第72話 癒しの力
「敵襲!ゴブリンです!」
騎士の一人が叫ぶ。
その声に、
ノワール村の中が騒然とする。
「遂に、来ましたか・・・」
それ聞いていたシルバは。
愛刀を腰に差し立ち上がる。
そして傍らに座る少女に声を掛けた。
「アリシア殿、ゴブリンが来ました。やつらここを本気で攻め落とすつもりですね。直に凄まじい勢いで村に雪崩込んでくるでしょう」
「私も、行くわ・・・」
アリシアが消えるような声で言う。
「大丈夫ですか?今は戦えるような精神状態ではないとお見受けしますが・・・」
シルバが声を掛ける。
グレイの行方が分からなくなってからと言うもの、
彼女は抜け殻に呆けていた。
「・・・もう大丈夫。私はSクラス魔導士よ」
「しかし・・・」
Sクラス魔導士と言えど、人間であることには変わりない。
大事な人を失いすぐに立ち上がれるほど、人間は強くない。
シルバはそれを知っていた。
だがその言葉を口に出すのは止めた。
なぜならば目の前の少女からは、
言いようのないほどの魔力がにじみ出ていたからだ。
それは怒り。
アリシアの心中にはその感情が渦を巻いていた。
グレイを失った悲しみが、
すべてゴブリンへの怒りとなり、
彼女の中に溢れかえっていた。
シルバはアリシアの姿を見て思わず戦慄する。
殺意を漲らせる彼女は、
もはや見てくれ通りの華奢な少女には見えなかった。
シルバは自らの思い違いに気が付く。
忘れていた。
彼女はSクラス魔導士なのだ。
「・・・要らぬ気遣いを失礼いたしました」
シルバの言葉にアリシアはただ頷き、
ゆっくり立ち上がった。
「駆逐・・・してやるわ。一匹残らず」
やがてノワール村に炎があがり、
ゴブリンによる二度目の総攻撃が始まった。
・・・
・・
・
「まずいな」
俺は呟いた。
視線の先にはおぞましい程のゴブリン。
目の前にある洞窟の中から、
大量にあふれ出てくる。
俺たちはそれを身を隠し、見ていた。
目の前に溢れんばかりのゴブリン、ゴブリンゴブリン。
目視しただけでも、千や二千ではきかないくらいの数だ。
「あんなにたくさんのゴブリンが・・・」
ロロは隣で怯えている。
いくらゴブリンの繁殖力が凄まじいとは言え、
ここまで増えることはありえない事だった。
「どこに行くのでしょうか・・・?」
「あの方角、もしかしたらロワール村かも知れないな」
俺は答えた。
「そんな・・・」
「指揮官は数日前にゴブリンの強襲を受けたと言っていた。あれから立て直せていればいいが・・・」
俺はシルバに喝を入れられていた指揮官の事を思い出す。
指揮官があの調子では、現場は道標を失ったも同然だろう。
「アリシア・・・」
グレイは呟く。
ノワール村には<紅の風>が居る。
彼女ならばゴブリンたち相手でも、
持ちこたえてくれるはずだ。
ロロの幼馴染を見つけ、
早々にゴブリンキングから『白の箱』を回収しなくては。
俺は拳を握りしめた。
「・・・あの、グレイさん。本当にここに入るのですか?」
ロロが心配そうに尋ねる。
「あぁ。君と幼馴染が別れたと言う場所に死体は無かった。だとするとやつらの棲み処に連れていかれた可能性が高い。怖いか?」
そして嬲られ食糧になる、とは言わなかった。
「・・・いえ、大丈夫です。ただ恐ろしい気配がします。何かに見られているような」
ロロは呟く。
その表情はひどく青白い。
一緒に行動して分かったが、
彼女の魔力感知能力は非常に高い。
デビルゴブリンや、
それ以上の何かの存在を感じ取ったのかも知れない。
「・・・無理もない。辛かったら隠れていても大丈夫だぞ」
俺はロロに声を掛ける。
「いえ、行きます。私が、彼を助けないと・・・」
ロロは答える。
俺は頷いた。
「やつらの狙いがロワール村だとしたら、あそこには騎士たちが居る。という事はゴブリンも総力を挙げて攻め込むはずだ。逆にここは手薄になるだろう。もう少しだけ待とう」
俺たちは草陰に隠れ、
ゴブリンたちが洞窟から出切るのを待った。
やがて俺の予想通り、
ゴブリン達の怒涛の大行進は終わり、
痛いほどの静寂があたりに満ちた。
「・・・行こう」
俺はロロに声を掛ける。
「はい」
ロロは強張った表情で頷いた。
「・・・ロロは戦闘は出来るのか?」
洞窟の中を進みながら、
俺は小声でロロに尋ねる。
ここでもしデビルゴブリンとでも出会えば、
戦闘は避けられない。
その際、ロロを守り切れるかは自信が無かった。
「えっと、白魔法であれば多少の心得があります」
ロロは答えた。
「そうか。それを聞いて安心した。黒い肌のゴブリンが出たらよく注意してくれ。出来れば戦わずに済まそう」
俺は言う。
目的はロロの幼馴染の救出。
それが終わればすぐにここを脱出し、
俺は一刻も早くゴブリンキングを探さなくてはならない。
「・・・分かりました。その黒いゴブリンと言うのは、どのようなものなのですか?あまり聞いたことがありませんが」
ロロが尋ねる。
「俺も一度戦ったことがあるだけだから、よく知っている訳じゃない。腕が伸びて、再生能力があって、魔力耐性も高い。冗談みたいな強さのゴブリンで、デビルゴブリン、なんて呼ばれている」
俺は答える。
「デビル・・・ゴブリン。なんて禍々しい・・・」
ロロの表情が青ざめる。
「・・・だよな。けど、今回の親玉はそいつじゃないらしいんだ」
俺は言う。
「そんなに凶悪なゴブリンをさらに上回るモノがいるのですか?」
俺はロロの質問に頷き答える。
「・・・あぁ。師匠から貰った情報だから、俺も見たことがあるわけじゃないけどな。そいつはゴブリンキング、だったものだ。ある場所に隠されていた魔法により進化し続けているらしい」
「ゴブリンキングが進化、ですか・・・?そんなことが・・・」
「俺も信じられないがな」
ロロがごくりと喉を鳴らす。
彼女の表情には得体の知れない存在に対する恐怖が、
はっきりと浮かび上がっていた。
その顔を見ても、
俺は彼女を安心させてやれるような言葉を一つも思い付く事が出来なかった。
見えない敵に対する恐怖は俺も同じだった。
嫌な空気になった俺たちは、
無言で洞窟を歩き続ける。
やがてロロがポツリと呟いた。
「・・・先ほどの件、やはりあり得ません」
「どういうことだ?」
俺は尋ねる。
「・・・グレイさん、『七つの禁忌』はご存知ですね?」
「あ、ああ」
ロロの言葉に俺は一瞬ドキリとする。
「七つの禁忌は魔法により侵すことを禁じられた領域。その一つが生命です。」
「生命・・・」
「教本で触れられるのは、主に「死」に関してだけですが、生物の進化と言うのもまた人が決して踏み込んではいけない領域です。その理由は・・・」
「すべての生き物は、魔力の神の創造物である、か」
俺は答える。
この言葉は、魔力の神信仰について書かれた本ならば冒頭に出てくるような有名なフレーズだ。
「・・・そうです。だからもしも何らかの力で作為的に進化を繰り替えす存在が居るとすれば、それはもはやゴブリン、いえ生物ですらありません。すべての生物は生まれながらに不完全。究極を目指せません。なぜなら不完全こそが神の作ったありのままの姿なのです。その領域に影響を与えるような魔法は存在しません」
ロロは言った。
「・・・究極は目指せない、か。確かにその通りだ」
俺はそれだけ答えて、
ただ歩くことに集中した。
だが頭の中には先ほどロロが話したことが何度も
繰り返し流れていた。
―――すべての生物は生まれながらに不完全。究極を目指せません。
確かにロロの言うとおりだ。
だがもしも魔法の力でそこに到った生物がいるとしたら?
それは生物を越えた究極生物と呼べるのではないだろうか。
俺は今さらながらに、
自分が戦おうとしているものの大きさに、
押しつぶされそうになった。
緊張で喉が張り付く。
その時。
「バロン!!」
俺の隣で突如ロロが叫んだ。
慌てて彼女の視線を追うと、
そこにはゴブリン達がいた。
倒れた男を寄ってたかって袋叩きにしている。
だが、どうやら男は既に意識を失っているようだ。
「・・・っ!」
俺はそれを視界に捕らえた瞬間、
大地を蹴り走り出していた。
「ゲギャ?」
「ギャギャ!」
ゴブリンたちが騒ぐ前に、
時間魔法を発動させる。
<時よ>
その瞬間、俺以外の全ての時間が止まる。
ゴブリンは醜い表情を浮かべまま硬直していた。
俺はゴブリンたちの頭部に、
ゼロ距離で爆破魔法を設置した。
<フレイムボム>
<フレイムボム>
<フレイムボム>
この距離ならば威力は必要ない。
爆風が倒れた彼に当たらぬよう威力を調整し、
俺は時間の停止を解除する。
――――バキン
何かが割れる様な音が耳元でして、
再び時は動き出した。
俺は指を鳴らし、魔法を発動する。
4体のゴブリンの頭部が同時に爆発した。
「バロン!バロン?目を覚まして?」
ロロが半狂乱になりながら、
幼馴染を抱きかかえる。
酷く傷だらけではあるが、
俺はその顔に見覚えがあった。
「バ、ロン・・・?」
それは以前にキリカ隊で出会い、
なぜか俺を信奉してくれていた青年だった。
「なぜ、ここに・・・?」
俺は突然の事に、動揺する。
「バロン、バロン・・・お願い目を覚まして」
そう言ってロロは彼を抱きかかえたまま、
魔力を集束させた。
俺はその魔力の濃密さに、
思わず顔を背けた。
とてつもない魔力だ。
やがて、ロロとバロンを包む魔力が緑色に発行する。
これは回復魔法の光だ。
<エクスキュア>
温かい魔力が辺り一帯を包む。
上級回復魔法<エクスキュア>
一流の白魔導士のみが扱える、
最高の癒しの力だ。
緑の光はどんどん強まり、
やがて洞窟の全てを明るく照らす。
やがて光が収まると、
ロロに抱きかかえられたバロンの傷は、
すべて消え去っていた。




