第76話 朦朧とした意識の果てに
ロロの目の前で、
目まぐるしく戦闘が繰り広げられていた。
洞窟の奥から、突如現れた黒い肌のゴブリン二匹。
恐らく、あれがグレイの言っていたデビルゴブリンだろう。
戦いの中の動きを見ただけで分かる。
あれは並のゴブリンとは次元が違う生き物だ。
魔力の質も濃厚で、なにより邪悪。
聖女である自分には存在その者が嫌悪の対象だった。
だが、その二匹のゴブリンを相手に、
グレイは戦い続けていた。
威力の高い魔法と体術。
デビルゴブリン二匹の猛攻を、
すんでのところで回避している。
それを見れば彼が高位の魔導士なのだと言う事が分かる。
だがロロが不思議に思ったのは、
戦闘の中でデビルゴブリンの攻撃がグレイを捉えそうになるその瞬間に、
グレイの身体がブレて、姿を消すことである。
始めは自分の見間違いかと思った。
だが戦闘が激化するごとにその回数が増え、
今では間違いなくグレイの姿が消える瞬間を目撃することが出来た。
あんな魔法、見た事も聞いたこともない。
そして姿が消えるその一瞬、
ロロはなんとも気味の悪い感覚を覚える。
まるで世界が色を失い、
そこから自分すらも居なくなったかの様な感覚。
確信も出来ない、違和感程度のものであるが、
グレイが何かをしているのだと言う事は分かった。
そしてロロには気になる事がもう一つあった。
「・・・ゴブリン殺戮者・・・」
背中越しだったためよく聞こえなかったが、
戦闘前にグレイがそう呟いたような気がした。
それは自分の想い人の名前。
まさか彼の口からその名前が出て来るとは思ってもいなかった。
ロロの中にある想いが生まれ、
その想いはどんどんと加速度的に大きくなる。
こんな時にも関らず、
ロロの心臓は恐怖とは別の感情で大きく鼓動していた。
だが、そんなまさか。
頭を振り、自分で自分の考えを否定する。
バロンから何度となく話を聞いて自分が思いを寄せたゴブリン殺戮者は、
非情で執念深く残忍、だが確固たる個を持った人物だった。
ロロはその姿に憧れた。
幼き頃から聖女見習いとして修業の日々を送り、
聖女になってからは教皇に飼われるだけの毎日を過ごす自分。
人々の信仰に相応しい聖女に近付くよう、
理想の聖女像を演じ続ける自分。
そのどれもが欺瞞に満ちて、
自分を押し殺すようなものであった。
ロロはそんな自分が嫌いだった。
だからこそ狂気的な噂をいくつも生み出し、
人々からの評判をものともせず、
我が道を行くゴブリン殺戮者を羨ましく思ったのだ。
ゴブリン殺戮者が何を目的に、
ゴブリンを殲滅しようとしているのかは分からない。
だがそこには自分の計り知れない様な強い思いがあるのだろう。
ロロはそう思っていた。
だがそれに対して、
目の前に居るグレイはそれとは全く事なる印象の男だ。
優しく、包容力があり、自然体。
残忍さとは正反対の人物だ。
そして何より、彼は強い。
それは戦闘的な強さだけではなく心が、である。
ロロは戦闘が始まる前に、
彼の足が震えているのを見ていた。
安心しろと言った声が、
裏返ってしまっているのを聞いた。
だがそれにも関わらず、
彼はこうして敵と戦っている。
本当ならカッコ悪いのかも知れないが、
自分にはそれがとてもカッコよく思えた。
それはおそらく、
自分たちを守るため。
未だ意識の戻らないバロンと、
戦えない自分のために、
彼は戦っているのだ。
その時――――。
「・・・う・・・」
自分の腕の中で、意識を失っていたバロンがうめき声をあげた。
どうやら意識を取り戻したようだ。
「・・・バロン?・・・バロン、大丈夫?」
ロロは必死でバロンに声を掛ける。
同時に弱めの回復魔法も一緒に。
少しでも楽になるように。
「・・・ロ、ロロ・・・か?どうして・・・」
そうしてバロンが目を開ける。
辛そうではあるが、どうやら無事なようだ。
ロロはほっと胸を撫で下ろす。
安心から目から涙があふれ出た。
「・・・グレイさんが、グレイさんと一緒に・・・助けに・・・来たんだよ・・・」
ロロは嗚咽を堪えながら、
必死で言葉を紡いだ。
自分を先に逃がし、
自らはその場に残ったバロン。
彼が生きていてよかった。
ロロは心の底からそう思った。
「グ、レイ・・・?」
ロロの言葉を聞いたバロンは、
目覚めたばかりにも関らず身体を起こし、
辺りの様子を窺った。
そしてバロンは、目の前で繰り広げられる戦闘に気が付く。
バロンは驚愕した表情を浮かべ、その戦闘をじっと見つめていた。
「どうしたの・・・バロン・・・・?」
そのあまりの様子に、ロロは思わず声を掛ける。
だがロロはバロンの顔を見て、驚いた。
彼は戦闘を見ながら、目から大量の涙を流していた。
「ぐっ・・・ある、主・が・・助けに来て・・・くれたのか・・」
プライドが高く強がりなバロンが涙を見せることなど滅多にない。
そして彼が主と仰ぐ人物が一人しか居ないことを、ロロは知っていた。
ロロは全身に鳥肌が立つ。
まさか。
その瞬間、爆発が起き、
ズシンと地面が大きく震えた。
驚き、顔を上げると、
そこには倒れた二匹のデビルゴブリンと、
噴煙の中、一人立つグレイの姿があった。
・・・
・・
・
危なかった。
かろうじて二匹のデビルゴブリンを倒すことが出来た。
かつてアリシアと共に倒した個体よりも弱く、
特殊な能力も有していなかったことが幸いした。
だがそれでも、時間魔法の連続使用により、
酸素不足、それに魔力は枯渇寸前である。
俺は荒くなった呼吸を必死に整える。
手足が痺れている。
酸素が脳に行き渡っていない。
意識が朦朧として、
自分の置かれた状況が理解できない。
あれ、そもそもなんで俺はここに居るんだろか。
その時、俺に駆け寄る足音が聞こえた。
「主、主・・・」
俺は無意識にそちらに顔を向ける。
「主、貴方の手を煩わせえてしまうとはこのバロン一生の不覚です。誠に申し訳ありません・・・」
気が付くと、彼は俺の目の前で跪いていた。
だがよく思い出せない。
なぜ彼は俺に感謝されているのだろう。
「・・・ゴブリン殺戮者様の使命を自らが阻害してしまうとは・・・だがそれでも、貴方に助けていただいて・・・わ、私は・・・」
よく見ると彼の肩が震えている。
そうか思い出してきた。
俺はゴブリン殺戮者。
この世から忌々しいゴブリン共を根絶やしにする存在だ。
彼はおそらく俺の崇拝者なのだろう。
涙を流し許しを乞うている。
だとしたら然るべき声を掛けてやらねばならない。
「・・・構わぬ」
俺はそう言った。
「・・・え・・・・?」
バロンが顔を上げた。
「・・・我が使命はゴブリンを一匹残らず殺す事。・・・貴様が自ら囮となりゴブリン共の巣穴を突き止めたことで、探し出す手間が省けた。案ずるな。その傷は恥では無く、名誉の証と知るがいい」
「・・・ッ!あ、るじ・・・」
俺の言葉にバロンの目が潤む。
うん、こんな感じだっただろうか。
意識が遠のき、
もう自分が何を言っているのかよく分からない。
「・・・主、改めて私は貴方の片腕として、一生尽くすことを誓います。この御恩は忘れません・・・」
バロンが言う。
いかん。
血の気が引いてきた。
「・・・励め・・・」
俺は一言だけ答え、
そのまま意識を失い倒れた。




