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第四話 「――フレデリック・ヘンリー・ロイスって男を知っているか?」

 3


「フレデリック・ヘンリー・ロイスって男を知っているか?」


 菫は突然、そんな事を聞いてきた。


 彼は世界に対しての切り取り宣言を吐いた後、すぐに会計を済ませ、どこに用意をしていたのか、自分で買ったのか、盗んだのかも検討がつかない〈ロールス・ロイス〉のWraithとやらに乗って、鳥取砂丘に向かう、と僕に告げた。手動で開けた扉が、自動で閉めることのできる高級感やベットのような座り心地を味わいながら、静かな車内に自分は不釣り合いだな、と自覚する。


 それから数分後が今であり、鯨が右往左往している横断歩道は機能していない。先ほどよりも警官が少なく、鯨が邪魔をしながらも他の車が走行しているわけでもなく、横断歩道で止まることはなかった。


「いや、知らない」


 そして僕は彼の質問に答える。感想に、平坦に特段強い感情を抱かずいつものように。


「自動車の先駆者だ。ロールス・ロイスの創始者だぜ」


「この車の入手経緯でも話してくれるわけか。これはお前が買ったのか? それともこの騒動で盗んだのか? 真実を求めるためには、お前は盗難も厭わない気がするよ」


 何より、彼は真実の為に友人の自宅に不法侵入をしたではないか。車を盗むのもあまり変わりがないだろう。車ならまだ良い。珈琲を盗むのだけは、僕が許さない。


「盗むわけがないだろ? とはいっても、今の世界で盗む奴は珍しくないのは知ってる。あっちこっちで盗難、殺人、火災の大売出しだ。世界中で鯨の雨が降ったと思えば、今度は犯罪の雨が降ってる」


「降水確率は高いだろうな、その雨は」


 僕は直ぐ隣のビルを見上げる。そこには鯨が斜めから突っ込み、そのビルの端まで飛び出している姿が見える。


 よく倒壊しなかったな、と感心すらした。巨大な鯨が岩山に穿たれた一筋の槍のような光景は、今ではあちこちで見ることができる。


 その周辺の歩道などでは、数十の鯨によって倒壊してしまったビルの瓦礫に押しつぶされた人や鯨の下敷きになった人で溢れている。


 座礁日から一週間経過した。それらはまだ撤去できているわけはない。あれから鯨は降ってきていないが、再度降ってくる可能性は不明な点だらけで拭えるはずもなかった。


 その不鮮明な恐怖が、民衆を煽り、座礁した鯨の瞳に映る虚無が更にその導火線の勢いを増し、人々は自らの欲求に純粋な精神を持つようになってしまう。鯨が座礁したことによって、人が人から獣に変容してしまった。


「オレが話したいのはそういう話じゃねえぜ、真人」


 菫が話を戻し、 僕も視線を彼に戻した。


「何を話したいんだ」


「生き様だよ。オレがいう真実ってのは、フレデリック・ヘンリー・ロイスそのものだぜ。知ってるか? 奴の生き様を」


「いや、知らないって。何だよ、奴って。何目線なんだよ」


「もうこの世では、真実が希薄してる。本質的な真実っていうのに、靄があるんだ。わかるか? 誰かの真実が、そいつの真実にすり替わる。可笑しいよな、人類が真実という答えを探してるのに、見ているのは自分の中に潜む答えじゃなく、自分じゃない誰かの言葉なんだ」


「その誰かの言葉が、そいつにとっての答えになるならいいんじゃないか? 善悪の話じゃないだろうが、それで幸せなら良いんじゃないか?」


「そう、これは善悪の話じゃない。それにどこの誰がそれで幸せになろうが不幸になろうが、オレの知ったことではない。お前もそうだろ?」


 少なくとも、他者が何をしでかそうが、何で幸せを掴もうが知ったことではないのは賛成であるのだが、菫は僕のように他者に関心がないわけではないはずだ。


 その点が、よくわからない人間だな、と僕が思ってしまう点だった。こうして、他者なんて、と口にしてしまうほどに考えているなら他者の言葉に耳を貸さないし、他者の存在そのものに無関心なはずだ。だが彼は他者の言葉を真摯に聞くし、困っていることなら手を差し伸べる。


 本当に、よくわからない人間だ。


「そんな真実が希薄化した世界で、オレが求めているのはな、フレデリック・ヘンリー・ロイスのような生き様であり、真実なんだぜ。コイツは名言を残してるんだ」


「名言?」


「『正しくなされしもの、ささやかなりしとも、すべて気高し』。悪性腫瘍に侵されながら、職人としての自分を辞めることはなく、それ以降に20年に渡って適切な助言を仲間にしていたんだ。それが重要なんだ。それが真実なんだよ。その何事にも変えがたい轍が。わかるか?」


「お前がよくわからないってのが、よくわかった」


 僕は再生プレーヤーに車内にあったジャズのCDを入れる。


 流れたのはボブ・ディランの『風に吹かれて』。


 ディランが歌う。若い声が、心地いい。


 『友よ その「答え」は風に吹かれているのだ』


  そうか。風に吹かれているのか。アイツの言葉は風に吹かれている。それはわかるわけがない。納得だ。僕は強く頷いた。


 珈琲がないのが、心許ない。


 窓を見れば、雪が降っていた。 


 死んだ街に、雪が降る。


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