仕返しですのよ
ゼリェーヌに戻ったニコライは、後日、スーツ姿で、国王陛下の書簡を持ってやって来た。
「カリンカのジャムだよ。あとは砂糖漬けと、ドライフルーツと…」
「まぁ。こんなにたくさんあるの!」
「これだけじゃないよ。庭に植えたカリンカも、秋には実が取れるようになる!」
「…………」
ニコライと楽しく話している様子を、グリェン様がガン飛ばしながら見ている。
睦と啀、陰と陽が一堂に会する。
なんとも言い難い空間が広がっていた。
「おい、さっさと本題に入れ」
「グリェン様、そんな言い方なさらなくても」
「庭師と偽り、密偵のような真似をしやがって。外交官でなければ、即切り捨てていた」
「いやぁ。リュドミーラ様の情報が欲しくて、仲間達といくつか潜入していたんです。
まさか、自分の潜入した先にいらっしゃるとは夢にも思いませんでした」
ニコライは笑って誤魔化すが、グリェン様の手は剣の柄を握ったままである。
「あら。ニコライ、外交官になったの?」
「革命後、平民も役職に登用されるようになったんだ。僕はその第一号さ」
「たしかに、ニコライなら立派な外交官になれそうね。努力は惜しまないし、スーツ姿も素敵よ」
「ははは、そんなに褒められると照れちゃうなぁ!」
「……ルドミア、お前は紅茶に入れるジャムを選んでいなさい。でないと話が進まん」
グリェン様の命令により、すぐに紅茶が用意され、目の前にありったけのジャムの瓶を置かれた。
しばらく話に入ってくるな、という事かしら?
「それで、用件は?」
「今、ゼリェーヌ公国は独立に向けて、活動をしています。リュドミーラ様には、ゼリェーヌに帰って頂き、独立のシンボルとなってもらいたいのです」
ニコライの言葉に、思わずジャムの瓶を置いて、私は顔を上げた。
「……あら、革命までしたのに、大公家がまた国主になっていいの?」
「革命で疲弊し、ゼリェーヌは立ちなおせずにいるんだ。公国を懐かしむ声も少なくないし、独立を認められるには、それなりの人物がトップに立つ必要がある」
「そうねぇ……」
考え込んでいると、ニコライは書類を一枚取り出した。
書類は見るからに上質な紙で、いくつものサインがなされており、公式な文書であることが一目で分かった。
「こちら、王家からの書簡です。この場合に限りお二人の離婚と、リュドミーラ様の出国許可がでました」
「離婚……!?」
「もう国王陛下にまでお話がいったの? ニコライは有能ねぇ」
「ルドミア、惑わされるな。うちの国王を言いくるめた奴だ、裏があるかもしれんぞ」
「あえて罠にかかるのも一興ですわ。うーん、どうしようかしら」
悩みつつも、紅茶とお茶請けのブルヌイに、つい手が伸びる。
ーーー面白そうだけど、決定打に欠けるのよね。
そう考えていると、ニコライは目敏くアピールを始めた。
「…今なら、シルニキとコロヴァイもついてくるよ。苺のヴァレニエも付けよう」
ちなみに、シルニキもコロヴァイもヴァレニエも、ゼリェーヌ公国のお菓子だ。
公爵家では、わざわざレシピを取り寄せて、シェフに作ってもらっている。
「フッ、そんな菓子如きでルドミアが頷くわけないだろう」
「苺のヴァレニエ…!」
「ルドミア!?」
グリェン様の顔に焦りが生じる。
その横では、夫という立場に胡座をかき、日頃から奥様を大切にしなかったからですよ。と執事の目が語っていた。
「リュドミーラ様のことは、我々が大切にします。同じ過ちは繰り返しません」
「まあ! ニコライったら、御伽話の騎士みたい」
「あぁ、騎士のように、君のことは命に代えてでも守ろう!」
「ルドミア、俺は将軍だぞ。騎士より上だ」
「でも、将軍は御伽話に出てきませんわ。ロマンに欠けます」
グリェン様は、ますます焦っている。
そもそも、私の名前をリュドミーラと正しく発音しないあたりから、グリェン様は負けているのだ。
「…………」
「では、今からニコライと具体的な話をするので、グリェン様は先に退室してくださっても構いませんわ」
素っ気ない態度でいると、グリェン様は泣きそうな目で、私を見つめた。
「……ルドミア、行かないでくれ。愛しているんだ。離れたくない」
ーーーうん。やっと言ってくれた!
言葉を受けて、私はにっこりと微笑み、すすすっと、グリェン様にしなだれかかった。
「というわけなの。ニコライ、ごめんなさいね」
「ったく。君は本当に悪い女だね。わかったよ、今回は諦めるさ」
ニコライも薄々気づいていたのだろう。
私は、離婚してまでゼリェーヌに行く気はない。
グリェン様から「愛している」の言葉が聞きたくて、わざとやっていたのだ。
ようやく企みに気づいたグリェン様は、顔を真っ赤にして私を怒った。
「ルドミア! 俺を嵌めたなっ」
「まぁ! 人聞きの悪い。独立の話も、王家の書簡も本物ですよ」
「余計にタチが悪いっ。どうせお前が根回しして書簡を用意させたんだろう」
あら、勘が鋭いわ。
その後、執事が「奥様、ご主人様をあまり虐めないでください」と苦言を呈したところで、場はお開きとなった。
帰り際、ニコライはゼリェーヌ式の挨拶(両頬に軽くキス)をしてくれた。
「リュドミーラ。愛されないと感じたら、いつでもゼリェーヌに戻っておいで」
「そうねぇ。誰かさんが、毎日愛してる、と言ってくれないなら、そうしようかしら」
グリェン様は、そんなこと恥ずかしくて言えるかっ、とぶつくさ言っているが、あえて取り合わない。
「にーこ!」
「もちろん、お嬢様も大歓迎です」
お見送りに来たマーニャも、いつのまにかニコライに懐いていた。
見ると、マーニャの小さな手には花が握られている。
おそらく、お土産に花を渡して、買収したのだろう。
「ねぇ、マーニャ。お母様と一緒にゼリェーヌへ行こうかしら」
マーニャは私に似て瞳の色は、明るい緑だ。
ゼリェーヌの民は、皆、緑の目をしている。きっと、国民はマーニャを受け入れてくれるだろう。
「言う! 毎日言うから、行かないでくれ」
「約束ですわよ」
「ああ……」
グリェン様は、観念したように小さな声で約束してくれた。
「うふふ、ニコライ。茶番に付き合ってくれて、ありがとう。楽しかったわ、また遊びにきてね」
「はいはい。当て馬が必要になったら、いつでも呼んでくれ」
やれやれといった様子で、ニコライは再びゼリェーヌに帰った。
「グリェン様。そんなに拗ねないでくださいませ」
「………拗ねてなんかいない」
嘘だ。この言い方は、絶対に拗ねている。
「行って来ます、と、おかえりなさい、で愛してるって言うのは良いと思いませんか?」
「一日一回だ。二回も言えん」
「でも。これなら、行ってきます、と、おかえりなさい、のキスが出来ますよ」
ぐっ、とグリェン様が言葉を飲み込む。
欲望と羞恥を天秤にかけて、思い悩んでいるのだ。
もう一押しである。
「キスは頬にするか、お口にするか、どちらが良いですか?」
「………マーニャと一緒に、両頬にしてほしい」
「あらあら」
グリェン様は、意外にも可愛らしい考えをしていた。
この習慣が、グリェン様が退職なさるまで続いたのは言うまでもない。
◇◇◇
「グリェン様、何かお忘れではありませんか?」
今日も、私は意地悪っぽく玄関で尋ねる。
昨日も、一昨日も、その前の日もしているのに、未だに慣れないのか、訊かないと言ってくれない。
だけど、むっとした表情で、でも何か言おうとしている様子が可愛らしいから、許してあげるわ。
「………愛している」
「ええ、私も愛しています。どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ」
言い終わると、私がキスしやすいように、今日もグリェン様は頬を寄せるのだった。
本編は終わりです。ありがとうございました!
次回、番外があります。