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放蕩王子は婚約者に怒鳴る


 翌日からクリスハルトの作戦のための準備が始まった。

 といっても、この時点でやれることは限られている。

 その一つが……


「お前、可愛いな……少し話でもしないか?」

「え、えっと……それは……」


 クリスハルトの言葉にセシリアは申し訳なさそうに断る。

 だが、その言葉はどこか不自然にたどたどしかった。

 現在、二人はAクラスの教室にいた。

  クラスメイト達が遠巻きに見守る中、クリスハルトは堂々とセシリアを口説いていた。

 もちろん、当人たちは演技だとわかっているが、周囲のクラスメイトたちにはそれがわからない。

 放蕩王子がまた女性に手を出そうとしている、としか考えられなかった。


「殿下」

「レベッカか?」


 そんな状況でクリスハルトに話しかける者がいた。

 それはクリスハルトの婚約者であるレベッカであった。

 この状況でクリスハルトに話しかけるのは彼女だけだろう。

 いや、彼女だからこそ、話をしなければならないのだ。


「お戯れはおやめください」

「戯れだと?」


 レベッカの言葉にクリスハルトは聞き返す。

 もちろん、言っている意味は理解している。

 だが、あえてわからないふりをして、聞き返しているのだ。

 自分が馬鹿で愚鈍な王子であると周囲に思い込ませるために……

 そんな彼の様子に気づかず、レベッカはさらに話を進める。

 その表情には何も現れていなかった──嫌悪感すらも……


「殿下はお遊びで彼女に声をかけているのかもしれませんが、それは彼女にとって迷惑であることにお気づきください」

「どうしてそんなことが言えるんだ? お前は人の気持ちが読めるとでも言うのか?」

「別にそんなことを言ったつもりはありません。ですが、殿下に話しかけられることで、彼女にいらぬ嫉妬が集まるということを注意しているだけです」

「ふんっ、どうだかな」


 レベッカの言葉にクリスハルトは鼻で笑う。

 しかし、内心では彼女のことを褒めていた。

 こんなバカなことをしている婚約者を見捨てることなく、しっかりと注意をする。

 それは彼女が優しいからこそ、してくれていることなのだ。

 これがなくなった時点で、クリスハルトは見捨てられたことになってしまう。


「彼女のことを考えるのであれば、殿下が話しかけるのは……」

「迷惑など言っているが、所詮はお前の嫉妬だろう?」

「っ!?」


 クリスハルトの指摘にレベッカの言葉が止まる。

 彼女はとても驚いた表情をしていた。


「婚約者であるお前を放って、俺がこの娘に話しかけることに嫉妬をしているのだろう? それを周囲の迷惑などと責任を転嫁するなんて、恥ずかしいと思わないのか?」

「……」


 クリスハルトの指摘にレベッカは黙り込む。

 そんな彼女の様子にクリスハルトは手ごたえを感じる。

 これでクリスハルトとレベッカの仲は非常に悪く、婚約関係も危ういのでは?──という噂がまことしやかに流れるはずだ。

 彼女を貶めるようなことを言うのは、クリスハルトも心が痛い。

 だが、こうでもしないと周囲はレベッカの味方にはなってくれない。

 彼女は馬鹿な第一王子に振り回される哀れな婚約者でないといけないのだ。


「いけませんか?」

「なに?」


 突然、レベッカが何かを呟く。

 短い言葉であったため、クリスハルトはその意味が理解できなかった。

 だが、そんなクリスハルトの様子に気づいてか気づかずか、レベッカは大声を出す。


「婚約者が他の女性に声をかけている姿を見て、嫉妬をしてはいけませんか? それを黙って見過ごせ、と言うのですか?」

「っ!?」


 レベッカの言葉に今度はクリスハルトが黙る番となってしまった。

 いきなりの出来事に周囲は騒然とする。

 文武両道・容姿端麗──ありとあらゆるすべてを持った公爵令嬢であるレベッカが教室で、周囲の目のある中で叫んだのだ。

 彼女のことを知る者からすれば、異常なことであった。

 だからこその反応である。

 ここでクリスハルトはそんな彼女の反応すらも馬鹿にしなければいけなかった。

 しかし……


「いや、それは……」


 予想外の出来事に焦っていた。

 まさかレベッカがいきなり叫ぶなど、思いもよらなかったからである。

 彼女は公爵令嬢、第一王子の婚約者といった立場の体面を大事にする人間である。

 だからこそ、彼女はクリスハルトに注意を促していたのだ。

 しかし、そんな彼女が公衆の面前で叫ぶなんて、公爵令嬢としてはあるまじき反応をしていた。

 そんなこと、誰が予想できるだろうか……


「……」


 何も言えないクリスハルトにセシリアが不安そうな視線を向ける。

 どこか呆れたような感情も入っているように見える。

 しかし、クリスハルトはそんなことなど全く気づかない。

 全く予想外の事態にどう対処すればいいのかわからず、ただただ頭の中で考えることしかできていない。

 いや、それすらもできていなかった。


「私は殿下の婚約者です。だからこそ、私には殿下のためにその行動を止める義務があるんです」

「……」

「殿下、今からでも遅くありません。昔のように優しい殿下に……」


「うるさいっ!」


「っ!?」

「「「「「っ!?」」」」」


 今度はレベッカが驚く番だった。

 クリスハルトは教室どころか、外の廊下にも響くような声で叫んだのだ。

 その声に驚いた廊下にいた者達もこっそりと教室内をのぞき込む。

 だが、この状況はクリスハルトにとっても好都合である。

見物人が増えることでより証拠が強固になるのだから……

といっても、今のクリスハルトにそんなことを気にしている余裕はなかったが……


「俺のため、だと? いつ俺がそんなことを頼んだ?」

「殿下っ!?」

「この婚約自体、政略結婚だろう。そんな婚約なのに、俺の行動がどうとか関係ないだろっ!」

「っ!?」


 クリスハルトの言葉にレベッカは驚いた表情を浮かべる。

 そんな彼女の目尻には涙が浮かぶ。


「……」


 そんな彼女を見て、クリスハルトは心が締め付けられるような感覚に陥る。

 ここまで言うつもりではなかった。

 だが、そんな後悔も今となっては無駄である。

 今のクリスハルトには前に進むしか道はないのだから……

 それがたとえ茨の道──いや、地獄に続く道だったとしても……


「すまない、言い過ぎた」


 クリスハルトは軽く謝罪の言葉を告げ、教室から出て行った。

 婚約者であるならば、泣いてしまったレベッカを慰めるのが正しい行動であろう。

 しかし、今のクリスハルトにはそんな権利はない。

 泣かせた張本人だからではない。

 それに、レベッカの周りには彼女を慕って多くの人間たちが集まっているはずだ。

 慰める役割はそいつらが喜んでやってくれるだろう。


「はぁ……何をやっているんだろうな、俺は」


 廊下を歩きながら、クリスハルトは思わず呟いてしまう。

 レベッカのためとは思いつつ、レベッカを泣かせるようなことが果たして正しいのか──そんな疑問が彼の中に生じる。

 だからといって、この計画を中断することはできないが……






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