重心
「それでは、習うより慣れろです。軽く組み手でもしましょう」
なんか今日のデル先生は大きく見える。特に自信に満ちあふれている。もっとも胸は相変わらず大きくはないが。
今は、臨海都市シートルの南の内海にいる。街で知り合った冒険者に乗せてもらった停泊中の船の上で、格闘技の練習中だ。
講師は、エルフの野伏のデル。紺色のセパレートの水着が眩しい。生徒は僕、マイ、アン、マッスルダークエルフのレリーフとホップという子供族のパムの4人だ。揺れる船上での戦い方を学んでいる所だ。
「それでは、まず俺から行こう。デルよろしく頼む」
僕は前に進み出るとデルに拱手というこの場独特の礼をする。手を目の高さまで上げて握った右手を左手で包み込む形だ。
「ではお願いします」
デル先生も拱手で答える。女性では逆に左手を右手で包み込む形だ。少しややこしい。
僕は構え、デル先生も構える。普通にバーリトゥード、要は金的目潰し噛みつき以外何でもアリのルールだ。あとスキルと魔法もなしだ。
スキルありだと、僕は自慢でもないが、デルとは100回戦って100回は勝てると思う。それほど僕の荷物持ちスキルは強力なのだ。今まで何度か戦ったが土がついた事は無い。けど、スキルなしだと全く形勢が逆転負けする。この格闘技マニアの美しい生き物に1度も勝った事が無い。彼女は化け物だ。フェミニズムを捨てて全力で行かせてもらう!
「はあっ!」
男は黙って右ストレート!
僕は踏み込みながら攻撃に移る。この際揺れてる事は頭から切り離す。デルは渾身の右ストレートを僕の右の方にかわす。かかったな次は左のボディブローだ。けどさすがに女性を殴るのはしのびないので平手でお腹タッチしてやる予定だ。手が滑って違う所触ってしまうかもしれないが、それは不可抗力だ。女子を殴らないという思いやりだ。
瞬時にそう言う少し下衆い事を考え、左のボディブローに移ろうとするが、ストレートをかわしたデルが軽く僕の手を押し込んだだけで、僕は船の揺れも重なってバランスを崩し自分の体が邪魔になって次の攻撃が出来ない。たたらを踏んでるうちにその後ろ足をデルに掬われて、派手に回転して甲板に打ち付けられる。
何だ?何かがおかしい。僕は揺れに翻弄されているのにデルは全くいつも通り安定している?
パムが行く。確実にセクハラ狙っているが激しく投げられる。
レリーフが行く。大男も宙を舞う。
アンのドラゴンパワーもあえなく撃沈。角握られて投げられてるし。
マイは粘ったけど、あえなく投げられる。
「戦っていて、皆さんと私の違い、解りました?」
僕達はみんな首を横に振る。何かが違うんだけどいつもとの違いが解らない。
「ちょっと、その前に、なんでデルって船の上でも普通にたたかえるの?森の中って船無くない?」
マイがデルに尋ねる。僕もそれは思っていた。
「私達の村では古今東西の格闘術を収集してきました。それでいかなる状況でも戦えるよう修行してきました。船上のような足場が悪い所は森にもあります。私達は揺れる吊り橋の上でも修練を積んでます」
僕はエルフ達が吊り橋の上で戦闘訓練をしている姿を思い浮かべる。怖えぇ、僕は泳ぎも得意ではないが高い所から下をみるのも少し怖い。
「タネは簡単です。重心移動です。揺れる所ではできるだけ重心を真ん中のままで動くとバランスを崩しにくいです。逆に重心移動と揺れが重なったら簡単にバランスを崩します。では各自練習して下さい」
デルはそう言うと、僕達の前で前後に移動する。背筋が伸びたままスライドするような動きだ。
そのあと僕達は試行錯誤しながら練習を続けた。少しは船上での戦いにも慣れてきた気がする。