もう死んでしまいたい
楽しみが、また一つ減った。
毎晩部屋に来る旦那様のせいで、睡眠時間が減り、体がだるかった。
せっかく美味しい料理を食べても、吐き出すことが増えた。
「奥様、お水をどうぞ」
「いらないわ。……口に入れると、吐いてしまいそうなの」
あの日以来、ニコライには会っていない。もし会えば、旦那様が何をするか分からないからだ。
ーーーだけど、会いたいわ………。
気づけば窓から庭を眺めていた。
窓からそよ風が入りこみ、高い木がガサリと揺れる。
「やあ!」
「ニコライ…! どうしてここに?」
「体調が悪いって聞いて、お見舞いにね」
ニコライは窓の前にある木から、勢いをつけてバルコニーへ飛び移った。
ベルトには、見覚えのある白い小さな花が挟んである。
「今朝、摘花してきたんだ」
「まあ、カリンカね」
受け取って、そっと包むようにカリンカの花を顔に寄せる。
「庭には、たくさん咲いているよ。すぐに枯れる花じゃない。元気になったら、見に行こう」
「ええ、ありがとう」
カリンカは故郷の花だ。春には新緑を、夏には花を、秋には紅葉を、冬は実を楽しむ。
ゼリェーヌ公国のお城では、カリンカの下で家族とよくお茶会をしていた。
ーーーそれを手入れしていたのが、ニコライだったわ。
幸せだった頃の、思い出がよみがえる。
ニコライは、よくカリンカの木に登って、摘花してはこうやって私に手渡してくれたのだ。
「さっそく、花瓶に飾らなくちゃね」
この花は、自分で花瓶に挿そう。
そう思って、ソファーから立ち上がると、突然、グラッ、と視界が揺れた。
足元がふらついて、上手く立っていられない。
「大丈夫か!?」
「お、奥様が、倒れてしまって」
「顔が赤い。服を脱がせて、呼吸を楽にしろ。冷たいもの、…冷やしタオルを用意して、早く!」
「は、はい!」
侍女は冷やしタオルを取りに行き、残ったニコライがボタンを外す。
「リュドミーラ、しっかりしろ!……リュドミーラ……ミ…ラ…」
ニコライの声を遠くに感じながら、私は意識を失った。
「熱中症ですね。奥様、お水をどうぞ」
「……ええ、ありがとう」
寝そべっていたソファーから身を起こす。冷やしタオルは、ぬるくなっていた。
服は、上から3つボタンが開けられて、胸元には昨夜、旦那様につけられた痕が見えていた。
そっと、ボタンを止め直す。
ーーー嫌だわ。ニコライにだけは、見られたくなかったのに。
「…………カリンカの花は?」
「花瓶に挿して、奥様のお部屋に飾っております」
「持ってきてちょうだい」
侍女は、ソファーの前のローテーブルに花瓶を置いてくれた。
お礼を言って、部屋から下がらせる。
今は一人になりたかった。
だけど、今の私にはそれすら叶わないらしい。
「倒れたと聞いて帰ってきたが、元気そうだな」
「……旦那様、お帰りなさいませ」
旦那様が、いつもより早く帰ってきた。
言葉の通りならば、仕事を切り上げて帰ってきたのだろう。
ーーー旦那様には、そう見えるのね……。
実際は、心も、体も、ぼろぼろだ。
もう、作り笑いを浮かべることさえ、ちゃんと出来ているかあやしい。
侍女を下げなければ良かったわ。部屋は、旦那様と私二人きりだった。
「その花はなんだ?」
旦那様の言葉に、びくりと体が震えた。
「倒れた時に、部屋に庭師もいたと聞いた。なぜ、外にいるはずの庭師が部屋にいたんだ?」
「……お花を届けてもらっただけです。他には何もございませんわ」
「二度と関わるなと言ったはずだぞ」
花瓶が倒れ、床に花が散る。
旦那様はそれを、ぐしゃりと踏み潰した。
「もう一度、お前が誰の物か、分からせる必要があるな」
「………」
腕を掴まれ、引きずるように寝室へと連れ込まれる。
恐ろしさより、絶望感の方が勝り、抵抗する気力もなかった。
なされるがままに、乱暴にベッドへ投げ込まれて、服を引き裂かれた。
「なんだその目は。言いたい事でもあるのか?」
「……何も、ございません」
「言え」
顔を背けても、ぐっ、と顎を掴まれて目線を戻される。
旦那様は、どこまで私の尊厳を踏みにじれば気が済むのだろう。
自分が惨めだった。
「…………もう生きるのが辛い。こうなるなら、革命の時に、お父様達と共に果ててしまいたかった」
気づけば、涙が溢れていた。
拭っても拭っても流れ出す涙に、私は手で覆うように顔を隠した。
「何が不満なんだ? ゼリェーヌ公国なら…」
「私は、私が欲しいのです」
辱めを受けるのも、子供に怯えるのも、こうして無様に泣くのも、……生きることの全てが嫌になった。
旦那様に抱かれるたびに、自分が自分で無くなってしまうようだった。
「私は、旦那様の物ではございません。本当の私を、返してください。それが駄目なら、いっそ殺してください………」
ここまで言えば、旦那様は怒って、私を殺してくれるはずだ。
そんな期待を胸に、私は泣きながら死を待った。
「………そんな事言わないでくれ。お前がいなくなっては、俺も生きていけない」
だが、旦那様は私を害することはなく、絞り出すように悲痛な声を発した。
「俺が嫌いなら、無理に笑わなくていい。庭師が好きなら、どれだけ会ってくれても構わない。
だから、そんな事言わないでくれ。………お前を愛しているんだ」
体から重さが消える。
ゆっくりと、旦那様は私から離れた。
「俺は出て行く。あとはお前の好きにしてかまわない。
…………だから、もう泣かないでくれ」
それだけ言って、私を部屋に残し、旦那様は静かにドアを閉じた。




