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第三話 「――世界を切り取りに行くんだ。真実を探しに行こうぜ」

 2


 店内に珈琲豆を挽ひく音色と魅惑的で好奇心をくすぐられるジャズが重なっていく。聞いた瞬間にボブ・ディランの若かりし頃の声だということはわかった。曲名は確か『やせっぽちのバラッド』だ。


 『何かがここで起きている だけどあんたにはわからない』


 飛び込んできたそんな歌詞に少しばかり微笑んでしまいそうになる。確かに何かがこの世界に起きているのだろうが、僕にはわからない。


 僕はとても満足していた。まさか、店内が荒らされてもおらず、綺麗な内装のまま営業をしているとは想像していなかった。豆を挽く店長は寡黙かもくな人物であり、ベスト越しに膨らむ筋肉が逞しい。何より落ち着いている。とてもこの店内にぴったりな人だな、と僕は感心を以前から持っていた。


 気に入らない点を一点だけ挙げるとするならば、目の前で氷をばりばりぼりぼり、とジャズとは対照的な不協和音を口元から響かせている霧端菫だ。


 彼は店内の大きな窓から見える鯨の死骸を見つめていた。悲壮でもなく、憐憫でもなく、その眼差しは好奇心に満ちている。例えるなら狼が獲物を見つけた時のようなものだろうか。とは言っても、僕は狼が獲物を見つけた瞬間に立ち会ったわけでもなく、狼の方からそんな現場に誘ってきたこともないために、想像でしかないのだが、彼の瞳には獰猛さと好奇心が入り混じっているように感じられた。




 高校生の頃から、顔つきはあまり変わっていない。ともに大学生活を過ごしてきた仲なので、その時から感じていたのだが、彼の顔は若々しい。色褪せてはいない、という表現が適切かはわからないが、その言葉が思い浮かぶ。僕と同じく、25歳というのに彼の顔には衰えというものが見られない。


 白い流れ星なのか、星が砂になっていく模様なのかわからないが、そういった柄のジャケットを菫は羽織っている。ワイドパンツを着こなし、何故かサンダルを履いていた。服装のセンスも変わっていないので、奇抜だな、と久しぶりに感じる。


 ワックスで整えた男らしい髪型が、どこか狼らしさを醸し出している。


 水の入っていない氷だけの洋杯コップを大きな動作で、割れない程度に置く。店内のジャズの中間にその音が差しこまれる。彼はジャズではなく、どこかロックだ。


 「どう思う、真人」


 僕が珈琲を注文し、彼が氷だけを頼んでから「久しぶりだな」と先に来ていた彼の挨拶以降、会話はなかったが次に彼が口にしたのは、脈絡のない言葉だった。


 いつもそうだ、と僕はため息を吐きながら「どう思うって、何がだよ」と口調や姿勢をいつもとは違う、砕けた形式にする。


 いつもそうだった。彼は脈絡とは無縁の男だった。話しの筋というか、唐突なのだ。彼とは長い付き合いだが、その中でも一番驚愕させられた出来事がある。


 僕の友人で山田君という人がいるのだが、彼の母親が若い男性と肉体関係にあるんじゃないか、と相談を受けたことがあった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 あれは確か、高校二年の夏。風は強く吹いているのに、蒸し暑さが消えない。とてもうんざりするような残暑が続いていたのが今でも脳裡で再生できるほどに、印象的な記憶だ。


 「ぼくの……ぼくのお母さんってさ、父さんと離婚しててさ」


 山田君は僕と菫の前では、内気な性格が少し緩和する、と言ってくれていたのを覚えている。それは菫の性格が良いというのはあるのだろう。彼は気さくで誰とでも仲良くなれる。スタイルも悪くはない。


 僕がなぜこの平均点が高い人間と仲を保っていられたのか、というのを今を想えば気を遣わなくていいからなんだろうな、と気がつく。この頃の僕は気が付くことすらできてはいなかったんだと思う。


 「それで、最近変な男の人が家に来るんだ」


 「変な人?」


 「おいおい、真人。変な人は変な人だろ。そこで首を傾げるもんじゃないぜ」


 「そ、それでね。ぼくのお母さんとぼくは別々で寝ているんだけどさ」


 山田君は話をするのが上手ではなかった。ゼロからイチを少しずつ足していく話し方をする。僕は山田君のそんな話し方が苦手だったが、菫は苦手というものがないのではないか、と言うほどに何事も真摯に取り組んでいた。それは山田君との会話でも変わらない。


 山田君の話も彼は真面目に聞いていた。核心の部分まで話が飛ぶ。


 「お母さんの部屋から、何か獣なのかな……よくわからない声が聞こえてくるんだ」


 当時の僕は猫か犬を飼っているんだろうな、と感じていた。対して菫は人の気持ちがある程度わかっているのか、山田君の会話からそれが卑しいものである可能性が高そうだな、と言っていたのを憶えている。


 菫は山田君の悩みを全て聞いた後に、山田君には内緒でその「獣の声」を調査するために、山田君の家の前に集合だ、と僕を呼び出した。


 その時、なぜかピッキング技術を習得していた彼は友人の自宅に不法侵入を試みた。夜の22時頃だったと思う。驚いて、表情には出さなかったと思うが「何で山田君に言わないんだ」と問いかけた気がする。


 その時に、彼はこう口にした。


 「それじゃ面白くない。獣の声が聞こえないかもしれないだろ。いいか、真人。俺が求めるのは、真実だ。そしていいか、真人。オレは『真実はいつもひとつ』って言葉が嫌いだ。大っ嫌いだ。だからな、オレは真実を探し続けてるんだよ。この世に、真実はいつもひとつなわけないからな」


 「獣の声を聞くことが、真実を探す事なのか?」


 彼は真っすぐに頷き、


 「ああ、世界を切り取りに行くんだ。真実を探しに行こうぜ」


 まるで、世界を救いにでも行くような、どこぞの主人公みたいな台詞を吐いたことを憶えている。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「おいおい、真人。聞いてんのか?」


 彼の瞳がこちらをじっと見ている。童心のような色彩が混ざりながらも鋭いものを感じさせる瞳には、あの頃と変わり映えのない懐かしさを思い出す。


 「少し昔の事を思い出していた」


 「昔の事?」


 「お前が山田君の家に侵入した時のことだ。あっただろ」


 「獣探し事件だな」


 「お前の中ではそんな名称がつけられているのか」


 「それで、その事件がどうしたんだよ」


 この場合、一番事件と呼べるものを引き起こしたのは、不法侵入をしたお前になってしまうのだが、それを気にしないところも菫らしさがあった。


 「大したことじゃない。お前は変わっているよな、というのを確認するために大抵あの頃の記憶が蘇るだけだ。そういえば、何であの時獣の声が――――」


 「お待たせ致しました。珈琲でございます」


 そこで渋い声をが世界を救済してくれる飲み物を持ってきてくれた。山田君が脳裡から消える。


 湯気から暖かみを味わえる。珈琲の香りが鼻腔をくすぐり、脳内へと至る。これだけで世界が救われてる気分になってしまうのだから、やはり珈琲は世界を救うという事が僕の中で証明された。


 「変わってないな、真人は。山田の所に珈琲を飲みに通っていたお前の姿を想いだすぜ、全く」


 「山田君の家で飲む珈琲があの時の僕を救ってくれたんだ。それに変わってないのはお前もだろ。全く、唐突に何なんだ。あの頃と変わってない台詞を吐きやがって」


 「あの頃?」


 「さっきの話だよ」


 「ああ」


 「その時も真実を探しに行こうとか、言ってただろ」


 「真実を探すのは大事だ。それもひとつじゃ駄目だ。複数も駄目だ」


 「何を言っているんだ、お前。矛盾してるだろ」


 落ち着くために珈琲を口に含む。美味しい。この店は独特で「珈琲」という一品目しか頼めない。それだけ自信があるのだろうなと思い、初めて言った時は驚いた。あまりの美味しさに「これは世界を救う!」と声高々に言ってしまったのだ。


 そんな事を言ったのは、山田君の家で初めて飲んだ珈琲以来だった。


 出禁を覚悟したのだが、客が僕に蔑みの視線を浴びせる中、店長が握手をしてきた。どうやら僕の言葉に強く感動をしたらしい。それをあの時は口にしなかったが、今でもこうして通えているのだから、少なくとも僕はそう解釈している。


 「いいか、真人。オレは『真実はいつもひとつ』って言葉が嫌いだ。大っ嫌いだ」


 「知ってる。鯨が街中で死んでいる事が当たり前のように、お前は一神教にでも親を殺されたんじゃないかと思ってしまうぐらいには知ってるよ」


 「そう。そこなんだ。鯨だぜ、真人」


 こいつは本当に話が一転、二転するのが早い。これは僕の時だけなのか、と考えてしまう。何せ、山田君の時を想いだしたらそんな事はなく、きちんと会話を聞いて受け答えをしていた。菫は僕を人間として見ていないのかもしれない。


 「世界を切り取りに行くんだ。真実を探しに行こうぜ」


 だから、それは一体何なんだよ。



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