動を振り返り、その先を考えることを心がけたいものです。
他者から見た自分は果たしてどうであったか。
今後を適切に対処できるのかどうか。
ひいてはそれが自分の利得に繋がるのです。
客観的になれることで得られる、過去から押し寄せる反省の少なさよ! 素晴らしきかな、前向きになれる人生!!
さて。
私はこのように、少々小賢しい性質なのですが。
幼少期から賢しい子どもであったので、これはもう性分と言えるでしょう。
この性分は間違いなく親譲り、遺伝と育った環境にあります。
父は宮廷魔術師で、さらにそれを束ねる師長。持ち得る実力と掴みどころのない性格で、名はあって無いような田舎貴族でしたが、一代で王と国に仕える人物に成り上がりました。
母はそれなりの家格の出ですが、兄妹が多かったためお家のことでは重要視されず、早々にその成り上がりに嫁がされたそうです。
それぞれ両親によって決められた婚姻で、父も母も始めは気が乗らなかったらしいですが、多分ウソです。
私が産まれて十五年。今でも娘の前だろうが遠慮なしに愛を語らい合うので、ふたりの気分を盛り上げるための虚言でしょう。
そんなふたりの間で生まれ育ったのですから、私もやはりそれなりに愛情はたっぷり持ち合わせているのでした。
「お父様! 帰っていらっしゃった?」
「はいはい、お父様は帰っていますよ?」
「もう! お父様ばかり帰っていらっしゃらなくていいのに!」
「えぇ〜? ひどいなリマリマは〜。お父様が傷付いちゃうよ?」
「この程度でお父様が傷付くものですか」
「お父様は繊細だよ。みんなお父様を『取り扱い注意』って言うよ?」
「それはそれぞれの方によって意味合いが違います。私にとっては『面倒くさい父』という意味で取り扱い注意です」
「なら注意して取り扱っておくれよ〜」
「お父様が分かっていてはぐらかすから扱いが雑になるの!」
「それはその通りだね、いた仕方無し!」
「ぅぅー! もう!! いいから、ビクター様は帰っていらしたの?!」
「もうすぐの予定だよ」
「ご無事で?!」
「……そうだと良いね」
「いつお会いできる?」
「リマリマは、そうだねぇ……ちょっと先になるかなぁ?」
「どうして?!」
「だって君の休暇はまだだもの。それからだね」
「いじわる!」
「さあ。もうそろそろ帰らないとまたモナに叱られるよ」
「いじわる!!」
魔力量に関して、遺伝は大きく関わらないとはされていますが、全く無関係ともいえません。
魔術師の娘である私にも、それなりに魔力は備わっています。
休暇でも無いのに王都の端から中心にある我が家まで、転移で行き来することができる程度ですが。
ですが、馬車での移動なら急いでもたっぷり半日はかかるので、他の御令嬢様方に比べれば大幅に時間の都合がつきやすいのは確か。
そこは素直にお父様に感謝です。
私は今現在、実家を離れて『王の庭』で生活しています。
【この国内で優秀とされる子どもは『王の庭』に集められ、さらなる高みを目指すべく教育されねばならない】
とまぁ、建前上このように謳われて良家の御令息御令嬢様方々と共に暮らしているのです。
将来は国に仕える文官か騎士か、はたまた魔術師か。『王の庭』にはそれだけではなく、広大な土地を抱える領主の御子息様たちや、いずれその方たちに縁組みされる御令嬢様たちがいるのでした。
要するに、そのうち国を支える者同士、早くに効率良く知り合っておけという場所です。
私は残念ながら『貴族のお偉枠』での入学でした。
毎年片手の指で足りる程にしか魔術師科は入学を許可されないのです。術師科は他の科とは違い、国中から人を募ります。魔力量がそこそこの私ではその小さな枠に入ることは叶いませんでした。
ビクター様と同じ術師科で学びたかったというのに。
まぁその夢は私の『王の庭』入学より前に潰えたのですが。
「お戻りが遅いですよ、リマリマ様」
「ただいま、モナ」
「寮長様にはお手洗いにお篭りですとお伝えしました」
「いつもありがとう。今からすぐに点呼を取られに行ってきます」
「お腹のゆるいご令嬢の出来上がりです」
「お手洗いと言わなければ良いのでは?」
「他に寮長様と顔を合わせず済む言い訳がありますでしょうか」
「私は何を拾って食べてるのかしらね?」
「お嬢様……点呼より前にお戻り下さい」
「寮長様にお会いしてきます」
「……行ってらっしゃいませ」
お腹が緩いだの下し気味だのの想像や噂は、したい方にはさせておけばいいのです。
そんなことよりも、今後の私は頻繁に実家に帰り、ビクター様の情報を逐一お父様から入手しなくてはなりません。
ビクター様は私の初恋の方です。
初めてお見かけしたその日に、私の世界に光が満ちて色が付き、全てが円滑に動き出しました。
そのような感覚です。
不思議な感覚でした。
その時は解りませんでしたが、後に『ああ、恋をしたのだ』と、そう気が付いたのです。
それはビクター様が十三歳、私が九歳の秋のことでした。
その秋のある日、魔獣の暴走が起こりました。
それは国境付近に居た一頭の魔獣から始まり、数と勢いを膨れ上がらせながら王都のすぐ手前で食い止められる、という災害でした。
その現場で私が命を救われる劇的な出会いが! ……ということはありません。
たまたま暴走の通り道近くに『王の庭』があった為、当時生徒であったビクター様が駆り出されたのです。
この言い方には語弊がありますね。
まるでおひとりで暴走を止めたかのようです。
正確には当時の戦闘可能な教師、騎士科の生徒、術師科の生徒たちでことの対処をせよと王命が下ったのでした。
百名にも満たない人員で、数千、数万にも及ぶ魔獣を相手にしたのだと聞き及びます。
暴走に遭った町や人々に甚大な被害がありました。犠牲になった生徒も少なからず居たそうです。
王陛下は城都の目前まで、暴走を『王の庭』に一任。王軍に属する騎士と宮廷魔術師の派遣をしませんでした。
その判断の善し悪しは私が明言する立場にないので控えます。
私は安全が確保された後、お父様に連れられて、暴走の最終到達地点に行きました。
九歳の子どもでしたので、私が何かしらのお手伝いするなんてことはありません。
私にリマリマという一風変わった名を付けた父です。
教育方針も一風変わっていたのです。
私にその現場を見て、何かを感じて、そして考えて欲しいのだと連れて行かれました。
後に書面にして父に提出させられたのは余談です。
暴走の到達地点は何もない広い草原。
とても天気が良かったのを覚えています。
父と私はその草原から遡って様子を見ていったのです。
後処理を指揮している王騎士様や宮廷魔術師の方々、怪我をして疲れ果てた『王の庭』の生徒たち。
瓦礫の山になった人の暮らしがあった場所、そこから放り出されて途方に暮れる人々。
私は大きめの集落でビクター様を初めてお見かけしました。
その当時のビクター様は今の私より年下です。
格好良く現場を仕切ったりはしていません。
魔術師が身に付ける黒いローブ姿のビクター様は、まるで大きなぼろ布のように、地面に伏せておいででした。
魔力切れを起こし、自力で起き上がれないほど疲弊しておられたのです。
私はちょうど救護の方に助け起こされる場面を見ていました。
そうなのです。
私はお会いしたのでもお話ししたのでもなく、お見かけしただけ。
ですが私は、ビクター様のその時の表情に胸を打たれたのです。
やり切った、というような、晴れやかなお顔でした。
自力で起き上がれなくなるほど魔力を使い切るということは、魔術師にとって命取りです。それなのに朗らかに笑っておられた。
これは騎士でも魔術師でも同じですが。
戦いの場に於いて自分の力で動けなくなるということは、それ即ち命を断たれる危険があるということです。
そこから逃れられた安堵か、力を尽くした充足感からか、私にはビクター様のお心は計り知れません。
でもこの方は一度は死を覚悟されたのだ、解っていて魔力を使い果たそうとしたのだ、と感じました。
それなのに。
それだからか。
とても清々しいお顔をしていたのです。
今だからこそ私はこのように言葉にできますが、当時は見聞きしたもの、感じたこと全て渾然一体として、それをそのまま衝撃として受け止めました。
後に頭や心の中を整理して、あの方が好き過ぎる! と結論を出したのです。
それからは父のツテを活用してビクター様のことをひとつ知っては大喜びする日々でした。
鉱石にご興味があると聞けば勉強をし、研究成果を発表したと聞けば複写を手に入れてもらい読み耽る。
ここまでしていれば両親には私の気持ちが露呈します。ならばと開き直って堂々とすることにしました。
何がここまで私を駆り立てるのか分かりませんが、何故と考えるたびにビクター様のあの顔が思い浮かぶのです。
私もそのうち『王の庭』に行く日が来る。
その時はきっと魔術師科に。
ビクター様の後輩になって、他人の目から見た様子を知るのではなく、自分の力でお側に行くのだと、張り切っていました。
結果、私には生まれ持った魔力量が術師科に入るには少なかったこと。
ビクター様とは四歳違いだから一年間は同じ場所に居られるのだと思い込んでいたこと。
その辺りで計算違いが生じました。
文官科、騎士科、術師科は、通常ならば十三歳から十八歳までの五年間を『王の庭』で過ごします。
ちなみに私の所属するお偉枠は、十三歳から十六歳までの三年間です。
『王の庭』は基準となる過程を納められれば在学期間が短縮されます。
優秀であれば飛び級もあり得る。
そしてさらに言えば、卒業も。
ビクター様は入学してから二年半で卒業をし、そのまま国境となる、西の海岸線での戦に徴集されてしまいました。
五年間の期限付きで。
私はその時の感覚を、今でもありありと思い出せます。
知らせを聞いて、本当に目の前が真っ暗になった感覚を。
父はとても怒っていました。
制御も忘れ、魔力が漏れ出て空気がぴりぴりする程です。大変な怒りっぷりでした。
成人前の子どもを戦地に送ること、それも五年もの間。
『王の庭』に入れる程の優秀な魔術師です。
師長の立場からすれば、最悪の場合に至ると大きな人員の損失となります。
では成人していれば良いのか、魔術師でなければ戦場にやるのを是とするのか、そもそも王命である、と言われてしまえば父は反論を控えざるを得ません。
ビクター様の他に、同期の方と先輩、合わせて三名の方が戦場に送られました。
やはりどの方も大変に優秀な方ばかり、術師科で上位から選出されたそうです。
それからの私はといえば、陸に上がった魚、森から出た猿、砂糖の入ってないお菓子のようでした。
腑抜けです。クソです。死にかけの虫です。
何をするにも気力がなく、かといって無為に過ごすのも矜持が許さず、ただただ勧められることだけをこなして過ごしました。
父以外の働きもあり、五年を待たず何度か帰還の目処は立ったのですが、その前に先輩であった方は戦場で亡くなりました。
ビクター様と同期の方の元には何度か帰還を許可する書状が送られましたが、手元には届かなかったようです。
混乱を極めた現場です。書状が紛失することも仕方が無いと父も半ば諦めた雰囲気でした。
そして月日は流れ、やっと!
待ちに待ったビクター様帰還の日がやって来たのです!!
その知らせを聞いた私は、陸に上がっても息ができる魚! 森が無くとも自由自在に動き回る猿! お砂糖少なめの太りにくいお菓子!
わぁい! やったね! 生命の不思議!! 驚天動地の劇的な進化だ!!
私の世界は色を取り戻し、また滑らかに動きだしたのです。
私は父の使いの振りをして王城に赴き、帰還を果たしたビクター様のお姿を見に行きました。
流石に話しかける勇気は無く、こっそりと、遠くから。
五年前に見た少年の面立ちは、すっかり精悍な男性の相貌に変わっておられました。
体格もがっしりと、背が高くなられて、お髪も伸びてらっしゃいます。
父もそうですが、男性でも魔術師はお髪を切ることを嫌います。
魔力量が多いほどその傾向が強いようです。
お髪を切ると力の均衡が崩れるとのこと。
手足と同様、魂の宿る身体の一部だという考えです。
話を元に戻しましょう。
私はビクター様を遠くからこっそりと見るだけに留めました。
駆け寄ってこの喜びを伝えるなんてあり得ません。
落ち着いて、客観的に考えた結果です。
ビクター様は私の存在すら知らないでしょう。
もしかしたら宮廷魔術師長にひとり娘がいることはご存知かもしれませんが、その程度。
そしてそのひとり娘が何をしているかと言えば、こっそり陰から想い人をただ見つめています。
私がビクター様の立場なら、恐ろしいの一言です。
ちらっと見かけた程度で五年間も想いを募らせた女に、物陰からただじっと見つめられる。
──なんとおぞましい。
客観的に物事を考えるのです。
やらかしの少ない、前向きに生きられる人生の為に。
これから正攻法でお近付きになるのです。
先ずは情報の収集から。
そして観察と試行を繰り返す。
※──ただしその行為自体が気持ち悪い等は、今は考慮しないものとします※
ビクター様は戦での功績が認められ、宮廷魔術師として国に召し抱えられることになりました。
無事に帰還された同期の方と一緒に、今後は父の部下として城に詰めるとのことです。
そして、そして、そして!
とうとう! 直に! お会いできる! 日が!!
私の休暇に合わせてくれたお父様万歳!!
話を聞いた日からそわそわし通し。
前の晩からは大騒ぎです。
主に私の心の中がです。
夜はほとんど眠れず、朝からは落ち着きをどこかに落としたので、もう無理だと何度も叫びました。主に心の中で。
お会いするのは夕刻、王城敷地内の建物で、父の部下の方たちだけを招く、帰還のお祝いの席です。
衣装を何度も選びなおして、それに合わせて髪を何度も結い直しました。
いつもなら一度着替えるだけで疲れ果ててどうでもよくなるというのに。
『王の庭』から付いてきてくれたモナは文句を言いながらも根気強く付き合ってくれました。さすが父の選んだ侍女です。
そして私の悪い部分を上手く誤魔化してくれました。
子どもっぽい丸顔が目立たないように髪を結い上げ、すらりとした印象の衣装を選びました。
私は学生ですから、豪華な衣装ではなく、失礼の無い程度にほんの少しだけ飾りがあるものを。
控えめな雰囲気の、大人しそうな御令嬢に見えるように。
両親には見せている『いつものリマリマ』を決して見せないように。
『王の庭』にいる『お嬢様』に見えるように。
好きな殿方に浮き足立って明らかに失敗している御令嬢は何度も見てきたのですから。
同じ失敗を、ここでするわけにはいきません。
静かにして、心臓!!
あぁぁぁ……吐きそう。
「マリオン君、ビクター君。紹介しよう、僕の、大事な大事な娘だよ」
「……リマリマと申します。よろしくお願いいたします」
「かわいらしいお名前ですね、リマリマ様。どうぞよろしくお願いします。マリオンと申します」
「初めまして、マリオン様」
「…………ほらビクター」
「おぅ ……ビクター……です」
「…………ビクター様……よろしくお願いいたします」
「気にしないでください、コレ人見知りなんです。慣れればそれなりには出来る奴ですから」
「コレ言うな」
「……ご帰還されたこと、心からお慶び申し上げます。お会いできて光栄です」
「ありがとうございます…………だから、もぅ」
「あぁ……どうも」
「…………ええっと……じゃあ、あっちの人も紹介しちゃおうかなぁ? 君たちの後輩にあたるねぇ……じゃあね、リマリマ。あ〜。えっと〜……」
「大丈夫です、お父様。お会いできて嬉しいです。これからどうぞ仲良くしてくださいね……では、失礼いたします」
急に走り出して変な奴だと思われたりしないように、ゆっくりと歩いて広間を出ました。
一度落ち着く為です。
冷静になって、ごちゃごちゃに絡まった糸を切らないように、ゆっくり丁寧に解く為です。
何に驚いてこれだけの衝撃を受けたのか、もう情報量が多過ぎて、私にはその場での処理が困難でした。
先ずビクター様の同期の方が女性であったこと。それもとても美しい方でした。
その女性ととても親しげな間柄であったこと。
そして何より、ビクター様がご無事ではなかったこと。
用意していた言葉『ご無事で』のひと言を飲み込むのに。涙を堪えるのに必死でした。
私は上手くできていたのでしょうか。
生まれた時からそうであったかのようにしておいででしたが、五年前のビクター様の左手は、白く艶のある陶器ではありませんでした。
きっと戦で失われたのでしょう。
魔術師が手を失うということは……いえ、それはどんな方でもお辛いでしょうが。
どれほどの痛哭だったことでしょう。
ビクター様は間違いなく戦場に行っておられたのです。そしてそこから帰ってこられたのです。生きて、この場に。
遠い遠い知らないどこかの話ではない。
私のこんなにすぐ側に、戦場はあるのです。
少しでも良く見せようと衣装や髪型を気にしていたのが恥ずかしい。
明らかに失敗していた御令嬢と、私は何も変わらない。
今のままの私では、あの女性のようにビクター様の隣に並び立つことなんてできはしない。
ちっとも見えてない。全然感じられてない。何も考えていない。
父が見せてくれたあの惨状から、何も学べていなかった。
私はビクター様のことを、何も知らない。
壁に背中を付けて少しもたれ掛かるとふらふらが治る。
深呼吸を何度か繰り返すと、気持ちが落ち着いて涙が引っ込む。
右手の人差し指の先をぎゅうぎゅうと揉む。
小さな頃から不安になるとやっていたおまじないだけど、かなり効果はあります。
『リマリマ嬢』をまだやれる。
お淑やかに微笑んで、宴を最後まで乗り切れる。
大丈夫。
さぁリマリマ、広間に戻りましょう。
まだ何も知らないのなら、これから知れば良いのです。
観察と試行。
過程と結果を振り返り、次に繋げる。
少しで構わない。着実な前進を。
「何をしているのかな? まだお昼前だよ、リマリマ」
「あら、お父様。ごきげんよう」
「ここは王城だよ?」
「お父様が忘れ物をしたので、お届けものです」
「おや? 娘に勉学を放棄させるほど大切な何かを忘れただろうか」
「あらお父様、学生の本分は全うしました。もう放課後よ?」
「…………僕が学生の頃は夜更けまで勤しんだものだけどね」
「無理矢理にでも魔術師科に入れないでくれてありがとう! お父様!」
「どういたしまして……貴族枠をもっと厳しくするように提言しようかな」
「それは大変に良い考えですね。ビクター様はどちらに?」
「リマリマ」
「なぁに? お父様」
「君に縁談がいくつか来ているよ」
「ビクター様とは?」
「無いね」
「じゃあ全部却下で」
「君が決めるの?」
「いけないの?」
「…………ビクター君は温室だよ」
「お父様大好き!」
「僕も大好きだよ」
父にとって有利に働くように良縁を結ぶのは、御家の為なら当然でしょう。
理解はしています。
しかしリマリマなんて変わった名前を娘に付けた父です。そんな父に育てられた私です。
今さら当たり前の貴族なんてできるもんですか。
「こんにちは、マリオン様」
「いらっしゃい、リマリマ様」
「こんにちは、ビクター様」
「……お前。何で居るんだ?」
「お父様が忘れ物をしたので、それを届けに」
「わざわざ? 『王の庭』からか?」
「はい。何をしていらっしゃるんですか?」
「……苗の植え替え」
「お手伝いいたします」
「土で汚れてしまいますよ?」
「払えば落ちますし、洗えばきれいになります」
「ふふ。おっしゃる通りです。では、ビクターの手伝いをして下さいますか?」
「はい!」
「いや、俺は別に……」
「私は用事があるから、あとよろしく」
「は?! 適当言ってんなよ」
「適当じゃない。もうすぐアレが来るから避難しとくんだって」
「……あ。そ。どこに?」
「バラす気だな」
「まぁな」
「……ではリマリマ様。失礼しますね」
「ええ、はい。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
陣を結ぶことも、詠唱もせずに、この場からマリオン様は転移で姿を消されました。
事前準備がうんと要る私とは大違いです。
さすが伝説の大魔女様の再来と云われる魔術師様。
入れ違うように王騎士様がマリオン様を訪ねてきましたが、ビクター様と少し話をすると、すぐに引き返していかれました。
避難とはこの方からでしょうか。
あの騎士様はマリオン様を探しに行ったのでしょうか。
「……お前、昼メシは?」
「まだです」
「腹減らねーの?」
「ビクター様は?」
「……俺はいいんだって」
「では続きをしましょうか」
「いや、だから」
その手には乗りません。
昼食に誘われたと勘違いして、浮かれて食事に行くなど言ってしまえば、私ひとりを温室から放り出す気です。
このようにビクター様はおひとりになろうとしがちです。
私が疎ましいというよりは、みな等しく誰もが疎ましいという感じです。
私は令嬢らしい適切な距離を取っていますが、ビクター様はその倍は離れようとなさいます。
人が嫌いなのではなく、人付き合いが面倒なのだとマリオン様から教えて頂きました。
「次、草抜き手伝って」
「はい!」
観察と試行の賜物です。
わずかでも次に繋がる、しかし着実な進歩です。
知らないことを素直に聞けば、ビクター様は嫌がらずに丁寧に教えてくださいます。
ご自身が知らないことは、知らないとすぐに言われます。
次に会った時に、調べたのだとお話をして聞かせてくださるのです。
格好付けたり、知ったかぶったり、取り繕ったりしない。
私もそういう人でありたいです。
今現在の私は私の中の『すてきな女の子だと思われたい』と奮闘中ですが。
ビクター様がご帰還されてしばらく過ぎた頃、王城での噂が『王の庭』まで届いてきました。
魔術師様と騎士様の、隔たりを超えた恋の話。
目指すものや性質の違いから、魔術師と騎士はそもそもが不仲なのです。
相入れない部分が多い。
だから昔からお互いを嫌い合っているのです。
そこを超えてふたりは互いを想い合う。
それはそれは素敵な物語に聞こえることでしょう。
ご婚約されたとか、婚姻も間近だとか、御令嬢様たちが大騒ぎです。
お話の主は、最近戦場から帰った魔術師様だと聞きました。
かつて『王の庭』におられた頃の、同期の騎士様との時をも超えた大恋愛だそうです。
またも御令嬢は大きな声で盛り上がります。
そういえばビクター様の同期で、女性の騎士様がひとりおられたのを思い出しました。
────まさか。
ああ、そんな。
どうしよう。
「お父様!」
「放課後かな?」
「もちろんです!」
「僕は今日は何を忘れたのかな?」
「何も忘れてはいません!」
「あ、もうその体は要らないの?」
「大恋愛とは本当ですか?!」
「誰と誰がかな?」
「魔術師様と騎士様の!」
「……ああ。その話」
「ご婚約のお話が? ご成婚されるのですか?」
「う〜ん。僕が知っているのも噂話だからね。本人に聞いてみたら?」
「ぅぅぅ…………そうします!」
「ちなみに、誰に聞くのかな?」
「ビクター様です!」
「あら〜。……まぁ、頑張って」
「もちろんです!」
いつも入り浸っておられる温室へ向かいました。
心臓がはち切れそうなのは、走っているからだけではありません。
何を言おう、どう聞こう。
そんなことより、私が何をどうできると言うのでしょう。
婚姻が間近なのならば、私はそこに割り込む気なんだろうか。
誰の為に?
足はひとりでに緩まって、それでも止まらず、ゆっくりと前に出ています。
落ち着いて、客観的に考えましょう。
ビクター様に愛する方が居られるのなら、私はおふたりの間に割って入るわけにはいかない。
家同士のしがらみがあるのなら、ますます。私ごときが口を出す権利すらない。
ただもし、それらの話が噂なのだとしたら。
きっちりと確かめないといけない。
これは、私の為に。
温室にはふたり分の人影がありました。
ひとりは黒いローブを着た魔術師様、もうひとりは腰に長剣を佩た騎士様。
騎士様が愛おしそうに、魔術師様の腰を抱き寄せ……
あれ?
んんん?
体の大きさ比が逆のような……というか、思った男女が逆というか。
あいたたたたたた。
私の馬鹿。間抜け。死にかけの虫。
こっそり気配を消して、遠回りをし、表の扉からではなく、裏手の潜り戸から静かに温室の中に入りました。
温室の中は広いので、おふたりからはそこそこ距離があります。
静かに近付こうとしていると、草の陰から現れたビクター様と鉢合わせました。
ビクター様は咄嗟に私の口を押さえて、白磁の義手の人差し指をご自分の口の前で立てます。
私が何度も頷くと、ビクター様は両手を少し上げて一歩離れていきました。
ついてこいと手で示されたので、私は黙って後をついて行きます。
大きな茂みを背にして、ビクター様はしゃがみ込み、大きく太いため息を吐き出しました。
私もそのすぐ隣にしゃがみ込んで、ビクター様の様子を伺います。
「どうしてこそこそと?」
「……どの口が言ってんだよ」
「おふたりのお邪魔にならない様に、ですか?」
「おふたりに巻き込まれないように、だよ」
「巻き込まれるんですか?」
「……どうだかな」
「…………ビクター様?」
「なんだ」
「今持ちきりの噂は、マリオン様のことですか?」
「それを確かめにお前はこそこそと裏口から来たんじゃないのか?」
「噂はビクター様のことではないのですか?」
「は? 何言ってんの?」
「…………良かった……」
「…………お前、毎度師長の忘れ物とか嘘だろ」
「ご明察です」
「……離れろよ。俺と距離を保て」
「嫌です。見つかります」
「なんだよ、何しに来たんだ?」
「ビクター様に会いに」
がさりと大きな草の音がしたので隣を見ると、茂みの中に仰向けで倒れていました。
葉はたくさんありますが、同じく枝もたくさんあるので、ちくちく痛そうです。
ビクター様は片手で顔を覆ってらっしゃいます。
「ふざけんなよ、お前」
「ふざけてません」
ふざけてませんとも。本気です。
ビクター様が素敵なことは、私が一番良く知っています。
きっとそのうち、すぐにでも、そのことに気が付く女性が現れるかもしれません。
もうすでにいらしてもおかしくはない。
だってこんなに格好良いんだもの。
大恋愛だと誰かと噂になるかもしれません。
でも誰かなんてやっぱり嫌。
その相手は、できるなら私が良い。
だからそのための努力を。
着実で、前向きな進歩を。
「ビクター様、お友達になって下さい」
「……なんだそれ」
「なんだそれ?」
「友達に様付けする奴とお友達になれるかよ」
「ビクターって呼んでもいい?」
「急に距離を詰めてくるな」
「ビクターって呼んでも良いですか?」
「……好きにすれば?」
「そしてゆくゆくは恋人同士に」
「今までの話は全て無かったことに」
「え? ちょっと何を言ってらっしゃるのか……私にはよく……?」
「…………お前、師長にそっくりな?」
「あ、もうバレちゃった」
「てか、帰れよ」
「まだ来たばかりですー。今日はあっちの木の剪定するって言ってましたよね?」
「え……ウザい」
「お手伝いします、ビクター」
「わ……エグい」
私は立ち上がって白磁の義手を軽く引きました。
少し握り返してくれた手は、つるっと滑らかで、ちょっと温かい。
濃い緑色の中で、純白の手をとても綺麗だと思いました。
ビクター様はゆっくりそのまま立ち上がると、顔を顰めて私を見下ろしています。
隣に並んで立ちたいと、ずっと思っていましたが、向かい合うのもとても良いですね。
「……手ぇ離せ」
「鋏と籠を取ってきます!」
「……おぅ」
私がこれまでにどれだけ観察と試行を繰り返してきたか。
これまでにどれだけ絶妙な距離感を保ち、隙あらば詰め、を繰り返してきたか。
すぐに私との距離なんて気にならなくしてやります。
「好きです!」
「俺は違う! 行け!」
「はい! すぐに戻ります!」
「もういい! そのまま帰れ!」
「無理です!」
「俺の方が無理です!」
ねぇ、ビクター様。
小賢しい私の、素晴らしきかな前向き人生に、どうか是非ともお付き合いください。
最後までお読みいただきありがとうごさいます。
本作品のビクターはわたくしめの別作品『大胆不敵な魔女様は〜』にちょろちょろっと出てまいります。
ビクターとリマリマの後日談?的なスピンオフ回が『感謝の5がらみ企画!!』内に「繊細と大胆とあとお砂糖少々」てなタイトルでお出ししてございます。
ご興味のある方は是非とも合わせてお読みくださいませ。
それでは皆さま。
最後までお読みいただきまして、まことにありがとうございます!!
他の作品で皆さまにお会いできますように!!
願いを込めて!!
では、また!!