番外編 執事さんと奥様
前話までと違い、主人公は侍女です。
軍部に寝泊りするご主人様の着替えを交換しに行った執事さんは、衣服のほかに、茶封筒を持って帰ってきた。
「ああ、私としたことが。旦那様の着替えと共に、明日の会議に必要な書類まで持ってきてしまいました」
そう言うものの、声に抑揚はなく、無機質そのものである。
「え! それ、大切な書類じゃないですか! 早く返してきてくださいよ」
「他にも業務があるので、今から返しに行くのは無理ですねぇ。……ご主人様が気付いて、自分で取りに戻ってくるでしょう」
すっ、とドアの隙間から、茶封筒をご主人様の部屋へと滑り込ませる。
これで書類は床の上だ。
「せめて、机に置くとか……」
「ご主人様にはこれで十分です」
執事さんはご主人様に無遠慮なところがある。
敬っているのか、そうでないのか、よく分からない。
「午前の会議ですから、おそらく帰っていらっしゃるのは早朝でしょう。
お嬢様が朝早く起きるように、お昼寝時間をずらしてください。奥様にも、そうお伝えして下さい」
「あっ! そのために、わざと書類を持ってきたんですね」
「さぁ? 何のことだか」
執事さんは表情を崩さないまま、淡々と話し、業務に戻った。
あの後、執事さんが言った通り、ご主人様は早朝に家に戻られて、無事、奥様と仲直りできたようだ。
「執事さんは、凄いですね。あの怖いご主人様をうまく誘導しています」
何か、コツがあるのですか?と聞くと、
ご主人様の考えることなんて、手に取るように分かりますよ。と執事さんは話す。
「記憶喪失の奥様を手篭めにしようとしたが、失敗し、バツが悪くて帰ってこれなかっただけです。嫌われて落ち込みましたが、反省はしてません」
「……そんな事、普通わかりませんよ」
記憶喪失の奥様を手篭めに…………うん、ご主人様はかなり過激な人だ。
この国でとても偉い公爵様なのに、極悪人がするような事を平然とやってのける。
「思考回路が私と同じですから。……まあ、私ならもっと上手くやりますけど」
「あははっ、執事さんもそんな冗談を言うんですね!」
無機質な執事さんと、大悪党のご主人様が、同じ思考回路なわけがない。
現に、執事さんは、立場が下の私にも威張ることなく敬語で話してくれる。
機械的な性格ゆえに、誰に対しても対応が同じなのだ。
「そうですか。……例えば、初めはおやつを分けて親しくなり、仕事では信頼を得て、公私共に相談を受ける。
段階を経て、ゆっくりと確実に、手篭めにしている。と言えばわかりますか?」
「え?」
ん? おやつを分ける? 仕事で信頼を得る?
相談をうける??
公爵家は、使用人にもおやつが出される。
シェフが奥様のお茶請けを焼くついでに、使用人達の分も作ってくれるのだ。
とっても美味しいのに、執事さんは、甘い物が苦手だからと、いつも私におやつをくれた。
あれ? でも、他の人に渡しているところを見たことがない。
執事さんは、仕事ができる。
これは本当だ。一緒に仕事をしていると、スムーズに物事が片付いていく。
分からないことは私に聞いてください。と、いつも言ってくれた。
嫌な顔はせず、丁寧に対応してくれるので、お小言の多い侍女長よりも頼りにしている。
ご主人様と奥様の事を話せば、今回のように解決してくれたし、
髪留めが壊れたと言えば、とても綺麗な髪留めをくれた。
お礼をいうと、「お気になさらず。無いと業務に支障が出ますからね」と言ってくれた。
だから、今もその髪留めをつけている。
んんん?? もしかして、これって私のこと?
「もちろん、冗談です」
「……で、ですよね!」
気にしすぎだよね! 執事さんの冗談はわかりにくいなぁ。
ただ、執事さんを見上げると、口角が少しだけ上がって見えた。
◇◇◇◇
「あら、今頃気づいたの?」
てっきり、付き合っていると思ってたわ。と同僚達は話す。
「だって、その髪留め、執事さんの目の色と同じブルーグレーよ」
言われて、ハッと気づき、髪留めに手を当てる。
綺麗だが、特に可愛らしい装飾のない髪留めは、ブルーグレーの色もあり、執事さんそのものに見えた。
「別に悪くは無いわ。執事さんは良い人よ、いつも無表情だけど」
「そうよ、何考えているか分からないけど、収入もちゃんとあるし」
「無機質で、誰に対しても素っ気ないから、浮気の心配もないわ」
「みんな……」
執事さんを褒めてるのか、貶しているのか、よく分からない。
「使用人の間で、貴方達がいつ結婚するか賭けているの」
「私、年内に100オーア」
「来年に250オーア」
「私なんて、去年のうちに結婚すると思っていたのよ。400オーアも損しちゃった」
250オーアは私達年若の侍女が一週間働いた給金だ。(1オーア=100円計算)
1ヶ月の給金は1000オーアで、衣食住は保証されているから、実家に仕送りしても、お小遣いは十分残る。
「いつのまに……」
「ちなみに賭けの親元は奥様よ」
「奥様あああ!!」
頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。
あらあら、と同僚達は困ったように私を見た。
「奥様! 酷いです!!」
お茶をお出しする際、私は奥様に詰め寄った。
「あら、ごめんなさい。でも、儲けたお金は、二人の結婚式の資金にするから許してね」
「け、結婚式!?!」
「今年の上半期中に結婚、に賭けた人が多くてね。想像した以上に儲かっちゃった」
驚く私を他所に、奥様は話を続ける。
王国では、夫婦初の共同作業として、大きなケーキに入刀するんでしょう? と、奥様は楽しそうだ。
「6月の花嫁も素敵だけど、収穫の終わった秋の方が結婚式に出す食事も豊富よ」
話ぶりから察するに、奥様は結婚式に参加なさるつもりである。
「それとも、執事は嫌い?」
「嫌いじゃ無いです。けど! と、突然、そんな事を言われて、意識しちゃって…、その……!!」
「まあ、あと一歩ね!」
奥様はにこにことしながら、お茶請けのお菓子を召し上がった。