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放蕩王子は断ることができなかった


(ガバッ)

「っ!?」


 勢いよく抱き寄せられ、クリスハルトは何が何だかわからなかった。

 一組の男女の女性の方──クリスティーナがこちらに走ってきたことは覚えている。

 そんな彼女に抱き寄せられた──いや、クリスハルトの胸のあたりまでしかないクリスティーナが抱き着いているように感じる。

 まあ、どちらにしろクリスハルトは逃げようとは思えなかった。


「ごめんなさい、クリスハルト」

「……」


 涙声で謝罪するクリスティーナの言葉にクリスハルトは何も言えなかった。

 別に恨んでいるつもりはなかった。

 だが、彼女にとって自分の存在が重荷になると思ったからこそ、クリスハルトは離れようとしたのだ。

 やろうと思えば、彼女を破滅させることぐらいはできたはずだ。

 しかし、クリスハルトはそうすることなく、自分だけがいなくなることを選んだのだ。

 まあ、その結果がこの状況なわけだが……


「クリスハルトよ」

「……なんですか、父上?」


 国王に話しかけられ、クリスハルトは少しして答える。

 まさかこのタイミングで話しかけられるとは思ってもみなかったからである。

 自分の妻が泣いているのだから、待ってあげるのが普通ではないだろうか?

 いや、この状況ではクリスハルトは逃げることができない──それを見越して話しかけたのかもしれない。


「済まなかったな、お前のことを守ってやれなくて」

「っ!?」


 国王がいきなり頭を下げた。

 クリスハルトは当然驚いた。

 国王とは国のトップであり、そんな彼は滅多なことで頭を下げない。

 いや、下げてはならないのだ。

 しかし、そんな彼がクリスハルトに向かって、あっさりと頭を下げたのだ。

 それほどまで謝罪の意思があるということだろう。


「お前が自分の出自で悩んでいることは気付いていた。しかし、私にはどうすることもできなかった」

「……国のトップにできないことなら、誰にもできないことでは?」

「いや、あくまでも私だからできなかった、というべきか? 正直なところ、お前に出会った当初はいきなり8歳の隠し子がいるということで、認知をすることはできてもどう対応すればよいのかわからなかった」

「……それは仕方がないか」


 国王の言葉にクリスハルトは納得する。

 クリスハルトの存在はリーヴァ子爵家──いや、リーヴァ子爵であった祖父と叔父、子爵家に仕える一部の使用人しか知らなかったはずだ。

 ムーンライト公爵家に見つけられたから第一王子として迎えられただけで、それがなければ国王がクリスハルトの存在に気づくことはなかったであろう。

 しかも、クリスハルトの母親であるメリッサと大した交流があったわけでもないはずだ。

 愛人とかならまだしも、あまり交流のなかった女性との子供などどう接すればいいのかわからなくて当然である。

 まあ、本来ならそんな二人の間に子供が生まれることすらあり得ない話ではあるが……


「だが、クリスティーナの手助けをすることぐらいはできていたはずだ。クリスティーナはお前の母親──メリッサ嬢の無二の親友だったのだから、お前に一番親身になれるのはクリスティーナのはずだ」

「……そうでしょうね」


 国王の言葉にクリスハルトは頷く。

 クリスハルトともメリッサとも交流のなかった国王より、メリッサと親友であったクリスティーナの方がクリスハルトと交流しやすかったはずだ。

 そう考えると、国王がやるべきことはクリスティーナとクリスハルトを仲良くさせることだったろう。

 まあ、今となっては後の祭りではあるが……

 と、ここでクリスハルトに抱き着いていたクリスティーナが初めて動いた。

 なぜか鋭い視線を国王に向けていた。


だった(・・・)? 勝手に過去形にしないでくれないかしら?」

「……すまん」


 クリスティーナの言葉にあっさりと謝る国王。

 美人のクリスティーナに睨まれれば、誰だってこんな反応をするだろう。

 クールな雰囲気の美人であるがゆえに、怒ったときには体の芯が冷えるように感じるのだ。

 まあ、普段からあまり表情を面に出さない彼女なので、勘違いされることも多かったようだが……

 国王に向かって怒りの表情を向けた彼女であったが、すぐにクリスハルトの方に向き直る。


「私はメリッサの代わりにあなたを守り、育て、愛情を与えないといけなかったの。メリッサが早くに亡くなっていたことを聞いて、彼女が本当はどうしたかったかが想像できたから」

「親友だから、ですか?」

「ええ、そうよ。私のことを一番理解してくれたのはメリッサだし、彼女のことを一番理解していたのも私。そんな私だからこそ、メリッサのことがわかるの。たとえ、一生会うことができなくなったとしてもね」

「……」


 クリスティーナの言葉にクリスハルトは黙り込む。

 俄かには信じられない話である。

 クリスティーナは真剣な表情でまっすぐ見つめ、とても嘘を言っているようには見えない。

 本心から思っているのだろう。


「でも、あの時の私はどうかしていたわ」

「あの時?」

「初めて会ったときよ。あの時の私はメリッサができなかったことを代わりにやり遂げようと思っていたわ。でも、同時にいつも支えてくれていたメリッサがいなくなったことを思い出し、昔の一人きりだったころの私に戻ってしまったわ。人と関わることが苦手だったころの私に、ね」

「それがあの言葉?」


 説明を聞き、クリスハルトは当時のことを思い出す。

 子供ながらに強烈な記憶として鮮明に残っている。

 そんなクリスハルトの言葉にクリスティーナは申し訳なさそうに答える。


「私としてもあの言葉はないと思うわ。なんであんなことを言ったのかはわからないけど、緊張で頭の中が真っ白になってしまったの」

「それにしても、8歳の子供相手に言う言葉じゃない気も……」

「それぐらいわかっているわ。でも、それぐらい私も緊張していたのよ。メリッサ──親友の忘れ形見に初めて会うんだから」

「……」


 クリスティーナの言葉にクリスハルトは何も言えなかった。

 当事者でないからわからないが、クリスティーナの言葉からメリッサとはかなり親しかったことはわかった。

 そんな相手はクリスハルトにはいないので、その気持ちは詳しくは分からなかった。


「……でも、今の私ははっきりと言うことができるわ」

「何を?」


 先ほどまでの慌てようとは裏腹に、クリスティーナは真剣な表情になった。

 なぜこの場でこんな表情になるのかわからず、クリスハルトは首を傾げる。

 そんな彼に向かって、クリスティーナははっきりと宣言した。


「誰が何と言おうと、クリスハルトは私の息子よ」

「それは違うと思う」


「「っ!?」」


 クリスティーナの言葉をクリスハルトはあっさりと否定する。

 そのせいで周囲に緊張が走る。

 クリスティーナがまた冷たい怒りを発すると思ったからである。

 しかし、彼女は予想外の反応をする。


「……やっぱり私じゃ母親として力不足なのね。まあ、今までのことを考えると、それも当然かもしれないわ」


 彼女はかなり落ち込んでいた。

 まあ、クリスハルトにあっさりと否定されれば、当然の反応ともいえる。

 だが、膝から崩れ落ち、手を地面につけるほど落ち込む姿は流石に哀れである。

 そう思ったクリスハルトは弁明をする。


「いや、俺の母親はメリッサ=リーヴァですから、別に義母上を否定したつもりじゃないです」

「メリッサの息子だったら、親友の私にとっても息子同然よ。それにメリッサがいない以上、私が母親代わりをするのは当然よ」

「えっと……」


 クリスティーナの熱弁にクリスハルトはどう反応すればいいのかわからない。

 周囲に助けを求めようとするが、誰もが目線を逸らす。

 唯一、国王だけがこちらを見ていたが、助けようとはしてくれなかった。

 無言で応援のジェスチャーをしているだけだった。


「クリスハルト」

「は、はい」

「あなたは私の息子よ。誰のもこれは否定させない、たとえあなたにもよ」

「いや、それは……」

「わかった?」

「……はい」


 詰め寄られ、クリスハルトは根負けしてしまった。

 流石にここで断るほど、クリスハルトは悪い人間ではない。

 今回の一件──いや、今までのことでクリスティーナに対して負い目があったことも理由の一つかもしれない。

 クリスハルト自身も傷ついたが、クリスティーナも傷ついていたということをレベッカの話から理解したのだ。






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