第88話 目覚め
「・・・っ!」
ロロは突然の虚脱感により、
意識を取り戻した。
立っていることが出来なくなるほどの目眩がして、
頭がガンガンと痛む。
なんとか壁にしがみつき、
その場に倒れてしまうことは回避する。
ロロは自分の状況を思い出すために、
必死で呼吸を整えた。
そうだ。
自分は『白の箱』に触れたのだ。
頭痛に耐えて目を開けると、
目の前には『白の箱』があった。
箱はもはや完全な六面体ではなく、
一辺が開いて
ロロが触れたことにより、
箱は開封されたのだ。
「・・・私は・・・」
ロロは自分のなかに残る、
確かな感触に気が付く。
白の箱を開けたことによりすべてを理解した。
そしてゼメウスが箱に残したという魔法も彼女の中にしかと宿っていた。
これは禁じられた魔法だ。
ロロは身に宿った力に恐怖を感じた。
「だけど、今は・・・」
ロロは力の入らない足を無理矢理に動かし、
部屋の扉へと向かう。
ロロにはやらなくてはならない事がある。
だがその時。
部屋の扉が開かれた。
「・・・ロロ、今の魔力はなにごと・・・ってどうしたのよ!」
アリシアが部屋の中に入ってくる。
そこには顔面蒼白で苦しんでいる様子のロロがいた。
「アリシア・・・さん・・・」
ロロがアリシアの名前を呼ぶ。
「大丈夫!?今、キリカとシルバを・・・」
そう言って部屋を飛び出そうとするアリシアを、
ロロが強い力で引き留めた。
「なに!?」
アリシアが驚いてロロを見ると、
ロロは苦悶の表情のまま首を横に降った。
「・・・人を、呼んではダメです・・・それよりグレイさんのところへ・・・」
ロロは呟いた。
「・・・グレイって・・・あんた、何を・・・」
アリシアが尋ねる。
ロロは強い瞳でアリシアを見た。
「・・・グレイさんを助けに、いきます」
・・・
・・
・
部屋の扉を開けると中は真っ暗だった。
中から冷たい風が噴き出してくる。
ここはグレイをきちんと葬る準備が出来るまで、
遺体を置いておくために用意してもらった部屋。
遺体が損傷しないよう、
アリシアの魔法で部屋の気温を下げてある。
重く暗い。
死の空気が満ちた部屋である。
そしてその部屋の中央には、
毛布をかけられた遺体が一つ。
「・・・覚悟はいい?」
アリシアはロロに尋ねる。
それはアリシアが自分自身にも向けた言葉でもあった。
ロロはその言葉に頷く
アリシアはグレイの遺体に掛かった毛布を剥ぎ取った。
「・・・ッ!」
遺体を見た、ロロは思わず顔を背ける。
落下による即死。
更に川に流され、
発見が遅れた遺体の状態は良好とは言えない。
アリシアはロロの背中を摩った。
彼女の気持ちが痛いほどよく分かる。
先日、アリシアがシルバに止められながらグレイの遺体と対面した際には、
あまりの衝撃に卒倒してしまいそうになったほどだ。
「だ、大丈夫です・・・アリシアさん・・・すみません・・・」
ロロは答える。
「・・・どうするつもりなの・・・ロロ・・・」
アリシアが心配そうに声を掛ける。
「・・・私、『白の箱』に選ばれました」
「・・・どういうこと?」
「・・・あの箱は、ずっと待っていたんです。封じられた魔法を誰かに託すのを。・・・そして私にはその適性があった」
ロロが答える。
「封じられた、魔法・・・?それに適正って・・・」
アリシアが尋ねる。
「はい、私もよくは分かりません。ですがやはり大魔導ゼメウスはとてつもない魔導士でした。・・・彼は禁忌に触れる魔法を開発していたのです」
ロロが言う。
「禁忌に?それって・・・」
「はい。箱に封じられた魔法は、『生命魔法』・・・その名の通り、死んだ魂を肉体に戻すことが出来る魔法です」
ロロは答えた。
「死んだ魂をって・・・そんな・・・」
アリシアは驚愕する。
すでに彼女の常識を大きく外れた話だ。
「・・・驚くのは無理もありません。私も箱を開ける前だったら到底信じられなかった。・・・でも今は、その魔法が確かにここに存在すると確信できます」
ロロはギュッと自分の胸を掴む。
「それで・・・どうするの・・・」
「・・・決まっています。グレイさんを生き返らせるのです。私はそうするべき。いえ、むしろ箱がその為に私にこの魔法を授けた、とすら思うのです」
「・・・箱が?」
「この箱は・・・この魔法は危険です。アリシアさん。私は正直言って恐ろしいです・・・」
「ロロ・・・」
「・・・でもこうすることが運命なのだと感じます」
「・・・禁忌に触れたら、どうなるか分からないわよ・・・?」
アリシアが言う。
「当然です。・・・しかも私は聖女。その罪は人よりも重いはずです。でもそれでも、私は愛する人を取り戻したい」
「愛する・・・?」
アリシアが尋ねる。
「そうですよ、アリシアさん。グレイさんを好きなのはアリシアさんだけじゃないんです」
ロロが茶化した笑顔でアリシアに言う。
「だ、誰が・・・!」
アリシアは慌てて否定した。
「・・・責任はちゃんと取ります。誰かの責任にはしません」
「ロロ・・・」
「・・・もし何かあったら、そのときはよろしくお願いしますね」
そう言ってロロはそっと、グレイの遺体に触れた。
ロロは目を閉じて、
魔力を収束する。
箱から魔法の使い方は教わった。
今では昔から使えた魔法のように、
その使い方が手に取るように分かる。
ロロは魔力を、右手に収束した。
そして自分の全魔力を注ぎ込む。
「く・・・う・・・」
イメージは温度。
ロロは手に集まる魔力の温度を、
どんどんと上げていった。
魔力は次第に熱量を増やしていく。
イメージではあるが、
ロロは自らの手が燃えて溶け落ちるかのような、
熱さを感じていた。
だが、これでも足りない。
大魔導ゼメウスの生み出した魔法は、
聖女の魔力を容易く食らっていった。
ロロは更に魔力の温度を高める。
「・・・ロロ!」
ロロが苦しそうな表情を浮かべるのを見て、
アリシアが心配して声を掛ける。
だがそれに答える余裕はない。
もっと。
もっと。
ロロは魔力の温度を上げていく。
火よりも熱く。
火炎よりも激しく。
やがてロロの右手の魔力が、
限界まで高まった。
それはつまるところ、魂の温度とも言えた。
「・・・い、きます・・・」
ロロは息も絶えだえといった様子だ。
そしてぐっと歯を食いしばり、
右手で冷え切ったグレイの体に触れた。
そしてロロは呟く。
<命よ>
その瞬間。
ロロの右手に溜まった、
熱を持った莫大な魔力がグレイの体に吸収された。
途端に、グレイの体に白い靄がまとわり付き始めた。
「・・・グレイ・・・」
アリシアは思わずグレイの名を呼ぶ。
白い靄はどんどん生み出され、
遂にグレイの体は白い靄に覆われた。
「あ・・・」
全ての魔力をグレイに注ぎ込み終わると、
ロロの膝から力が抜ける。
「ロロ!」
アリシアがロロの体を支える。
ロロの呼吸は激しく、
極度の疲労状態であることが目に分かる。
一発の魔法だけでここまで東の聖女を疲弊させるとは、
ゼメウスの魔法とは如何程のものなのだろうか。
アリシアはそれが恐ろしくなった。
そして二人は顔を上げ、
グレイの体を見つめる。
白靄はグレイの身体の上を動き回っていた。
「・・・アリシアさん・・・」
ロロが声をあげる。
見ると、グレイの体が白靄により徐々に修復されていくのが見えた。
折れた骨も、破けた皮膚も。
まるで何事もなかったように元に戻っていく。
そしてやがて白靄の動きは止まり、
グレイの体から消えていった。
残されたのは損傷の跡などどこにもない。
まるで眠ったように穏やかなグレイの姿であった。
そして――――――
「う・・・」
グレイの体から、
聞き覚えのあるうめき声が聞こえた。
胸が上下に動き、呼吸が始まったのが分かる。
その姿を見て、
アリシアは涙腺が熱くなるのを感じた。
「・・・こ・・・ここは」
そう言ってグレイは、
まるで眠りから覚めるように、
ゆっくりと体を起こした。




