久しぶりに会いました
旦那様との関係はともかく、使用人達との関係は良好だった。
丁寧な仕事ぶりはもちろんのこと、こんな境遇の私に対して、同情や憐みが無いのは良い。
特に、若い侍女に至っては、本気で記憶のない私を心配しているようだ。
「私に子供?」
「はい、お嬢様が一人いらっしゃいます」
初耳であるが、嫁いで三年も経っていれば(そして旦那様があれだけ盛んならば)、子供がいてもおかしくはない。
奥様の体調が回復するまで、私共でお世話をしておりました。と侍女は話す。
「お嬢様に会えば、何か思い出すかもしれません」
「……そうね」
思い出しても良い事はなさそうだけど、子供ならば、いずれ会わなければならないだろう。
ただ、あの旦那様との子供だと思うと、会うのが怖かった。
「どんな子なの?」
「奥様に似た、可愛らしい女の子です」
侍女が抱きかかえて連れてきた子供は、旦那様と同じ白髪をしていた。
さっ、と血の気が引いたが、むりやり笑顔を作り対応する。
「……お名前は?」
「マリヤお嬢様です。奥様は、マーニャと呼んでいました」
一、二歳くらいだろうか、マーニャは私を見て、にこりと笑った。
私のことを母親として認識し、慕っているようだ。
「あーしゃま!」
「ひっ……」
私に触れようとしたのだろう。伸ばされた手を、思わず叩き落とす。
マーニャは、きょとんとした顔で、でもその後に、目に涙を溜めて、大きな声で泣き出した。
侍女が慌てて、宥める。
「奥様!? どうなさいましたか?」
「……ご、ごめんなさい」
白髪が旦那様と重なり、出された小さな手が異様に恐ろしく見えた。
だが、それでも、小さな子に手を上げていい理由にはならない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
私は、譫言のように、何度も何度も謝った。
あの後、なかなか泣き止まないマーニャは侍女に連れられて、お昼寝に行った。
「先程は、取り乱されたそうで、……記憶を無くしたばかりで、まだ、心が落ち着いていらっしゃらないのでしょう。
奥様のせいではございません。あまり気に病まないでください」
「……ええ。気を遣ってくれて、ありがとう」
無理に笑っているのがバレたのか、気分転換に庭園に行くことを侍女は勧めてくれた。
以前の私は、庭園でお茶をすることが好きだったらしい。
「……申し訳ございません。本日が、庭園の植え替え作業を行う日であることを、失念しておりました」
「季節の変わり目だもの、仕方ないわ」
公爵家の庭園は広く、雇用を増やし、庭師総出で植え替え作業を行うそうだ。
「あら? あの人は……」
その中で一人、青みの強い緑の目に、明るい茶髪の庭師に目が止まった。
「…もしかして、ニコライ? あなた、ニコライでしょう!」
「え、その声は……リュドミーラ様!」
「久しぶりね」
「まさかこんな所で出会えるとは、夢にも思いませんでした」
ニコライは、私が嫁ぐ前、ゼリェーヌ公国のお城で庭師見習いとして働いていた。
歳が近かったため、身分を越えて、お互いに友人のように接していた。
「同盟があのような形で終わり、御身を心配しておりました。お元気そうで何よりです」
ニコライは花壇の柵を越えて、側まで駆け寄ってくれた。
記憶のニコライより、ずっと大きく、逞しくなっていたが、その優しい緑の瞳は変わらない。
「この家の庭師として、働くことになりました」
「まぁ、そうだったの!」
「はい! また、よろしくお願いします」
「ええ、よろしくね」
ニコライの緑の瞳が、日射しを受けた新緑のように煌く。
緑の目は、ゼリェーヌ国民の象徴だ。国民は、皆、緑の目を持っている。
久しぶりに会えたその色に、私は胸が熱くなった。
その日から、庭園は私の憩いの場となった。
ニコライは王国に最近やって来たそうで、私の知らないゼリェーヌ公国の話を聞くことができた。
ゼリェーヌ公国は、今、王国の保護下にあるらしい。
革命で、お父様達は亡くなってしまったけど、国民達に食糧は行き届き、そこそこの生活は保証されているそうだ。
「……そう、良かった。国民は無事なのね」
「強がらなくても良いですよ。大公様と大公子様は、革命で亡くなってしまいました。国民が殺したようなものです」
「いいのよ。同盟を組むのも、食糧を得るのも、大公家は行動が遅かったんだわ。悲しくない、と言ったら嘘になるけど、国民を恨んではいないの」
「リュドミーラ様……」
「それより、ニコライが敬語の方が恨めしいわ。また、お城の頃のように、気軽に話してちょうだい」
「……たくっ! あなたって人は!」
ガシガシとニコライは頭をかいて、照れ臭そうに笑った。
「あなたが、ゼリェーヌを悪くしないように、王国に働きかけてくれたんだ。僕たちの希望だよ。国民を代表して、感謝の意を述べる!」
「うふふ、ありがとう」
ニコライに会えた事で、私の心は軽くなった。
やっと心から笑えた気がする。
無くした記憶とも向き合えて、ようやく前進することが出来そうだった。
でも、幸せはそんなに長くは続かない。
ある日、いつもより早く帰ってきた旦那様に、ニコライと一緒にいるのを見られてしまった。
「庭師とは、どんな関係だ?」
「……ただの知り合いです。私が嫁ぐ前に、ゼリェーヌのお城で仕事をしていました」
「それだけか?」
「はい。それだけですわ」
顎を掴み、顔を引き寄せられる。
ここで目を背けてはいけないと、私はじっと旦那様を見据えた。
「俺のことは忘れたのに、その男のことは覚えているのか」
声は怒りに震え、旦那様の赤い瞳が炎のように揺れている。
暴力も覚悟したが、この状況を危惧した執事が間に入ってくれた。
「奥様は故郷を懐かしんでいらっしゃるだけでございます。
記憶を失って、不安な奥様の気持ちを汲んで差し上げるのも、良き夫の役目かと」
「っ、今回までは許そう。だが、二度とその男に関わるな」
「……はい」
私には自由はないのだと、改めて思い知らされた。